3つの単語からなる力強い言葉
       

私の最愛なるサイの家族へ
サイラム

 私たちは皆、「愛」の力がいかに強く、まさに愛がすべてを克服することを知っています。ただ「愛しています」といえば、相手がどの年齢層であれ、私たちが共感、慈しみ、優しさ、理解、無条件の愛などを表現しているととらえてもらえるでしょう。
  しかし、どれくらいの人が、「間違えました」あるいは「ごめんなさい」といった言葉も同じように力強いことを知っているでしょうか?あなたが間違っていたことを認め、許しを乞うたり謝ったりすることは、すばらしくかつ見事なしぐさです。それは時に難しいことなのですが、その始めの一歩を踏み出すのは勇気と理解のいることです。少し時間をとって我々の内面 を探ってみれば必ず、我々が本当は正しかったか誤っていたかが分かりますし、我々の内に生じた否定的なエネルギーは、消えるかあるいは肯定的な行動へと転化する(つまり、我々が間違っていたと認めたり謝ったりできる)ものです。
  今日の記事を楽しく読んでもらえれば幸いです。そして、私たちが間違いや誤った行動を謙虚に受け入れられますように。この3つの単語を持つ言葉がたくさんの壊れた橋を直せることをよく覚えておいてください。それでは、お楽しみ下さい。

3つの単語からなる力強い言葉(Life support Systemより引用)

 第2次大戦で活躍したジョージ・パットン陸軍元帥について、面白い逸話が残されています。彼がアフリカにいたときに一度、報道陣のキャンプに食事に招かれたことがあります。そのとき、ワインが水筒のコップで出されたのですが、彼は明らかにその飲み物がコーヒーだと思って、カップにクリームを入れてしまったのです。砂糖をかき混ぜる段になって、パットン将軍は、その飲み物が赤ワインであってコーヒーではないことを告げられました。

 さて、パットン元帥の辞書に「間違い」という文字はありませんでしたから、彼はためらいなくこう答えました。「分かっている。私はワインをこうして飲むのが好きなのだ。」そして彼はその飲み物を飲み干したのです!

 私がこの話を引用したのは、私にもこれに似た体験があるからですが、多分多くの人がそう感じることでしょう。間違いを認めるのは難しいことです。私たちが誤ったとき、その過ちを認めるのは困難なことです。

 人生において言うのが最も困難な3つの単語は「私が 間違って いました(I WAS WRONG)」です。しかし、この3つの単語は同時に、私たちが発することのできる最も強力な言葉でもあります。「私が間違っていました」と言うことによって、人と人との間の防壁が取り払われます。それは、疎遠になっていた人たちを近づけます。そしてそれは、親近感と愛が育まれるような雰囲気をつくりだします。あなたは、あなたの発した「間違っていました!」という言葉に対して、思っていたよりも多くの人々がいかに肯定的に反応するかを知って驚くことでしょう。

 当然、それは危険でもあります。でも、あなたが自分の間違いを認めることは、あなたが「悪い」人であると告白することとは違います。単に、正直になることなのです。そして本当の友達ならば、あなたがそう言ったことを喜んで受け入れてくれるでしょう。

 欠けているもののない幸せな生活は、多かれ少なかれ、「間違っていました」という言葉を使ったことによって生まれた親密さの力を得ることで作り上げられる生活です。

 それではここで、我々の最愛の神なるサイの御言葉をご紹介しましょう(英知の珠玉 )。

 「世の中には、4種類の人たちがいます。すべてのことを正しいと見る人と、それよりも少し霊的に劣った視点を持つために正しいものと間違っているものをそれぞれそのまま見る人、それから、正しいものに対しては目を閉ざして悪いものしか見ない人、そして最後に、正しいものさえ間違っていると判断する人、の4種類です。」
 ―サイババ
   サティア サイ スピークス 第11巻 第3章 10ページ

 「あなたは、忍耐力を身につけ、常に人を許す態度をとり、怒り、憎しみ、報復的な態度などに頭をもたげさせて心を乱してはなりません。あなたは、強さの化身であり弱さのそれではないので、絶望したときには、寛容な気持ちで心を満たし、許し忘れるようにしていなくてはなりません。この、寛大になるという人間の特質は、人にとって最も大きな力となります。」 ―サイババ
   サナザナ サラーティ 1994年2月 49ページ

 


寄稿:Sylvia Naidu





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