目 −EYE−
目を通じて、私たちは純粋なものだけを見るべきです。
あらゆる種類のものを無差別に見ることは災難を招くでしょう。
視力も神聖な目的だけに用いるべきです。
自分の目を、純粋で神聖な方法で使うときのみ、
私たちは目を通じて、心を清め安らかにする
サトワ的印象を受けることになるでしょう。
ひとすじの心を貫くためには、
人混みをうろうろ歩き、色々なものを見たりせず、
危険なことにあわないよう、目の前だけを見るようにしなさい。
危険を避けるためのゆく手に注意を集中し、
他人の服装をキョロキョロ見たりせずに歩けば、
ひとすじの道を貫くことができます。
耳 −EAR−
耳もまた、純粋な食物を必要とします。
神聖な言葉と、神に関する話だけに耳を傾けるべきなのです。
他の人々については、善い、楽しいことだけを常に聞くようにしましょう。
悪いことを聞くことによって汚されることがないように、
耳を守らなければなりません。
そうして初めて、私たちは確実に耳を通じて
サトワ的食物を消費することができます。
だれかが何かについて誤った解釈をしてあなたに話したなら、
その人の言っていることの善い点のみを尊びなさい。
間違った話、さまざまの意味づけは、
とどのつまりは何ものも意味せず、至福を妨げるばかりです。
口 −MOUTH−
舌の味覚を満足させるものではなく、
純粋な心と体をつくるものを食べましょう。
舌を制したなら、他の感覚器官を制することはいともた易いと言われています。
なぜなら、他の感覚器官の機能は各々一つだけなのに対して、
舌は、食べることと話すことという二つの重要な機能を備えているからです。
舌には2つの仕事があります。
ひとつめの仕事は、味わうことです。
舌はあなたに、物の味が苦いか、甘いか、辛いかを教えてくれます。
けれど舌は、それがあなたにとって
良いものか悪いものかは教えてくれません。
ですから、食べ過ぎないように、
健康を損なうような食物を食べないように気を付けなさい。
ふたつめの仕事は、話すことです。
舌はあなたにとっても、他の人にとっても良いことのために使いなさい。
大声で話してはいけません。
必要以上に長く話したり、必要が無いのに話したりしてはいけません。
もしあなたが、優しく語り、神の御名を唱え、
神の栄光を歌い、神に祈るために舌を使うならば、
それこそが、最善の舌の使い方です。
真実を語り、快い言葉で語りなさい。
・ 幸福 ・ 好意 ・ 創造 ・ 喜び ・ 元気 ・ 純粋 ・
・ Be Happy! ・ 光輝く ・ 花開く ・ 崇高 ・ 希望 ・
・ 素敵な ・ さいわい ・ 平安 ・ 真摯 ・ ありがとう ・
・ 慈悲 ・ 調和 ・ わかち合いましょう ・ 与える ・
・ 習う ・ 奉ります ・ まろやか ・ 良心 ・ 蘇る ・
・ 平和 ・ 優しい ・ 灯を灯す ・ 澄み渡る ・ 柔和 ・
・ つつましく ・ 素直 ・ 信頼 ・ LOVE ・ 礼儀正しい ・
・ 穏やか ・ 素晴らしい ・ 尊い ・ まごころ ・
・ お陰様で ・ おめでとう ・ 喜んで ・ さわやか ・ 永遠 ・
・ 寛容 ・ 安心 ・ 謙虚 ・ 晴れ渡る ・ 慈愛 ・ 愛 ・
・ 発展 ・ ごめんなさい ・ 栄光 ・ 許す ・ 奉仕 ・
・ 微笑み ・ 一生懸命 ・ 暖かい ・ 魂 ・ 豊か ・ 幸せ ・
・ 満足 ・ 篤厚い ・ 差し上げます ・ 大切 ・ 忍耐 ・
・ 明るい ・ きちんと ・ とこしえに ・ かろやかに ・
・ 和やか ・ 感謝 ・ いたわる ・ 清らか ・ いただきます ・
手・足 −HANDS , FEET−
働くことは、人間の使命です。
仕事を放棄すれば、活動によって得られる進歩も、
仕事を通じた訓練もなく、人は衰えるのみです。
行動を放棄するよりも、行動の成果に執着しないことの方が優れています。
行動には喜びがあり、放棄にも喜びがあるのです。
心のコントロール
想 い −MIND−
まず最初に、心を静かに落ちつけねばなりません。
心とは、さまざまな想いや欲望、空想、
想像などの集合体でしかありません。
心の中には、宇宙のすべての歴史が入っています。
心は、善と悪、正と邪が優劣を競い合う戦場です。
自己の心を、より優れた、より強いものにしなければなりません。
あなたの敵はどれですか? |
どれでしょうか? |
||||||||||
不忍耐 |
欲望 |
慈悲 |
節制 |
||||||||
怒り |
自惚れ |
自己犠牲 |
謙虚 |
||||||||
憎悪 |
貪欲 |
理性 |
慈善 |
||||||||
執着 |
利己主義 |
愛 |
努力・熱意 |
||||||||
小さな行為や、行動、言葉のひとつひとつにおいて、
私たちは識別力を働かせ、最善のものを採用すべきです。
プライドを破壊すると、人は愛らしくなります。
怒りを破壊すると、人は悲しみから免れます。
欲望を破壊すると、人は平安を得ます。
貪欲を破壊すると、人は幸福になります。
この世を去るとき、一握りの土さえも
持っていくことはできません。
ですから、無私の人生を捧げることによって、
あなたに今与えられた日々を、最も有効に使いなさい。
郵便で書籍小包を受け取った時、
包みを開けると、本を包んでいた物は捨ててしまいます。
