バガヴァン・ババ──世界の教師
元インド最高裁判所長官 P.N.Bhagwati
ダルマ(正義)が衰えアダルマ(悪)が栄える時にはいつでも「アダルマ」を根こそぎにして「ダルマ」を確立するために神が地上に降臨するとギータに書かれています。過去の世紀においても神の化身(アバター)は何人も顕れ、神の配剤とご意志によりバーラタ(インド)がたびたび神が顕現する聖なる地として選ばれております。トレーターユガ時代にはラーマが神の化身として顕れ、ドヴァーパラユガ時代にはクリシュナが神の化身として顕れております。ラーマクリシュナは自分自身の中にいるラーマである神またクリシュナである神について話すときにはその神と同じ意識になっていました。チャイタニヤもまた荘厳なるときにはクリシュナを顕現し、心と体に光輝を発し、クリシュナ自身になって神のように話し行動しました。バガヴァン・ババは、私達が確信するところによれば、人類を愛と献身の道に沿って案内するために、人間の形をとって降臨したアバター(神の化身)であります。限られた知性と限られた言葉しか使えない人間である私には、バガヴァン・ババの栄光と偉大さを表現することは不可能です。それは虚しくかつ無駄な試みにすぎません。それはあたかも宇宙を小さな空間に閉じこめようとしたり或いは地球の周囲を1フィートの物差しで測ろうとするようなものです。どうして有限にして限られた手段で無限にして限界の無いものを測ることが出来るでしょうか。
ゴーピ(牧女達)が「バガヴァッド」のゴーピーギートにおいてババのことを全ての生物の内覧者であると述べたように、ババは宇宙それ自身であられます。私達はババご自身の中にある偉大な神性(これは太陽を一千個集めた程の輝きに匹敵する)のほんの一部しか垣間見ることが出来ないのです。私達はババが神として降臨されている時代に共に生きているといった素晴らしい幸運に浴しているのです。
ババは私達にババのダルシャンを受ける機会を与えて下さり、そしてまたババの英知とお導きの言葉に接する機会を与えて下さり、このように私達に注いで下さる限りない恩寵と愛情に対して深く感謝いたしております。ババは至るところに内在しておられます。ババは宇宙全体に浸透しておられます。ババは宇宙の支配者で、森羅万象を操る人です。ババは私達がその周囲に見る生物、無生物全てのものの原因であり本質であります。ババはあらゆる知識が湧き出る泉のような頭脳をもっております。ババから超越的なそしてまた内在的な知識が生じます。ババは私達と共に、私達の回りに、そして私達の中にいます。それにも拘わらず、もがきよろめく人間である私達は、肉体の衣を纏ったババを見たいと切望し、ババの全存在から流れ出る神の愛を奥深く飲み込みそして神の肉体としての形を満喫するまで見つめることによって私共の喉の渇きを癒したいと願っております。
マハーバーラタにおいてクリシュナは人間の努力と、神の定めについて語っておられます。そこでは、人間の努力は耕地を耕した鍬溝であって、神の恩寵による定めというのはその上に降り注ぐ雨のようなものだと語っておられます。霊性修行はその耕地に神を切望する種を蒔くようなもので、これに対し神の恩寵は天からの降雨のようなものです。バガヴァン・ババは親切にもその恩寵を私達全てに注いでおられますが、神を切望する種を心の耕地にまき、神の恩寵によってその種を解脱へ至る燃えるような熱望へと花咲さかせ、神との一体性を悟ることは私達各自にまかされているのです。
バガヴァン・ババが私達に求めている道は愛の道、即ち、純粋で見返りを求めない愛、これは自分の身内或いは親しい人々への愛だけでなく、全人類に対する愛です。バガヴァン・ババは愛の至高の存在です。私たちはバガヴァン・ババの中に愛と憐憫の大海を見ます。バガヴァン・ババが人々の中を歩き、彼らに会い、話しかけ、慰め、安らぎを与え、祝福し、愛のメッセージを放射している時にはいつでも、ババの視線により、外観により、言葉により、また慈愛により、私達はババから限りない愛が流れ出て人々を覆っていることを感じます。他のどのアヴァターも大衆の中に入っていって彼らに助言を与え、教え導き、慰め、高揚させ、真理と正義と平安と愛と非暴力の道に導くようなことはしませんでした。ババの人類に対する愛と憐れみは非常に大きいので、彼の帰依者に喜びをもたらすためにババは自分自身の安楽とか便益については関心を持っておりません。ババの愛は全てを包み込んでおり、それは彼の帰依者だけに限られたものでなく、全人類に及んでおります。ババはその独特の表現により、「一日を愛で始め、愛で満たし、愛で終えなさい。それが神に至る道です。」と述べておられます。ババは「神へ至る多くの道、例えばジャパとか瞑想は遠回りであり、近道は愛である」と仰っておられます。ババのお言葉の中にはたくさんの真珠があるので、私達はただ大海に飛び込みさえすれば、その手の中にいっぱいの真珠を掴むことができるのです。ババはかつて、その御講話の中で次のように述べられておられます:「もしも愛、即ち自分自身と他人との間に差別がない愛、が養われたならばそれで充分です。何故ならば、全ての人は全能なる神という体の手足なのですから。愛のみによって、愛の形が得られるのです」。そしてまた、「あなたが他人になした良いことは忘れなさい。他人があなたになした害悪は忘れなさい。」と仰っておられます。
