サイババの御言葉

日付:1983年10月30日
ローマで開催された国際シンポジウムへのババのメッセージより

ユニティは神性


神聖アートマの具現たちよ! 「すべての道はローマに通ず」という古くからのことわざが、今日、ここで立証されています。人々が多くの国からこの歴史的な都市に集まったことに、大きな意味がないわけがありません。あなた方は、今まで聞いたことがないことを学ぶため、そして、人間の冒険に関する新たな理想からインスピレーションを得るためにここに来た、ということを認識する必要があります。

この大会は、どれか一つの宗教、国家、人種、カースト、個人と関係のあるものではありません。この大会は、あらゆる経典の根底にある本質的な真理を明らかにし、真理と正義を確立することを通してすべての人の平和と福祉のために努力することを意図しています。

全人類は、一つの宗教――人間という宗教に属しています。すべての人にとって、神は父です。一なる神の子として、すべての人は兄弟です。したがって、この大会は家族の集まりです。この大会はさまざまな民族や宗教の集まりなのではありません。この大会はさまざまな心の集まりです。この大会はどれか一つの文化や哲学と関係のあるものではありません。この大会はあらゆる宗教の教えの中に存在する神聖な生き方に関係するものです。この大会の目的は、神性の中のユニティ〔単一性/一元性/一体性〕を見ることです。

すべての宗教は神性のユニティを宣言している

国や人種に関係なく、すべての宗教の基本的な真理はまったく同一です。哲学的な見解や修行やアプローチの方法は異なるかもしれません。けれども、最終的な目標とゴールはただ一つです。すべての宗教は神性のユニティを宣言し、カースト、信条、国、肌の色に関わらず普遍的な愛を養うことを説いています。この基本的な真理を知らない人は、自分の宗教を理由に慢心とエゴ〔自我意識/我執〕を膨らませます。そのような人たちは、神性を断片化することによって、大きな混乱とカオスを生み出しています。無限の神性をそのような狭いところに閉じ込めて分割することは、神性に対する反逆です。霊的な生活、神をベースにした生活の基盤は、内在の神霊すなわちアートマン(神の魂/アートマ)です。体は神霊の家です。

社会生活も、この霊的基盤に従うべきです。ところが人は、実在するのは体だけ、という信念に生活の基盤を置いています。この誤りをなくすには、神霊について教わる必要があります。個人も社会も両方とも神の意志の現れであるということ、そして、神は宇宙に浸透しているということを認識する必要があります。この真理を認識することによってのみ、人は自分のエゴを手放して、義務に献身する生活を送ることができます。社会は自分本位な個々人の戦場になるのではなく、神に導かれる個々人の共同体になるべきです。

科学の進歩に伴って、人は自分が宇宙の主であると思い、神を忘れる傾向に陥っています。現代人は、月に行き、宇宙を探検していますが、もし自分たちは創造における無数の謎と不思議をまだ知らないということを考えるなら、それらは心と知性の限られた能力をはるかに超えていることに気付くでしょう。宇宙の神秘と謎を発見すればするほど、人は、神がすべての創造物の創造者であり、動機を与える者であることに気付くでしょう。すべての宗教はこの真実を認めています。人にできることは、目には見えない無限の神を理解するために自分の限られた知性と知識を使って尽力し、神を礼拝し崇めることを身に付けることだけです。

社会への奉仕はユニティを促進する手段

生まれ持っている神性を示す代わりに、人は自分自身の物質的な達成という牢屋に囚われています。人間のあらゆる科学や技術の進歩よりも偉大なのは、神の意識が授けられている存在としての人間自身です。物質世界のみを現実と見なすという選択をすることで、当分の間は、科学的、技術的、物質的な社会の繁栄をもたらすことができるかもしれません。けれども、もしその過程で人間の利己心や貪欲や憎悪が増すならば、人々が通常しているのと同じように、社会が社会を破壊してしまうでしょう。反対に、もし人間の本質をなす神性が示されるなら、人類はユニティに基づいた、そして、愛という神聖原理の順守に基づいた、立派な社会を築くことができます。この重大な変化は、個々人の心から始まらなければなりません。個人が変わると、社会が変わります。そして、社会が変わると、世界全体が変わります。ユニティは社会の進歩の秘訣であり、社会への奉仕はユニティを促進する手段です。ですから、誰もが献身の精神で社会への奉仕に身を捧げるべきです。

物質的な快適さは社会生活の唯一の目的ではない、ということを悟るべきです。個々人が物質的な福利のみに関心を寄せる社会では、和合や平和を達成することは不可能です。たとえ達成されたとしても、それは継ぎはぎだらけの和合でしかないでしょう。なぜなら、そのような社会では強者が弱者を抑圧するからです。自然の恵みを平等に分配しても、名ばかりの平等以外は何も保証されないでしょう。物質で出来た品物を平等な分配することで、どうやって欲望と能力に関連する平等を達成できますか? ですから、霊的なアプローチを明らかにすること、そして、心を物質的なものから各人のハートの中に鎮座している神に向き直させることによって、欲望を支配する必要があるのです。

神聖体験は人の天性

ひとたび内在の神霊の真理を知ると、世界は一つの家族であるという意識のあけぼのがやって来ます。すると、人はその人のあらゆる行いの原動力となる神の愛で満たされます。人は終わりのない欲望の追求に背を向けて、平和と平静の探求へと向かいます。物質的なものへの愛を神への愛に転換することによって、人は神を体験します。その体験は人間を凌ぐものではありません。実際、それは人間に固有の性質の一部です。それは人の人間性と神性の神秘です。

自分の宗教が何であれ、誰もが他の信仰への敬意を培うべきです。他の宗教への寛容と尊敬の態度を持たない人は、自分の宗教の真の信徒ではありません。単に自分の宗教の慣行を厳守するだけでは十分ではありません。すべての宗教の本質をなすユニティを見ようとも努めるべきです。そうして初めて、神性は一つであるということを体験できるようになります。宗教の分野では、いかなる類の強制も強要もありません。宗教的な問題は、穏やかに、そして、冷静に議論されるべきです。ある人の宗教は優れていて、別の人の宗教は劣っている、といった感情を抱いてはなりません。宗教に基づく対立は完全に排除されるべきです。宗教に基づいて人を分けるのは、人道に反する罪です。

現代人は、自然と宇宙に関するすべてを知っていると思っています。ですが、もし人間が自分自身を知らないなら、その知識の一切は何の役に立ちますか? 自分自身を理解したとき、初めて外の世界についての真実を知ることができるようになるのです。人の内なる実在を、外の世界を探索することによって知ることはできません。目を内に向け、自分の本質をなす神性を悟るとき、人は万物への平等心を手に入れます。その、一つであるという気持ちによって、人は理解を超える至福を体験するでしょう。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.16 C29

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