サイババの御言葉

日付:2003年7月5日・場所:バンガロール、ブリンダーヴァンのサイ ラメーシュホールにて
バガヴァン シュリ サティア サイ ババ様の御講話

犠牲の精神が真の医者のあかし
あなたが私に目を向けるなら、私はあなたに目を向けよう

この神聖なる国バーラタにおいて 忍耐こそは真の美
あらゆる日常行為の中で 真理を固く守ることが最大の苦行
この国にある甘美な思いは 母親への愛の思い
人格に 命そのものよりもはるかに高い価値が置かれている
人は このような偉大な文化の根本的な信条を忘れ去り 西洋文化の模倣をしている
ああ、哀しや! 巨象がおのれの強さに気付いていないように
バーラタ人は自らの文化的遺産の偉大さに気付いていないのだ

(テルグ語の詩)

愛の化身である皆さん!

人は 行為において生まれ 行為によって維持され ついには行為に溶け込む
行為は 喜びと苦しみの原因
実を言えば 人間にとって 行為は神なのだ

(テルグ語の詩)

人はおしなべて、自分は健康であると思い、幸せな生活を送ろうとします。しかし実際には326の病気が日々人を苦しめています。過剰なヴァータやピッタやスレーシュマ〔註:人間の体質を形成する3つの身体エネルギー。それぞれ風、火、水に例えられる〕がさまざまな病気の原因です。ヴァータは80種類の、ピッタは82種類の、スレーシュマは164種類の病気を引き起こします。このような事態において、人はどうやって健康的な生活を楽しむことができるというのでしょうか? 人がアートマ意識を呼び覚まし、ヴァータとピッタとスレーシュマの悪影響から離れたときにのみ、人は健康でいることができます。

ここ一ヶ月の間、皆さんはスワミを見ることができませんでした。その理由は何でしょうか? それはこの体の不調によるものです。だれかの病気を引き受けたのでも、この体から病気が発生したのでもありません。今日、私は皆さんに真実を明かします。

体は五大元素でできており 遅かれ早かれ滅び行く
しかし そこに宿るものには生も死もない
には 何においても一切執着がない
実を言えば そこに宿るものとは アートマの姿をとった まさしく神自身なのだ

(テルグ語の詩)

人はいつも自分の健康を憂慮しています。人はアートマ原理よりも肉体意識に染まっているために、さまざまな病気の餌食となってしまいました。人間にとって、病気は肉体意識を取り除く必要性を強調している、ということを理解することが不可欠です。

あなたたちは皆、スワミが腰の骨を折り、骨〔註:おそらく左の大腿骨のことだと思われる〕が3つに砕けたことを知っていますね。〔それ以外にも〕大腿骨頭が2つに砕けました。その痛みはとても言葉では言い表せないほど激しいものでした。どんな向きにも動くことができませんでした。その痛みは電気ショックのように体を突き刺しました。しかし、私はそれに影響されませんでした。私は、人は体に執着してはいけないという手本を示すためだけに、その痛みのすべてに耐えました。人は、体に執着するのではなく、神意識を呼び覚ますべきです。私はこの体ではありません。肉体意識は底知れぬ 苦しみを引き起こします。平安と幸福を楽しむためには、人は体への執着を捨てなければなりません。この体は何で構成されているのでしょうか?

この肉体は 汚物の巣窟 病をこうむりやすいもの
肉体はその時々の変化を免れない
肉体はサムサーラの海を渡ることはできない
肉体は骨によって組み立てられる構築物にすぎない
おお心よ 肉体が永遠のものであるなどという妄想を抱いてはならない
そうではなく 神の蓮華の御足に身を寄せるがよい

(テルグ語の詩)

あなたがひとたび神意識ダイヴァブヒーマナを呼び覚ませば、肉体意識デーハブヒーマナは消え去ります。霊性の道の第一歩は常に肉体意識を管理下に置くということです。肉体意識に浸っているとき、あなたは苦痛を免れません。肉体意識とアートマ意識は反比例します。カルマ(行為)の結果 から逃れることのできる人はだれもいません。行為は生と死の原因です。「バガヴァッド ギーター」はこう宣言しています。

