サイババの御言葉

日付:1991年12月25日・場所:プールナチャンドラ講堂
アナンタプルのサイ大学の卒業生からスワミに多額の寄付が捧げられた時の御講話より

良い評判を得なさい


〔サティヤ サイ女子大学には「サティヤ サイのメッセンジャー」という同窓会があり、卒業生たちはその会を通じて社会奉仕に従事しています。また、同窓生たちは毎年12月25日にババのもとで同窓会を開いています。〕

親愛なる学生たちよ! 今日、あなた方は「サティヤ サイのメッセンジャー」による奉仕活動の報告を聞きましたね。同窓会の役員たちが(先のスピーチで)指摘したように、女性は生涯を通じて多くの拘束の下で働きます。女性は、学生時代には親の保護下にあります。それから、夫と義理の両親の管理下に入ります。さらに年齢が上がると、子供への責任が覆いかぶさってきます。

このような拘束や義務があるにもかかわらず、同窓生たちはずっと、母校で身につけた規律を守ること、奉仕活動に従事すること、そして、自分たちの組織である「サティヤ サイのメッセンジャー」を発展させることができています。学生であれ、他の誰であれ、人から受けた恩に対して、つねに感謝の気持ちを持ち続けているべきです。人として万人が備えているべき第一の性質は、感謝の念です。感謝の念のない人は、人間ではありません。現代人が多くの病気の餌食になっているのは、感謝の念を抱かなくなったせいです。

感謝の念を抱かないことに対する太陽神の罰

太陽神への礼拝では、特定のマントラ(太陽神のさまざまな属性に呼びかけるためのもの)が唱えられます。太陽神を称える時に唱えられる御名には、次のようなものがあります。

ヒマグナーヤ ナマハ
(雪を滅ぼす神に帰命し奉る)

タマグナーヤ ナマハ
〔暗闇を滅ぼす神に帰命し奉る〕

クリタグナーヤ ナマハ
(恩知らずを滅ぼす神に帰命し奉る)


太陽は、先の二つの御名においては、雪を溶かす者、そして、暗闇を追い払う者、として称えられています。三つ目の御名は、自分がしてもらったことを忘れる人を見捨てる者として、太陽神を描写しています。

太陽神は、どのようにして恩知らずを見捨てるのでしょうか? ヴェーダは、太陽はヴィラート プルシャ(遍在者)の目から生じたと述べています。太陽の光輝は人間の目に光をもたらします。マントラが太陽は恩知らずのもとを去ると言明するとき、その内的意味は、太陽神は恩知らずな人を盲目にして視力を取り上げてしまうというものです。現代では、忘恩という罪を犯している人たちが、盲人や、本当の意味で見る目のない無知な人のように歩き回っています。ですから、誰もが感謝の念を抱くべきです。

ここにいる卒業生たち(アナンタプルの大学の同窓生)は、学業を修めた後、何らかの職に就いて、その初めての月給を感謝のしるしとしてスワミに捧げようと決意しました。そのような卒業生が何千人もいます。彼女たちの多くは、結婚してからも定期的にバガヴァンのもとを訪れ、しばしば夫や子供もいっしょに連れてやって来ます。この種の信愛は彼女たちの深い感謝の念から生じるものです。

昨年中、彼女たちは、スワミへの信愛からさまざまな奉仕活動に従事しました。バガヴァンの60歳の誕生日の時には、貧しい人々のために60軒の小屋が建てられました。それらの小屋の建設は、卒業生たちの熱意と犠牲の精神によるものです。

お金ではなく愛を捧げなさい

去年は、バガヴァンに自分たちの初めての月給を捧げたいと思った卒業生たちが、スワミに渡そうと20万ルピーを持ってきました。彼女たちの愛はお金では買えません。富には値が付けられますが、愛に値を付けることはできません。あなた方の感謝は最も貴重なものです。その気持ちだけで十分です。そんなふうにお金を捧げる必要はありません。

今回も、彼女たちは何十万ルピーもの小切手を持参しました。しかし、私があなた方から望むのは、あなた方の愛です。あなた方がどこにいようとも、サティヤ サイ大学の規律を守っているならば、私にはそれで十分です。

結婚してからは、あなた方の義理の両親があなたをサティヤ サイ大学で教育を受けた娘として高く評価し、あなた方の夫もサイ大学で教育を受けた娘と結婚した自分は並外れて幸運だと思うなら、それこそが私への十分な恩返しとなります。あなた方が私に捧げなければならないものは、自分で得る良い評判です。あなた方は理想の女性の手本を示さなければいけません。子供たちに正しい理想を伝えなければいけません。そうして初めて、バーラタは本当の繁栄を得ることができるのです。手本となる母親であることと、評判の良い女性であること以上に偉大なことはありません。

親愛なる女子学生たちよ! 私は、あなた方が村での社会奉仕に献身し、子供たちのために教育に役立つ教室を運営し、高齢者の人たちに必要と思われる奉仕を何でもすることを望みます。私はあなた方が捧げた小切手を今、返します。そうすれば、あなた方はこれをそうした奉仕活動の資金として使うことができるでしょう。私はあなた方全員を祝福します。

(ここでスワミは小切手を「サティヤサイのメッセンジャー」の責任者にお返しになりました。)

感謝の念を抱きなさい

これからは、私にこのような金銭的な捧げものをしようとしてはなりません。清らかなハートで清らかな活動に従事し、良い評判を得なさい。あなた方が私に捧げなければならないものは、あなたが得た良い評判です。それが最高の感謝の表現です。あなた方は本校の学生としての世間の称賛を得るべきです。

外の世界でのあなた方の行いによって、母校に悪い評判をもたらしてはなりません。母校に良い評判をもたらすことができなくても大した問題ではありませんが、たとえどんなことがあっても、母校に悪い評判をもたらすべきではありません。たとえ人助けができなくても、人に害を及ぼしてはなりません。

学生は次のことを心に留めているべきです。学生だけでなく、霊性の求道者は皆、人が自分にしてくれたことに対してハートに感謝の念を抱いているべきであり、どんな形であれ自分が助けられたことをずっと覚えているべきです。そのように感謝の気持ちを持って生活を送る人だけが、生活の中で平安と幸せを見つけられるようになるでしょう。

あなた方全員(「サティヤ サイのメッセンジャー」の全員)が、絶えず神を思い、社会奉仕を続け、理想的な家庭生活を営み、平安と幸福を楽しむことを、私は願っています。これがあなた方全員への私の祝祷です。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.24 C30

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