Be Happy に関する御言葉集

スワミは「幸せでいなさい」とおっしゃいます。しかし、なぜ私たちはいつも幸せでいられないのでしょうか?その幸せを妨げるものは何でしょう?どうすればいつも幸せでいられるのでしょうか?幸せをキーワードにスワミの御教えを5つのポイントに分けて、サイの御講話をご紹介して行きます。

01. ダルマを守ることで得られる幸せ
02. 神を想うことで得られる幸せ
03. 困難や苦しみ、悲しみを歓迎することで得られる幸せ
04. 欲望を減らすことで得られる幸せ
05. スワミを幸せにすることで得られる幸せ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

01. ダルマを守ることで得られる幸せ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まずあなたの義務を行い、朝から晩まで一日中神を想いなさい。全てを神と見て、幸せでいなさい。等しい心でいなさい。あなたが持っているものに満足しなさい。幸せの秘訣は、好きなことをすることではなく、しなければならないことを好きになることです。
〜 SSOJ HP「An Ocean of Love」より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世界中が幸福に満たされるためには、ダルマという水を、永遠に、そして完全に流し続ける必要があります。現在世界中で災害が荒れ狂っているのは、正義が否定され、ダルマに従って生きる重要性が信じられていないからです。それゆえ、人はダルマの本質をはっきりと理解しなければなりません。
〜『生きる道 ダルマヴァヒニー』第1章より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
太古の人々は非常に平安に満ちた人生を送っていました。彼らにとって、不安や悲しみはなじみのないものでした。彼らはサティア(真実)とダルマ(正しい行い)を守ることによって、平安と幸福のうちに生きることができました。
〜 2000年元旦の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
内なる至福をもたらしてくれるのは、真理、正義、平安、愛、非暴力(サティヤ、ダルマ、シャーンティ、プレーマ、アヒムサー)とい5つの人間的価値だけです。これら5つの人間的価値を育てる人は、つねに幸せでいられるでしょう。
………
我々の聖典は、母親、父親、教師、神の順に敬うよう命じています。一番初めは、あなたを産んでくれたお母さんです。お父さんはあなたを育て、成長のためにあなたを道の上に置いてくれました。お母さんはあなたの人生という家の土台であり、お父さんは壁、グル(教師)は屋根です。そして、最後の神は、あなたの命そのものです。ですから、神を切に求める者は、まず自分の母親を愛さなければなりません。いつもお母さんを幸せにしていれば、他のあらゆる幸せがあなたに添えられるでしょう。近ごろ、人々は老いた両親を老人ホームに入れています。これは正しいことではありません。ウパニシャッドは人にこう説いています。
マートゥル デーヴォー バヴァ、ピトゥル デーヴォー バヴァ、
アーチャールヤ デーヴォー バヴァ
(母を神と見なしなさい父を神と見なしなさい霊性の師を神と見なしなさい)
……
あなたがどこにいようとも、どんな活動に従事しようとも、絶えず神を黙想していなさい。そうして初めて、人生は実り多いものとなるでしょう。あなた方が皆、良い性質と良い振る舞い、良い考えと良い思いを持ちますように。幸せでいなさい。
〜 2009年11月22日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私たちの思いと言葉と行動の間には、調和がなくてはなりません。この三つが一致しているとき、そこには純粋さがあります。純粋さがあるところには神性があります。他の人々から何をされようとも、それはあなたにとって良いことであると考えなさい。どんな環境の中にあっても、あなたは人間性を失わないよう気をつけていなさい。「すべての人愛し、すべての人に奉仕しなさい」そうして初めて、健康で幸せな人生を送ることができます。
〜 2008年3月7日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
すべての帰依者は愛と思いやりを培うべきです。犠牲を通じてしか、不滅の生命を得ることはできないと言われています。犠牲の資質を持っている人だけが至福を体験できます。「私」や「私のもの」という利己的な考えを持っている人は、決して幸せにはなれません。「私のもの」や「私の人々」という感覚を育む人は、執着を強めるようになります。視野を広めてすべてが幸せになりますようにと祈りなさい。
〜 2008年7月20日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もしあなたが神を信じていないのなら、あなたのすべての人生はゴミになります。
