ヴィシュヌスマラナム(神を憶念すること)御言葉3

9月のサーダナキャンプで、サイユースが9つの帰依プログラムの中から「ヴィシュヌスマラナム(神を憶念すること)」の担当になりました。このプログラムに向けて、御言葉をアップするなど、学習していきたいと思います。

どうすれば、神を喜ばせることができるのでしょうか。
スワミは、日本でよく唱えられているヴェーダの節を引用してこのように説明してくださっています。

人間への奉仕は、あなた方が神への奉仕と呼んでいることよりも価値があります。神はあなた方の奉仕を必要としません。人を喜ばせなさい。それは神を喜ばせます。「プルシャ スークタム」〔プルシャ讃歌〕は、神には千の頭と千の目と千の足があると詠っています。つまり、すべての人、頭と手と目を持っているものは、すべて神であるということです。皆、ばらばらではないのです。神には千の心臓があるとは言っていないことに注目しなさい。心臓は一つだけです。同じ一つの血液がすべての手と頭をめぐっているのです。すべての人は手足です。手足の世話をするとき、あなたは人の世話をしているのです。人に奉仕するとき、あなたは神に奉仕しているのです。
1966年2月19日マハーシヴァラートリ連続講話(中)より


神には千の(サハッスラ)頭(シールシャー)、目(アックシャ)、足(パート)があるというのは、すべての人の手と目と足は、神の手と目と足であるという意味です。
すべての人の中に神を見ることは、ヴィシュヌスマラナム(神を憶念すること)です。
このヴェーダを唱えながら、神を憶念しましょう。

ヴェーダマントラ 「プルシャ スークタム」

 

2017年08月17日|キャンプ:2017camp