サイババの御言葉

日付:2002年5月16日夕方・場所:ブリンダーヴァン
夏期講習のババの御講話Aより

古代インドの教育制度の卓越性


プナル ヴィッタム プナル ミットラム
プナル バーリヤー ブナル マヒー
エータット サルヴァム プナル ラビャム
ナ シャリーラム プナハ プナハ

(お金は失ってもまた得られる、友は失ってもまた得られる
妻は失ってもまた得られる、土地は失ってもまた得られる
こうしたものはすべて、再び得ることができる
しかし、体を失ったら二度と再び得ることはできない)

(サンスクリット語の詩)

人は自分の富を失うかもしれませんが、富は後で再び得ることができます。人は友人を失うかもしれませんが、後でもっと良い友人を作ることができます。人は妻を失うかもしれませんが、後で再婚が可能です。人は土地や財産を失うかもしれませんが、これらも再び得ることができます。こういったものはすべて、何らかの方法で埋め合わせができますが、体を失ったら決して取り戻すことはできません。人が至福を体験することができるのは、体がある間だけです。ですから、人は体がある間に、あらゆる努力をして至福を体験すべきです。この国の古代の人々は、至福を体験するために絶え間ない努力をして体を守り、保護しました。けれども、自分の体を永久に保持することは不可能でした。体は永遠のものではないのですから、生きているうちに至福の状態に到達するための努力を惜しむべきではありません。

古代インドの教育理念

太古の昔から、神聖なバーラタ国〔神インドの正式/名称を愛する人々の国の意〕は、あらゆる知識と教育の分野の発祥の地でした。数秘術、文法、音楽、美術などの起源はインドにあります。実際、インドでは見つからないものは他でも見つかりません。それゆえ、「ヤンナ バーラテー、タンナ バーラタ」〔インドにないものはインド以外にもない〕と言われているのです。この聖なる国は、無垢の美徳と高い理想を備えた多くの男女が生まれた地です。

ここバーラタの国は あまたの高潔な女性を生んできた
死んだ夫をよみがえらせたサーヴィトリー
真実の力で燃え盛る野火を消し止めたチャンドラマティー
燃える炎から無傷で現れて貞節を証明したシーター
貞節の力で邪悪な狩人を灰にしたダマヤンティー
敬虔で高潔な ここバーラタの国が
豊穣と繁栄を得て 世界のすべての国の教師となったのは
こうした貞節な女性たちのおかげ

(テルグ語の詩)

しかし、愚かな人々の中には、海外ではインドで手に入らないものも見つけることができるだろうと考えて、惑わされる人もいます。いったい何がこの神聖な国で手に入らないのですか? この国はあらゆる知識と富の宝庫です。残念ながら、この国の人々は決断力に欠けています。もし決断して真剣に努力すれば、バーラタで成し遂げられないことは何もありません。

昔のインド人は、教育の分野での実験や研究に精力的に取り組んで、独自の教育体系を考案しました。当時はどの大学も1つか2つの分野に特化していました。カーシーの大学はヴィヤーカラナ シャーストラ(文法)の分野を専門としました。アーランニャカ シャーストラ(修辞学)はカシミールの大学の専門でした。ウッジャインの大学はニャーヤ シャーストラ(法律)〔公正〕の専門分野に知識をもたらしました。法学は、そこで本来のままの純粋な形で教えられ、保たれていました。現代の法律は不法へと歪められています。一方、ウッジャインでは違法なものに門をくぐる隙を与えることは決してありませんでした。バーラタは、こうした高潔な理想を広め、教えること、そして、献身的な教師と学生で有名でした。アーユルヴェーダの科学(健康科学と医学)は、バーラタの王国で非常によく発達しました。このように、各大学は特定の科目を専門にして教え、普及させました。古代のバーラタには、こうした評判の高い大学がいくつかありました。

ウッジャイン、カーシー、タキシャシラ(現代のタキシラ)、カシミール、これらはどれも学問の偉大な中心地でした。ナヴァドウィープは、論理と法律を学ぶのに評判の中心地でした。ナヴァドウィープでは、よそでは十分に解釈できない法律の見解が容易に説明され、解説されていました。残念ながら、現代の学生はインドの豊富な知識の偉大さと力に気づかずに、富と知識を求めて世界中に出ています。これは極めて価値のない、誤った観念です。このような無知は払拭されてしかるべきです。私たちは自分の中に英知の光を持つべきです。そうして初めて、神を悟って至福を味わうことができるのです。