「人は行為に対する権利をもつが、行為の結果に対する権利はもたない」
「人間社会は行為に縛られている」

人はアートマ意識を呼び覚まし、報酬を求めることなく行為の場に身を投じなければなりません。パーンダヴァ兄弟の長男ダルマラジャはまさしく正義の体現者でしたが、それでもなお、行為の結果 としてヴィラータ王の宮廷で厳しい試練を経なければなりませんでした。〔註:カウラヴァとの賭博に負けて追放され、流浪の末にヴィラータ王の宮廷で名を隠して使用人として働いた〕

強いパーンダヴァ兄弟は 追放され
困難に満ちた生活を強いられたのではなかったか?
ハリスチャンドラ王は 自国を失い
焼き場の番人になったのではなかったか?

だれも皆、必ずや自分の行為の結果に対面します。しかしその一方で、人には行為の結果 から逃れる能力が備わっています。人は肉体への執着のために、もって生まれたその潜在力を利用することができないほどに弱ってしまいました。人体をまとっているがゆえ、人は苦しみから逃れることができません。体は水の泡のようにはかないものです。

病院に運ばれたとき私は満面に笑みを浮かべていました。病院で大勢の医師が私を取り囲みました。医師たちは心配していました。私は心配しないようにと言いました。「この体は私のものではありません。この体はあなたたちのものです。あなたたちはこの体に適当だと思うことを何でもしてかまいません。私には痛みは一切ありません」私はこう医師たちに断言しました。私は3時間後に戻ってきました。私の顔には笑みがあふれていました。困難を肯定的な気持ちで受けとめる者が真の求道者です。肉体の苦痛を気にかけてはなりません。痛みを感じるのは人間の体にとってごく自然なことです。人はアートマバラム(意志の力)で痛みと向き合わなければなりません。

今日のこのドクターズ デイにおいて、医者は患者に勇気と信念を与え、理想を打ち立てなければなりません。医者は多大な努力を傾けた結果 、さまざまな病気に対する治療法を発見することができました。しかし、病気には終わりがないかのように見えます。世界にはたくさんの医者がいます。けれども、病人と病気の数は増える一方です。一世帯に対し二人の医者がいたとしても、一世帯の四人は病人です! 医者よりも病人の数の方が多いのです。人の生活様式と習慣がこうした病気の激増の原因となっています。

手術のあと、私は三日という短い期間で歩くことができるようになりました。私に肉体への執着がないことがその理由です。私はあなたたち全員をアートマ意識で見ています。それゆえ私は至福に満ちているのです。「私の愛しいものよ! 体への執着のとりことなってはなりません。アートマ意識を呼び覚まし、至福に満ちた人生を送りなさい」と、私はあらゆる人に説いています。あなたのアーナンダ(至福)が、私のアーハーラ(食べ物)でありアーローギャ(健康)なのです。あなたたちは四肢がすべて正常に機能している人を健康な人だと言います。私の体の器官はすべてよく機能しています。

肉体の痛みは流れゆく雲のように束の間のものです。人生は挑戦です。それに立ち向かいなさい。人生は愛です。それを楽しみなさい。人生はゲームです。それを行いなさい。あなたは人生というゲームを健全な精神で行わなければなりません。私も同じことをしています。私には痛みはまったくありません。普通 なら、腰の骨を折ったときの痛みは耐え難いものです。しかし、腰はもちろんのこと、体のどんな器官が損傷しても、私はそれに影響されません。痛みは自分が肉体だと思っているときに生じるものです。私には肉体への執着がないので痛みを感じないのです。私はあなたたちの愛に喜びを見出します。私のすばやい回復はあなたたちの祈りのおかげです。世界の隅々で帰依者たちが一心に祈り続けました。祈りによって人は不可能を可能にするのです。

