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幸福なときには神を思い起こさず、 (テルグ語の詩) 愛の化身である皆さん! この「ビーマ・ラタ・シャーンティ」には、それを祝うにあたっての一定の伝統的な規則があります。しかし、この祝賀には年齢制限といったものはまったくありません。神の恩寵により、すべての人がサット・サンカルパ(善い考え)をもっています。通
常、夫が60歳に達すると、夫婦はその後も平和で幸福な結婚生活を送ることを願って、シャースティヤブダ・プールティ式を祝います。
愛の化身である皆さん! 近ごろの人間は、人類同胞の特質を認識することができません。「マーナヴァ」(人間)という言葉には、人間の特質を花開かせることのできる人、という意味があります。一般 に、パーンダヴァの王ダルマラージャの弟ビーマについて言及するとき、人々はつねにその肉体的な力を評する傾向にあります。しかし、肉体の力は本当の強さではありません。 年長者の本当の強さは、その知恵と高貴な考えにあります。若い世代のために年長者によって掲げられた理想には、もっとも価値があります。そうした価値を理解できずに、人々は役立たずとして年長者を無視します。今日、定年退職した科学者には多くの価値が備わっています。新発明に関する彼らの知性と情熱に敵うものはありません。しかし、彼らの尽力は、社会のために適切に利用されないままに浪費されています。世間はこうした高齢者からおおいに利益を得ることができます。年長者には社会のために役立てることができる非常に大きな力があります。今日、私たちは古代の聖賢たちに潜在していた強さと霊的な力を明らかにするために努力を払っています。高齢者はそうしたすばらしい理想を反映しています。ですから、私たちは高齢者を無視すべきではありません。年長者の生み出す考えはどれも高尚で大きな価値をもっています。年長者と比較して、若者は考えやアイデアの小片さえ生み出すことができません。したがって、私たちは、そうした価値ある財産に、滋養を施し、養育し、よく世話をしなければなりません。 残念ながら、近ごろの若い世代の人たちは、自分の祖父母に一日一回まともな食事を出すことさえしぶっています。そうした出費は削ってもいいと考えているのです。けっしてそのようなことをしてはなりません。あなたのおじいさんやおばあさんは、もしあなたが、生きていくために最低限必要な食事しか出さなかったとしても、あたかも自分たちはよく食べさせてもらっているかのように振る舞って、家族の名誉と評判を保とうとするでしょう。年長者たちがどのようにして配慮と情熱をもって正しい方法で自分の子どもを育てたかを、敬意をもって心に留めるべきです。あなたが年長者たちに与えたものは、10倍になって帰ってくるでしょう。
あるとき、ビーマとドラウパディが二人で河の堤を歩いていたときのことです。ドラウパディはビーマに「アートマはどこに住んでいるのですか?」と尋ねました。ドラウパディはきわめて知力にすぐれていたため、自分でこの質問に答えることができました。ドラウパディは真理と正義の具現でした。ドラウパディには、自分の夫たちのためならどんな犠牲でも払う覚悟ができていました。ドラウパディはアートマの力を象徴していました。そのため、ビーマは沈黙を保って、ドラウパディに真我の原理を説明させました。
ドラウパディは、アルジュナにもダルマに関する数多くの教義を説きました。『マハーバーラタ』の戦いの最中、パーンダヴァの年若い子どもたちの大虐殺という身の毛もよだつ出来事のあと、アルジュナはこの残虐行為を犯したアシュワッタマ〔アシュヴァッターマン〕を捜して、ドラウパディの前に引きずり出しました。この悪人を呪って罰を下す代わりに、ドラウパディは、夫たち〔ダルマラージャ、ビーマ、アルジュナを始めとするパーンドゥ五兄弟〕のもっとも崇敬していた軍師の息子でもあったアシュワッタマの足元にひれ伏して言いました。 私の夫たちの知識はすべて、あなたの父ドローナチャリヤの御足のもとで学んだものです。 (テルグ語の詩) ドラウパディが〔アシュワッタマを釈放するよう〕懇願していたとき、ビーマはそれを見るに堪えませんでした。ビーマは怒りを爆発させてこう怒鳴りました。 この恥知らず者の釈放を嘆願するとは、ドラウパディは愚かな女だ。
(テルグ語の詩) その時、はらわたが煮えくり返っていたアルジュナは、今にもアシュワッタマを殺さんとしていました。ドラウパディはアルジュナの足元にひざまずき、次のように道理を説きました。 アルジュナ! アシュワッタマを殺すことで私の息子たちは (テルグ語の詩) おお、パルタ(クンティーの息子の意、アルジュナの別名)!
