サイババの御言葉:家庭の運営

日付:1976年9月9日・場所:アナンタプル
サティヤ サイ女子大学家政学部開設式の御講話より

家庭の運営


愛しいアートマの化身たちよ!

どのような発展であれ、最終的には衰退するか崩壊するかします。何であれ蓄積したものは、分散するか処分するかして終わらざるを得ません。善悪という一対は、雲の中に隠れている稲妻のようなものです。その原因はただ1つです。こうしたものはすべて、はかない自然という舞台の幕の上で往来を続けています。

真理について学ぶことは霊性修行の真髄です。つねに減り続けている寿命、そして、元に戻すことのできない人生を思うとき、人は悲しく感じます。

今日は喜びであったものが、将来、苦痛になり得ます。時と場所の状況次第で、出来事や体験や物事は、甘くも酸っぱくもなって現れます。人々や物事に対する好き嫌いを作り出しているのは心(マインド)です。心は、矛盾した、間違った判定者です。ですから、心を激情や偏見から引き離しておくようにしなさい。

私たちの目は、さもしい、五感を喜ばせるものに背を向けて、高潔な、価値あるものに集中しなければいけません。多様性の中にある一体性を掴まなければいけません。価値のない欲望は、識別力を働かせて制限しなければいけません。これは、浄性(サットワ)を通してのみ可能です。それゆえ、皆さんは激性(ラジャス)と鈍性(タマス)の傾向という泥沼から抜け出すよう、懸命に努力しなくてはいけません。

家庭の女神

幸福は浄性の態度の中だけにあります。財産、評判、名声――こういったものが永続する幸福を与えてくれることはあり得ません。人格と呼ばれる水は、浄性と呼ばれる池から流れ出てきます。このように、浄性は人間を神(マーダヴァ)の座へと導きます。

今日、この大学に家政学部が開設されました。私はその実習室の落成式を執り行いました。さらに、私は家政学部の職員およびカリキュラムを査察しました。バーラタの女性は、生まれながらに、家庭作りと家庭の幸福を生み出す術を授かっていました。現代では、その術に「家政学」といったような権威ある名前が付けられています。家政学は、子育てや、家族に奉仕する上で、大変役に立ちます。そこには味覚や技能を磨くことも含まれています。女性は、わが国のプラーナ(神話)やイティハーサ(詩史)の中で、「家庭の女神」として称賛されています。女性はダルマの道における先導者であり、夫にとって信頼できる伴侶であると見なされています。女性は家庭の明るい光として尊敬されてきました。そうした母性の権化たちは、真理、夫婦愛、兄弟愛、思いやり、非暴力、そして、愛の雰囲気の中で、子供たちを育てる責任を担ってきました。ところが、不幸なことに、現代の女性たちは西洋文化のほうに引きつけられて、西洋人の生活様式を真似るという狂気じみた考えを育てています。その結果、絶えず不満と精神的な苦悩に埋もれています。現代女性は、子供の世話という務めをお手伝いさんに任せています。自分の家の管理も自分ではできません。さらに、繁栄へとつながる善行という芳香を広める熱意もありません。

真の教育は、学生に自信という力を備えさせ、自分の義務を他人に頼ることなく自分で果たせるようにさせるものでなくてはいけません。学位を托鉢の鉢に使って、職を求めて駈けずり回るべきではありません。アートマの至福を味わった後は、誰も学位や学位によって得られる恩恵から幸福を引き出したいなどとは思わないでしょう。皆さんは、家政学のコースを通じて、親切で有能な人間になるべきです。家庭の主婦は、家族全員、使用人、そして、近隣の人々に、平安と喜びを広げることができなくてはいけません。

シュリー ラーマは、一人で森に行くことを望みました。そのため、シーターは、やさしい物腰で、しかし、ダルマにかなった厳然たる真実の言葉で、ラーマに嘆願し、ラーマを説得することに成功しました。シーターは、「私がラーマの歩く道から茨や小石を取り除きましょう」と言って説き伏せました。ラーマが月であるならば、シーターは月から別つことのできない月光のような存在でした。「もし月が森へ行ってしまったら、月光はアヨーディヤーに留まることはできません」とシーターは言いました。シーターは、「ラーマはまるで臆病者のように自分を置き去りにしようとしている」と言ってラーマを責めました。そうして、シーターは、ついにはラーマを口説き落とすことができました。その結果、シーターは自らに定められた義務を果たすことができ、地上に名声を打ち立てました。

女性は家庭の光

願望成就の木のように、
あらゆる恩恵を授ける唯一なる神がいる
その神を悟ることは、我らの至高の目的
それぞ、まさにこの人生において、最も稀有な贈り物


女性は家庭の光であり、並外れた至福を授ける天使です。女性は、実家の両親と嫁ぎ先の両親の評判を高めながら、汚点のない生活を送ることを期待されています。女性は、細やかさを駆使して、家族全員を正しい道に連れて行かなければいけません。母は子に神の性質と神の偉大さについて教えます。母は子に、神は全世界のものに動機を与えている唯一者であることを教えます。神は、人の姿をとって人にアートマの原理を熱心に説き、欲望や怒りといったものの猛攻撃から人を守ります。ですから、母親がそれを家庭で再現して反映させれば、どれほど神が喜ぶか想像できるでしょう!

主婦は、家事をこなす中で怠け心に自分の邪魔をさせる機会を与えてはなりません。主婦は、満足、質素、謙虚さという性質を体現しなければいけません。そして、模範に値するシンボルとならなければいけません。行き過ぎた快適さや歓楽のために少しでも浪費すべきではありません。神が家族全員のハートの中に住んでいる家庭が、本当の家庭です。ところが、人間のハートは悪い思考と悪い態度のための場所になっています。神聖な家庭から生じる芳香は、周囲の環境から入ってくる悪い思考と悪い特質を和らげてくれます。

ここに入学したという事実それ自体が、「過去を振り向かずに本来の清純な性質を取り戻そう」というあなた方の決意の表れです。あらゆる種類の考えを頭に詰め込む代わりに、自分が学んだことを少なくともほんの一部でも実践したほうがよいのです。昨今では、説教する人は大勢いますが、実践する人は滅多にいません。学生でいる間もあなた方が家族を支えることができるよう、間もなく本校で重要な実務コースがいくつか開講されます。皆さんの学長は、卒業生に別れを告げて新入生を歓迎する挨拶をしました。

皆さん全員が、ここで教えられた理想を手本とし、歓喜に満ちた人生を送るよう願って、祝福と共に私の講話を終えることにします。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Women's Role C12

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