愛の化身たちよ! 今日知っておくべきことは、インドはあらゆる知識と力の貯蔵庫であるということです。霊性の科学、物理科学、そして、音楽、文学、詩といった芸術は、インドで生まれました。これらはどれも、古代のインド人が発見したものです。なぜ学生たちは、これほど神聖な国を軽んじているのでしょうか? これは極度の無知の印です。学生たちはこの真実を認識できずに、世俗の喜びを追い求めています。世俗の喜びが幸せを与えてくれることは決してありません。たとえ多少の楽しさが得られたとしても、それは長続きしません。

学生と教師の理想的な関係

昔の大学には巨大な建物やインフラはありませんでした。教師の住まいが学び舎でした。木の下が教室で、そこで座って学びました。先生の優しい言葉が涼風のようにふわりと吹いて、学生たちの心に刻み込まれました。学生の数は少ないものでしたが、教師が知識を伝える能力は計り知れませんでした。教師は、学生が高等科学を容易に理解して高度な科目を把握できるよう、明快で単純な言葉で教えました。こうした教育機関が古代のバーラタを繁栄させたのです。イギリス人がインドにやって来た時、私たちの教育制度に非常に感銘を受け、古代インドの大学の水準が高かった要因を調査しようとしました。しかし、彼らはその試みに失敗しました。

古代インドの教育制度は、シャブダ プラマーナ〔音を基準とすること〕、つまり口述に基づいていました。何でも書き留めさせることは教育の主な方法ではありませんでした。学生たちは教師が語る教えに最大限の関心を持って真剣に耳を傾け、それはすぐさまハートに刻まれました。これが、古代インドの教育水準が高かった主な理由です。伝達の全プロセスは口頭でした。厳密な時間割はなく、カリキュラムやシラバスさえありませんでした。教師は学生が学びたがった学問や科目を学生に教えました。政府からの干渉はありませんでした。教えと学びのプロセスは、完全にハートからハートへのものでした。学生たちはいつもハートを開いていて、教師は学生のハートを知識で満たしました。ハートからハートへの学習こそが、インドが世界に知恵と知識を広めることを可能にさせたのです。

授業はいつでも行われていました。昼でも夜でもまったく問題ありませんでした。教師たちのハートは極めて清らかで神聖でした。知識を与えることに対して教師が学生にお金を要求することはありませんでした。教師の必要の面倒を見るのは社会の責任でした。国民は各人の力量と能力に応じて教師の生計に貢献し、教師にあらゆる快適さを提供しました。一方、決して学生から学費を徴収しませんでした。このように、インドの教育制度は非常に神聖で、極めて価値があり、至福に満ちていました。ところが残念なことに、今のインド人たちは古代の教育制度を軽んじて、そのせいで知識と至福という貴重な財産を失いつつあるのです。

古代の学生の義務はどのようなものだったのでしょうか? 古代の学生たちは、早朝に起床して、勉強に取り掛かる前に沐浴とお祈りをしました。学生たちは家々を回って自分と教師のための食べ物を集めました。教師はそこから何であれ自分に必要なものを食べ、学生たちはそれ以外の残されたものを聖化された食物として食べました。教師と学生はまったく無私無欲で、清らかなハートを持っていました。古代インドでは、このような神聖な雰囲気の中で、経典や叙事詩や聖句の知識が教えられ、学ばれていました。教師たちは極めて献身的で、無私無欲でした。教師たちのハートから生じた甘露のような思考や言葉の一つひとつが、愛情を込めて学生たちに伝えられました。

現代の教育は商業活動となっているために、人の心は曲がってしまいました。昔は、食べ物や教育は売られていませんでした。教育は無料で手に入りました。サラスワティー女神は商売や貿易の鎖につながれていませんでした。サラスワティー女神は、教師と学習者に神聖な知識を授けてくれる神として、恩寵を求める教師と学生から礼拝されていました。

