サイババの御言葉

日付:2005年8月17日・場所:プラシャーンティ ニラヤム
世界教育者大会のババの御講話より

一体性・純粋性・神性


人は、幼年期には、他の子どもとの遊びに夢中になる
青年期と中年期には、世俗の事柄に巻き込まれ、お金を稼ぐことにのめり込む
ついに老年期に達すると、その老熟した年齢にもかかわらず、
神を黙想することもなく、あれやこれやと渇望する
こうして人は、貴重な人としての生涯を浪費する

(テルグ語の詩)

この世には、教育を受けた何百万という人々がいます。子どもから博学な老人まで、すべての人が、本を読んで知識を得ることに関心を抱きます。しかし、書物の知識を得ることによって、人々はどういった恩恵を受けていますか? そのような教育は、ただあなたが生計を立てるのを助けることができるだけです。貧困者から億万長者まで、すべての人が我が子に十分な教育を受けさせたいと願っています。子どもに質の高い教育を与えるためなら、親はどれほど多くのお金を使うことも、(分不相応な)借金さえもする覚悟です。子どもを教育するために親が多大な苦難に直面しているという事実にもかかわらず、子どもは自分の恩人である親に何の感謝の念も抱いていません。子どもは、「私は誰のおかげで成長できたのか?」、「今の私がいるのは誰のおかげか?」という内省をしていません。

こういった状況の下、私たちは教育の真の目的を探求すべきです。人はたくさんの書物を学び、知識のさまざまな部門を習得しているかもしれませんが、平安や平静を味わっているでしょうか? 書物から得る知識はすべて、ただ体の必要に対処できるのみです。実を言えば、真の知識は万人の内に潜んでいます。女性は学問的優秀さにおいて男性に遅れをとっていません。教育は自分に尊敬と評価をもたらしてくれると人々は考えています。しかし、人々は高い学力があっても真の英知に欠けています。

教育は変容という結果をもたらさなければならない

現在、親は子どもが職業志向の教育だけを追及することを望んでいます。しかし、そういった、子どもに変容をもたらさない教育が何の役に立つでしょう? そのような教育によっては、子どもが恩恵を受け取ることもなければ、親を助けることもできません。現代人は学歴によってエゴを膨らましています。謙虚さは真の教養のしるしです。もし人が識別心と謙虚さに欠けるなら、その人の学歴の一切は全く無価値です。皆さんは、自分の教養は社会の安寧と繁栄のためのものであるということを理解すべきです。しかし、社会は教育を受けた人々からどういった恩恵を受けていますか? 実際は、皆さんは多くのことを社会から学び、社会の恩恵を受けています。けれども、無学な人々の中にさえ見られる識別力が、今日のいわゆる教養人たちの中には見出せません。これが本当の現状であるというのに、なぜ教養のある人たちはエゴを膨らませてしまうのでしょうか?

現代の学生には謙虚さがほとんどありません。学生たちは年長者に全く尊敬を示しません。学生たちは社会に対する自分の責任を自覚していません。もし年長者に尊敬を示さず、社会に奉仕をしないなら、ただ書物の知識を学んでも、それがいったい何の役に立つでしょう? そのような生活を送る人は自分の本性に背いています。そのような人は、歩くこと、話すこと、読むこと、書くこと、すべてがうわべだけの見せかけになります。もしこれが大学教育の結果であるならば、なぜ大学に行く必要があるでしょう? すべての学生はこう自問しなければなりません。「私は大学で何をしているのか?」、「私は本来、何をすべきなのか?」と。こうした自己探求をして、初めて人は教養が真に意味するものを理解することができます。

単なる書物の知識は真の教養ではありません。それはただ本に書かれたことを頭に移しただけ、頭にあることを本に書いただけです。このようにして、人々は教育の真の意味もよく理解しないまま、本と頭の間でがんじがらめになっているのです。人々は実用的な知識を身につける代わりに、本による知識の追求に時間を浪費しています。もちろん本にはたくさんの情報が詰まっているでしょうが、もし頭が汚物でいっぱいであれば、本は何のためになりますか? そのような教育からは、決して望ましい成果を得ることはできません。主賓のスピーチの中でも同じことが述べられました。「誰もが学び、勉強していますが、その最終的な結果はどうでしょうか?」と、主賓は問いかけました。

