サイババの御言葉

日付:1992年9月27日 ダサラー祭初日の御講話 ・場所:プラシャーンティ ニラヤム

シルディ サイの物語


すべてのお祭りは、世俗的な生活をしながら信心深い生活を送る方法を、人間に教えるために作られたものです。アヴァター(神の化身)や聖者たちが、ときどき地上に現れたのは、この真理を教えるためでした。

今日という日(ナヴァラートリーの最初の日)には、もう一つ特別な意味があります。シルディ サイ ババは1838年9月27日に生まれました。彼はアウランガーバード地区のパトリという村の、貧しいブラフミンの家族に生まれました。さまざまな理由から、両親は生まれた子を捨てました。

一人のファキール(イスラム教徒の行者)が赤ちゃんを見つけました。その子は捨て子だったので、ファキールは特別な愛着を感じることはありませんでした。何年か後に、少年はゴーパール ラーオ デシュムクという人に預けられました。ゴーパール ラーオは学問と知恵を身に付けていたので、人々からヴェーンクシャとも呼ばれていました。少年は、しばらくの間ヴェーンクシャの家で育ちましたが、そこに長く留まろうとはしませんでした。

1854年〔十六歳ごろ〕に、少年はシルディに行きました。シルディでは、ムハラスパティという人が、少年が村の寺院に入っていくのを見ました。イスラム教徒の格好をした少年の姿を見て、ムハラスパティは少年を寺院から追い出しました。少年は寺院に戻ってニームの木の下に座りました。そのころは、誰も少年の名前を知りませんでした。たとえ誰かに名前を尋ねられても、少年は答えませんでした。また、「なぜ私の名前を知りたがるのですか?」と言い返すこともありました。このため、誰も少年の名前を知ることができませんでした。

人々を癒したババ

近所に住む何人かの村人たちは、木の下にいた少年のところに行って、病気を癒してもらっていました。少年は植物の葉を取り出し、それをつぶして、病気の人に薬として与えました。このようにして、少年は多くの人の病気を治しました。癒しの力についてのニュースは、近辺のすべての村々に伝わりました。その結果、多くの人が少年を訪ねるようになり、少年から、つぶした葉をもらって病気を治していました。

ある朝、突然、少年は姿を消しました。人々は、周辺の地域まで少年を探しましたが、無駄でした。それから三年後の1858年〔十九歳ごろ〕に、彼は再びシルディにやって来ました。アウランガーバード地区に、ドゥープと呼ばれる村がありました。ドゥープには、中流階級の家庭に属するチャンドゥバイ パテルという人物が住んでいました。当時、他の交通機関がなかったので、人々は馬を利用していました。

チャンドゥバイは、急用で、自分の馬でアウランガーバードに行きました。三日経って、そこでの用事が済んだとき、馬がいないことに気付きました。馬がいなくなってがっかりしたチャンドゥバイは、ドゥープに戻る道すがら、うっそうと茂る森の中を歩いていました。

チャンドゥバイとババの最初の出会い

森の中のある場所で、チャンドゥバイは、一人のファキールが木の下に座っているのを見かけました。そのファキールは、深く物思いにふけっているように見えました。突然、ファキールは、「やあ、パテル! ここに来なさい!」と、チャンドゥバイに呼びかけました。

そのファキールはチリム(水煙管みずぎせる)を吸うのが好きでした。近くに水がなかったので、ファキールが杖で地面を叩くと、その場所から水が噴き出ました。ファキールがまた別な場所を叩くと、今度は、火が燃え上がりました。その水と火を使ってファキールは水煙管を吸いはじめ、チャンドゥバイにもそれをすすめました。チャンドゥバイはそれを断りました。

ファキールはチャンドゥバイに、「パテル、何を心配しているのだね?」と尋ねました。パテルは、「あなたは、私がパテルだということを、どうしてご存じなのですか?」と尋ねました。「私は何でも知っている」と、ファキールは答えました。「おまえは、自分の馬のことを心配している。おまえは、頭の上に目をつけている! 馬を探すには、目をもっと下の方に向けなければいけない。おまえの馬は、あそこの木の下で草を食べている」。

