●プラシャンティニラヤムからのニュース
   2001年2月26日   

「3本の木」

 3本の木が将来の希望や夢について話し合っていました。
1番目の木が言いました。 「僕は将来宝石箱になりたいんだ。金や銀や宝石でいっぱいになりたい。複雑な模様で装飾されて、みんなに美しさを見て欲しいんだ。」
その次に、2番目の木が言いました。「僕は将来大きな船になりたい。王様たちや女王様たちを乗せて世界中を旅したいんだ。僕の船体は頑丈だからみんなが安心していられるだろうさ。」
最後に3番目の木は言いました。 「僕は森の中で一番高くまっすぐそびえるような木になりたい。人々が丘のてっぺんで僕の枝を見上げて、天国や神様やそれらに僕がどのように近付き到達するかに思いを馳せるんだ。人々がいつも心に留めているような、全ての時の中で一番偉大な木になりたいよ。」

 彼らの夢が叶いますようにと祈っていた数年後、木こりの一団がその木々のもとにやってきました。 ひとりの木こりが1番目の木のところへ来て言いました。「これは頑丈そうな木だ。大工に売るのにちょうど良い。」そしてこの木を切り倒しにかかりました。 1番目の木は、大工が自分を宝石箱にしてくれると思うと幸せでした。
 その木こりは、2番目の木のところへ来ると、「これは頑丈そうな木だ。造船所に売るのにちょうど良い。」と言いました。2番目の木は、 自分がこれから立派な船になるのかと思うと幸せでした。
 木こりが3番目の木にやってきた時、この木はおびえおののきました。もし切り倒されたなら自分の夢が叶わなくなることを知っていたからです。木こりのひとりが言いました。 「私の木はこれといって何かにちょうど良いとは思わないが、この木を持って帰ることにしよう。」そうして、木こりは3番目の木を切り倒しました。
 1番目の木は大工さんのところに着くと動物のえさ箱になりました。 干し草を詰められて家畜小屋に置かれました。彼が祈っていたこととは全く違ってしまいました。
2番目の木は切り倒され、小さな釣り舟となりました。 立派な船になって王様を乗せる夢はこのような結果 となりました。3番目の木は大きな木材として加工されたきり、 人目のつかないところで置き去りにされました。

 それから何年経ったでしょうか。 木々は自分たちの夢のことなど忘れてしまいました。そんなある日のこと、ある男女が家畜小屋へとやって来ました。女は出産し、彼らは1番目の木で作られたえさ箱の中の干し草に赤子を寝かせました。男は赤子にベビーベッドを作ってあげることを望んでいましたが、この馬草桶を代りとしなければなりませんでした。その木はこの出来事の重要さを実感することができ、全ての時において最も偉大な宝物を抱いたことを知りました。

 さらに何年かが過ぎ去りました。2番目の木から作られた釣り舟にある一団が乗り込みました。 そのうちのひとりは疲れて眠ってしまいました。船が水上を進むうちに強い嵐が起こり、その木はこの船が人々の安全を保つのに十分な強さがないと思いました。ある者が寝ている男を起こすと、彼は立ち上がって「平安あれ」と言うなり、嵐は止みました。この時、その木は船に王の中の王を乗せていたのだと知りました。

 最後に、誰かが3番目の木を持って行きました。それを運ぶ者を人々があざける中で、 街路を通って運ばれました。目的地に着くと、その者は運んだ木の上に釘付けにされたうえ、丘の頂上で死を迎えるために高く掲げられました。日曜日に至って、その木は丘の頂上に立つのに十分な強さを持ち、可能な限り神の近くにいることを悟りました。イエスが自分の上で磔にされたからです。

 この物語の教訓は、あなたの人生がうまく運んでいないように思われる時、神はあなたのために計画を持っておられることを常に覚えておくということです。もしあなたが神を信頼しているのならば、神はあなたに大きな贈り物を授けるでしょう。自分たちが想像していたありかたではなくとも、それぞれの木は欲しかったものを手に入れました。神の深慮は、私たちには到底うかがい知れないものです。 私たちにわかるのは、ただ、 神のなさることは理解できないけれど、いつも最善であるということです。

寄稿:オーガスタス







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