サイババの御言葉

日付:2003年3月16日
バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ様の御講話より

平安と幸福を得るために
持って生まれた神性を体験しなさい


この世に すべてを知る者はいない
同様に どこにも何も知らぬ者を見つけることはできない
少しは知っているという者もまた 無知なる者
サンバシヴァ〔母神パールヴァティと父神シヴァ〕だけが 全知なる者

(テルグ語の詩)

愛の化身である皆さん!

すべての人が悲しみを取り除き幸せを楽しみたいと願っています。人間の段階から神の段階へ と昇るためにはサットサンガ〔サットとの交わり〕が必要不可欠です。もしもサットサンガに参 加しなければ、人生は無意味なものとなってしまいます。サットサンガの意味とは何でしょうか? 多くの人がサットサンガとは帰依者たちの仲間に加わることだと勘違いしています。「サット」は 三つの時間〔過去、現在、未来〕を通して変わることのない真理の本質を象徴しています。人間 はそのような永遠の本質を絶えず黙想すべきです。人間として生まれた目的とは何でしょうか? それは単に食べたり、飲んだり、浮かれ騒ぐことではありません。

パローパカーラタム イダム シャリーラム
(人間の体は他者に奉仕するように意図されている)

人間は社会に奉仕するために自分自身を捧げるべきです。神は人間にあらゆる力を授けました。

人間の体は善悪の原因となる諸感覚に縛られています。ですから、諸感覚を正しく使うことは 人間の一番の務めなのです。同じことを、クリシュナ神は『バガヴァッド ギーター』の中でアルジュナに教えました。感覚のコントロールに欠ける人は動物にも劣ります。動物でさえいくらか感覚をコントロールするのです。しかし、人間はヴィグニャーナ〔現世的な知識、科学の知識〕、スグニャーナ〔正邪善悪を識別するための知力、科学を超越した知識〕そしてプラグニャーナ〔霊的知識、至高の英知、神の意識〕を授けられているにもかかわらず、自分の感覚をコントロールする努力をしていません。

カーマ(欲望)、クローダ(怒り)、ローバ(貪欲)、モーハ(心酔〔この世のものへの執着〕)、マーダ(傲慢)、マートゥサリヤ(嫉妬)は動物の習性です。今日、人間はそのような動物的習性を増長させて、動物に成り下がっています。人間はムルガ(動物)でもムルンマーヤ スワルーパ(不活性な物質でできたもの)でもありません。人間は、事実、チンマーヤ(超意識)とチダーナンダ(至福)のスワルーパ(具現)なのです。そのような人間が動物的性質を増長させているとは恥ずかしいことです。人間は第一に自分の感覚をコントロールすべきです。

シュラヴァナム(聴くこと)、キールタナム(歌うこと)、ヴィシュヌスマラナム(ヴィシュヌ神を憶念すること)、パーダセーヴァナム(神の蓮華の御足に奉仕すること)、ヴァンダナム(表敬)、アルチャナム(礼拝)、ダースヤム(隷属)、スネーハム(友情)、アートマニヴェーダナム(神我への全託)、これらは自分の感覚をコントロールするために処方された霊性修行です。

これらは神へと至る王道です。そのような王道を断念し、人間はまるで森の動物のように振る舞っています。人間はまず自分の動物的な性質を取り除かなくてはなりません。そうして初めて神の段階へと昇ることができます。あなたはこの世界で多くのことを見たり聞いたり経験したりします。それらはあなたの内にあるものの反映と、反動と、反響以外の何ものでもありません。あなたが外側の世界に見るすべてのものは、実際にあなたの一部なのです。次のたとえを考えて みなさい。あなたをひどく嫌っている人がいるとしましょう。実のところ、嫌悪という形でその人の中に現れたものは、あなたの中にある嫌悪なのです。それと同じように、お世辞も中傷も、善も悪も、あなた自身の反映です。あなたが外側の世界で見るもの、経験するものは、喜びであろうが苦しみであろうが、どれも実際にはあなたの中からやって来たのです。