チャンドゥバイは、ファキールに会う前に、何人かの人と一緒にその場所を探したのですが、馬を見つけることができませんでした。ところがそのとき、ファキールの近くの木の下に、馬が見えました。チャンドゥバイは、ファキールが土の中から水と火を取り出し、いなくなったはずの彼の馬を見つけたので、たいそう驚きました。

チャンドゥバイは、「スワミ(先生)! おかげでとても助かりました。どうか一緒に来て、もてなしを受けてください」とファキールに頼みました。ファキールは、「わかった。じゃあ、行こう」と答えました。

このころ、チャンドゥバイの姪で、シルディに住んでいた女性が結婚することになりました。チャンドゥバイは、結婚式のためにシルディに行かなければなりませんでした。チャンドゥバイはファキールに、一緒に来てくださいと頼みました。二人は牛車に乗ってシルディに行きました。ムハラスパティは、ファキールが牛車から降りるのを見て近寄り、「ようこそ、ババ! ようこそ、サイ!」と言いました。「サイ」という名前は、ムハラスパティが付けたのです。それまでは、誰も彼に名前を付けた者はいませんでした。

その後、ババは、ある犯罪事件に巻き込まれました。ある金持ちの男の家に盗賊の一団が押し入って、貴重品を盗んだ事件について、ババは証言をしなければなりませんでした。警察が盗賊を捕まえて、盗まれた品物について取り調べを行いました。盗賊たちは、その貴重品は、一人のファキールからもらったものだと言いました。

警官たちは、そのファキールを探すうちに、ババのところにやって来ました。そして、「あなたが、この品々を連中に与えたのですか?」と尋ねました。「そうだ」とババは答えました。
「それをどこで手に入れたのですか?」と聞かれると、ババは、「それは、すべてのものがやって来るのと同じところからやって来たのだ」と答えました。
「誰がそれをあなたに与えたのですか?」
「私自身が、自分にそれを与えたのである」

サイ ババという名前の由来

ババは、そのような興味深い返事をしましたが、警官たちは理解できませんでした。「私はすべてを与える者である。どうして誰かが私の許しもなしに、何かを手に入れることができようか?」と、ババは宣言しました。それ以上彼にものを尋ねても無駄だと感じて、警官は報告書を書きました。

ババは、行政官から、法廷で証言するようにという呼び出しを受けました。チャンドゥバイ パテルは、ババを行政官のところに出頭させたくなかったので、(シルディの中で)委員会にババを調べてもらう手配をしました。委員会の調査で、ババは次のような質問を受けました。「あなたの父親の名前は?」するとババは、「ババ」と答えました。(「ババ」とは「父」という意味であり、この答えは、父の名前は「父」であるという意味でした。)

  問い:「あなたの宗教は?」
   答え:「神の宗教である」
   問い:「あなたはどこから来たのか?」
   答え:「私はアートマ(真我)からやって来た」
   問い:「あなたの身分は?」
   答え:「神の身分である」

ババは、すべての質問に、このような調子で答えました。それまでババは「サイ」と呼ばれていました。この取り調べのとき、ババは父親の名前を「ババ」と言いました。そのためババは、この二つの名前を組み合わせて、「サイ ババ」と呼ばれるようになりました。サイ ババがいつどこで生まれたのか、また、その名前を誰が付けたのか、誰も知りませんでした。

ダッタートレーヤの化身としてのババ

そのうち、多くの人が、ババの超能力を疑うようになりました。ある日、(マールガシールシャ月のパンチャミーの日に)ダッタートレーヤ神の降誕記念祭が行われることになっていました。何人かの帰依者たちがシルディに集まりました。その中に、カイジャックという名の、裕福な人物がいました。彼は偉大な学者でした。彼を「ハイジャック」と間違えてはいけません! 彼の名は、バルワント カイジャックでした。