ですから、愛の化身である皆さんは、真理と愛を育みなさい。あなたが真理と愛の両方を持ったとき、あなたに平安がもたらされます。もしあなたが平安の内にいれば、あなたのすべての人生は幸福になるでしょう。 あなたは誰に対しても憎しみを持たないでしょう。あなたはこの人生において愛と真理と一つになるべきで す。あなたに愛があるとき、すべての人を幸せにします。ですから、愛と真理を心の中で大切にし、たとえ夢の中であっても決して忘れてはいけません。
〜 2008 年 5 月 1 日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
教育は人の心を愛と思いやりで満たすべきです。すべての人が水を得る同等の権利を持っています。今日、すべての人が権利のために戦っています。しかし、責任はどうなったのですか?権利のために戦う必要はありません。あなたの責任を果たしなさい。そうすれば権利はついてきます。あなたの義務(ダルマ)を果たしなさい。義務は神です。働くことは礼拝です。あなたの権利とは何ですか?すべての人を幸せにするのがあなたの権利です。何の見返りも期待せず、すべての人に仕え、すべての人を幸せにしなさい。奉仕は神です。静かに優しく話しなさい。あなたは常に受け入れることはできませんが、常に親切に話すことはできます。
〜 1998年11月22日 Sathya Sai Speaks Vol.31 C43より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
口数を限れば幸福がもたらされ、口数が多ければ多大な危険に置かれることになるでしょう。
〜 2002年2月10日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
愛の化身である皆さん、真理と愛を育みなさい、真理と愛の両方をもっていれば、平安ももてるようになるでしょう。平安をもっていれば、全人生を幸せに過ごすことができるでしょう。誰に対しても嫌悪感をもつことはなくなるでしょう。愛と真理が欠けているときにだけ、嫌悪を抱くのです。人生の中で愛と真理を結びつけるようにしなさい。愛をもっていれば、あなたはすべての人を愛するようになるでしょう。すべての人を幸せにするようになるでしょう。ですから、愛と真理を大切にハート心に保ち、決してそれらを忘れてはなりません。夢の中でさえもです。夢は、起きているときの反応と、反映と、反響にすぎません。昼間に何をしたとしても、夜それは夢の中に入ってきます。夢は流れ行く雲のようなものです。夢のあとを追いかけてはなりません。真理であり、永遠であり、不変なる神につかまっていなさい。そうすれば、恐れも悩みもなくなるでしょう。
〜 2008年5月1日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

02. 神を想うことで得られる幸せ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
幸せは、心が神へと向かった時にのみ手に入れることができます。もし心が世俗へと向かったら人生は苦しいものになります。例えば、うちわを自分に向けて動かしてごらんなさい。涼しい風は自分の方へ来るでしょう。でも、そのうちわを自分から遠ざける形で動かせば、どうして涼しい風を受けることができるでしょう。同じように、心が神へ向かった時にのみ、あなたは幸せを得ることができるのです。
〜 1961年7月4日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
愛の化身である皆さん! あなた方一人ひとりの内に愛は存在します、しかし、あなた方はその愛をこの世的(物質的)な関係に向けています。あなた方はいまだ、真の愛を味わったことがありません。神を心の底から愛しなさい。それが真の愛です。人々は来ては去りますが、神は来ることも去ることもありません。神はつねに存在します。悲しみに巻き込まれたときは、幸せを思いなさい。確実に幸せを体感できるでしょう。愛の化身である皆さん! あなたは愛に満ちています。実際、あなたの心ハートは愛にあふれています。しかし、あなたはこの愛が外にあふれて表れることを邪魔しています。本来、愛には障壁や障害はまったくありません! 絶え間なく、深く神を思い続けなさい。そうすればあなたは肉体的にも精神的にも霊的にもつねに幸せでいられます。
〜 2005年1月14日サンクラーンティの御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ハリ バジャナ ビナ スカ シャーンティ ナヒン(神の栄光を歌わなければ人に平安と幸福はない)バジャンをすると、皆さんはどれほど幸せになり平安に満たされることでしょう! バジャン以外の歌や詩にこの平安や幸福感をもたらすことはできません。ですからバジャンはきわめて重要です。皆さんはバジャンに参加するために集まって来ました。一つになってバジャンを歌うことを身につけるべきです。まず自分が歌い、それから他の人に自分と一緒に歌うように言いなさい。そうして初めて皆さんは本当の平安を得るでしょう。
〜 2008 年1月 15日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