(テルグ語の詩) ドラウパディは、アシュワッタマの凶悪な行為を許すよう、さらにアルジュナに嘆願しました。アルジュナは、「おまえは私が誓願を守り続けることを妨げている」と応えました。それに対してドラウパディは、「アシュワッタマの頭を剃り、頭の宝石〔アシュワッタマの頭に生まれつき付いていた守護石〕を外すことは、アシュワッタマを殺すに等しいでしょう」と言いました。ドラウパディの助言に従って、アルジュナは、罰のしるしとしてアシュワッタマの頭から宝石を抜き取り、刀で髪を剃り落としました。 古代、聖賢たちは髪を刈りませんでした。というのも、霊的に毛髪は非常に神聖で、力があると考えられていたからです。この体(スワミの肉体)は、もうすぐ80歳になります。にもかかわらず、今日まで私の頭髪は非常に強く、ずっと強力なままです。私の頭髪の力に関しては、あとでもう少しお話しするつもりです。 夫の留守中に、ドラウパディが独りでいたときのことです。ドラウパディは頭から髪を引き抜くと、マントラを唱えながらそれを水に浸しました。マントラの力を帯びたその髪は、一本で周囲の山々すべてを束ねることができました。のちに大勢のヨーギが一堂に会して、いかにして一本の髪が周囲の山々を束ねることができたのかを調査しました。ヨーギたちは、この離れ業ができたのは、ドラウパディの毛髪の強さと、意志の力によるものであるとの結論を下しました。
学生諸君! 昔、私が国内を巡る旅に出たときのことです。旅の途中、私は一人の高徳な人物といっしょにシンドゥー川を訪れました。言語学者はシンドゥーをヒンドゥーと発音する人々がいることを知っていますね。私はバヴァン統治区ではゴアに滞在しました。そのとき、ナクル・セーンがその州の副総督でした。彼の妻の名はインドゥーでした。
このアヴァターの降臨の初期に、カラナム・スッバンマという名の熱心な帰依者がスワミに奉仕していました。スワミへの彼女の信愛はほかに並ぶものがありませんでした。そのころ、プッタパルティではカーストの別
が広く浸透し、厳守されていました。特にブラフミンはハリジャン〔不可触民〕を遠ざけていました。スッバンマは正統なブラフミンであったため、そうした習慣をこと細かに守っていました。ある日私は、ハリジャンワダを訪問するつもりであるとスッバンマに告げました。スッバンマは気分を害し、行くのを思いとどまらせようとして私にこう言いました。「ああ!
スワミ、いったいなぜそのような場所を訪問するのですか?」私はスッバンマに尋ねました。「なぜ私は行かないほうがよいのですか?
なぜ私はハリジャンから捧げられた食べ物を食べないほうがよいのですか? 何と言われようと私は行くつもりです」。そう言って、私はハリジャンワダに出発しました。
だいぶ昔のことです。私がアフリカ諸国を旅したとき、アフリカの帰依者が私に鉄製のくしを贈ってくれました。けれども、私にはくしを使う必要はありませんでした。私はくしを使いません。私が髪にブラシをあてようものなら、髪はブラシにからまってしまうでしょう。私の髪はとても太くて強いのです。もし、だれかが私の髪の毛を一本抜いてみたいと思ったとしても、不可能です。それは神の化身の毛髪の特質です。私だけでなく、人はだれもがある種の神聖な力をもっています。人はそうした力を伸ばすよう努めるべきです。今、若者たちは神に授けられた力を保つための努力を払っていません。若者たちはその神聖な力をありとあらゆることで無駄
にしています。若者は日々多くの力を浪費し、エネルギーを失って早く老けてしまうという結果
に陥っています。 神聖なるアートマの化身である皆さん! 愛の化身である皆さん! 〔訳註:この日バガヴァンは、プラシャーンティ・ニラヤムとプッタパルティと周囲の村々から275組の老夫婦を招いて、「ビーマ・ラタ・シャーンティ祭」を復活なさいました。サイ・クルワント・ホールには一組ごとに手すりと椅子とテーブルが用意され、儀式の進行を手伝うために一組に一人ずつサイ大学の女子学生が付き添いました。これに先立って、バガヴァン自らが女子学生たちにその指導をなさいました。また、バガヴァンは、各老夫婦に贈られるダイヤの付いた金のイヤリング、金の腕輪、銀のアンクレット、ドーティ、絹のサリー、そして、美しい花輪を祝別
してくださいました。さらに、金のマンガラスートラ(夫の手で妻の首にかけるネックレス)、金の指輪、銀の足の指輪がバガヴァンご自身の手から各老夫婦に渡されました。また、腕時計と、ナーラーヤナ神とラクシュミー女神の銀の像も各夫婦に贈られました。祝祭はマンガラスートラの儀式で最高潮を迎え、バガヴァンは老夫婦たちに神聖な黄色い米を撒いて儀式を聖化なさいました。儀式のあと、老夫婦とその家族、友人、親類にサウス・インディアン・キャンティーンでの特別
な食事が供されました〕。 翻訳:サティア サイ出版協会 写真:http://www.sssbpt.org/Pages/Prasanthi_Nilayam/bheema_ratha_Photos.htm |
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