同じように「私は平安が欲しい」という言葉があった時、
「私(エゴ)」と「欲しい(欲望)」を取り外しなさい。
そうすれば、包みの中身である
「平安」を手にすることができます。
神は、怒り・妬み・自我の山脈に隠されています。
純粋なハートは、知識を超越して探求します。
それは霊感をもたらします。
私の子供たちよ、全てはひとつである。
全てに同様でありなさい。
身体は馬車、感覚は馬、心は手綱、理知は馭者。
心は常に理知に向けます。
感覚に従うならば、心は感覚の奴隷となり、
果てることのない悲嘆と苦悩の犠牲となるでしょう。
祈 り −PRAYER−
祈りは、心の奥深くから湧いてきて、
内なる神性と対話するものでなくてはなりません。
・
一日に少なくとも2回、規則的に祈りを続けていれば、
強さと勇気が与えられます。
・
朝祈れば、神の恩寵によりその日一日、
心の平安が与えられます。
自分は100%神に頼りきっていると、絶えず感じていなさい。
・
寝る時には、その日一日の神の導きと加護に対し、
感謝と尊敬を神に捧げなさい。
全てのものに幸福と平安が訪れるよう祈りなさい。
それが最良の祈りです。
そうすれば、内なる平安が得られ、ぐっすり眠れます。
ガヤトリーマントラ
−GAYATRI MANTRA−
- Om
オーム
至高の神よ
- Bhur Bhuvah Suvaha
ブール ブワッ スワハ
地、空、天界
- Tat Savitur Vareniyam
タット サヴィトゥール ワレーニャム
私たちの聖なる母よ、その輝きは、私たちの心にある暗闇を滅します。
- Bhargo Devasya Dheemahi
バルゴー デーヴァッシャ ディーマヒ
私たちは、その聖なる輝きに瞑想します。
- Dhiyo Yo Nah Prachodayath
ディヨー ヨー ナ プラチョーダヤート
私たちの内なる知性を目覚めさせたまえ。
私たちはこのガヤトリマントラを唱える時、
神を描写し(1〜3)、瞑想し(4)、祈願する(5)、
という三つの意念が込められているのです。
・
ガヤトリマントラは、一日三回唱えることが定められています。
三回とはすなわち、朝と昼と夕方です。
・
ガヤトリは五つの顔をもつ女神であり、これら五つの顔(1〜5)をもって存在する
ガヤトリは、五つの生命力(プラーナ)でもあります。
女神はすべての生命を守護し育てます。
生命を守護している時、この女神はサヴィトリと称されます。
サヴィトリは真理に基づく生活を送る人を守り導きます。
人の倫理的知性を高めようとする時、女神はガヤトリと称されます。
女神があなたの語る言葉を守護して育てる時、女神はサラスワティと称されます。
このように女神は、言葉と生命と倫理的知性を守り、
ガヤトリとしてサヴィトリとしてサラスワティとして、
あらゆる方面から人を守護し育てます。
・
これら五つの顔をもつ一つの神こそが、生命力そのものです。
私たちの生命力を保つ植物をはぐくみ、世界を維持しているのは太陽です。
ですから、ガヤトリマントラを唱えている時、
直接、太陽エネルギーに
『暗黒を追い払い、肉体が浄化され、アストラル体(感情体)が浄化され、
コーザル体(魂の器)が浄化されますように』
と祈っているのです。
シャンティマントラ
−SHANTI MANTRA−
- Asatho Maa Sad Gamaya
アサトー マー サーッド ガマヤー
おゝ、神様。私がこの世の事物によって幸せを得ているとき、どうか私に非真実の事物を忘れさせ、永遠の幸福への道をお示し下さい。
- Thamaso Maa Jyothir Gamaya
タマソー マー ジョーティール ガマヤー
おゝ、神様。この世の事物が私を引きつけるとき、すべてのものの真の姿である、遍在のアートマを覆い隠す暗闇を取り除いて下さい。
- Mruthyor Maa Amrutham Gamaya
ムリティヨー マー アムリタム ガマヤー
おゝ、神様。あなたの恩寵により、あらゆる事物に内在するアートマの光輝を認識することによってもたらされる不滅の生命、すなわち、パラマーナンダをお与え下さい。
光明瞑想 −LIGHT MEDITATION−
『光明瞑想は、安全で確実にゴールへ導いてくれる。
あなたは光である。それと同じ光は、他人の中にもある。
肉体は脱落し、光だけが残る。それが悟りに他ならない。』
−サティア・サイババ
・
私たちは、英知が自分自身の内にあることを知りながら、
多くの欲望や想念に邪魔されて、それを把握できないでいます。
これはちょうど、湖面を吹き荒れる嵐に例えられます。
風が吹き荒れ波が荒いうちは、湖の底を見ることはできませんが、
湖面が静かであれば可能です。
同じように、心が静かな時のみ、私たちは真の自己(平安)を
見ることができます。それは、日々の瞑想によって、達成されます。
瞑想のゴールは、全ての生命が一つであることを悟ることにあります。
そして、思い・言葉・行いの調和を可能にします。
最終的には、私たちの行為の全てが、瞑想となることでしょう。
内 省
−SELF-INTROSPECTION−
毎晩、眠りにつく前に、内省をしなさい。
・
- 行動が、思いや言葉と一致していたか?