人々は大学教育を受けるために何万ルピーものお金を使います。教育を受けた人たちは今の社会の中でどんな役割を果たしていますか? 彼らは社会の平和に貢献しているでしょうか? 彼らは個人の変容をもたらしていますか? いません。それどころか、彼らは自分の子どもに規律を教え込むことさえできていません。ほとんどの子どもは、親の前では良い振る舞いをし、かしこまっているかもしれませんが、いったん家を出ると、乱暴者のように振る舞っています。

学生は社会で良い評判を得るよう努力奮闘すべきです。現代の教育は、学生を物質主義者にしています。現代の教育は、内なる声を聴くために学生に内面へと向かう準備をさせる、ということをしていません。人は真我(アートマ)の知識を手に入れるべきです。それが真の教育です。真我(アートマ)を自覚しないなら、他のすべての知識は無益です。なぜそのような教育を追い求める必要がありますか?

行動は言葉に従わねばならない

人々は自分の影響力や能力を行使することには関心を抱いていますが、自分の心やハートを清めるための努力はしていません。これは現代の教育のせいです。人々は優しく話すことは覚えましたが、自分の言葉を行動に移していません。

愛の化身たちよ! ただ本の内容を丸暗記して学ぶことは重要ではありません。皆さんはあらゆる聖典の核心を吸収すべきです。それが真の教育です。人々はたくさんの本を読みますが、それが何の役に立っていますか? 人々はただ他人が言ったことを引用しているだけです。これが皆さんが学ぶことを期待されているものでしょうか? 皆さんは、自分の内なる声が語る促しに耳を傾けて、それを他の人々と分かち合うべきです。けれども、当世ではこのように考える人はほとんどいません。

愛の化身たちよ! 少なくとも学んだことの1つか2つの行動指針を実践し、他の人々に模範を示すべきです。博学な学者は大勢いますが、彼らは自分が学んだことを実践しているでしょうか? 学者たちは優れた長(チーフ)に見えますが、振る舞いにおいては安物(チープ)です。教育の目的は人格です。私たちは、人格を命の息吹と見なさなければなりません。人格の伴わない教養は、生煮えのお米のように無益です。私たちは少なくとも1つか2つの行動指針を実践し、それから初めて思い切って他の人々に説くべきなのです。

すべての人間の内には、マナス(心)、ブッディ(理知)、アートマ(真我)という三つの重要な原理が存在しています。真我の特質とは何でしょうか? 真我は遍在です。真の教養はハートから生じるものです。ここで言っているのは霊的なハート〔フリダヤ〕のことであり、体のハート〔心臓〕のことではありません。自分の知識を行動に移すことによって社会に理想を示した、多くの高潔な人々がいます。もしあなたが行動指針に基づいた行動をしないなら、あなたの教養はすべて無駄になります。重要なのはあなたが実践する内容であって、あなたが話す内容ではありません。あなたがどこへ行こうとも、あなたの振る舞いは模範的であるべきです。それこそが私を喜ばせるのです。

霊的知識を身につけるよう励みなさい

幸福は神との結合にあります。皆さんは、死すべき運命にあるありふれた人間ではありません。本質的には誰もが神です。あなたの真の本性を顕現させるために、自分が説いていることを実践しなさい。そうして初めて、至福を体験することができます。誠に、至福は人間の真の特質です。なぜ、あなたにとって自然なものを捨て、不自然な生活を送らねばならないのですか? どこを見ても、大学でも学校でも、学生たちは実践的知識に欠けています。学生たちは書物の知識だけを重視して、自分たちが「本」になっています。真の教養はハートから生じるものです。