バルワントがマスジッド(イスラム教寺院)に近づこうとしたとき、ババは、帰依者たちによそへ行けと言いながら、杖を振り回しました。ババは、「悪魔め! 悪魔め!」と叫びながら、何人かの人を杖で打つようなことまでしました。なぜババがそのような振る舞いをしているのか、誰にも理解できませんでした。「私は今陣痛に苦しんでいる。おまえたちは、みんなどこかへ行ってしまえ!」と、ババは叫びました。その当時、ババは人々をどなりつけていただけでなく、ときには杖を見舞うこともありました。また、逃げている人に向かって杖を投げつけることさえありました。誰もがババを恐れていました。皆、その場所から逃げ出してしまいました。

しばらく経ってから、ババは全員を呼び戻しました。「バルワント カイジャック、来なさい!」と、ババは言いました。バルワントがやって来ると、ババはマスジッドの中に入って行きました。バルワントが中に入ると、ババはいませんでした。そこの床の上には、頭が三つある赤ん坊がいました。ババは陣痛に苦しんでいると言っていましたが、そこには赤ん坊がいたのです。頭が三つある赤ん坊は、ダッタートレーヤ神を表しているように見えました。小さな赤ちゃんで、手が何本もありました。バルワントはその子がダッタートレーヤ神であると気付いて、他の帰依者たちを中に招き入れました。帰依者たちは中に入り、赤ん坊を見るや、目を閉じました。そのとき、そこに再びババが現れました。それ以来、人々はババをダッタートレーヤ神の化身として敬うようになりました。

ババがイスラム教徒に与えた教訓

その土地の人々の間に、ババはイスラム教徒かヒンドゥー教徒かということで論争が起こりました。ババは、あるときは、「アッラー マリク! アッラー マリク!」と言い、またあるときは、「ダッタートレーヤー マリク!」と言っていました。ババが「アッラー マリク!」と叫ぶときは、いつもイスラム教徒がマスジッドの中に入って来ました。ババの身なりは、イスラム教徒のものによく似ていました。そのため、多くのイスラム教徒たちがババのところに来ていたのです。

ヒンドゥー教徒もババのところに来て、線香を上げていました。イスラム教徒たちは、ヒンドゥー教徒たちの行動を認めていませんでした。ヒンドゥー教徒たちはイスラム教徒たちがババを敬うやり方が気に入りませんでした。そのため、二つの社会の間に敵対関係が生まれました。 ある日、ムハラスパティは、ババの近くに座ってババに奉仕をしていました。ムハラスパティは、カンドーバ寺院の僧侶でした。ババの近くにヒンドゥー教の僧侶がいることに反対していたイスラム教徒たちが棒を持ってやって来て、ムハラスパティに殴りかかりました。叩かれるたびに、ムハラスパティは「ババ!」、「ババ!」と叫びました。ムハラスパティがババの名前を叫ぶたびに、ババがその打撃を受け止めました。ムハラスパティは地面に倒れました。ババがマスジッドから出て来ました。

イスラム教徒は、ババをたいへん敬っていました。ババはイスラム教徒の群集をどなりつけました。「悪魔め! おまえたちは、一方では私を敬い、もう一方では私に殴りかかる。これがおまえたちの信愛なのか?」ババは全身から血を流していました。イスラム教徒たちはそれを見て、誰に殴られたのですかと尋ねました。ババは「おまえは私を殴らなかったか? おまえは私を殴らなかったか?」と、群衆の中の何人かを指差して尋ねました。彼らは、「私たちは、ババ様には近づきもしませんでした。ただ、ムハラスパティを殴っただけです」と言いました。「ムハラスパティの中には誰がいると思うのか? 彼の中にいるのは私である」とババは宣言しました。「彼は私に全託した。だから彼に降りかかる問題は、すべて私のものなのだ」。

ババが皆に教訓を与える

これを聞いたイスラム教徒たちは、ババの足元にひれ伏して、許しを請いました。するとババは、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒を呼び集めて、言いました。「いとしい子どもたちよ、おまえたちは皆、一人の母親から生まれた子孫である」。そのようにしてババは、神が父であり、全人類は同胞であることを、身をもって示しました。ババは身分や信仰に関するいっさいの差別がなくなることを望んでいました。人類にとって大事なのは心(ハート)だったのです。

