サイババの御言葉

日付:1985年11月21日・場所:プラシャーンティ ニラヤム
第四回世界大会の御講話より

愛は私の受け取る唯一の捧げもの


多国からここに集まった世界大会の代表者たちは、異なる文化、伝統、言葉、衣服のスタイル、食べ物等々を有しています。しかし、この多様性が、私たちのヴィジョンである皆さん方すべての中に本来備わっている神性という一体性を、隠すようであってはなりません。今の世界は、手ごわい問題や、急速に広がりつつある恐れにさいなまれています。戦争への恐れ、飢饉への恐れ、悪魔のようなテロリストへの恐れ、民族的、宗教的、地域的争いという問題、経済復興、経済存続の問題、学生たちのしつけの問題、教義の衝突の問題、狂乱や狂信の問題、権力の横領と極端な利己主義の問題。徐々に広まりつつあるこうした恐れへの救済策は、ヴァイラーギャ(無執着)という態度です。

体と心から成るものと、「私」と「私のもの」という制限に執着するなら、恐れは回避できません。アドワイタ(不二一元論)的な意識、すなわち、自分が目撃しているものは実在の上にある自分の心に焼き付いているものにほかならないという意識こそが最良の治療薬であり、奉仕はもっとも効果的なサーダナ(霊性修行)です。行いは自らの動機をあばき、動機は自らの習慣を形作り、習慣は自らの人格を決め、人格は自らの行方を定めます。

奉仕はエゴを持たずになされるべき

行いこそが運命の根です。それらは死後、また生まれたときに芽を出します。自分が生まれてくる家族や社会はそれぞれの道徳律を通して人を導き、ゴールに到達したときに旅は終わります。神の宮居ヴァイクンタの門番、ジャヤとヴィジャヤは、神聖な聖者たちを不当に扱ったために、地上で悪魔のような生涯を送るという結果に陥りました。プラフラーダは、悪魔に生まれてきたにもかかわらず、神に完全に身を捧げた結果、神の御前に到達しました。ジャヤとヴィジャヤの心はエゴという毒で汚されていましたが、プラフラーダの心は神の意志に委ねることで浄化されたのです。

いかにささいなものであっても、エゴを持たずになされた奉仕はきわめて有益です。奉仕は、あらゆるむせび泣きやうめき声に応え、喜んで放棄し、苦しみを受ける覚悟のある、優しい心から生じるものでなければなりません。他者と深くかかわろうという熱意を持ち、それによって充足を感じなければなりません。喜びにあふれる奉仕に携わっているときに受ける批判や嘲笑に憤慨しないよう、忍耐と心の強さを培わなければなりません。

聖典は、人間の体を機能させているパンチャ プラーナ(五つの生気)について言及していますが、内なる健康と力を支えている五つの支え、ウパ プラーナは、パンチャ プラーナ以上の活力を有しています。それは、サティヤ〔真理〕、ダルマ〔正義〕、シャーンティ〔平安〕、プレーマ〔愛〕、アヒムサー〔非暴力〕です。この中のプレーマは基本となる元素であり、他の四つの誘因です。

人間は確かに万物の長ですが、にもかかわらず、弱く、他者に依存する存在として生まれてきます。社会の文化と伝統、家、国、宗教、つまり歴史は、個々の人間の人生と思考に影響を与えます。歴史は人の個性を形作り、国家への忠誠心や親近感を与えます。それゆえ、人は孤立無援の存在としてではなく、万人に内在する神性を意識しながら成長するものであり、それによってついには一体性を体験することになるのです。

セヴァは礼拝の最高の形態

四つのプルシャールタ(人生の目的)である、ダルマ、アルタ(富)、カーマ(欲)、モークシャ(解脱)は、ダルマによってアルタを得るということ、カーマはモークシャへと向けるべきであるということを、人間に教えるために敷かれています。ところが、人はダルマとモークシャを無視し、カーマをアルタへと向けています。価値の感覚が逆になっているのです。たとえば、人は太陽が昇ると喜び、太陽が沈むと幸せを感じます。なぜなら、昼間は働くことができ、夜は休むことができるからです。人は、太陽が日々昇っては沈むことによって自分が地上に存在する時間を短くしていることに気づいていません。地上は、自分が所有していると主張するものをすべて置き去りにして発たなければならない大きな宿泊所であるということを、人は自覚していないのです。