ハートは人間の存在にとって大変重要です。子どもが生まれた時、人が最初に確かめるのは心臓の鼓動です。皆さんは、体のハート〔心臓〕よりも霊的なハート〔フリダヤ〕を信頼すべきです。良心というのは霊的なハートの別名です。あなたのハートを清らかに保ちなさい。あなたはそのことに主な努力を傾けるべきです。愛とハートの清らかさを持って行われたことは、何であれあなたに至福を授けてくれることでしょう。実際のところ、至福はすべての人の内に潜んでいるのです。ところが、人間はその真理に気づいていません。人は自分の中に生まれつき備わっている至福を外に顕わす努力をすべきです。その至福の特質とはどのようなものでしょう?

ニッティヤーナンダム、パラマ スカダム、
ケーヴァラム グニャーナムールティム、ドワン ドワーティータム
(神は、永遠の至福の化身、この上ない歓喜を与える者、
究極の叡智の権化、二元性を超越した者)


それは二元性を超越しています。二元性に浸っているかぎり、人が至福を体験することはできません。まず、ユニティー〔一体性/単一性/1つ〕という原理を理解するべきです。ユニティーは純粋性をもたらし、純粋性は神性をもたらします。

真の人間とは、一体性、純粋性、神性を得ようと懸命に努力する人です。そうでなければ、人は鳥や動物と何の変わりもありません。まず自分の五感を浄化して、一体性を培いなさい。すべての人をあなたの兄弟姉妹と見て、仲良く暮らしなさい。公の会合では、話し手が聴衆に向かって「兄弟姉妹の皆さん」と呼びかけるのを聞きます。しかし、彼らは本気でそう言っているでしょうか? 昨今、兄弟姉妹の間に一体性が見られますか? 見られません。真の幸福は一体性にあります。人間の生涯は木に例えられます。親類縁者は大枝や小枝です。神を憶念することが花であり、あなたはそこから至福の果実を手に入れるのです。

学生諸君! 皆さんは確実に世俗の知識を習得することができます。しかし、それだけで満足すべきではありません。内に向かい、霊的知識も身につけるべきです。そうして初めて、平安を得ることができます。

愛の化身たちよ! 愛は教育の核心です。愛を失えば、教育はうわべだけのものとなります。ですから、今すぐにでも愛を育てなさい。体は異なっても内在者は同じであることを理解しなさい。この根本原理にしがみついて、至福を体験しなさい。多くの皆さんがここに集まっています。どの人の注意もスワミに集中しています。それと同じようにして、あなたの心(マインド)を常に神性に集中させなさい。神を憶念しなさい。同胞に奉仕しなさい。10日間飢えに苦しんでいた人が豪華なごちそうにあずかったとします。あなたはその人が体験する喜びを十分に想像することができるでしょう。すべての貯水池と湖がチョロチョロと水が流れる程度にまで干上がってしまったとします。あなたは降り続けるどしゃぶりの雨がその地にもたらす喜びを想像することができるでしょう。それと同じように、あなたの助けが欲しくてたまらない人々に奉仕しなさい。彼らに幸福を与えなさい。皆さんは奉仕を通してのみ、神性を獲得することができるのです。人間の生涯は最も貴重なものです。ところが、人間は動物のように振る舞って、自分の人生を無駄にしています。

学生諸君! 皆さんはヴィッディヤールティ〔学生/高次の知識(教養)を捜し求める者〕なのですから、真のヴィッディヤー〔高次の知識〕(教養)を習得するために努力しなければなりません。ヴィッディヤー〔高次の知識〕(教養)の真の意味を理解することなく、ただ本を読むだけでは無意味です。常に人生の根本的な原理を憶念しなさい。生き物はたくさんいますが、神性原理は一つであり同じです。ですから、アートマ〔真我〕の姿をとって万物の中に存在している神性原理を認識しなさい。アートマは支える者(アダーラ)であり、体は支えられる者(アデーヤ)です。アートマをあなたの人生の基盤であると考えなさい。そうすれば、他のすべての面倒を見てもらえるでしょう。誰もがアートマを見ることができます。誰もがその力を授かっています。