サラッスワティー ナマストゥビャム ヴァラデー カーマルーピニー
ヴィッディヤーラムバム カリッシヤーミ
スイッディル バヴァトゥ メー サダー
パドマ パットラ ヴィサーラークシ パドマ ケーサラ ヴァルニニー
ニッティヤム パドマーラヤ デーヴィー サー マーム パートゥ サラッスワティー

(私は、恵みを与えるお方、無数の姿をとられるサラスワティー女神に
敬意を表することから私の教育を始めます
サラスワティー女神がいつも私に成功を与えてくれますように
いつも蓮の中に住んでおられる、
蓮の花のような形の、蓮の花の花粉のような色の目をした女神様が
私を守ってくださいますように)


サラスワティー〔蓮の花を持つ者〕、バガヴァティー〔喜ばしき者〕、バーラティー〔語る言葉〕、プールネーンドゥビンマナナー〔満月のような顔〕というのは、この女神のさまざまな御名です。授業と学びを始める前に、サラスワティー女神に毎日の祈りがなされていました。一方、現代の教育制度においては、サラスワティーの御名がないことが目につきます。

ラクシュミー女神は、インディラー〔光輝〕、ローカマータ〔世界の母〕、ラーマーマンガラデーヴァター〔喜びに満ちた幸運な女神〕、バールガヴィー〔美〕、ローカジャナニー〔世界の母〕、クシーラ サーガラ カンニャカー〔乳海から生まれた女性〕といったさまざまな御名を用いて礼拝されています。女神たちを勧請する祈り、女神のさまざまな属性を称賛する祈りは、古代バーラタ人の教えに清らかさと甘美さを添えました。

教育の目的は神我顕現

このような神聖な国に、神は繰り返し人間の姿をとっているのです。私たちは神をいともたやすく体験することができます。神は不可解な姿を持つ者でも、不可解な存在でもありません。

ダイヴァム マーヌシャ ルーペーナ
(神は人の姿をまとう)


神は人間の姿をとって化身します。しかし、現代人は人間の姿をとった神の化身いう現実を受け入れる準備ができていません。この国の古代人たちは、神我を顕現させるために、カルマ(行い)の道、ウパーサナ(礼拝)の道、グニャーナ(英知)の道をたどりました。神に祈りを捧げ、さまざまなやり方で神を礼拝しました。

ヤッスヤ グニャーナダヤスィンドー
アガーダッスヤ アナガハ グナハ
セービャタム アクシャヨー ディーラ サ シリエー チャ アムルタヤ チャ

(知識と慈悲の海、計り知れない者、
不変なる者、あらゆる清らかな属性を備えている者である主は、
繁栄と不滅を熱心に求める求道者に崇拝されている)


無料で神聖な知識が提供されました。カーストや共同体、人種や宗教に基づく差別はありませんでした。すべての人が等しいものと見なされました。音楽、文学、舞踊、美術が奨励され、育まれました。大工、陶工、鍛冶屋のさまざまな部門も、奨励され、献身的に教えられました。その目的は、適切な教育を通じて学生を自立できるようにさせることでした。教師たちはあらゆる知識の宝庫でした。どの学生も教師から直接知識を受け取りました。教師がいなければ、学習することはできませんでした。古代の教師は徳が高く、高潔でした。

古代インドの医学は非常に発達していました。チャラカ〔2世紀のインドの医者、および、その名の付いたアーユルヴェーダの医学書〕は、医学の分野で極めて評判の高い、有名な名前でした。現代では、心肺の治療には人工心肺といくつかの複雑で精巧な機器が必要です。古代ではそのような道具は必要ありませんでした。チャラカは、神の恩寵を呼び寄せるために神を称賛するマントラを唱えながら患者を治療しました。心臓病は跡形もなく消えました。さらに言うなら、すべての病気は神の恩寵を呼び寄せることによって治すことができます。人は神の御名を唱えることによって、体の力、心の力、霊〔アートマ〕の力を得ることができます。