愛する私の子どもたちに
私の愛と祝福を受け取りなさい。帰依の目的は、私たちのハートの中の神に気づくことであり、神が私たちの存在の隅々まで神の光と力で満たすのを許さなければなりません。これができれば、私たちのハートには、世界のすべての生き物に向けられた神の愛が満ちあふれます。私たちの目はどこを見ても神のみを見、私たちの手はすべての人の善のためにのみ働くようになって、最終的に私たちは、至福と歓喜に満ちた神の化身そのものになるのです。その状態では、帰依者と神の間の違いが消えてしまいます。帰依者は、絶えず神を思い神に全託することによって、神自身になるのです。ですから、あなたが絶えず神を思うとき、あなたは神の姿そのものになります。そのときあなたは、尽きることのない喜びと平安を体験します。私の子供たちよ、幸せでいなさい。あなたのスワミであるサイは、いつもあなたの内におり、あなたの周囲にいます。 
愛を込めて ババ
〜 『プレーマダーラ』より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ああ、人々よ! 幸福を与えてくれるものは、この世界に神しかいません。神のみがあらゆる方法であなたを守護するのです。いつも神を黙想しているようにしなさい。絶えず神を黙想していれば、あらゆる悲しみから自由になるでしょう。中にはあなたをからかって、「君はいつも神、神、神と言っているが、いったい神が君に何をくれたというんだい?」と尋ねる人もいるでしょう。あなたにすべてを与えるのは神です。あなたに報い、あなたを罰し、あなたを守るのは神のみです。すべては神です。
〜 2008年5月1日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
愛の化身の皆さん! 常に幸せで快活でいなさい。皆さんの生まれつきの本性は至福なのです。幸せを探しに行く必要はありません。至福はアートマから生まれます。至福を求めればいつでも、それを得ることができます。幸福とは神と一つになることです。それゆえ、常に神と共にいなさい。神と共にいるなら、幸福は奴隷のようにあなたについていきます。今日、人は幸せを探しています。そしてその過程で幸せの奴隷となっています。これは正しいことではありません。実際、幸福があなたの奴隷になるべきなのです。なぜならあなたこそ神聖なアートマの化身だからです。信じられないかもしれませんが、私は常に至福の状態にあります。皆さんもそのような至福の状態を体験することができるのです。幸せを求めて出かけてはなりません。そうではなく、あなたがどこへ行こうとも、幸せがあなたのあとをついてくるべきなのです。ハヌマーンはラーマーヤナの物語の中の偉大な英雄でした。勇敢で、力強く、無敵でした。善なる人格と平安が備わっていました。 ハヌマーンはラーマの御名を唱えながら、常に幸せで快活でした。皆さんもそのような高貴な資 質を伸ばすべきです。まず第一に、皆さんは真の意味での人間になるべきです。すべての人に対して親切心を表しなさい。そのとき初めて皆さんは人類の一員としてふさわしい存在となります。
…………
皆さんの思いは、常にハートを至福で満たしてくれる神の力の上に留めるようにしなさい。神の力に限りはありません。神を思えば思うほど、得られる至福は何倍にも増えます。
〜 2003年1月1日新年の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
神から愛されるのにふさわしい人間になりなさい。そうすればあなたは何で手に入れることができます。これは、ニシュカーマ・プレマ(無私の愛)によって初めて可能になります。自我そのものには愛がありません。愛には私心がありません。そのような無私の愛を養うことによって、あなた自身が神になるのです。神は分割できない存在です。『一体性を見ることこそ真の英知である』と言われているのはそのためです。信仰心を育て、それを堅固なものにしなさい。信仰心にはムラがあってはなりません。もしそのような心の揺れを許してしまえば、自分がそれまで持っていた信仰心すら失ってしまうことになりがちです。揺るぎない信仰心があれば、結果としてあなたは、ブラフマーナンダ(神の至福)を得ることになります。肉体によって体験される幸せは人間の幸せ(デーハーナンダ=肉体の喜び)です。理性で感じられる喜びはチッターナンダ(理性の喜び)です。理性が消滅したとき、喜びは心の中で感じられま す。心が経験する喜びはチダーナンダ(心の喜び)であり、それは理性の喜びとは比較にならないくらい大きいのです。理性の喜び(チッターナンダ)は、 肉体の喜び(デーハーナンダ)に比べると、それと同じくらいの比率ではるかに大きいのです。私たちはこの至福を獲得する機会を不必要なまでに失っています。皆さんは、ブラフマーナンダを手に入れるまで、一歩一歩段階を追ってこれらの至福を獲得していかなければなりません。このようにして皆さんは、 個人的な至福をブラフマーナンダの普遍的至福に融合させます。それは永遠に変わることがありません。『ニッティヤーナンダム(永遠の至福) パラマス カダム』とサンスクリット語で歌われている至福です。私たちは、この至福を味わわなければなりませんが、それはサット=チット=アーナンダに他なりません。サットは存在であり、それは永遠です。チットは完全な知識、すなわち全知です。この二つが結び付けられたとき、完全なる至福であるサット=チット=アーナンダが実現されるのです。すべての人にサットと、チットと、アーナンダが存在しているので、神はサット=チット=アーナンダの姿で万人に内在していると言われているのです。 …
