御降誕祭  
     
 

11月23日は、主なるサイが降臨された日を記念してお祝いをします。この日は、全人類が無私の愛の体現者であられるサイに敬意を表する機会です。この日、世界中から何百万人もの帰依者が大挙してプラシャーンティ・ニラヤムに集まります。

ヴェーダを吟唱する学生たちと、インド各地にあるバガヴァンの学校のブラスバンドで構成されるお祭りの行列が、会場を行進します。この日のプログラムは、各分野で目立った活躍をしている帰依者たちによるスピーチや、世界中からやって来た有名なアーティストによる文化祭などが用意されています。


「ババの御言葉」

このホールに歩いて来るとき、多くの帰依者たちが、私に「ハッピー バースデー! (幸せなお誕生日でありますように!)」とあいさつをしました。皆さんは、幸せでない人々のために「幸せな誕生日」をお祈りすべきです。私には皆さんからの誕生日のあいさつは必要ありません。神は永遠の至福(ニッティヤーナンダム)そのものだからです。

神は絶えず至福に満ちて、
人々にこの上ない幸せをもたらす。
神はまた、至高の英知の化身そのものであり、
あらゆる対立を超え、果てしない空のごとく雄大で、
雨雲のごとき色をして、完全な姿をもっている。

(サンスクリット語の詩)

ハートの空に立ち込める雲を切り裂いてきらめく稲妻のように、英知が皆さんのハートを照らさなければなりません。その英知は、あなたの内なる神を明らかに見せてくれるでしょう。

愛の化身である皆さん! 皆さん方の一人ひとりが、多額の費用をかけ、さまざまな苦労を乗り越えてここにやって来ました。「私」という真我の原理を理解するために、最大の努力をしなさい。「私」という真我の原理こそが霊性の基盤です。「私」という意識をアートマ(真我)と見なすとき、皆さんはすべての苦しみから解放されるのです。たとえさまざまな問題が起きたとしても、(南インドの)山に降る雪のように、間もなく消えてしまいます。なぜそのような、通 り過ぎていくだけの雲に心を惑わされるのですか? 真我に基づく英知(アートマ・グニャーナ)を身につければ、何一つ心配する必要はなくなってしまいます。

サイババスワミは誕生日の祝典を喜んでいるわけではありません。皆さんは全員このお祭りのために集まって来ているので、私は皆さん方に満足を与えなければならないのです。私には何一つ欲望はありません。私が行うことは、何であれ、皆さん方のためなのです。この真理に気づきなさい。私はいかなる人をも嫌うことがなく、まただれも私を嫌う人はいません。すべての人が私のものであり、私はすべての人のものです。私は「みんなが幸せでありますように」という祈りと祝福をもたらします。すべての人が、ダルマ(正しい行い)の道を守る必要があります。すべての人が自分にもともと備わっている霊的至福を顕現しなければなりません。皆さんは、霊的一体性を実現できるようになるときまで、バジャンや唱名や祈りのような、信愛の行為にいそしまなければなりません。

どんな人との付き合いも最小限にとどめなさい。真の求道者は悪い仲間を避けることに特に慎重であるべきです。真の求道者は自分たちの霊的な進歩と心の平安の助けとなる環境を整えるべきです。これがスワミの望むただ一つのことです。プラシャーンティ・ニラヤムに来たからには、皆さん全員が模範的な帰依者にならなければなりません。サイの学生やサイの帰依者の振る舞いがどれほど模範的であるかを、第三者が自然に感じるようでなければなりません。そうした反応はあなたにとって、私を満足させることよりも益となるでしょう。

私は私の誕生日の祝賀会やそのための豪華な装飾を喜びません。そのような見せびらかしはだれにとっても良くはありません。霊的な生活のための実践的な受け止め方を採択しなさい。 この吉祥なる日に聖なる思いを携え、実社会に出てあなたの神聖な思いを他の人に広げなければなりません。あなたの思いを自分の中に閉じ込めたり、ここでの滞在だけに限ってはなりません。あなたがどこに行っても、その聖なる思いを広めなさい。