何を指してプラパンチャ(世界)と言うのでしょうか? 世界はパーダルタ(物質)の組み合わせです。この世のあらゆる物は束の間のものです。そのようなはかない物がどうやって永遠の至福を与えることができるでしょうか? 本当のことを言えば、人間はまったく不幸を持ち合わせてはいません。あなたは自分の苦しみを他の人のせいにして彼らを批判します。しかし、あなたを苦しませているものは、あなた自身の悪い思いなのです。この世はサムヨーガ(結合)とヴィヨーガ(分離)の波から成る海のようなものです。すべてはあなたから現れたのです。この世に人間よりも優れているものはありません。それゆえ、

ジャントゥナム ナラジャンマ ドゥルラバム
(あらゆる生き物の中で人間として生まれることはもっとも稀有(けう)
なことである)

と言われるのです。人間は世界のあらゆる生き物の中で、もっとも神聖で評価の高い生き物です。けれども、人間は迷妄に浸っているために、自分の真の性質に気付くことができずにいます。この世には善も悪も存在しません。私たちは多くのことを見たり聞いたり経験します。そして、見ているのは目であり、聞いているのは耳であり、経験しているのは心であると思っています。実際はそうではありません。すべては反映、反動、反響なのです。

愛の化身である皆さん!

あなたは奉仕やバジャンに参加し、また、さまざまな霊性修行をしています。それらの活動からあなたはどのような利益を得ましたか? あなたの内からよい思いが出てきたら、あなたは豊かな報酬を手にします。ニームの木の種をまいておきながら、マンゴーの実がなるのを期待することはできません。まいた種のとおりに木は生長します。それと同じように、感情のとおりに結果は成ります。善と悪はあなたの感情に基づいています。ですから、高貴な思いを育て、愛のメッセージを全世界に広めなさい。皆が兄弟姉妹であるという思いを育みなさい。あなたが「他人」であると考える人は、その言葉のもつ厳密な意味においては、「他人」ではありません。彼らはあなた自身なのです。すべてが神の子どもたちです。神は一つです。社会は神の直接的な顕れです。

ジーヴァットワ(個人)とダイヴァットワ(神)の違いは何でしょうか? 人間はヴィヤシュ ティ スワルーパ〔個の形をとった化身〕であり、神はサマシティ スワルーパ〔総体の形をとっ た化身〕です。木の幹についていない枝はあり得ません。母親のいない子どもはあり得ません。 魚は水なしでは生きることはできません。同様に、個人は神なしには存在できないのです。両者 は互いに密接で切り離すことができない関係をもっています。このことを根拠として、クリシュ ナ神は『バガヴァッド ギーター』の中で

マーマイヴァムショー ジーヴァローケ ジーヴァブータ サナータナ
(あらゆる生き物に内在する永遠なるアートマは私自身の一部である)

〔第15 章7節〕

と宣言したのです。

愛の化身である皆さん!

この世で私たちは、善と悪、功徳と罪という二元論について見聞きします。これらすべての源は何でしょうか? それらは人間のサンカルパ(決意)とヴィカルパ(否定)から生じます。善と悪は世の中にではなく、人間の思考の中に存在するのです。神聖な思いを育てれば、至る所に神聖さを見つけるでしょう。

愛の化身である皆さん!

自然界はすべて引力で満ちています。地球はあらゆるものを引き付けます。こうした引力は創 造の基盤である不変にして永遠なる真理の本質より生じます。それは超越的真理として知られています。それはトリカーラ(三つの時間)と、トリローカ(三つの世界)と、トリグナ(三つの属性)の内に存在しています。それは唯一無二のものです。

エーカム サット ヴィプラハ バフダ ヴァダンティ
(真理は一つ。しかし、賢者はそれをさまざまな名で呼ぶ)

この世界で私たちが目にするすべてのものは、この真理の本質に他なりません。

パシュヤンナピチャー ナ パシュヤティ ムードー
(見ているのに、実在に気付かない者は愚かである)

人間が目の前に見るものは、世界ではなく、まさしく神なのです。しかし、無知ゆえに人間はこの真理を理解できず、外側の世界に神を探そうと努めます。あなたが自分の前に見つけるものすべてが、まさに神の姿なのです。あなたはすぐ目の前に神を見ているのに、まだ自分は神を探し当てていないと思っているのです。何と愚かなことでしょうか! あらゆるものが神の顕れであるという堅い信念を育てれば、あなたは確実にすべての人の中に神を見いだすことでしょう。

サルヴァタッ パーニパーダム タット サルヴァトークシ スィロームカム
サルヴァタッ シュルティマローケー サルヴァマヴルッティヤ ティシタティ
(手、足、目、頭、口、耳、すべてに満ちて、神は全宇宙に浸透している)

この世には神の顕れでないものは何一つありません。神はどんな姿をしているのでしょうか?