幸福は、感覚をコントロールすることによって得ることができます。プラシャンティニラヤムで天国そのものを体験することができると言う人がたくさんいます。この幸福はどのくらい持続するでしょうか? それは、皆さんがこの場所を離れたとたんに消えてしまいます。本当の天国は皆さんの中にあります。これはまた、不滅の命とも表現されています。 不滅の命とはどういう意味でしょう? 肉体はいつか滅びますが、生命原理は不滅です。あなたがこの不滅の命を得たいと思うのであれば、神に完全な愛を捧げることです。これは無条件の愛でなければなりません。愛にはいかなる条件もあってはなりません。それはちょうど金細工の職人のところに一塊の黄金を持って行き、自分の好きなデザインで装飾品を作ってもらうようなものです。 あなたの仕事は、金塊を彼のところに残して、装飾品の重さとデザインを指定するだけです。職人がどのようにしてその金塊をあなたが望むような装飾品にするかに関しては、あなたが口出しをする余地はありません。もしあなたが、 それを火で焼いてはいけないとか、ハンマーで叩いてはいけないとか条件をつけ始めると、注文した装飾品をどうして手に入れることができるでしょう? それと同じことで、神に対するあなたの心の全託が条件付きのものであったとすれば、どうしてあなたの望む至福が得られるでしょう? いったん完全な全託がなされれば、神はあなたに分相応の至福を与えることでしょう。それまでの間、神があなたの全託に対して何をするかは、神の領分に属することです。 様々な条件に満ちた愛であれば、その結果あなたの身体と心は、嘆かわしい状態に陥るだけです。ですから、無条件の全託の心で神に祈りなさい。あなたの肉体、心、知性など、あなたが持っているもののすべてが神の贈り物であるとき、いったいどこにあなたが条件をつける必要があるのでしょうか?  …
あなた自身のすべてと、いっさいの持ち物を神に全託しなさい。混じり気のない神の至福を経験しなさい。 …
皆さんは、この世の事物を探すことはできますが、神を探しに出かけてはなりません。というのも、神はあらゆる所にいるからです。皆さんがこのような信仰心を持っていれば、どこを見ても神を見ずにはいられませんし、間違いなく至福を味わうことになります。皆さんの信仰心を強めなさい。
〜 1999 年 11 月 23 日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
心を神に向けなさい。そうすればあなたは神の至福を体験します。このためにスワミはあなた方が何をすべきか、何を避けるべきかを度々あなた方に忠告しているのです。それはすべてあなた方のためであり、私のためではありません。あなた方が神を顕現できるように導き、ブラフマンに関する至高の真理を教え、あなたの聖なる人生を理想的なものとするためなのです。各人が理想の人間になるように努力すべきです。つまり一人一人が、自分自身が神であることを証明するということです。全世界が純粋で気高く神聖なこの理想に満たされるなら、皆がどんなに幸せであるか、想像してごらんなさい。
1996年7月30日 グルプールニマ祭の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

03. 困難や苦しみ、悲しみを歓迎することで
  得られる幸せ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人が幸せになる必要があるのは当然のことです。しかし、幸せはどのようにして得ることができるのでしょうか? 人は、悲しみを克服して、初めて幸福になることができるのです。ですから、人は誰もが、幸福を迎えるのと同じ気持ちで悲しみを歓迎すべきです。

悲しみと喜びは混じり合っている
悲しみと喜びを引き離すことは誰にもできない
喜びは決して単独では存在しない
苦しみが取り除かれたとき、人は喜びを味わう

(テルグの詩)         〜 1998年元旦の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人は泣いたりわめいたりするために生まれてきたのではありません。人は幸せな人生を送り、またこの世を幸せに去るべきです。なぜ一時のはかないものであるこの世の所有物のことを心配する必要があるでしょう? 人間にはそのような心配は相応しくありません。すべてを神からの贈りものであると見なしなさい。神は人に困難も悲しみも与えません。神は常に至福と幸福を与えます。しかし、迷妄のせいで私たちは幸福さえも悲しみと見なして多種多様な苦しみを体験しています。あなたの苦しみの原因はあなた自身の思いです。自分の考え方を変えてハートを神聖な思いで満たすなら、苦しみは一切なくなるでしょう。