1997年11月23日の御講話より

今日、何千人もの人々がここに集まっています。人々をここに集めたものは何でしょう? 最大の理由は愛です。愛がなければ、このような遠くの地まで来る人はわずかです。(拍手) そうした愛はどのようにしてみずからを表すのでしょう? お互いに与え受け取ること(ギブ アンド テイク)が愛です。皆さんは神の愛を受け取り、自分の愛を捧げなければなりません。しかし、それらは同一の愛です。神の愛は皆さんの体の中に映し出されます。これが『ギーター』の宣言、「私の一片は、宇宙の中にいるすべてのものの中に存在する」の意味するところです。

今日、この体は71年目に入ります。この体は5つの元素でできており、本質的に永続しないものです。肉体を重視するあまり、肉体に執着してはなりません。あなたに伝えられている愛の原理にハートを向けなさい。私の一生は愛で満ちています。(拍手) 私はどんなときにも、だれに対しても、どんな種類の苦痛も与えたことはありません。私はだれにも、どんな種類の危害も加えたことがありません。私はだれ一人憎んだことはありません。私はだれに対しても嫌悪を抱きません。その理由は何でしょう? それは私の愛です。私の愛は他の人を変容させます。私は今71歳です。けれども、私の状況がどうなっているかを知ることができる人はだれもいません。ある状況では怒ったかのように振る舞うこともあります。けれども怒りはハートから生じているのではなく、舌に限定されています。頭から足の先まで、私には愛だけがつまっています。その愛が全世界を引きつけてきたのです。

私は何も欲しません。私には三つのPがあります。一番目のPは純粋性(Purity)、二番目は忍耐(Patience)、三番目は堅忍不抜(Perseverance)です。この三つが世界の関係を守ってきました。ここに集った人々には一枚の招待状も送られていません。スワミの愛のみが磁石のように全員を引きつけたのです。何人かの人々は、その磁石がそんなに大きな力をもっているのであれば、どうして自分たちは引きつけられないのかと尋ねるかもしれません。そのような人々はさびた鉄のようなものです。さびた鉄は磁石に引きつけられません。彼らのほこりとさびを取り除かせなさい。そうすれば磁石に引きつけられるでしょう。彼らをおおっているほこりとさびは、憎しみと欲望、嫉妬と強欲です。もし、これらの汚れを取り除いて自分自身を清らかにするならば、どこにいようともあなたは私のものであり、私はあなたのものとなります。不運で絶望している人々は、たとえどこにいようとも、サイが気にかけています。ハートの中に神聖な愛を増やしなさい。その愛はあなたの人生を救うだけでなく、あなたの周りのすべての人の幸福を増すのです。

皆さんは愛以外のものを何一つ捧げる必要はありません。プラシャーンティ・ニラヤムでは、捧げ物は何も許されていません。捧げることが許されているのは、愛だけです。

1996年11月23日の御講話より

私たちは誕生日を祝います。この誕生日とは何でしょう? だれの誕生日でしょう? 私たちは「私の誕生日」と言います。「私」とはだれでしょう? あなたはそのような問いかけをしません。あなたは自分を肉体と同一視しているので「私の誕生日」と言うのです。ところがまた、あなたは「私のお腹」などと言います。「私のお腹」と言うのであれば、それでは「あなた」はだれですか? 皆さんは、「私の感覚」、「私の心」、「私の知性」などと言います。それでは、その「私」とはだれでしょう?「あなた」はそれらのものとは別 個の存在です。これは「私のハンカチ」です。私がそのように言うとき、「私」と「ハンカチ」は別 個の存在です。あなたが「私の体」と言うとき、「あなた」と「体」は別々の存在です。ですから、体も、心も、感覚も、知性も、すべて道具なのです。一方、あなたはこれらすべてのものの主人です。それが「私」です。その「私」を認識するための努力をしなさい。