ダイヴァム マヌーシャ ルーペーナ
(神は人間の姿で現れる)

しかし、人間は自分の肉体の姿に惑わされ、自分自身を単なる人間であると思い込んでいます。私たちが見るものすべてが神の姿なのです。神は至福の具現です。

ニッティヤーナンダム パラマスカダム ケーヴァラム グニャーナ ムルティム (神は永遠なる至福の具現である。神は完全なる英知であり、唯一無二のものである)

全世界が至福に満ちています。どこにも悲しみの痕跡はありません。しかし、あなたは私に同 意しないでしょう。

「スワミ、あなたには悲しみは見えないでしょうが、私たちには至る所に悲しみが見えます」とあなたは言います。あなたに見えるにせよ、私に見えるにせよ、どこもかしこもあるのは至福だけです。至福を忘れ、悲しいことだけを考えているから、あなたは悲しみしか見つけられないのです。それに反して、私はどこにも悲しみを見つけはしません。私は、至福、至福、と、ただ至福だけを見ます。私たちが神の化身であるならば、いったいどうして悲しみにさいなまれるこ となどできるでしょうか? あなたが悲しみにさいなまれているのは、この世のはかない性質を理解していないためです。あなたが見たり経験したりすることは、すべて神の反映に過ぎません。だれをも批判してはなりません。なぜなら、他の人を批判することは、あなたが崇める神を批判することに等しいからです。

イーシュワラ サルヴァ ブーターナーム
(神はすべての生物に宿るものである)

イーシャーヴァスヤム イダム ジャガット
(全宇宙は神で満ちている)

愛の化身である皆さん!

皆さんはまもなく訪れる新年(ウガディ)〔テルグ語圏の新年〕に起こる出来事を推測しているかもしれません。皆さんは新しい年が幸せや悲しみを運んでくるだろうと思っています。年は新しくなるかもしれませんが、あなたが古くからもっている卑しい習慣を断ち切らないなら、新年を迎えてもいったい何になるでしょう? あなたは好ましい結果がもたらされるようにと願います。では、あなたはよい行いをしていますか? あなたは他の人が自分によくしてくれるように と望みます。では、あなたは他の人によくしていますか? もし自分の良心の指示に反する行動をしていたなら、どうして幸せになることを望めるでしょうか? あなたの行いは自分の願望を踏まえたものであるべきです。よい行いは確実によい結果を生みます。今日、人々はすっかりアーダムバラ(尊大)になっています。どうしてそのような人々がアーナンダ〔至福〕を得られるでしょうか?

愛の化身である皆さん!

尊大な生活態度をとってはなりません。尊大な態度はアシャーンティ(不安)の根本原因です。尊大な態度を戒いましめ、アーナンダ〔至福〕を得るように努力しなさい。真の至福は外側の世界から手に入れることはできません。真の至福はあなた自身のハートの中にあります。実のところ、至福は全世界にあまねく広がっています。全世界に悪を見るのはあなたの心のゆがみが原因です。

マナ エーヴァ マヌッシャナム カラナ バンダモークシャヨー
(心だけが人間に輪廻と解脱の双方を引き起こす)

それゆえ、心を清めなさい。そのようにして初めて真の人間となることができます。心が汚れているなら、あなたは自分を人間とは呼べません。価値のある行いをしなさい。よい言葉を話しなさい。神聖な生活を送りなさい。このようにして、あなたは生活の中に充足感を見いだすことができます。この世には悪は存在しません。あなたが見つける悪は何であれ、あなた自身の思いの反映に過ぎません。あなたの周りにあるものすべてはあなた自身の反映です。あなたが何かを 指差して「それは悪い」と言う場合、それはあなたの中の悪が外側に映し出されていることを示しています。決して悪い思いを心に抱いてはなりません。心を甘露のごとき思いで満たしなさい。そうすれば、あなたの人生は甘美なものとなるでしょう。

愛の化身である皆さん!