解脱に対するナーマ スマラナの有効性

愛の化身たちよ! 神の恩寵なしでは何も成し遂げることはできません。悲しいことに、今、人は不正と不義に染まっています。人の考えはすべて利己的で邪悪です。人の見方は愛のぬくもりに欠けています。理想主義がどん底に達しています。まず第一に、人は自分のハートという畑で、愛という作物を育てる必要があります。これはチャラカの教えでした。神はどこか遠くにいるのではなく、あなたのハートの中に住んでいます。神は、あなたと共に、あなたの中に、あなたの上に、あなたの下に、あなたの周りにいます。人はこのことへの信念を持って神の御名を唱えるべきです。これほど簡単な道を捨て、人は不必要な痛みと苦しみをこうむっています。一方、古代の人々はどんな苦難もすぐに取り除いていました。その一切は主の神聖な御名を唱えることによってなされていました。

ハレール ナーマ ハレール ナーマ ハレール ナマイヴァ ケーヴァラム
カラウ ナスティエーヴァ ナスティエーヴァ ナスティエーヴァ
ガティランニャタ

(神の御名を唱えることは、このカリの時代における解脱への唯一の道)


カリの時代では、ナーマ スマラナ(主の御名を唱えること)が私たちのあらゆる苦しみの万能薬です。神の御名ほど大きな力はありません。主の御名を唱えることは人に無限の至福を与えます。主の御名の力を見積もることは誰にもできません。クリタ ユガ〔正の時代の意/正法の時代〕では、人が解脱するための主な手段は瞑想でした。トレーター ユガ〔三なる時代の意/正法の4分の1が欠ける時代〕では、それはヤグニャ〔供犠〕であり、ドワーパラ ユガ〔疑いの時代の意/正法が半分欠ける時代〕では礼拝でした。しかし、カリ ユガ〔最悪の時代の意/正法の4分の3が欠ける時代〕では、神の恩寵を得るための最も強力な霊的修行はナーマ スマラナです。だからこそ、ナーマ スマラナの修行は世界中に広がっていったのです。

学生諸君! 正しい探求を行えば、すべての力は自分の中にあることに気づくでしょう。人の中に潜む驚異的な磁力は、他のどこにも見つけることはできません。世界に存在するあらゆる力は人間に内在しています。人間はそれほど強力な存在なのに、自分は弱いと考えて、そのせいで苦しんでいるのです。あなた方は皆、神の化身です。神はあなたとは別の存在ではありません。神はあなたのハートの中に住んでいます。目を内側に向ければ、神の至福を垣間見ることができます。あなたに神が見えないのは、あなたに信心が欠けているからです。

スワミが子供の時に書いた詩と戯曲

子供時代、私は深い意味のある歌を作り、それらを村人たちに歌わせて、村人たちに喜びを与えていました。それは、第二次世界大戦中、ヒトラーがロシアを侵略した時のことでした。ある人々が集会を催し、私のところにやって来て、私たちの国の自由の戦士を鼓舞することができるような歌を作ってほしいと頼んできました。私は、揺りかごに人形を寝かせて舞台の上に置き、それから、その人形に聞かせる子守唄という形で、即興で歌を作りました。

泣くのはおやめ、我が子よ、泣くのはおやめ
泣けば、おまえはバーラタの勇ましい息子と呼ばれない
お眠り、我が子よ、お眠り
おまえがすくんでいるのは、
恐ろしいヒトラーが無敵のロシアに侵入したからかい?
お眠り、我が子よ、お眠り
泣くのはおやめ、我が子よ、泣くのはおやめ
スターリンのもとで赤軍が前進しているのだから
赤軍はヒトラーに終わりをもたらすでしょう
全国民が一致団結し、自由を勝ち取るために戦いますよ
お眠り、我が子よ、お眠り

(テルグ語の歌)

村人たちは感謝と驚きをもって歌に耳を傾けました。村人たちの多くは、年若い少年サティヤナーラーヤナ ラージュ〔サイ ババの幼名〕がいったいどうやってヒトラーとスターリンのことを知ったのか、不思議に思いました。この地域の人々には二人の名前は知られていませんでした。