今日はこの体の70歳の誕生日です。皆さんは一つ重要なことを知っておかなければなりません。それは、スワミは何も必要としていないということです。スワミは皆さんから着るものを贈ってもらうことを期待していません。スワミは皆さんのものです。スワミは皆さんから離れた別 個の存在ではありません。皆さんもまた、スワミと離れた別個の存在ではありません。スワミと皆さんはそのような緊密な関係でつながっているのです。

今日この日から、私たちのオーガニゼーションは拡張し、世界中に広がっていかなければなりません。私たちは、個々人の差異を忘れて社会の幸せを心に留める必要があります。社会の幸せは私たちの幸せです。どんな村の中でも、またいかなる地域や国においても、私たちは(地区単位 の)あらゆる活動に参加すべきです

愛の化身である皆さん! 今日この場には、175ヵ国からの参加者が集まっています。実に多くの人々が集まりました。私たちは今どのような仕事をしているでしょうか? この点をはっきりと追求しなければなりません。私たちの質は私たちの仕事の中にあります。皆さんの国々には貧しい人々が必ずいます。そのような人々は、貧しい人々の姿をした神(ダリドラ・ナーラーヤナ)なのです。皆さんは、その神(ナーラーヤナ)に奉仕しなければなりません。すべてを持っている神(シュリマン・ナーラーヤナ)に奉仕して、一体何になるというのでしょう? 神は、神に仕える実に多くの召し使いをもっています。皆さんは神に奉仕する必要はありません。貧しく困っている人々がいて、彼らも神の化身なのです。そのような人々に奉仕しなさい。

どんな宗教も嫌ってはなりません。どの宗教を信じている人も皆、兄弟姉妹のように振る舞わなければなりません。そのような気高い理想を実践して、スワミを喜ばせなさい。今朝、多くの外国人が「ハッピー バースデー、ハッピー バースデー」と言いました。スワミはいつもハッピーです。私は皆さんから幸せを分けてもらう必要はありません。皆さんこそ、幸せでいなさい。
 幸せとは神との合一です。幸せを望むのであれば、神と結合しなさい。そうすれば、あなたは幸せでいることができます。

今日この日から、皆さんは新しい道を歩かなければなりません。皆さんは、一体性と協調と一体化のうちに幸せな時を過ごすべきです。すべてのものの中に神性を体験すべきです。それが真の至福です。快適さや便利さから得られる幸福は、真の幸福ではありません。それらは、来ては通 り過ぎて行く、雲にすぎません。皆さんは、決して来ることも去ることもない至福を体験しなければなりません。愛は至福というゴールに至る唯一の道です。

1995年11月23日(70歳の御降誕祭)の御講話より

愛の化身である皆さん! 皆さんは今日がスワミの69歳の誕生日であると考えています。私にはそうした誕生日を祝ってほしいという望みはありません。ここに来るとき、私は「ハッピー バースデー」(幸せな誕生日でありますように)と願う大勢の人に歓迎されました。私はいつも幸せです。どうして「ハッピー バースデー」と願う必要があるでしょう? あなた自身が幸せでいなさい。あなたが幸せでいることが私の幸せです。

今日、スワミへの捧げものとして、肉を食べること、お酒を飲むこと、煙草を吸うことをやめなさい。この三つを絶つことは、あなた自身のためにも、社会や国家のためにもなるでしょう。もし、皆さんがスワミの目的を果 たすことを望むなら、今この瞬間から、この三つの悪い習慣を断ちなさい。明日に延ばしてはなりません。今、決意しなさい。あなたがスワミの願いをかなえ、それによってあなたの家族と国家の幸福を拡大させることを期待して、私は皆さんがたすべてを祝福します。

