●プラシャンティニラヤムからのニュース
   2002年1月13日   

サイラム、兄弟姉妹のみなさん。

 最近我々は、全託について素晴らしいディスカッションをしましたが、次にご紹介するのは、全託に関するスワミの新年のメッセージです。
  皆ご存知のように、スワミは今年、新年の御講話を中止され、かわりにアカンダ・ナマスマラナ(12時間バジャン)が行われました。このメッセージは、私の友人から私に転送されたもので、これは「一部の帰依者に宛てられたスワミの新年のメッセージ」だとのことです。


私に全託しなさい

 なぜ動揺するのですか? あなたの心配事をすべて私に任せなさい。私が代わりにそれらの事を考えましょう。私が待っているのは、あなたの全託以外の何ものでもありません。私は、あなたが私にどう全てを託すかを知っているときにだけ介入します。全託すれば、あなたはそれ以上もう何も心配しなくていいのです。すべての恐れや落胆に別 れを告げなさい。そう出来ないのであれば、それはあなたが私を信頼していない証拠です。そうではなく、あなたは私を盲目的に頼らなくてはなりません。

 託す、というのは、あなたが抱えている心配ごとやあなたが出遭う困難やあなたの持っているすべての問題から、あなたの想いをそらせることです。すべてを私の手に委ねて、こう言いなさい:神よ、あなたのご意思のままに。
つまり、それは、こう言うことでもあります:神よ、私は、あなたがすべてをあなたの手のひらに乗せ、私にとって最善の結果 になるようにこれを解決してくださることを、あなたに感謝します。

 覚えておきなさい。ものごとの結果について考えることは、託すこととは逆のことです。つまり、あなたが、結果 があなたの望んだとおりにならないのではないかと心配するとき、あなたは私の愛を信用していないことを証明しているのです。それはまた、あなたの人生が私の統制下にあるとあなたが考えていないことの証でもあります。

 「これは結局どうなるのだろう?」「何が起こるのだろう?」などと考えてはなりません。こういったことを考えたくなる誘惑に負けてしまうのならば、それはあなたが私を信頼していない証拠です。あなたは、私にあなたの面 倒を見てもらいたいのではないのですか? それならば、どんなことについても不安に思うことを止めなければなりません。私は、あなたが私に全てを託した時にのみ、あなたを導きます。私があなたを、あなたの予測した道と違う道へ導いたときは、私があなたを私の腕に抱えているのです。

 あなたが混乱するのは、あなたが理由を探したり、心配したり、どんな犠牲を払ってでも自分で自分の面 倒を見なくてはいけないと思い込んだりするからです。私は、物質的なことも霊的なことも含め、本当に多くのことをあなたにしてあげられますが、それはあなたが私に向かって「おまかせします」と言ったときです――そうすれば、その後は保証されます。あなたは、私に全面 的に頼るだけで、すべてのものを手に入れます。あなたは、苦痛を感じたとき、私に祈り私に介入するよう頼みますが、その介入方法は自分の思い通 りにしてほしいと願っています。それではあなたは私を頼っていることにはなっていません。それではあなたは私に、あなたの注文に応じてもらいたいだけではありませんか。

 医者にかかっておいて、医者に自分の病気の治療方法を指示する患者のようにふるまうべきではありません。かわりに、すべての状況においてこう言いなさい:神よ、このような困難が与えられたことを感謝します。あなたが望むように解決してください。私にとって何が最善かはあなたがご存知なのですから。

 ときどきあなたは、惨事が減るかわりに増え続けるように感じるかもしれません。動揺してはなりません。目を閉じて、信念をもって私にこう言いなさい:あなたのご意思のままに。あなたのなさるままに。あなたがこのように言うとき、私は、必要であれば奇跡すら起こします。私はいつもあなたと共にいます。しかし、私があなたを助けることが出来るのは、あなたが私に完全に頼ったときなのです。

 

寄稿:Naga Rapaka





メニューへ戻る

(C) Sathya Sai Organization Japan