サイが知らないことは何もありません。にもかかわらず、まるで何も知らないかのようなふりをするのです。私はあなた方に「あなたはいつ来たのですか?」と尋ねます。あなた方は「サイ ババは私がいつ着いたのかもわからないのだ」と思うかもしれません! 私は知っています。けれど、知っていながら、私はあなた方に幸せを与えるために質問をするのです。私がこうした質問をする唯一の意図は、スワミが話しかけることであなた方を喜ばせるためです。私は、あなたが着いたことを私は知っているということをあなた方が疑っているとは思っていません。

ある日、何人かの学童が私のところにやって来ました。彼らは私をサティヤと呼んでいました。少年たちは言いました。「サティヤ! 僕たち学校で寸劇を上演することになったんだ。だから、劇の台本と歌を書いてよ」 私は承諾し、劇の台本をこしらえました。私はそれに関連する歌を作り、学童のうちの二人にその歌を教え、公衆の面前で歌うようにと言いました。

なんという時代が来たことか!
ああ、村人たちよ! なんという時代が来たことか!
安物の白粉(おしろい)が 鬱金(うこん/ターメリック)に取って代わった
ああ、村人たちよ! なんという時代が来たことか!
金のネックレスは追いやられ、安物の小物や鎖が取って代わった
ああ、村人たちよ! なんという時代が来たことか!

(テルグ詩の詩)

このようにして、私は教える必要のある教訓を人々に教えていました。当時、これ見よがしに腕時計をすることが流行とされていました。

銀のメダルを皮のベルトで左手にはめて
これが流行だなどと言う!
何とも見るに耐えないひどい格好
これが流行だなどと言う!
長い口ひげ短く切って鼻の下にちょびひげ残し
これが流行だなどと言う!

(テルグ語の歌)

私はよく、こういった当時の流行をからかうような歌を作って、世間を、特に若者の注意を、古代からの習慣や伝統に向けさせようとしました。

カラナム スッバンマ〔村長夫人〕は高潔で敬虔な女性でした。スッバンマは私をとても愛していました。私はその時まだ7歳でした。スッバンマはよく私のところに来て「サティヤ、サティヤ」と呼びました。私はすぐには返事をしませんでした。スッバンマが私を呼ぶ時には、決まって「坊や! なぜ私の家に来てくれないの?」と尋ねてきました。私はそれに対して、「僕は他人の家を訪ねて回る物乞いではありません。僕は招待された時にだけ行きます。そうでなければ行きせん」と答えていました。

ある日、スッバンマが請いました。「息子よ! 私の夫が悪い道に走り、自分をだめにしています。私の夫を正すのを手伝ってくれませんか?」 私は答えました。「もしあなたがそれ以外考えられないというのなら、僕が教訓を与えます。ふさわしい言葉を使っていくつか歌を作って、彼のいる前でそれを子供たちに歌わせます」 スッバンマは、夫が私に腹を立てるのではないかと心配しました。私はこう言ってスッバンマを安心させました。「怒りは怒った本人の敵です。相手の怒りが僕に影響を及ぼすことはできません」 それから私は、悪いことをしている夫を正すことを目的として、何人かの男子に歌を教えて歌わせました。これは穏やかな優しい言葉では無理な仕事でした。彼を正し、罪悪感を抱かせるには、強烈な言葉を使うしかありませんでした。子供たちは怖がりましたが、私が一緒にいるからと言って、彼らに勇気を与えました。カラナム〔村長〕の名前はナーラーヤナ ラーオといいました。私は彼を正すために特別に歌を作りました。その中の一節は次のようなものでした。

カーストの共同体はあなたを締め出すだろう
親戚はあなたを受け入れず、追い払うだろう
友人は下履きで叩くだろう
あんなことをしているあなたを見たら!

(テルグ語の歌)

私はこうした厳しい言葉を使って、誤った方向へと向かう道をあきらめさせました。私は成功することができました! カラナム〔村長〕は良い教訓を得て、悪徳をやめました。スッバンマは大喜びしました。私が小さな少年であったにもかかわらず、彼女は私の足にひれ伏して、やたらと感謝しました。「ラージュ! 体は小さいけれど、あなたの中には計り知れないほど大きな力が隠れています。あれほど大胆に力強くなれる人、カラナムほどの人をあれほど力強く正すことができる人は、他にいません!」とスッバンマは言いました。

