サイババの御言葉:人々を保護する文化という建造物

日付:1971年7月8日 午前・場所:アナンタプル市
サティヤ サイ女子大学でのグルプールニマー祭@の御講話より

人々を保護する文化という建造物


親愛なるアートマの化身である皆さん!

私たちの国バーラタは、霊性の領域においても、世俗の領域においても、すべての大陸におよぶ名声を集めました。バーラタは、あらゆる霊性の求道者と知者を保護する砦です。

私たちの国バーラタは、自分たちの文化のルーツである古代の慣習、特に、音楽、舞踊、図画、絵画、彫刻、建築の分野における慣習を、今日まで保ち続けています。

今、この文化を発展させることは、バーラタの息子と娘たちの責任です。これは生易しいことではありません。この国は今、昔日にシュリー ラーマを育てたカウサリヤー、ラヴァとクシャ〔ラーマの双子の息子〕を育て上げたシーター、英雄の物語によってシヴァージーを感化したジージャバーイー、ガンディーを養育したプタリーバーイーのような気高い母親たちを、たいへん必要としています。今述べた母たちは我が子の心を甘露で満たし、我が子を膝に抱いて子守唄を歌っている時分でさえウパニシャッドやヴェーダの物語を話して聞かせていました。そして、母自らの「内なる力」を目覚めさせ、我が子に永遠なる至福と平安を示していました。

「アン」(Am)と「マ」(ma)は神聖な2つの文字であり、人が最初に発する「アンマ」(Amma、お母さん)という言葉を形作っています。母親は、よちよち歩きの子供に歩き方を教えます。ダルマの復興は、こういった母親によって果たされなければなりません。今日、私たちは、将来そのような母となる女性を育成するという、類なき決意を持って新しい校舎の落成を祝っています。

私たちは、今、この「グルクラ」〔師と弟子が寝起きを共にして学んだ古代インドの学舎〕である宿舎の落成式を、神聖な「グルプールニマー」の祭日〔導師に感謝を捧げる満月祭〕に当たる「グルヴァーラ」(木曜日)に行っています。3つの「グル」が見事に重なったことで、今日は偉大なる祝祭となりました。今日の喜びは、まったくもって言葉では言い表せないほどです。しかし、動揺と無秩序と不実が舞う破壊の踊りは、治まることを知りません。バーラタの息子たちは、永遠の幸せを得て初めて人生は満たされるということ、そして、人生は役立つことに費やすべきであるということを、忘れるべきではありません。バーラタの息子たちは、平安と忍耐とバクティと英知と放棄を通して安全と保証を向上させようと、決意しなければいけません。ヴィッディヤー〔高次の学識〕はダイヤモンドであり、徳を通して手に入れなければなりません。ところが、昨今では、お金と力を使って教育を身に付けるために多くの努力がなされています。その結果、人々は恥ずべきレベルに落ちてしまいました。教育界は規律に欠け、幸せと必要な価値を与えることができずにいます。サラスワティー・ギリ女史が述べたように、女性も学位や仕事を持ちたがり、その結果、男性も女性も弱くなりつつあります。女性は、「家庭の女神」(グリハ ラクシュミー)と「ダルマを守る妻」(ダルマ パトニー、貞淑な妻)として光り輝くべきです。

大学はサラスワティーの住まい

もし、お金のために他人の子供の世話をしようというのなら、自分の子供は誰が教えるのですか? もし、夫婦が2人とも職場に行くなら、子供は使用人の意のままになります。そこには愛情を込めて料理を作って子供たちに食べさせる人が誰かいますか? そうであれば、教育の目的は何なのでしょう? それゆえ、教育の真の目的と、それに伴う問題を認識することが必要なのです。仕事こそが人生の基盤だなどと解釈してはなりません。女性の役割は正しい観点において理解されなければいけません。女性は第一に、家と子供と夫を理解すべきです。それから、満足感と幸福感を高めるために熱意と技能を示すべきです。そうして初めて、女性の天性の資質である、犠牲、徳、倫理、正直さが実を結びます。この学校を設立する必要が生じたのは、ここアナンタプル一帯に不安と動揺と苦難が広まっているからです。ラヤラシーマ地方〔アナンタプル県と近隣の県から成る〕の女性たちは、この種の理想的な学校を通じて、相応しい教育を得なければいけません。私は広大な愛によってこの仕事に着手しました。