あなたはバジャンを行い、自分は神を喜ばせるためにそうしているのだと考えます。しかし、神は何も必要とはしていません。あなたがバジャンを行うのは自分の幸せのためです。あなたの幸せを他の人と分かち合いなさい。神は至福の具現です。ですから、神はあなたから何も求めはしません。神は永遠なる至福であるというのに、他に神に必要とするものがあるでしょうか? 神は世俗的な儚はかない幸福には関心がありません。バジャンをするとき、あなたのハートは清められます。礼拝やバジャンを歌うことはあなた自身の幸福のためであり、神の幸福のためではありません。

神聖なるアートマの化身である皆さん!

人間は、真のマーナヴァ(人間)らしい生活を送っていれば、それで十分です。というのは、人間にはマーダヴァ(神)が内在しているからです。残念なことに、今日の人間はダーナヴァ(悪魔)のごとき生活を送っています。人間は頭のてっぺんからつま先まで、悪魔のような性向でいっぱいになっています。そのような実状で、どのようにして幸せを得ることができるでしょうか?心を清め、その中に至福を体験し、あなたの幸せをあなたのところに来る人と分かち合いなさい。 時として、怒り、貪欲、嫉妬というような悪い性質があなたを打ち負かそうとするかもしれません。それらは過ぎていく雲のようなものです。それらに流されてはいけません。あなたのハートから生じる純粋なる永遠の意識をしっかりとつかんでいなさい。

人々はラリータ サハッスラナーマ〔ラリーター女神の1008の御名〕やヴィシュヌ サハッスラナーマ〔ヴィシュヌ神の1008の御名〕などを唱えます。ハートが清らかでなければ、何回サハッスラナーマを唱えても恩恵は得られません。あなたはこうしたすべてのサハッスラナーマのエッセンスでハートを満たすべきです。実を言えば、あらゆる美徳の中心はハートです。しかし、人間にはその神聖さが理解できません。人間として生まれることは大いなる恩寵です。人間としての生涯がいかに神聖で甘美なものかを言葉で言い表すことはだれにもできません。この真実を心に留め人生を神聖にしなさい。

サットサンガットウェー ニッサンガットワム
(よい仲間は無執着をもたらす)

サットサンガ〔サットとの交わり〕に加わるべきです。それは気高い行いをしている人々の仲間に加わるという意味ではありません。「サット」とは不変なる永遠の神性のことです。それは、チダーナンダ(永遠に続く至福)です。「サット」という仲間の中にいることが真のサットサンガであり、それはあなたに永遠に続く至福を与えてくれます。

愛の化身である皆さん!

愛を引き出せば、あなたは永遠に続く至福を確実に体験します。愛はアーナンダ〔至福〕であり、アーナンダは愛です。愛を引き出し、至福を体験して、初めて人生はあがなわれるのです。あらゆる種類の幸福は愛を通して体験できます。それは外側の世界から得られるものでも、市場で買えるものでもありません。それは内面から生じます。市場で特別な物を買うと、それに対する愛着が湧いてきます。しかし、そのような愛は一時的なもので、想像の産物に過ぎず、人間が 作り上げたものです。それはハートから生じる愛ではありません。愛は不変です。愛は神であり、神は愛です。あなたは何度も何度もお祭りを祝うかもしれませんが、愛を引き出さない限り、あなたが祝祭から至福を得ることはありません。愛から得る至福はどんな言葉でも言い表せません。それは無限です。

世俗的な愛と神聖な愛の違いは何でしょう? 友人や親族に対する愛はアヌラーガ(執着)と呼ばれます。これは愛と呼べるようなものではありません。神聖な愛はハートと結び付いています。

愛の化身である皆さん!

疑いなく、あなたの中には愛があります。しかし、あなたはその愛を正しく使ってはいません。あなたは永遠なる真の愛を体験しなければなりません。それによってハートとハートの関係が育ちます。そのような神聖な愛は万能です。それにはどのような制限もまったくありません。それはすべての人を引き付けます。今日、私は皆さんにとても重要なことを話したいと思います。私のこの体は頭のてっぺんからつま先まで引力で満ちています。それは神の磁力です。それは常に 私の中に存在しているのですが、シヴァラートリ以降、その力は日増しに強くなっています。この世の磁石は鉄を含有しているものしか引き付けないのに対して、この神の磁石は全世界を引き付けます。