その後、スッバンマはこの体の父に言いました。「ヴェンカッパ! 自分の息子は普通の男の子だと思ったら大間違いです。この子は計り知れない力を持っています。この子は将来、全世界に模範を示すでしょう。この子は自分の息子だという気持ちに惑わされてはなりません。この子をうちにお渡しなさい」 この体の父はその要求を拒んで言いました。「うちには自分の子供を養子に出す慣例はない。どれほど切羽詰まっても、うちは自分たちでこの子の面倒を見る。この子をよその家にやることはできない」

こうして、私は自由と勇気の生活を送りました。私は誰にも私を支配することを許しませんでした。私に欠点や短所はありません。であれば、なぜ私が恐れる必要がありますか? 私は明るく怖いもの知らずの生活を送りました。

私は戯曲も書きました。私は小さな子供たちによる寸劇をいくつか上演しました。そうした劇の1つには「チェッピナットゥ チェスターラー」(言っているとおりに行っていますか?)という題名が付けられました。

子供のころから神聖な気持ちを身につけなさい

村にはパンチャガム(暦師)のラーマッパが住んでいました。彼の母親はカーメーシュワリーといいました。カーメーシュワリーは、神聖な本を読んだ後、夕方にサットサンガ〔善き親交の会〕を開いて、数人の女性に哲学を説いていました。カーメーシュワリーが講義をする時は、いつも私も参加しました。カーメーシュワリーは極めて哲学的なヴェーダンタの聖句を読み上げて、自分にも理解が難しいにもかかわらず、どうにかこうにかその意味を説明していました。カーメーシュワリーには、いくつかの単語の意味がよくわからないというハンディキャップさえありましたが、何とかそれなりに教えようとしました。カーメーシュワリーは女性のグループに、神は全能であり全知であり、ダルマの守護者であると説明しました。私はカーメーシュワリーが他の女性たちに詩節を説明する際の助けとなれるよう、頃合いを見計らって詩節の正しい意味を伝えていました。

当時、女性はほとんど教育を受けていませんでした。女性たちは、夜、彼女のように読み書きのできる女性を囲んで、神聖な賛歌や神についての話を聞くことに時間を費やしていました。私はちょうどそのころから、そういったグループをいくつかまとめていました。私はよくサットサンガ〔善き親交〕の効力について言って聞かせていました。私は小さな子供たちを集めてパンダリ バジャン グループを結成しました。しゃんしゃんとアンクレットを鳴らし、かんかんとターラムを響かせて、子供たちは朝早く通りを熱心に歌い踊り、眠っている村人たちを目覚めさせました。以前、村人たちは朝の7時にならないと起きてきませんでしたが、私が子供たちの助けでパンダリ バジャンを始めてからは、5時には起床するようになりました。その上、朝の仕度と沐浴の後に神への祈りを捧げるようにもなったのです。

ターラムを手にとって
しっかりと両手にくくりつけ
心の中の欲望と怒りをたたき出しながらそれを打ち
シルディへの道を行こう
「ジャイ ジャイ ランガ」と歌おう
「ジャイ ジャイ サイ」と歌おう
そして神のもとへと急ごう

(テルグ語の歌)

このようにして、ナガラ サンキールタン〔集団で神の賛歌を歌いながら通りを練り歩くこと〕の典型が始まりました。私はナガラ サンキールタンを7歳の時に始めたのです! スッバンマも、よく黙ってグループに加わって熱心にターラムをたたいていました。

子供のころからずっと、私はつねに人々に知識を植えつけ、神聖な教えを提示しています。パンダリ バジャン グループはたいそう評判がよく、隣村から参加しに来る人たちもいました。参加した人は誰もが歓喜と至福を体験しました。スッバンマは誰よりもとても嬉しそうでした。というのも、2ルピーで袋一杯のぽんぽん菓子が買えたからです。スッバンマはそれをプラサード〔神の恩寵〕として皆に配る手はずを整えました。子供のころから神聖な思いを育てることは極めて重要です。