1994年11月23日の御講話より

なぜ今日、何十万という人々がここに集まったのでしょう? それには何かやむにやまれぬ理由があるに違いありません。皆さんは自分の生まれ故郷では見つけられない何かを捜し求めているに違いありません。求めるものを自分の住んでいる場所で見つけることができたなら、ここに来るまでの出費は必要なかったでしょうに。ここには神の愛があります。それは、人間の姿をとったあらゆる鉄くずを引きつけている、神の愛という強力な磁石です。だれにも一通 の招待状も送られてはいません。だれもここに来るよう頼まれてはいません。すべての人をここに引きつけたものは、神の力、(ハート)と心を結びつけるきずなです。これら根源はすべて純粋さにあります。純粋さのあるところには愛が育ちます。純粋さと愛がともにあるとき、そこには至福(アーナンダ)があります。どんな仕事をしようとも、どんな犠牲も払おうとも、愛がなければ無益です。

以前のアヴァターたちの場合は、アヴァターの名声はそのアヴァターが世を去ったずっと後に得られただけでした。現在のアヴァターの場合は、アヴァターの生きているうちに、大学、大病院、空港、そして他の多くのものが村人のために創設され、今後ももっとたくさんのものが作られるでしょう。多くの人々は、どうやってそれら全部が達成されるのかと疑っています。(このアヴァターの)降臨は64年前になされました。この年月の間ずっと、この手は、いかなるときも、どんな人にも、何かを求めようと伸ばされたことはありません。私はだれにも求めたことはありませんでした。私は決してだれにも求めることはないでしょうし、そのための時は決してやっては来ないでしょう。そうであれば、どうしてこれらの物事は起こっているのでしょう? 良い仕事のためなら、バーラタ(インド)には障害はまったくありません。あなたが心底、良い仕事をしたいと望むなら、お金は滝のように流れ込んで来るでしょう。どんな仕事も引き受ける心の狭い人は決して満たされないでしょう。そのような人は、大きな心、広い心の人の行いを理解できません。

神の愛の化身である皆さん! 私は皆さんからから何も期待していません。ただ、あなたの中に愛を育みなさい。すべての人を兄弟であるという気持ちで見なさい。すべての人を神の子であると理解しなさい。だれに対しても、どんな悪意も嫌悪も抱いてはなりません。だれの気持ちも傷つけてはなりません。そのような寛大な態度だけがあなたに無限の至福を与えてくれるでしょう。あなたがスワミの誕生日を祝っているなら、これが私があなたに望むもののすべてです。皆さんの間に一体性をもちなさい。バーラタ(インド)の栄光をよみがえらせ、促進するよう努めなさい。

1990年11月23日(65歳の御降誕祭)の御講話より

私がプロジェクトを決定するとき、それを達成するのに必要なお金は、少しの募金運動をすることもなく、自発的な形で入手できなければなりません。私の意志には私の計画を実現する力があります。私は必ずプッタパルティにカレッジが建つと意志し、ナワナガールのラージャマータがそれを建てました。よくしつけられた少年たちに提供するために、私は中高等学校を意志し、アメリカのボザーニがそれを建てる機会を与えてほしいと言いました。私は、この場所では、サイの方針に従った教育を小学校から受けることが可能でなければならないと考え、イタリア(元)首相の兄弟のクラクシが学校を建てると申し出てきました。バンガロールでは、私がカレッジと寮の計画を決めたとき、エルシー・コーワン夫人がそれを完成する名誉を求めました。私の意志(サンカルパ)の力とはこのようなものです。

私はあなたから一つのものを望んでいます。すべての人との兄弟愛を育くみなさい。いつも正しい行いを選択しなさい。利己的な行動はやめなさい。無学の人や貧しい人に奉仕するあらゆる機会を歓迎しなさい。

60歳の降誕祭の一部として、私は皆さんが受けざるを得ない試験を課すことにします。皆さんがそれを受けて、勝利して立ち上がるとき、皆さんは真の人間と呼ばれることができます。穀物が取り入れられるまで、農夫は大地をすきで耕し、種子をまき、作物が実るまで見守ります。次の過程はもみ殻をふるい分けることです。軽いもみ殻は風で吹き飛ばされ、重い実は残ります。私は今からふるい分けを始め、その試験がもみ殻を取り除くことになるでしょう。