〜 2008年1月15日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
愛の化身である皆さん! あなた方一人ひとりの内に愛は存在します、しかし、あなた方はその愛をこの世的(物質的)な関係に向けています。あなた方はいまだ、真の愛を味わったことがありません。神を心の底から愛しなさい。それが真の愛です。人々は来ては去りますが、神は来ることも去ることもありません。神はつねに存在します。悲しみに巻き込まれたときは、幸せを思いなさい。確実に幸せを体感できるでしょう。……
決して神をニルダーヤ(慈悲のない者)とさげすんではいけません。神がなすことは何であれ、あなたのためを思ってなされています。あなたが経験する悲しみや困難ですら、あなたのためになるのです。それらは幸せと至福の前奏曲です。もし、このような前向きな見解を培えば、あなたはつねに至福に満たされているでしょう。あなたの幸せをすべての人と分かち合いなさい。これに反して、今日の人々は、幸せは自分のものにして、苦しみは他者に与えようとします。これは私たちがするべきことではありません。「苦悩を克服し、内なる喜びを表す」--これこそが、人が実行しなければならない霊的サーダナ(修行)です。困難や悲しみや不安に直面 したとき、決して気にしてはいけません。それらは無視しなさい。あなたはつねに愛の化身なのです。もし皆さんがこの真理を深く思っていれば、何ごともあなたを悩ますことはありません。良くないことはどこにあるでしょう? それはあなたの心マインドの中にあります。良くないこと(悪いこと)を考え、悪い思いを他者に分けてはいけません。至福こそが人間の真の糧です。人はつねにその至福という食物を食べたいと願っていなければなりません。あなたの、神への信頼を堅固で揺るぎないものにしなさい。神の愛のみが永遠です。もし、その愛を確保することができれば、あらゆる形の幸せがあなたの元へやって来ます。
〜 2005 年1月 14日サンクラーンティの御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あるとき、一人の人物が私に言いました。「うちの者が事故に遭いました」スワミは、「チャーラー サントーシャム」(とても幸せです)と言いました。 スワミはいつも幸せです。そのせいで幸せでなくなるものなどありますか? 運命に従って、起こるべきことは何であれ起こるのです。ならば、どうしてそのことを気にしたり、悲しんだりするのですか? 生死は自然なことです。生死はすべてのものに共通であり、特にこの人にはあるが、あの人にはない、というものではありません。ですから、人は平然と運命の審判に向き合い、何が起こっても落ち着きをもって受け入れなさい。人は運命のせいで苦しむのではなく、欲望と執着のせいで苦しむのです。もし、この世のものへの執着があるなら、あなたは必ず喜びと悲しみを交互に体験することになります。苦楽は二元的な世界の切っても切れない部分なのです。すべてのものごとは神の意志によって起こります。神が望むものを、神が望むときに、神は与え、神は取り戻します。皆さんは、鉄道貨物の貨車に印が付いているのを見たことがあるでしょう。それは返却の日付です。つまりそれは、その日に貨車を大元の鉄道局に返却しなければならない、ということを意味しています。体は貨物の貨車のようなものです。皆さんは気づいていないでしょうが、体がこの世に送られてきたとき、体に返却日が押されます。その日が来れば体は元の場所に戻っていく…それだけです。このように、生があれば死もあります。二つが自然な一組を形成しているのです。ですから、人は死のために悲しみに道を譲るべきではありません。人生のあらゆる局面には至福があり、神は純粋な至福です。神はあなたの中にいるのですから、あなたはいつも幸せであるべきです。あなたはいつも愛で満ちているべきです。決して、愛が汚れることや、憎しみへと低下することを許してはなりません。
2005 年5月 23日の御講話よりより

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
困難は永遠に続くわけではありません。困難は必ず幸せに道を譲ります。人はつねに幸せを求めて努力します。どうすれば幸せを得ることができるのでしょう? 幸せとは、神と一つになることです。あなたは、この一体性を獲得したときに、初めて真の幸せを体験することができるのです。あなたが何を神に頼もうとも、神は、「Tathastu」(そのようになるように!)と言います。ひとたび神の原理を理解すれば、あなたは悲しみから解放されます。たとえあなたが困難のさなかにあるとしても、決して落胆してはいけません。神がそうした厳しい試練を与えているのは、あなたにとって有益なことであるためと信じなさい。幸せと悲しみは共存しています。困難を経なければ幸せを得ることはできません。
〜 2005年10月9日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつも幸せで、至福に満ちていなさい。あなたがた自身が神聖なるアートマの化身として振る舞い、神の至福を味わいなさい。これが、私が皆さんに望むことです。すべての人が幸せであるべきです。すべての子どもが幸せであるべきです。だれにも悲しみの涙を流させないようにしましょう。困難はやって来るかもしれませんが、それらは最終的には幸福を引き起こします。