私は進学のためにカマラープラムに送られました。カマラープラムは、カダパとタディパトリの間にあります。カマラープラムには、コッテ スッバンナという名の商人がいて、どういうわけか彼は私に詩を書く才能があることを知りました。スッバンナは私のところに駆け寄ってきて、「ラージュ! 君はすばらしい詩を作ると聞いたよ」と言いました。私は彼に言いました。「僕は詩を作っているのではありません。僕が口に出すことは何であれ詩なのです!」 スッバンナは言いました。「詩を書いてくれたら、シャツとズボンをあつらえてあげるよ」 私は即座に、そんな安っぽい物々交換の話をして私に近づかないようにと言いました。「僕はあなたの施しを待ってなどいません。もしそんな提案をするなら、あなたと話をする必要はありません!」このようにして、私はスッバンナに警告しました。

すると、スッバンナは、店に新しい薬を仕入れたのだと説明しました。スッバンナはその薬の効能を詳細に書き出して、そのリストを私に手渡しました。その薬は「バラ バースカラ」〔“光を作り出すものの力”という意味のアーユルヴェーダの薬〕というものでした。スッバンナは私に、「バラ バースカラ」の歌を作って子供のグループに教えて、その歌を歌いながら通りを回らせるようにと言いました。私は1時間後に戻ってくるとスッバンナに言いました! 授業の最中だったので、私は自分の義務を怠けたくありませんでした。だから私はコッテ スッバンナに、授業が終わる1時間後に来て詩を受け取るようにと言いました。それから私は、曲調を決めて歌を作りました。それは次のようなものでした。

あるよ、あるよ!
さあ! 子供たち! おいで、おいで!
バラ バースカラという薬があるよ
胃のむかつき、足の腫れ、関節痛にも、お腹の張りにも
知ってる病気、知らない病気、どんな病気も
すぐに治したかったら このバラ バースカラをのむといい!
どこで手に入るか知りたければ
コッテ スッバンナの店がある
薬はその店で手に入る
ここにおいで、少年たち! ここにおいで!
かの有名なお医者さん、ゴーパーラチャールヤ先生が作った、すごい強壮剤だ
ここにおいでよ、少年たち! ここにおいで!

(テルグ語の歌)

この歌を聞いた時のコッテ スッバンナの喜びは天井知らずでした。スッバンナは大きな籠いっぱいのラッドゥー〔インドのお菓子〕を持ってきて、私の前に置いて感謝しました。これはここにいる全員に配るようにと私は言いました。私は子供のころから決して甘いものは食べませんでした。自分の中にあらゆる甘さがあるのに、なぜ私が甘いものを食べる必要があるでしょう? 私の心は甘く、私の愛は甘いのです。ならばどうして私に甘いものが必要でしょう? このように、私の第一の仕事は、皆を助け、皆を幸せにし、皆の苦しみを取り除くことでした。

愛の化身たちよ! 私たちの副学長は、私が神聖な喜びの源であるラーマーヤナについて話すことを願いました。実を言えば、私は現在の教育のシナリオに満足していません。現代では、人々は自分の好きなだけ勉強することができますが、その教育の用途は何ですか? 人々はダナ ルジャナ(お金を稼ぐこと)に従事して、グナ ルジャナ(美徳を吸収すること)には従事していません。お金は間違いなく不可欠ですが、お金が人生のすべてにして目的なのではありません。美徳が最も重要です。あなたが学んだことはすべて、ある時点または別の時点で忘れられてしまいます。今、必要なのは、霊性教育〔アートマ(真我)に関連する教育〕です。

アーディヤートマ ヴィッディヤー ヴィッディヤーナーム
〔私は知識の中ではアートマに関する知識である〕

〔バガヴァッドギーター10章32節〕

と言われています。ハートに吸収する必要があるのは、この知識です。この神聖な知識は、ラーマーヤナで手に入ります。ラーマーヤナは古代の聖典です。ラーマーヤナは、時間の移り変わり、歴史の浮き沈み、その他の混乱を乗り越えて生き残り、人類にとっての偉大な理想として、今もなお高い地位にあります。ラーマーヤナには、多くの人には理解されていない、いくつかの霊妙な秘密があります。私はその小さな苗のいくつかを取り上げて、それを巨大な木に育て、あなた方をその涼しい日陰の下に座らせてリラックスさせてあげましょう。これを明日からの私の努めとしましょう。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Summer Showers in Brindavan 2002 C2

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