1985年11月23日(60歳の御降誕祭)の御講話より

今年、皆さんは私の誕生日をアヴァター(人の姿をとって地上に化身した神)の「五十周年」と名づけ、世界各地からの膨大な数の人々が集まりました。私は皆さんが霊的な仲間から利益を得てきたことを確信しています。私はカレンダーの特定の日を私の誕生日とは考えません。というのも、私は皆さんのハートに神性が花開く日を私の誕生日と考えているからです。ですから、皆さんは一人ひとり個別 に、そうした日を私の誕生日として祝うべきです。あなたが私のアドバイスを実行しようと決め、私の指示に従い、私のメッセージを奉仕の行為に変換し、霊性修行をする日――その日があなたにとっての私の誕生日です。私が生まれた日であるとして、今、皆さんが尊んでいる11月23日は、もし、皆さんが慣習や儀式的形式としてそれを祝うなら、他の日と同じです。人を敬愛すれば、その敬愛は私に届きます。人を無視するなら、あなたは私を無視しているのです。神を崇拝し、神の写 しである人間を抑圧するなら、その崇拝は何の役に立つでしょう? 神への愛は、人への愛として表現しなければなりません。そして、愛は奉仕として表れなければなりません。

個人も国家も、愛――霊性修行を通して得られ、霊性修行としてすべての人と共有する愛――によってのみ、平安を得ることができます。私の人生は私のメッセージであり、私のメッセージは愛です。それが、何十万という皆さんがここに集まった理由です。

1975年11月23日(50歳の御降誕祭)の御講話より

徳のある人々を護(まも)り、悪を行う人々を滅ぼし、確固たる正義の基礎を築くため、私は時代、時代に生まれ変わるのです。不調和(アシャーンティ)が世界をおおうときにはいつでも、平安(プラシャーンティ)をもたらす方法を確立するために、また人間社会を平安の道へと再教育するために、神は人間の姿を取って化身します。現在、争いや仲たがいによって、家庭や学校や社会から、宗教間から、町や市や国家から、平安と統一性が奪われています。

神の降臨は聖者や賢者が熱心に待ち望んでいたものです。霊的求道者(サドゥー)たちが祈り、私は来ました。私の主な仕事は、ヴェーダ(ヒンドゥー教の聖典)の教えを育み、帰依者を育てることです。あなたの美徳、自制心、無執着、信仰、確固たる意志――これらは人々が私の栄光を測るための印です。あなたは、エゴのかけらもなく完全に私に委ねたとき、初めて私の帰依者であると言うことができます。あなたはアヴァターが与える経験を通 して、至福を味わうことができます。アヴァターは、人間が身近に感じることができるよう、人間のように振る舞いますが、時として超人的領域にまで上がることもあります。それは、人間がその超人的領域に達したいと努力し、その努力によって実際にその領域に達することができるようにするためです。あなたに内在する神があなたを動かしていることを悟らせることが、神の務めであり、そのために、神は人の姿を取ってやって来たのです。

皆さんの世俗的な知性では神へと至る方法を突き止めることはできません。神は単なる知的賢さだけでは認識することはできないのです。皆さんは、神から恩恵を得ることはできるでしょうが、神を説明することはできません。皆さんの説明は単なる推測、あるいはもったいぶった表現で自分の無知を覆い隠そうとする試みにすぎません。私から崇高な人生の秘密を知った証として、日々の修行に何かを取り入れなさい。あなたが大きな友愛をもっていることを示しなさい。もっと優しく、自制心をもって話しなさい。勝っても負けても心穏やかに甘受しなさい。私は、つねに皆さん一人ひとりの現在を知っているのと同様に、一人ひとりの過去も未来も知っています。ですから、私は慈悲によってはそれほど動かされません。私は、過去、すなわち物事の背景を知っているために、(皆さんとは)反応が異なります。苦しみは前世においてあなたが故意に犯した悪事の結果 です。私が苦しみをそのままにしておくのはそのためであり、苦しみはわずかな償いによって相殺されます。私は喜びも悲しみも引き起こしません。あなたを縛っているその二つの鎖を作り出したのはあなたです。私は至福の化身(アーナンダ・スワルーパ)です。来て、私から至福(アーナンダ)を受け取り、その至福に浸り、平安(シャーンティ)に満たされなさい。