〜 2003年3月16日新年の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
愛の化身である皆さん!皆さんは、ただ小さなお腹をいっぱいにするだけのために、大変な苦労をしています。また、あらゆるやり方を使ってお金を稼ぎます。このようなことが、皆さんに満足をもたらすのでしょうか? いいえ、こんなことでは決して満足は得られません。このような事実を踏まえて、『幸福によって幸福を得ることはできない』という格言があります。幸福は、困難が実を結んだものです。皆さんはあらゆる快適さと幸せを手に入れたいと望みますが、それによって平安を得ることはできません。もし、幸福と平安を味わいたいのであれば、人生における困難が必要です。人間として生きる上で一番大切なものは犠牲です。
〜 2001年ガネーシャチャトゥルティの御講話

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人は困難と憂慮なしには幸せをつかむことができません。喜びは二つの苦しみの合間にあります。困難に遭遇することなしに幸せを経験することは不可能です。
2002年9月10日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人は、幸せも悲しみも平常心を持って歓迎しなければなりません。中国には「困難は我々の友人である。困難を歓迎しよう。」という諺があります。困難を通じて手に入れる幸福は、それ以外のいかなる方法でも手に入れることはできません。幸福によって幸福を手に入れることはできないのです。多くの人が、沢山の困難を抱えていると言って私の所にやって来ます。私は笑いたくなります。私は困難とか悲しみというものの意味を知りたいと想います。ところが、そのようなものは私に近づくことすらありません。私は帰依者たちに困難によって行き詰まってはならないと言い続けています。私はいかなる悲しみにも付け入る隙を与えません。
2002年7月24日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

04. 欲望を減らすことで得られる幸せ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
欲望が減れば、瞑想はさらに意味深いものとなります。荷物が少なければ身軽になって旅は楽しいものとなります。欲が少なければ少ないほど、人生という旅はもっと容易く、もっと幸せなものになります。
〜 1979年夏期講習の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
満足することにまさる幸せはありません。人は常に幸せを求めています。しかしその求めている幸せとは何でしょう?世俗的な幸せですか?つかの間の喜びですか?これらのものから真の幸せを得ることはできません。霊性における幸せだけが、真の幸せを与えることができるのです。どうして人はこの幸せを失ってしまったのでしょうか?なぜなら人は飽くことを知らぬ欲望に悩まされているからです。これらの欲望は様々な病気の原因となります。欲望を節して、欲望により引き起こされる病気を取り除いたときにのみ、人は平安を獲得できるのです。
〜 1997年チャイニーズニューイヤーの御言葉より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
純粋で無私の愛こそが、神に到達する唯一の道です。世俗的な欲望を満たしても、一時的な幸福感しか得られません。ですから、欲望をチェックしなさい。皆さんの目指すものは、永遠にして変わることのない至福です。それは皆さん方の内にあって、愛を通して初めて手に入れることができます。… あるとき、ラクシュマナがラーマに、彼の富も家族も持ち物も、彼自身の体を使った奉仕も、すべてラーマに役立てていただくためにある、と言ったことがあります。するとラーマは、「私はそのようなものは必要ない、そんなものをもらっても、何になるだろう? それよりも、ただお前の想いと言葉と行動と心を清めなさい。そうすれば天国を体験できるだろう」と言いました。幸福は天国そのものであると言われています。幸福は、感覚をコントロールすることによって得ることができます。
〜 1999 年11月23日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