自分自身に尋ねてごらんなさい。膨大な量の書物を読むことであなたは何を手に入れましたか? あなたは無慈悲になりました。もしそれがあなたの受けた教育の結果であるならば、なぜ勉強する必要がありますか? 第一に、愛を育てなさい。あなたの中に愛があれば、誰もがあなたの友人になるでしょう。もしあなたのハートが愛でいっぱいでないなら、あなたの人生はうわべだけのものになるでしょう。愛がなければ人生は無意味です。もし、すべての人が隣人と愛を分かち合うなら、憎しみの余地は全くなくなるでしょう。あなたの愛をすべての人に分け与え、兄弟姉妹のように暮らしなさい。現代では、兄弟姉妹の間にさえ論争や不和が見られます。それは正しい理解を欠いているからです。

1つという原理を理解しなさい

人々は愛というものの本当の意味を理解していません。人々の愛は、身体的、世俗的な感情で汚されています。あなたが愛の原理を理解して、愛するために愛を育てるとき、すべては1つになるでしょう。ヴェーダは「サハッスラシールシャー プルシャハ サハッスラークシャッ サハッスラパート」〔遍在の神は無数の頭と目と手足を持っている〕と述べています。これは、「すべての頭、すべての目、すべての足は神のものである」という意味です。万物に内在する1つという原理をひとたび理解すれば、あなたは真の兄弟愛の精神にかなって生きることができます。

手には指が5本ありますが、指はそれぞれ割り当てられた固有の義務を持っています。仕事を遂行するときには、すべての指が一斉に調和して働きます。あるとき、5本の手の指の間で、どの指が偉大かということについて口論が起こりました。親指は、「私がいなければどんな仕事も遂行するのは不可能だ。だから偉大なのは私だ」と主張しました。すると、人差し指が微笑んで言いました。「いいですか、親指さん! 私の支えなしにあなたはどうやって仕事ができるでしょう? それに、私は人を見分けて指差す者として用いられています。ですから、私のほうがあなたより偉大なのですよ」。中指が割り込んできて言いました。「あなた方のおっしゃることは無意味です。私はすべての指の中で一番背が高いのです。一方にあなた方2本の指、もう一方に別の2本の指がいて、私の補佐官として働いています。ですから、私が一番偉大なのです」。すると薬指が言いました。「私はあなた方の無知を笑いたくなります。あなた方は、人々が私をダイヤモンドやエメラルドやトパーズなどの貴重な宝石の付いた金の指輪で飾ることを知らないのですか? それゆえ、私はあなた方の王なのです」。最後に小指が言いました。「誰かに教訓を与えて罪を罰するとき、私はいつでも前から先導しています。ですから、私が皆さんのリーダーであり、皆さんは私に従わなければなりません」。

このようにして、指たちがお互いの間で口論していた時、ハートが仲裁に入って言いました。「ああ、無知な皆さん! 皆さんはそれぞれ、他の指と同じくらい重要なのですよ。人間は、皆さんの中に一体性と調和がなかったら、どんな仕事も成し遂げることはできません。事実、皆さんは人間の5つの生気のような五大価値〔真理・正義・平安・愛・非暴力〕を象徴しているのです」。この叡智の言葉を聞いて、5本の指は自分たちの過ちを悟り、恥じ入って頭を垂れました。深く探求すれば、ハートがすべての中で最も偉大であることは明らかです。体、心〔マインド〕、知性は、単なる道具にすぎません。ですから、人は全力を尽くしてハートの忠告に従うべきなのです。すべては1つであり、どの人も等しく重要であることを理解しなさい。あなた一人が大変重要なのだと考えて、利己的になってはいけません。あなたの貴重な時間を無益な議論で浪費してはいけません。すべての人に友好的でありなさい。そして、人生という挑戦に一体性と調和を持って立ち向かいなさい。

