●プラシャンティニラヤムからのニュース
   2003年2月8日   

インド大統領の
シュリ サティア サイ国際センターにおけるスピーチ

2003年2月8日、インドの大統領、アブドゥール カラム博士が、シュリ サティア 国際センターにおいて講演をされました。彼は古代タミール語で神の贈り物としての人類、また中でも最高に祝福された霊的な人類を褒め讃える歌を歌いました。それは、外交官、企業家、教育者、生徒、市民そして将校など、信者、非信者を問わず私たちみんなの心を燃え立たせるものでした。講堂そして下の広間にはじかに、あるいは巨大スクリーンで彼を見ようと詰め掛けた人々でいっぱいになりました。ここにそのスピーチをご紹介します。

豊かで幸福と平和に満ちた社会への進化

ここ サイ国際センター講演会場において、皆さんと共に交わり、こうしていられることをとても嬉しく思います。皆さんとどんな交流ができるか、ずっと考えていました。さてここ、プラシャンティ ニラヤムという神の住まいにおいて、与えるという精神の光を放っておられる方、神の化身であられる方のことを思い出してみましょう。彼のもとへ赴く人は誰であれ、望みのものを与えられます。それは無料の良質な教育であったり、飲み水であったり、無料のすばらしい健康管理、そして孤児たちには食べ物であったり、悩める心の持ち主には、慰めとなる触れ合いだったりします。その方こそ、シュリ サティア サイババです。彼は崇高な存在であり、また幾百万の人々に幸福を与える神聖な輝きです。

ここで、満月の月明かりの中で書かれたある詩を取り上げたいと思います。満月の夜には、我々の創造主からの神聖なこだまが響いています。私たちを揺り動かし、当惑させ、そして不可思議な思いにさせる、そのこだまの響きは、私そして我が民族を圧倒してしまいます。

あなた方人類は、わたしの最高の創造物です。
あなた方は、生きて生き抜くのです。
あなた方は与え、皆が一つになるまで与え続けるのです。
人類の幸福と痛みの中で。
私の至福は、あなた方の中で生まれるでしょう。
愛は一つの連動した流れとなり、
それこそが、人類としての使命たりうるのです。

諸君、私は、ある状況を心に描いています。ここに集まった人々の誰もが、シュリ サティア サイババ が私たちに教えてきたように、与えることを始めたならば、と。もし、私たちの誰もが、与えるという精神を育てていくなら、いったいどれだけ多くの問題が、そして私たち国民のどれだけ多くの痛みが、取り除かれることでしょう。どうか、与え続けてください。神はあなたを祝福することでしょう。与える、というのは単に物質を与えるというだけの意味ではありません。人々に幸せ、愛、尊敬そして助けを与えるのです。そうして初めて、私たちの生活がこの惑星で美しい居住環境へと開花していくことになるのです。このような気高い考えに思いを馳せる一方、人類が戦争に携わっているという事実にも目を向けなければなりません。ここで私の十年におよぶ研究である、この地球という惑星の上で繰り広げられた戦争の力学についてお話ししたいと思います。

戦争の力学
 人々が戦争に基づいて生きているというのは明らかです。戦争のあり方は、1920年以前、1920年から1990年の間、1990年以降という三つの明確な時期に分けられます。最初の時期は、人間的な戦争の時代です。人々が戦争をする場合の動機は、領土への貪欲さ、豊かさへの野望、あるいは宗教的な支配のいずれかですが、のちにそれらが組み合わさって1914年の第一次世界大戦を招くことになります。
 1920年から1990年という第二の時期は、機械化された戦争の時代です。この時代に世界は、戦車、戦闘機、そして潜水艦という新しく開発された武器や砲弾の使用へと進んでいくことになります。動機は、前ソビエト社会主義国家とアメリカ合衆国そしてその同盟国という二大勢力間における政治思想的な(イデオロギーの)争いによるものでした。第二次世界大戦においては、日本の二つの都市への原子爆弾の使用という悲惨な出来事も体験しました。また、それぞれの陣営に1万という核弾頭を蓄積することとなったのでした。 
 1990年以降という第三の時期になって私たちは、経済戦争とその地球規模への拡大化を経験します。ここで武器として使われたのは科学技術至上主義というものでした。これは、結果 として科学技術の否定をもたらし、それぞれの国を先進国、発展途上国、後進国と分離させながらその体制を支配するに至りました。2003年には、宗教闘争、政治思想の違い、そして経済的な市場をめぐる争いなどが統合された状況のもと、世界は新しいタイプの戦争に直面 しています。私たちは常に、戦争に次ぐ戦争を目の当たりにしてきました。もちろん、多少の切れ目はあるでしょうが。いったい私たちはどうやって、この決まりきった戦争の脅威や国境を越えたテロリズム、暴動、そして核攻撃の脅威という複雑にからみ合った状況と取り組んでいったらよいのでしょう。これからの数分で私の考えを述べて、何らかの可能な解決策を皆さんと共に考えたいと思います。