バガヴァン・ババの自発的な愛から生ずる奉仕についてのメッセージもこの限りない愛から湧き出たものです。バガヴァン・ババは私たちにその仕事に利己心を持たずに、神への献身の精神と、欠乏と貧困の生活に喘いでいる悩める国の多くの人々に奉仕する精神でもって行うようにといつも力説しておられます。ババはこのことを美しい言葉で次のように述べておられます:「人は人間の中の神を崇拝しなければなりません。神は盲の乞食として、ライ病患者として、子供として或いはよぼよぼの老人として顕れているのです。あなたはこのようなヴェールの背後にある神、即ち愛と力と英知の化身、を見てとり奉仕を通してその神を崇拝しなければならないのです。」バガヴァン・ババの素晴らしいお言葉の一つに、「援助のために差し伸べられる手は、祈りを捧げる唇よりも神聖なものです」というのがあります。また、ババは「人への奉仕は神への奉仕である」と繰り返し強調されておられます。
バガヴァン・ババはただメッセージを述べられるだけでなく、それを如何に実現するかということを世の中に示しておられます。バガヴァン・ババは小学校から大学まで一銭の費用無しに全くただで教育を受けることのできる学校や大学を設立されました。バガヴァン・ババは教育に最大の重点を置いておられます。ババは仰います「教育はあなたの頭脳に知識を詰め込んで、それを試験で吐き出させて頭を空っぽにするようなものではありません」と。教育は心を通して入り、それにより永遠に残るものでなければなりません。それは写真のネガのようなもので、そこからいつでもポジのプリントを焼くことが出来るようなものでなければなりません。しかし、頭脳にただ知識が詰め込まれているだけのものであるならば、それはポラロイドカメラのプリントのようなものです。それは、焼き増すことができません。更に、教育は人生の為のものであって、生活の為のものであってはなりません。教育の目的は人格を築くものでなければならず、人格に依ってでしか人は真の自由を達成することは出来ません。バガヴァン・ババはまた次のように仰っておられます:「心が純粋であれば性格が美しくなる;人格が美しければ家庭に調和が生まれる;家庭に調和があれば国家に秩序が生まれる;国家に秩序があれば地球に平和が生まれる」。ババは仰います、人格は善と悪を識別する力を授け、人格を磨くためには人間性の五大価値を築く必要があり、教育はこの仕事を達成しなければなりませんと。ババが人間性の価値とバル・ヴィカスの教育(幼児の霊性教育)プログラムを初めたのはこの理由によるのです。
この世の人は誰にでも、その人の思考と行動とを導く価値観というものがあります。その価値は明確に表現できる場合もあれば明確に表現できない場合もありますが、これらは常に私達が行うこと或いは思うことを支配しているのです。私達が正しい価値観を持つということが私達個人の善のためにもまた社会の善のためにも必要なのです。インドの文化はある基本的道徳及び倫理的価値を常に強調してきました。真実、正しい行い、両親とグル(導師)に対する尊敬と言った価値は私達青年の心に植え付けられていました。しかしながら不幸にもこれらの価値は低下し、その結果、周囲に憎しみとか暴力が現れ、社会構造が崩壊していっています。そこで、バガヴァン・ババは人類を向上させ地上に平和をもたらすために、「人間的価値」についての教育のプログラムを取り上げられたのです。バガヴァン・ババは仰います:「永遠なる5つの人間的価値があり、これらが常に個人と社会の行動を導かなければならない。そして、これらの価値のみが人類を救うことが出来る」と。そして、ヴァガヴァン・ババはこのプログラムを通してインドだけでなく世界の多くの地域において全教育システムの改革をもたらしております。バル・ヴィカス(幼児の霊性教育)のプログラムはこの目的のために採用された政策の内の1つです。子供の心というのは若木の樹皮のようなもので、その樹皮にあるマークを刻みつけると、それがたとえ小さなものであっても、木が成長するにつれて樹皮も大きくなり、それに付けたマークもどんどん大きくなります。従って、バガヴァン・ババはバル・ヴィカスプログラムを非常に重視しております。また、バガヴァン・ババは、前述のように、教育費が全くかからない高等教育機関も設立されておられます。
バガヴァン・ババはまた肉体上の健康も非常に重要視しておられます。肉体は人が行動するための媒体であります。バガヴァン・ババはまた治療と手術を全く無料で受けられるスーパー・スペシアリティ・ホスピタルを設立されました。心臓病科は1991年11月23日に開設され、腎臓病科は1992年11月23日に、眼科は1994年11月23日に開設されました。この病院は世界でも最高の設備を備えております。過去3年間に800のバイパス手術を含む3,000以上の心臓手術が行われ、そして多くの腎臓移植が行われ、これらは全部無料で行われました。世界でもこの種の病院はここだけで、これはバガヴァン・ババの神の恩寵によるものです。
プッタパルティの神は愛を通して人類を救うためにやってこられたのです。ババはヴァルミキやトゥルシダスのラーマ、バガバッドギータのクリシュナ、そしてナザレのキリストと同じです。ババは宇宙的存在で、あらゆる宗教の上にあってこれらを越えており、そのシンボルマークはこれを反映して、ヒンズー教のオーム、キリスト教の十字架、イスラム教の三日月、仏教の車輪、ゾロアスター教の火のシンボルを含んでいます。ここプッタパルティには異なる信仰を持ち、異なる言語を話し、白、黄色、黒、褐色の異なる人種に属する人々が異なる地方と地域から数十万人も集まり、彼らは入り交じって溶け込み、そして神なるマスターの下で愛にあふれ平安と喜びに満ち満ちている一つの人類に没入するのです。ここで、私たちは世界の縮図を見るのです。
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