学生諸君! 皆さんは理想的な態度で生活を送らなければなりません。実際、すべての理想は皆さんの中に隠れています。それらの理想は書物から学べるものではありません。「私」という原理は万人に共通です。もし誰かが「サイ ババというのはどなたですか?」と尋ねるなら、私は「私です」と答えます。もし誰かが「副学長はどなたですか?」と尋ねるなら、副学長は「私です」と答えるでしょう。「私」というたった1つの文字がアートマの原理を表しているのです。ヴェーダは、「エーカメーヴァ アドヴィッティーヤム ブランマー」(神は唯一無二である)と明言しました。真の霊性は本当の自分〔真我〕を知ることにあります。けれども、あなたは自分を肉体と同一視しているために、本当の自分を知ることができずにいます。体が自分だという思い込みはエゴを生みます。エゴのある人は実在を知ることができません。あなたの安寧と他の人々の安寧は、あなたが「すべては1つ」という揺るぎない信念を持った時、必ず手に入ります。それほどの一体性の精神を育てなさい。それほどの一体性を育てないかぎり、あなたの中に神性が顕現するのを期待することはできません。

みんなで共に行動しましょう、みんなで共に成長しましょう
みんなで団結し、知識を共に分かち合いましょう
友愛と調和の精神を持って共に生きましょう


教科書を人と共有することさえしない学生たちがいます。それほど利己的で偏狭な心を持っていて、どうして幸福を手に入れることができるでしょう? 皆さんは全員で団結して立ち上がるべきです。一体性があるところには至福があります。

愛の化身たちよ! あなたが学ばなければならないことは1つだけです。愛を育てなさい。同一の愛の原理が、あなたの中に、私の中に、万人の中に存在しています。私は他の人々の中に愛しか見ません。ですから、私にとって、すべての人は1つです。皆さんもそれほどの愛と平等の気持ちを培うべきです。すべては1つ、すべての人に等しくありなさい。これが、今日皆さんが学ばなければならないことです。

愛の化身たちよ! 世俗の知識を習得すると同時に、1つという原理を理解するよう努力しなさい。そうして初めて、あなたは一体性と調和を成し遂げることができます。この薔薇の花を例にとりましょう。薔薇にはたくさんの花びらがあります。同様に、私たちのハートは花に、美徳は花びらに例えられます。薔薇の花びらは翌日までにしおれて散ってしまうかもしれませんが、ハートという花は永遠に新鮮さを保ちます。これは1つという原理を象徴しています。人々は祝福を祈って9つの惑星(ナヴァグラハ/九曜)〔太陽・月・火星・水星・木星・金星・土星・ラーフ・ケートゥ〕を礼拝します。皆さんは9つの惑星の中に完全な一体性と調和があるのを観測したことがあるかもしれません。(バガヴァンは御手を振り動かして9つの宝石の付いた金の指輪を物質化なさいました。) ここにナヴァラトナ(9つの宝石)〔ルビー・真珠・赤珊瑚・エメラルド・イエローサファイヤ・ダイヤモンド・ブルーサファイヤ・ヘソナイト・猫目石〕の指輪が見えますね。この指輪を身につける人は誰であれ、どこへ行こうとも、ナヴァグラハ〔9つの惑星〕によって守護されることでしょう。

一体性を育てなさい。勇気を持って、人生の浮き沈みに立ち向かうために必要な力を育てなさい。私はあまり多く皆さんの時間を取りたくありません。ここで学んだことを、何であれ、あなたのハートに刻みつけなさい。そうして初めて、皆さんは平安を手に入れ、皆さんの教養は意義あるものとなるでしょう。

愛の化身たちよ! 私の愛と祝福を皆さん全員に降り注ぎます。常に団結し、至福の中で自分の時間を過ごしなさい。両親を幸せにしなさい。あなたの体は両親によってあなたに与えられました。ですから、まずその贈り物を与えてくれた両親に感謝を示しなさい。そうしてこそ、あなたは人生において成就を手に入れることができるのです。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.38 C15

<<SSOJ Topページへ <<サイババの御言葉メニューへ