テロリズムの背景(根拠)
 テロリズムはさまざまな要因、政治思想の違い、宗教的狂信、差別そして団体間や国同士の対立などによってもたらされます。継続的な剥奪(喪失)は、欲求不満へとつながり、怒りに基づいた欲求不満は疎外感へとつながっていきます。疎外感は、受動主義と積極的行動主義という二つの形になって表れます。積極的行動主義は、建設的あるいは破壊的な様相を呈するようになるでしょう。建設的な様相は発展へと導かれますが、破壊的な様相はテロリズム、暴力そして敵対心へと導かれていきます。とある国々は無慈悲にも国境を越えたテロリズムに関わり続けています。私たちは、国の発展のために将来を見通 した政策を明確に打ち立て、また額に汗して懸命に働き、その政策課題を実行に移していくことによって、これら障害の原因となっているものに共に立ち向かっていかねばなりません。

国の発展のために将来を見据えた政策
 貧困、無教育そして失業は怒りや暴力への推進力となります。これらの力は、歴史的な対立、圧制や不正、民族的な諸問題そして宗教的原理主義と結び付いたものであり、世界中にテロリズムの勃発を招きかねません。創造主としての神を愛すると主張する一方、神の創造物を憎むような人々は、まったくの自己欺瞞の中に生きています。しかし、私やあなたたちが属するこの社会に生きる人々は、そのような貧困、無教育そして失業といった事態の根本原因となっているものと取り組んでいかねばなりません。

発展途上国から先進国への変貌
 50年に亘る進歩を経て、インドは一先進国になるべきだという機運が高まってきました。これは、国民にとって二番目の未来像です。ではいったいどうやってこの課題と取り組んでいったらよいのでしょう。インドが先進国になるために必要不可欠なことは、
 ( a ) インドは経済の規模という観点から見て、少なくとも上位4位までに入るくらい、経済的にも通 商的にも強力な国であるべきです。私たちの目標とするところ、国内総生産の成長率を年9パーセントとし、現在、貧困線以下にある2億6000万人という数をゼロ近くまで減らすということです。
 ( b ) 外のいかなる国の制約も受けることなく、防衛に必要な武器や装備を自国でまかなえる独立独行のレベルにまで減らすこと。
 ( c ) 世界という集会場において、インドが適切な位置を占めるべきであること。インド ミレニアム ミッション2020はこの大切な任務を実現するための一つの経路です。

インド ミレニアム ミッション2020
 統合された活動へ向けてインドが有している、重要な資産としての能力は5つの分野で関わり合っています。
(1) 農業と食品加工業 − 私たちは3億6000万トンの食物や農作物の生産を目標とすべきです。農業や農作物加工業の他の分野は地方の人々に繁栄をもたらし、経済の成長を加速させるでしょう。
(2) 国中に行き渡るような確実で、良質な電力の供給 
(3) 教育と健康管理 − 私たちは経験から、教育と健康管理が相互に関わり合っていることを知っています。
(4) 情報伝達技術 − これは、私たちの重要な資産の一つです。この分野が遠隔地において教育と健康管理を促進させ、また国全体としての豊かさを生み出すのに役立つと信じています。
(5) 戦略部門 − 幸いにも、この分野では原子力技術、宇宙開発技術そして防衛術における成長が見受けられます。(防衛面 での)独立独行は科学技術の否定派を納得させられる程度に焦点が絞られるべきです。センサー先端技術や資材(データ)部門のような他の分野では後押しが必要でしょう。これら5つの分野は互いに密接に関わり合っており、国の安全保障、食物の安定供給、そして経済の安定へとつながっていくものです。研究開発の中で、学術界、産業界そして地域全体が政府省庁と強力なパートナーシップを結ぶことはこの未来像を実現させるために必要不可欠なものとなるでしょう。