愛の化身である皆さん! 少しずつ肉体への執着を捨てなさい。アートマ意識を呼び覚ましなさい。アートマだけが真実であり永遠です。アートマは私たちの命です。それ以外のものはすべて流れゆく雲です。今日、私たちはドクターズ デイをお祝いしています。この日は、医者が病苦の癒しへの貢献の思いを新たにすべき日です。犠牲の精神で自分の義務を果 たし、患者の健康を保つことを唯一の目標としている医者はほんのわずかしかいません。

スンダレーシャン医師はスワミの健康を確保するのに大変苦労しました。彼はスワミの回復を絶えず見守っていました。「スンダレーシャン、私は大丈夫です。心配しなくてもよろしい」と私は何度も言いました。けれども、彼は納得しませんでした。彼は私の体のどこかに痛みがないか、私の健康状態についてたずね続けました。彼は他の患者の健康状態についても同じように気にかけています。私たちの大学の学生の一人がオートバイの事故に遭ったときには、スンダレーシャン医師は昼となく夜となくその学生の回復を見守ったものです。彼はその患者を診るためだけに休みも取らずに頻繁にプッタパルティを訪れました。もし世界中の医者がみなスンダレーシャン医師のようであったなら、病気はすべてなくなっていたでしょう。今日、病気が増えているのは医者の頭にお金のことがあるためです。

9年前のある日、私は頭を洗ったあとに髪を乾かしたいと思いました。アメリカ人の医者の一人が私に愛を込めてヘアドライヤーをプレゼントしてくれたので、私はそれを使おうとしました。そのとき停電になりました。そして、私がちょうどドライヤーに目を近づけて見ていたときに電気が復旧しました。その結果 として、突如、熱風が私の目に当たり、網膜を傷つけたのです。私は少しもうろたえませんでした。この広い世界を見るにも片方の目で事足ります。

「神は千の頭と千の目と千の足を持つ」

〔註:「リグ ヴェーダ」10巻90讃歌第一詩節〕

ヘーマンタ ムルティ医師(眼科医)が、腰の手術と一緒に目の手術も受けてくださいと懇願してきました。私の目から取り除かれたその傷ついた網膜は炭のように黒い色をしていました。それ以来、私は両目ではっきりと見ることができるようになりました。そのような医者の手にかかればどんな手術もうまくいきます。ヘーマンタ ムルティ医師のような眼科外科医、スンダレーシャン医師のような整形外科医は世界にもそう多くはいません。彼らのような医者にはあらゆる励ましと援助が与えられるべきです。政府でさえ必要な基本施設を供給することができません。その結果 、医者たちは不利な条件のために、最善を尽くして治療を施すことができないでいます。ドクターズ デイは、そのような医者たちを励まし、やる気を起こさせるために設けられました。医者にどれほどの技術があったとしても、よい道具が与えられなければ勤勉に義務を果 たすことはできません。スワミは必要な設備を供給することでそのような医者たちを援助し励ますつもりです。

健康と教育は人生においてもっとも重要な2つの側面です。人は健康であって初めて自分の知識を実践に移すことができるのです。愛の化身である皆さん! 今日の世界では、適切な医療設備がないために大勢の人が苦しんでいます。苦しんでいる人を助けることはあなたたちの本分です。そうして初めて国は繁栄するのです。お金は入っては出て行きます。道徳は入って来ると成長します。今日、多くの医者が医療の分野を商業化しています。そのような医者はもっともたちの悪い罪人です。患者の健康を願う医者が真の医者です。私たちはそのような気高い医者を勇気づけなければなりません。