あなたがたの多くはある種の健康上の問題や精神的な悩みを抱えて私の所にやって来ます。それはあなたをここに引き寄せるためのおとりにすぎません。その主な目的は、あなたが神の恩寵を得て神への信仰を強めることです。しかしながら、私はあなたを私のもとに呼び、あなたが神の方へ向くことができるよう、この世的な恩恵を与えさえもします。今までどのアヴァターも、このように大衆の中に入って行き、忠告を与え、導き、慰め、向上させ、真理と正義と平安と愛(サティア、ダルマ、シャーンティ、プレーマ)の道へと向けさせることはしませんでした。

ハートの中で私を身近に感じる努力をしなさい。そうすれば報われるでしょう。その結果 、あなたもあの最高の愛のひとかけらを獲得することができるでしょう。これは非常に大きなチャンスです。あなたは解脱するということを確信しなさい。あなたは救われたのだということを知りなさい。物事がよい方向に向かうこと、人生はすべてにおいて幸福と喜びに満ちていること、黄金時代が再びやって来ることを信じることを、多くの人は躊躇します。このダルマの化身(ダルマ スワルーパ)、この神の体が、意味もなく降臨することはないことを、私は皆さんに保証します。この化身は人類に降りかかっている危機の回避に成功するのです。

1968年11月23日の御講話より

参考:http://sathyasai.org/calendar/birthday.html


御降誕祭の御講話


2008年 83歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_20081123.html
2006年 81歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_20051123.html
2005年 80歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_20051123.html
2004年 79歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_20041123.html
2003年 78歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_20031123.html
2002年 77歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_20021123.html
2001年 76歳 サイラムニュース93号(抜粋)
2000年 75歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_20001123.html
1999年 74歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19991123.html
1998年 73歳 サナザナダルマ45号
1997年 72歳 サイラムニュース69号(抜粋)
1996年 71歳 サイラムニュース105号
1995年 70歳 『真実の探求』
1994年 69歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19941123.html
1993年 68歳 サナザナダルマ29号
1992年 67歳 サナザナダルマ25号
1991年 66歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19911123.html
1990年 65歳 サナザナダルマ18号、
       『サッティヤム シヴァム スンダラム6巻』10章(抜粋)
1989年 64歳 サイラムニュース112号
1988年 63歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19881123.html
1987年 62歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19871123.html
1986年 61歳 サイラムニュース200号
1985年 60歳 サナザナダルマ3号
1984年 59歳 サイラムニュース195号
1983年 58歳 @未訳
1983年 58歳 A未訳
1982年 57歳 @https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19821123.html
1982年 57歳 A『教育に関するサティヤサイババのメッセージ』p86
1981年 56歳 サイラムニュース165号
1980年 55歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19801123.html
1979年 54歳 サイラムニュース177号
1978年 53歳 サイラムニュース63号
1977年 52歳 英訳なし
1976年 51歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19761123.html
1975年 50歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19751123.html
1974年 49歳 @サイラムニュース171号
1974年 49歳 Aサイラムニュース171号
1973年 48歳 サイラムニュース189号
1972年 47歳 @https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19721123A.html
1972年 47歳 Ahttps://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19721123B.html
1970年 45歳 未訳
1969年 44歳 英訳なし
1968年 43歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19681123.html
1967年 42歳 サイラムニュース183号
1966年 41歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19661123.html
1965年 40歳 @https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19651123_a.html
1965年 40歳 Ahttps://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19651123_b.html
1964年 39歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19641123.html
1962年 37歳 https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19621123am.html
1961年 36歳 サイラムニュース147号
1960年 35歳 サイラムニュース159号