普遍的調和への世界的展望
 この地球上において、すべての人は尊厳をもって生きる権利を有しています。すなわち、認められることを望む権利があります。尊厳と栄誉を得るために、公平で公正な手段に基づいた多くの機会をいかに有効に活用できるかどうかが、民主主義が何たるかを表すものです。それこそ、わたしたちの憲法が語っているすべてです。そして、真実の、活気にあふれた民主主義においては、それが人生を健全なものとし、生きる価値のあるものとしていくのです。
 ここで皆さんに、社会生活のレベルでは心を一つにして働くことが大切だということを思い出してもらいたいのです。増大する他人の意見への不寛容、他人の生き方や彼らの宗教への増大する軽蔑、あるいは人々への無法な暴力を通 してこれらの違いを示すなどということは、どんな事情があっても正当化されるものではありません。私たちはすべての人の権利を守るために、私たちの行いを文化的に洗練されたものとするために懸命に働き、可能なことは何でもすべきです。それこそが、民主主義的価値の根幹をなすものです。人の幸福には二つの要素があります。経済的な繁栄と精神的豊かさです。これまでこの両者について議論してきました。さてここで、賢明な市民を規律正しく育てていくことを通 して世界平和に貢献している所、プラシャンティ ニラヤムから発せられている、ある美しい歌を取り上げてみましょう。

プラシャンティ ニラヤムからの神聖なるメッセージ

心に正義があるとき、人格に美しさがあります
人格に美しさがあるとき、家庭に調和があります
家庭に調和があるとき、国に秩序が生まれます
国に秩序があるとき、世界に平和が生まれます

それは、心、人格、国そして世界の間にある美しい関連性を表しています。この神聖なるメッセージはタパス(苦行)によって宗教を霊性主義へと変えた結果 生み出されたものです。真の教育の目的は、子どもたちを知識と価値体系をそなえたすばらしい人間へと変えていくような学習の過程を伝えることにあります。

人の生命に対する敬意
 アウェイヤル氏によって1000年も前に作られたタミール語の詩に次のようなものがあります。

人として生まれるのは稀なこと
何の障害もなく生まれるのはもっと稀なこと
たとえあなたが何の障害もなく生まれたとしても
知識と教育を受けられるのはもっと稀なこと
たとえ人が知識と教育を受けられたとしても
施しとタパスをするのはもっと稀なこと
しかし、施しとタパスをなすものには
彼を迎えるために、天の扉が開かれるであろう

つまり、数百万種に及ぶ生命が存在するこの宇宙において、人として生まれるのは極めて稀なことです。神によって、人として生まれるという幸運に恵まれていながら、耳が不自由だったり、目が見えなかったり、口がきけなかったりという障害を何ら持たずに生まれて来るのは、さらに、さらに稀なことでです。私たちが、たとえそのような幸運に恵まれていたとしても、人生において重要な部分を占めなければならないものは、究極のタパス(苦行)であり、愛なのです。そのような自己変革の状態にあるとき、神の至福は人の生命の中で輝くのです。

結論
 諸君、豊かな、幸福と平和に満ちた社会への変革のために、私たちが必要とするものは、戦争からの自由、心の中そして外での闘いからの自由、そして特に、与えるという人間的な心であり、人々に必要な権限を与えるということです。啓蒙された人類へと成長していくための道路地図には、価値体系を備えた教育、霊性主義へと成長する宗教、そしてインドを先進国へと発展させる将来を見通 した政策が含まれなければならないでしょう。私たち国民のため、長期に亘る献身的な解決策に見合うよう、これら三つの要素がすべて正しく組み合わされたとき、一人ひとり啓蒙された人類は進化を遂げられると信じています。幸運にも私たちには、先進国となるための変革を遂げるのに必要な装備は、すべてそろっています。美しいインドは美しい精神によって生み出され得るのです。美しい精神は創造的です。この創造性は国を経済的にも豊かにし、霊性の上でも力を与え、神によって祝福された国家として出現させることとなるでしょう。

2003年2月8日
シュリ サティア サイ 国際センター及び教育機関
サティア サイ中央信託ユニット
ニューデリーにて

 

監修:サティア サイ 出版協会





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