皆さんは、スワミは足が痛くて歩くのに不自由している、という間違った考えをもっています。私にはどんな痛みも一切ありません。私の両足には強力な引力があるので、片方の足を前に出しても、もう片方の足が出した方の足を引っ張ってしまうのです。皆さんも知っているように地球にも引力があります。それはただ引っ張るだけで、痛みを引き起こすことはありません。スワミにはまったく痛みはありません。私の中のこの引力は日に日に強くなっています。私が触わったものは何でも手にくっついてしまいます。こうした磁力はすべての人の中に存在しています。神はヒランニャガルバの形をとってすべての人の中に存在しているのです。それゆえ、神は

ヒランニャガルバーヤ ナマハ
(黄金の子宮をもつお方に帰命し奉る)

と言われて、ほめ讃えられるのです。純金はいかなる変化をこうむることもありません。純金はあらゆる人を引き付けます。こうした引力をもっているのはスワミだけで他の人はもっていない、という間違った考えを抱いてはなりません。実際に、それはあなたの中にも存在しているのです。その力は、正しく使えばますます強くなります。

私はこれまで一度も痛みを経験したことがありません。私はいつもどおりに歩き回っています。けれども時折り地球の引力のせいで足を持ち上げるのが難しくなります。そのため、私はゆっくり歩いているのです。こうした事実を理解していないがゆえに、皆さんはスワミは足が痛いのだと思っているのです。繰り返しますが、私にはどのような痛みもありません。私には、苦痛も、心配も、不安もありません。私はいつも至福に満ちています。この世に私の至福を邪魔できる者 はいません。しかし、皆さんは現世的な感情を抱いているため、そうは考えません。痛みがある場合は治療薬を検討すべきですが、痛みがないというのにいったいどうして治療薬が問題となりますか? 痛みがなければ治療薬はいりません。

この世では、すべてのものに一定の限度が設けられなければなりません。今の状態では、この体はあまり速く歩くことはできません。力は日ごとに強くなっています。足を持ち上げようとするのですが、とても困難です。強く力を入れても足が地面から離れないのです。それは私のサンカルパ〔神の意志〕によってのみ離すことができます。神の原理を理解するのはとても難しいことです。だれにも神のサンカルパを理解することはできません。だれにも神の力を推し量ることはできません。人は自分の感情を基に神を理解しようと試みますが、その過程で結局間違った推測に行き着いてしまうのです。果実がたくさんなっている木には石が投げ付けられます。それと同様に、高貴で信心深い人はこの世で多くの苦難にさらされやすいものです。神を理解することはできません。

三界のすべての中で
もっとも素晴らしく もっとも神聖なもの
それは神の物語
世の束縛というつる草を 絶ち切ってくれる鎌のごときもの

(テルグ語の詩)

愛の化身である皆さん!

真理の道をたどりなさい。それが人生の最大の目標です。人間としての生はとても神聖です。それは単に食べて、飲んで、世俗的な喜びを楽しむためにあるのではありません。自分の現世的な責任を果たしなさい。他者を助けなさい。家族の面倒をみなさい。けれども、こうしたことは人生の目標ではありません。神を愛しなさい。それがあなたの最大の目標です。愛よりも価値のある財産はありません。愛のみがあなたの人生をあがなうことができます。ですから、バンガー ルたちよ、愛を育てなさい!

私が皆さんにバンガール(黄金)と呼びかけたのは、皆さんがヒランニャガルバの化身であるからです。人間の体には多量の金属が含まれています。それらがなければ体を維持することはできません。このことについて、医師や科学者に説明を求めてもかまいません。世界全体に存在している磁力があなたの体の中にも存在しているのです。

神の磁力を理解できない人もいます。彼らは

「その『磁石』に引き付ける力があるというのなら、どうして我々を引き付けることができないのだ?」

と反論します。さびついてほこりだらけの鉄片がどうやって磁石に引き付けられるでしょうか?さびとほこりが取り払われれば、鉄片は瞬時に磁石に引き寄せられます。それと同様に、神に引き付けられるためには心を洗って不純物をきれいに落とすべきです。肉体を痛めつける必要はありません。霊性修行は要求されません。ハートに愛を育てればそれで十分です。愛を通してのみ、超越的真理の本質に到達することができます。あなたは超越的真理に関するさまざまな書物を読んでいるかもしれません。けれども、それが何を意味しているかを真に理解している人はだれもいません。それは不変かつ偏在のアートマの原理です。そのような神聖な愛は神からのみ得ることができます。

愛の化身である皆さん!