自分の宗教だけしか関心のない人は、決して神を見つけることはできません。皆さんは、神を自分の内に探さなければなりません。ババは、すべての身分と信仰は、肉体のみに関係する違いに過ぎないことを指摘しました。ですから、皆さんは至高の神を自分の内なる意識の中に探し求めるべきです。1858年にチャンドゥバイ パテルとともにシルディにやって来たババは、1918年にこの世を去るまで、その土地を離れませんでした。ババは八十歳まで生きました。

ヘマント パントは、どのようにしてババの生涯を書いたか

ある日、一人の聖典学者(パンディット)がババのもとを訪れて、ババの伝記を書くべきだと言いました。その学者の名はヘマント パントといいました。彼が、『サイ サット チャリタ』〔『カリユガを生きる』〕を書いたのです。ヘマント パントはババに、生まれた場所や、両親や、名前や若いころの暮らしに関する事実を明らかにしてくださいと懇願しました。しかし、ヘマント パントは何の情報も得ることができませんでした。ババは、誰に対しても、いっさいのことを明かしませんでした。しかしあるとき、ムハラスパティと二人だけでいたとき、ババは自分の誕生日を教えました。ムハラスパティは学者ではありませんでした。ムハラスパティは、寺院で礼拝の儀式(プージャー)を行うためのマントラ(真言)をいくつか学んでいただけでした。ムハラスパティは、一枚の紙にその誕生日を書き付けました。これがヘマンドパントの手に入りました。このときから、ヘマンドパントはババの生涯を書きはじめたのです。

誰も、ババに関する真実を知っている人はいません。十六歳以降のババの人生に関しては、いくつかの事実が知られています。ババは1838年9月27日に生まれ、1918年のヴィジャヤダシャミーの日(ダサラ祭の最終日)に涅槃に入りました。

ババは生涯を通じて人々に多くの神聖な教えを説き、多くの非凡な行いをしました。ババは多くの帰依者たちに崇められていました。ダーダ、ナーナ、シャーマ、アブドゥル ババ、ムハラスパティ、チャンダルカール、ダス ガヌーといった人々が、常にババと一緒にいました。アブドゥル ババは、最近まで元気でした。彼はババの熱心な帰依者でした。彼は人がどの宗教に属しているかは大事なことではないと考えていました。皆、神への信愛において一つだったのです。

カーカ ディクシットは判事であり、その息子はブリンダーヴァン(ホワイトフィールド)に二十年間滞在しました。息子の妻は、現在ブリンダーヴァンにいます。カーカ ディクシットは日記をつけています。その日記には、ババが自分はいついつこの世を去ると言った言葉も含めて、ババに関する多くの事実が書かれています。

ティヤーガを通じて、霊的至福を手に入れなさい

神の性質について確かなことを言える人は、一人もいません。人と神の関係は霊的なものであり、それはアートマとアートマの関係です。ところが、この邪悪なカリの時代においては、多くの人が、肉体的な姿に心を奪われているために、疑いの餌食になってしまいます。これは人々が、物質的な諸元素を知覚するところからきた、世俗的な態度に浸っているためです。プラクリティー(現象界)は感覚的な経験に満ちています。霊的生活はティヤーガ〔無執着、犠牲〕を基盤としています。永続的な至福は、犠牲すなわち無執着があるときにのみ、経験できるのです。

今日の人間は、犠牲を払う準備ができていません。それどころか、その欲望は飽くことを知らず、人は人間的な性質を失っています。心は汚染され、真実はめったに見られなくなりました。人間は、一歩足を踏み出すごとに、誤った行為にふけっています。崇高な思いは、人々から離れてしまいました。妬みと憎しみがはびこっています。人間は心(ハート)の声に従い、良心の促しに沿って行動することを学ぶべきです。良心は宇宙意識につながっているのです。

翻訳:サティア・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.25 C31

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