私は役に立つ仕事に集中することを好みます。そうすることによって、個人にとっての真の道は、何十万もの物事を話したり書いたりするよりも、1つでも誠実な行動を取ることである、ということが理解されるべきです。空に雲が立ち込めると次には稲妻が生じるように、教育の次には英知が生じるべきです。英知という性質を有している人が真の学生です。

今日の教育の乱れた状態は、本来、サラスワティー女神(学問の女神)の住まいであるべき大学が、ラクシュミー女神(富の神)によって占められているという事実によるものです。入学するにもお金、進級するにもお金、万事お金という有様です。その結果、道徳、誠実さ、霊性の発展は衰えてしまいました。それゆえ、私はここが「グルクラ アシュラム」(古代のグルクラの類の学校)となることを宣言します。私はここを総合大学にするという考えは好みません。ここはグルクラ アシュラムのままあり続けます。

私は、子供たちが倫理と正直さに恵まれた未来のバーラタの国民となれるよう、すべての母親が女性たちに自分の子供をきちんと世話することを教えるよう望みます。今、恐れ、不安、不安定、そして、法律に反することが、生活のあらゆる側面に広まっています。このかき乱された平安と、もみくちゃにされた水準という環境に抗するために、母親は家庭で子供たちに識別力を養う教育をするという仕事に着手すべきです。今日、本校の校舎の落成式において、あなた方は皆、国家首相、マイソール州知事、アーンドラ・プラデーシュ州首相、教育大臣、そして、ヴェーンカテーシュワラ大学副学長らの励ましの言葉を聞きました。また、サラスワティー女史が女子学生寮を開館したことにも励まされました。女史は夫への献身の理想的な模範です。この寮の学生が以上の方々の教えによって品行を育むことは、とても大切です。

人格を育むことは体を鍛えることに勝る

このバーラタの国は、悠久の昔から、ヴェーダの法則、倫理、良い性質という人間にふさわしいものを教え、すべての州、すべての国の間で、カルマ ブーミ(行為の土地)、ティヤーガ ブーミ(犠牲の土地)、ヨーガ ブーミ(神との合一の行の土地)として知られるリーダーシップをとってきたというのに、人々の挑戦がボーガ ブーミ(享楽の土地)へと向けられていることは、人として恥ずべきことです。

「ヴィヤクティ」(個々の人間)という言葉は、定められた義務に従ったときにのみ、意味をなします。体とカルマ〔行為〕と時間の神聖が汚されるなら、その意味は失われます。

サラスワティー女史は、心に抱いている理想、すなわち、スワミが食事と衣類と住む場所を与えてくれるときにだけ自分は幸せを感じる、ということを述べました。これは、私が抱いている幸福の理想のうちの重要な側面でもあります! けれども、食事にも衣類にも家にも恵まれている人が皆、平安を味わえているでしょうか? それは私には疑問です。平安を得るためには、食事や保護してくれるもの等を有しているだけでは十分ではありません。平安は、人間性と共に徳と人格と放棄と忍耐を養ったときにのみ、得ることができるものです。

皆が灼熱の太陽に下でふらふらになっているので、私はこれ以上話を続けてあなた方を疲れさせたくありません。私はあなた方アナンタプルの人々が、このグルクラ アシュラムに必要な理想的な設備を提供する責任を担うことを奨励します。皆さんはこの落成式で心を愛で満たしたのですから。今日蒔いた種は、木に成長して平安と保護という果実を実らせたとき、名声と高名と光を生むことでしょう。

このグルクラ アシュラムの落成式が、グル プールニマーの日に、そして、木曜日に行われたことは、非常に神聖なことであり、識別力を身に付ける助けとなることです。皆さんはこうして神聖なことが重なったことによる影響力を認識しなければいけません。

今日、あなた方は皆、心に幸せを得ましたが、それが私の食事です。皆さんは今日の行事を平安のうちに行いました。私はあなた方皆が、健康と幸せ、教養と識別力を得て、神の恩寵を得るに値する者となり、困難に打ち勝つことに成功し、それによって、私たちの国に平安と保護を作り出すことができるよう、祝福と共にこの講話を終えることにします。

私はあなた方皆に幸福という祝福を授けます。決して誰にも敵対心を抱いてはなりません。悪い性質、悪い考えから離れ、神性を味わいなさい。神性は離れた所に存在するものではありません。神性は私たちの内にあります。神性を忘れているのは、私たちが人間性という衣をまとっているからです。このことを理解すれば、光り輝く神性が明らかになるでしょう。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Women's Role C4

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