欲望から自由になって、完全な幸福に到達しなさい。「タスマイ ナマハ」これは短い挨拶で、「おお、神よ、最高の幸福の化身よ!」と、神を歓迎するものです。あなたが 本当に幸せなのはいつでしょう? どんな心配事や不安もないときに、あなたはそう感じます。神には何も欲がなく、だから神はいつも幸せなのです。あなたもそのように、欲望をもたないよう努めてごらんなさい。そうすれば、あなたもいつも幸せでいられるでしょう。幸福を壊すものは、欲望と世俗的な期待をすることです。永続する幸福を得るためには、まったく欲望のない状態でなければなりません。あなたがこれを信じるかどうかはわかりませんが、スワミはどんな心配事もありませんし、 それゆえ、いつも至福の状態にあります。スワミは自分のことは何も考えません。しかしながら、肉体の姿をもって降臨して人々と触れ合うという理由から、スワミは時たま心配そうだったり、悩んでいるように見えたりするかもしれません。けれども、本当のことを言えば、スワミは欲望も心配も超えています。スワミは、誰からも、どんな時も、自分のためには何も欲しくはありません。スワミが欲するのは皆さんの安寧だけであり、いつでもそれがスワミの中で優勢な思いなのです。
2005 年5月 23日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
若い娘と結婚すると、皆さんは初め、娘への愛を抱きます。しばらくして、娘が何らかの理由であなたの望みに反すれば、あなたは娘への憎しみを持つようになります。あなたの怒りと憎しみは、最後にはあなたを困難に陥れます。欲望と期待を減らすことができれば、幸せな結婚生活を送ることができるでしょう。
〜 2009年1月22日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人々は、欲望を満たすことによって幸福が得られるという誤った認識に陥っています。実際は、幸福は欲望が満たされたときではなく、それがコントロールされたときにもたらされるのです。人は欲望をコントロールすることによって至福の状態を味わうことができます。自分の欲望を満たしたいと強く願う人は、いつも落ち着きがありません。欲望は外側に向かう道(プラヴリッティ) に対応していますが、そこにはひとかけらの幸福も存在しません。皆さんは、 世の中に幸福があると考えて迷妄に陥っていますが、そうすることによって、 内に向かう道(ニヴリッティ)からますます離れていくのです。
〜 2001年7月5日新年の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あなたの世俗的な欲望を減らしなさい。神を求める気持ちを育てなさい。神への愛を高め、それによって、さらに幸せになりなさい。もし欲望が大きくなると、あなたの苦しみもその分だけ大きくなり、幸せもそれに反比例して減っていきます。
〜 2000年11月23日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皆さんの幸福感に影を落としている欲という荷物を減らせば、計り知れない幸福感を得ることができます。欲を減らせば、すべては自分にとってよいものとなります。これは、ヴェーダーンタではヴァイラーギャ(放棄)と呼ばれています。ヴァイラーギャとは何を意味するのでしょう?欲を減らすことを意味します。日ごとに欲を増やしていってはなりません。体が老いるにつれ、人生も日に日に短くなっていきます。ですから、欲を減らすなら、それは自分のためになります。欲を減らせば、いつも幸せでいることができます。皆さんは、いくら本を読んでも、あらゆる聖典に耳を傾けてもかまいません。けれども、何よりもまず、欲を減らさなければなりません。そうして初めて、本や聖典から恩恵を引き出すことができます。
2007年8月24日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まず第一に、欲望、怒り、貪欲、愛執、高慢、嫉妬といった悪い性質を捨ててしまいなさい。これらがあなたにもたらすものは惨めさのみであり、幸福はもたらしません。これらの 悪い性質を捨て去った時にいかに幸せに満たされるかを、あなたは自分自身で確かめることができます。そのような永遠の至福を体験するために、あなたの中にあるものをすべて神に捧げなさい。 あなたは数多くの欲望を持っています。けれども、その欲望をすべて満たすことが可能ですか? いいえ、不可能です。自分の欲を満たす過程で、決して他人を傷つけてはなりません。もし、何かを欲しているなら、神に祈って、直接神に頼みなさい。神との直接の接触を確立しなさい。もし「間接的」な方法に従事するなら、言うに言えない惨めさを味わうでしょう。
2008年サティヤ サイ世界教育会議の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
荷物がある限り、困難から逃れることはできません。ここでの荷物とは、世俗の人間関係と欲望のことです。世俗の束縛を取り除いたとき、あなたは初めて幸せになれます。
2014年3月14日今日のの御言葉より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

05. スワミを幸せにすることで得られる幸せ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あなた方は皆、幸せでいなければなりません。皆さんが幸せでいることだけが、スワミを幸せにさせるのです。もし皆さんが悲しみに暮れるなら、スワミは幸せではなくなります。皆さんの喜びがスワミの食事なのです。
〜 1963年グルプールニマの御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