- 思いや言葉や行為で、他人を傷つけなかったか?
- 今日予定していた仕事を達成できたか?できなかったのは何故か?
- 今日は、昨日よりも良い人間であったか?
- 傷つけたかもしれないあの人と、仲直りできたか?
- 一日中、神に波長を合わせていたか?
・
静かに座ること−瞑想−をしましょう。
信 仰 −BHAKTHI−
限りある人間が神の無限の愛に浸るのです。
バクティ(神への愛)は、偉大な魂の持ち主たちの示す手本によって、
その道が少しは照らされるとはいえ、
それはあなた自身の、体験の中で実現されるべきものです。
−サティア・サイババ
Mahatma Gandhi
(1869-1948)
真理というものの、宇宙的な、あたりにみなぎる力をまともに見るためには、
どんなつまらない生きものも、自分自身として愛することができなくてはならない。
・
地上のあらゆる生きものを憎むことができなくなるように、
私は自分をしむけてきた。
長い、祈りに満ちた鍛錬によって、私はこの40年以上の間、
いかなる人間をも憎むのをやめてしまった。
これは大変な仕事だ。
しかし私は、今もつつましい気持ちで、それをするのだ。
・
私は、神とは命であり、真理であり、愛であると思います。
神は愛なのです。神は最高の善なのです。
私は、神が望まなければ、草の葉一枚でも、
成長したり、揺れたりしないと信じています。
神は、指の爪と肉の関係以上に、私たちにとって身近なものなのです。
−マハトマ・ガンジー
Mother Teresa
(1910-1997)
沈黙を続けると祈りになり、
祈りを続けると信仰になり、
信仰を続けると愛になり、
愛を続けると奉仕になり、
奉仕を続けると平安になる。
・
喜びは祈り。
喜びは力。
喜びは愛。
それは多くの魂を捕らえる愛の網。
神は、喜んで与える人に、もっとも多くをお与えになります。
神と人に感謝の気持ちを表す最高の方法は、
すべてを喜んで受け取るということです。
喜びは、愛に燃える心から自然に生まれるのです。
・
神さまだけが、私たちの真の必要をご存知です。
神は許しを惜しまない御父です。
神の憐れみは、私たちの罪よりも大きいのです。
神は私たちの罪を許してくださいます。
でも私たちは、罪を繰り返し犯さないように、努力しましょう。
−マザー・テレサ
エピローグ −EPILOGUE−
マハトマ(偉大なる魂)・ガンジーの最期の言葉は、
神の御名(ラーマ)でした。
暗殺という『恐怖の支配する世界』にありながら、
彼は、神と共にいる『やすらぎの世界』を見ていたのです。
恐怖の世界にあると、人はどうなるでしょう。
「どうして自分だけがこんな目にあうのだろう?」
そんな思いにとらわれ、他人に優しくなれなくなります。
周囲を敵にまわしてしまうのです。
不幸にして、ガンジーの時代のインドでは、
そうした感情の嵐が巻き起こりました。
でも、彼が人々の心に視たのは、
すべての人の心の奥にある、平安への祈りでした。
サティア・グラハ(真理の力)と呼ばれた不服従の運動が、
国を越え時代を越えて、人々の良心を揺さぶり続けている理由が
そこにあるのです。
誰もが等しく平安を求めています。
でも、実は私たちは本来、平安そのものであり、
いつしかそれを味わう力を失ってしまっただけなのです。
平安こそ私たちの本質なのです。
このことを何度も思い出し、平安を味わう力を取り戻してください。
恐れを手放し、許すことを学んでください。
人類の夢である『愛と調和の時代』が目前に迫っています。
そのとき世界は平安に包まれるでしょう。
それは、あなたから始まる物語なのです。
あなたが内なる平安に気付いたとき、
あなたが自分の笑顔の輝きに気付いたときが、始まりです。
1998年 感じる愛は平安です。