賢い人は、お金と力、知性と技能、能力と機会を、他者を助けることに使い、他者の人生をより幸福なものとし、そうすることで神の恵みを得ます。なぜなら、セヴァ〔奉仕〕は礼拝の最高の形態だからです。飢える者、絶望している者、苦しんでいる者は何百万といます。貧しい人たちに食事を分け与えることができるよう、私は皆さんに食事の量を実際に必要なだけに限るよう指導しています。お金は、有害なことに浪費せず、他者を助けるために使いなさい。時間とエネルギーを無駄にしてはなりません。あなたの技能が他の人のためになるようにしなさい。

人間家族

スワミへの捧げものとして、節制という名目でインド各州から600万ルピーが集められましたが、欲は減っていません。私はこの世から一つの捧げものだけを受け取ります。それは愛です。それは、奉仕として、兄弟愛として、心の優しさとして、思いやりとして現れた、神聖な無私の愛です。今日だけでなく、これまでずっと、そして、将来もずっと、お金が私を引き付けること、私の心を動かすことはありません。私の手は与えるためにあるのであって、受け取るためにあるのではありません。ですから、私はこのお金を各州の〔サイ オーガニゼーションの〕会長たちに返します。そうすれば、彼らはそのお金を、寄付してきた各地域に返すことができるでしょう。そのお金は、特別委員会の監視と州の会長の指導のもとに何らかの奉仕活動のために使わせなさい。

私は今日、もう一つの点についても力説します。皆さんは帰依者たちに呼びかけるときにサイ ファミリーという名前を使い、自分のこともサイ ファミリーの一員と呼んでいます。これは偏狭で限定的な表現です。私にはどんな制限も限定もありません。私は万人の中におり、万人のためにいるのです。区別されたサイ ファミリーというものはあり得ません。ラーマ、クリシュナ、サイ等々、どんな名前と姿で人々が呼びかけようとも、それらはすべて私、つまり、神を指しています。神は一つの名前だけに返答し、一つの姿の内だけに礼拝され得ると見なすのは、神聖への冒涜です。

十の訓令

愛を培い、その愛であなたの心を清めなさい。その愛を奉仕に使いなさい。それはその愛を成長させてくれるでしょう。私は今、皆さん方オーガニゼーションのメンバーと働き手に、従うべき十の訓令を与えます。

第一に、母国を愛し、母国に仕えなさい。それと同時に、他の人の国を憎んだり、傷つけたりしないこと。他国の名誉を傷つけたり、他国を嫌ってはなりません。

第二に、あらゆる宗教を敬いなさい。宗教はどれも同一の神に到達する道です。

第三に、万人を自分の兄弟として扱いなさい。万人は一つのカーストに属します。全人類は一つの分かつことのできない存在であるという信念を持ちなさい。

第四に、自分の家と周囲の環境を清潔に保ちなさい。これはあなたと社会に健康と幸福を約束します。

第五に、物乞いが伸ばす手のひらに小銭を放ることで、物を乞うことを助長しないこと。物乞いが自分で生計を立てることができるよう援助しなさい。あまりにも虚弱な人や老人のために、あらゆる町や村に食物と宿を供給しなさい。

第六に、賄賂を渡すことによって物事を進めないこと。他人から賄賂を受け取らないこと。

第七に、世の中の活動に携わっているときに、人々のカーストや信条に注意を払うことは危険です。なぜなら、それは憎しみや妬みを生むことになるからです。自分のカーストは、厳重に家の中に留め置き、社会にひけらかさないこと。

第八に、自分個人の必要を満たすために他者に頼らないこと。他者に頼ることは人を怠惰にさせます。自立していなさい。それほどまでに他者に頼っている人に、他者への奉仕ができますか?

第九に、神を崇めなさい。罪を恐れなさい。

第十に、これは他の九つと関連することですが、州の定める法と規則を守り、模範的な国民となること。

以上の訓令に、熱意と愛をもって従い、あなたがどこにいるときも、他者の模範となりなさい。

〔この訓令がサイ オーガニゼーションの「10の根本原則」のもととなった。〕

翻訳:サティア・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.18 C23

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