愛の化身である皆さん! 人は正しい食事と習慣によってくれぐれも健康に注意しなければなりません。私たちの国には最低限必要な食べ物も衣服も寝る場所もない貧しい人々がたくさんいます。そのような人たちが病気で苦しんでいるとき、面 倒はだれが見るのですか? 私たちの病院は苦しむ人のために忠義を尽くした奉仕を行っています。私が自分たちの病院を褒めちぎっていると思わないでください。病院を訪れてみればあなたたちも自分の目でそれを確かめることができます。私たちの総合病院や高度専門病院に行けば、さまざまな病気にかかったたくさんの貧しい人たちが無料で治療を受けているのを目にすることができます。よそでは高度専門病院は商業的な目的で建てられています。そこでは患者の熱を測るのにも手数料を取っています。いったいどうやって貧しい人たちがそのような高額な治療を受けることができるというのでしょう? 医者は可能な範囲内で病人に無料の治療を施すべきです。

愛の化身である皆さん! 医者は犠牲の精神で貧しい人々に奉仕すべきです。それ以上に尊い奉仕はありません。神は貧困者と見捨てられた者たちの唯一の拠り所です。人は神の化身なのですから、貧困者と見捨てられた者たちを助けることは人間の第一の義務です。医療を商業化してはなりません。医療は、医者と患者の間に、心と心の、愛と愛の関係を育むためのものでなければなりません。この真理を理解し、それにかなった行動をとるのが真の医者です。商業的な見方をする医者はまったく医者ではありません。実際、そのような医者こそ自らが病人です! 犠牲の精神が真の医者のあかしです。

私たちの病院で働いている医者たちはそのような犠牲の精神に恵まれています。サーヴィトリー医師や他の医師たちは私たちの総合病院で明けても暮れても忍耐強く働いています。私はしばしば彼らに言います。「第一に、自分の健康によく気を付けなさい。そうして初めて、より効果 的に患者に奉仕することができるのです」と。自分の健康が損なわれたら、どうやって患者の面 倒を見ることができますか? 私たちの校長はスピーチの中で「医者は神そのものなり」という格言をあげました。実にナーラーヤナ神の化身であるなら、医者はあらゆる人に奉仕すべきです。神は常に奉仕をしています。

「人は他の人に奉仕することで徳を積み、他の人を傷つけることで罪を犯す」

他の人を助けるために、必ずしも医者になる必要はありません。人は全力を尽くして同胞を助けるべきです。私たちはプッタパルティやバンガロールやアリケーやムッデーナハリといったさまざまな場所に病院を建てました。私はそこで医者たちが非常に献身的に働いているのを見てとても幸せです。私たちはごく最近アリケーに病院を開きました。この病院はたくさんの貧しい患者たちの必要を満たしています。私は彼らの嬉しそうな顔を見るたびにわくわくします。彼らの幸せが私に測り知れない力を与えてくれます。

奉仕を通してのみ、人は神の恩寵の受け手となることができます。奉仕活動に参加しなければ人生は無意味です。神を愛する一番の方法は神に奉仕することです。あなたたちはすべてのものの幸福を願い、愛と奉仕の道を歩むべきです。そうして初めて、あなたの人生は成就を得るのです。

総合病院はプッタパルティにあります。また、ホワイトフィールドにもあります。これらの病院では見事な治療が行われています。患者たちの幸せこそが、私に幸福と健康を与えてくれます。もしあなたたちがスワミの健康と幸せを願うのであれば、よく患者の世話をしなさい。患者の幸せがあなたたちの一番の優先事項です。献身的に患者に奉仕しなさい。患者への奉仕は神への奉仕です。これより気高い奉仕はありません。

単に立派な衣装を身に付けるだけでなく、献身的に奉仕活動を行うことによってのみ、ドクターズ デイのお祝いは意義深いものとなります。皆さんが知っているように、サーヴィトリー医師とサンター医師はここの総合病院で忠実に働いています。他の何人かの医師たちも定期的に大都市からやって来て自発的な奉仕をしています。

(プログラムはインド国家斉唱をもって幕を閉じました)

 

翻訳・監修:サティア サイ出版協会
出典:http://www.sssct.org/Discourses/2003/Doctors_Day.htm

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