皆さんは将来、スワミの神聖なる栄光が徐々に表されていくのを目撃することになるでしょう。スワミは全世界を引き付けます。立っている場所すらなくなるでしょう。どんなに大きな変化がこの1ヶ月に起こったかを、あなたはその目で見ることができます! あらゆる人々がどんどんスワミに引き付けられています。愛は非常に強力です。

これは病気ではありません。これは私に苦痛や不安を引き起こすことはありません。これは薬では治せません。愛だけがその治療薬です。長年にわたってスワミと親しくしている人はたくさんいますが、彼らでさえこの真理を理解することができません。そのような人生を送って何の役に立つというのでしょうか? 第一に、スワミを理解しようと試みるべきです。

ひとたびこのお皿が銀でできていると分かればその価値を測ることができます。けれども、神の価値を測ることはだれにもできません。

神に効く薬はありません。愛だけが治療薬です。それは真理の永遠なる本質に結び付いているべきです。そのような愛はすべての人に広がっていくでしょう。あなたは愛のためだけに生まれてきました。皆さんは、自分は愛は必要ない、とは言えません。愛を通じて神に至らなければなりません。それが人間として生まれた目的です。この目的を実現しなければ、人間として生まれてきたことが何の役に立つでしょうか?

だれが創造主ですか? あなたは自分の意志で生まれてくることができましたか? いいえ、できませんでした。それは神の意志です。神があなたに体を授けました。神への奉仕と神への崇拝に体を使い、体を神聖にすべきです。世界に理想を示すべきです。すべての人の平安と幸福のために働きなさい。他の人にしてほしいことを、他の人にしなさい。苦しみたくなければ、他の人の苦しみを和らげるよう努めなさい。あなたの平安と幸福を他の人と分かち合いなさい。すべ ての人の幸福を祈りなさい。

愛の化身である皆さん!

皆さんは数日のうちに知ることになるでしょう。神の栄光は日増しに高まり、皆さんに喜びと至福をもたらします。まもなく地球上からあらゆる不安が根絶されます。今日、私たちは至る所で暴力行為を目にします。しかし、何が起こっていても、それはある意味ですべて皆さん自身のためです。だれもが神聖な思いをもつようになります。すべての人が神の至福を味わうでしょう。まもなく国中が平和と幸福を味わいます。困難も苦しみもなくなります。皆さんは苦難に遭うのではないかと考えて、恐れにうちひしがれています。実際には、悲しみや苦しみといったようなものは存在しないのです。どうしてそれらが皆さんを悩ますことなどできるでしょうか?

いつも幸せで、至福に満ちていなさい。あなたがた自身が神聖なるアートマの化身として振る舞い、神の至福を味わいなさい。これが、私が皆さんに望むことです。すべての人が幸せであるべきです。すべての子どもが幸せであるべきです。だれにも悲しみの涙を流させないようにしましょう。困難はやって来るかもしれませんが、それらは最終的には幸福を引き起こします。ごく近いうちに、この世のすべての人が理想的な生活を送るようになります。愛は力で得られるものではなく、「源」から自然に生じるべきものです。力は恐怖を引き起こし、愛を減少させます。自分の中から自然に神聖な思いを湧き上がらせましょう。自分の喜びを他の人と分かち合いなさい。小さなコップをつかむためにさえ、五本の指の間には一体性があるべきです。一本の指では何もできません。それと同じように、人は一体性を通してのみ神に至ることができます。神はサマシティ スワルーパ〔総体の形をとった化身〕です。人は一人では何も達成できません。人は神から生じました。ですから、人は神になるべきなのです。

神聖なアートマの化身である皆さん!

今日、私は突然話をすることに決めました。皆さんが愛を育み、幸せな人生を送りますように!愛を通して神に至りますように! 皆さんの一人ひとりが神性を備えています。その神性を現し、体験するためにあらゆる努力をしなさい。自分が生来備えている神性をひとたび自覚すれば、どこにでも神を見ることができます。皆さんのだれもが、平安と幸福を得て、自国の繁栄と進歩のために働きますように。これらの言葉をもって、私の講話を終えることにします。

(バガヴァンは「サッティヤム グニャーナム アナンタム ブラフマー」のバジャンで御講話を終えられました)。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:http://www.sssct.org/Discourses/2003/Mar_16.htm

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