愛の化身である皆さん! 皆さんは今日がスワミの69歳の誕生日であると考えています。私にはそうした誕生日を祝ってほしいという望みはありません。ここに来るとき、私は「ハッピー バースデ ー」(幸せな誕生日でありますように)と願う大勢の人に歓迎されました。私はいつも幸せです。どうして「ハッピー バースデー」と願う必要があるでしょう? 皆さん自身が幸せでいなさい。皆さんが幸せでいることが私の幸せです。
〜 1994年11月23日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あなた方が口にする言葉は、さまざまな意味を伝えることがあります。ですから、話をするときには十分気をつけなければなりません。美徳を培って理想的な人生を送りなさい。そうして初めて、スワミは喜ぶのです。もし、あなたが理想的な行いによって私を幸せにしたなら、私はさらに多くの幸せをあなたに授けます。あなたの幸せは私の幸せです。どこに行こうとも、よい評判の立つ人になりなさい。あなたの人格は、私に取って大変重要です。ですから、あらゆる努力を傾けて人格を形成し、他の人々の理想となりなさい。これが、この吉祥のシヴァラートリーの日に、私が皆さんに与えたいと願うメッセージです。皆さん方全員が永遠の至福を体験する日こそが、私にとってのシヴァラートリーです。
〜 2006 年2月26日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は皆さんに会えてとても幸せです。私は早朝から床に就くまで、多くの仕事に励み、多くのプログラムに参加しています。私はとても幸せで元気です。私のように至福を楽しんでいる者は誰もいません。私はつねに幸せで朗らかです。誰からの賞賛も軽蔑も気に留めません。それらは人の感情が言葉という形をとって外に現れたものにすぎません。私には何の関係もありません。私に不和の感情はまったくありません。「すべては一つであり、万人は等しい」のです。
2005 年10月 9日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私はウガンダの首都カンパラに滞在しました。最終日はグル プールニマで、サイの帰依者にとって重要な日でした。私はグル プールニマまでにボンベイに戻ることを約束していました。けれども、アフリカの人々はそれを許しませんでした。彼らは目に涙を浮かべ、私の足下にひざまずいて祈りました。「バガヴァン! どうかこの神聖な日を、私たちといっしょに過ごしてください」。彼らの祈りに応えて、私はいっしょにグル プールニマを過ごすためにアフリカに留まりました。その日、彼らは私といっしょに写真を撮りたいと願いました。私は彼らに、願いがかなえられるように、自分の心の中で静かに祈ってみてはどうかと言いました。銘々が、自分たちの横にスワミが立っている写真を見つけて喜びました。アフリカの人々の信愛は、言葉では言い尽くせません。彼らの信愛を思うとき、私は今でもとても幸せな気持ちになります。
〜 2006年12月25日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の望みは、サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ (すべての世界が幸せになりますように)というものです。すべての人が元気で健康で、お互いへの愛と理解をもって幸せで順調な人生を送るべきです。 皆さんは富を得なければなりませんが、富を誤用してはいけません。そうして初めて、私は幸せになるでしょう。
〜 2008年11月23日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現代では、人々が顔を合わせると、お互いの間に妬みや自惚れや誤解という幕が張られ、それ が相手の欠点を誇張して、共感と兄弟愛の道の障害にさせているのです。人々は基盤となる一体 性、欠くことのできない友愛、根本的な同一性を見逃しています。理解と寛容、思いやりと愛――これはサナータナ・ダルマ〔 古よりの永遠の法〕を作って存続させた、この国の聖賢たちのメッセージです。世界を救う組織の各ユニットの役員として、あなたは自ら体験しながら、このメッセージを復活させ、このメッセージに再び活気を与え、人々を導いていかなくてはなりませ ん。聖賢たちの指針に沿って生きるなら、あなたは三人の人物、すなわち、あなたと第三者と私(ババ)を幸せにすることでしょう!
〜 1969年サティヤ・サイ・オーガニゼーション全インド大会の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
バガヴァンは、帰依者たちのためであれば、自分の肉体さえも犠牲にする用意ができています。 皆さんは、幸福に生きて、至福の状態で日々の生活を送りなさい。 バガヴァンは皆さんの愛のみを望んでいます。 皆さんの愛はバガヴァンを幸せにします。
2000年11月23日の御講話より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・