シュリ D.ラヴィ キラン氏の体験談

       
私は待ちます

 オーム シュリ サイ ラム。
バガヴァンの蓮華の御足に謹んで敬意をささげます。 
尊敬する年長者の皆様、親愛なる姉妹、兄弟の皆さん、

 人が幸福と永久の平安の源への果てしのない探求を始めたとき、人はいくつかの一時的な解決策を見出しました。富や手に入れた領土はそれらの一つでした。それから、たちまちのうちに音もなく、時間という離れ業が未来へとひとまたぎしたとき、人は挫折してしまいました。領土は歴史に奪われ、富はその持ち主を変えました。それからずっと、ただ三つのものだけが時の惨禍に耐え、人間のハートの近くにとどまっています。その三つとは、信仰と希望と愛です。その中で最も偉大なものは愛です。人生のすべてを人類同胞の向上のために尽くした模範となる人々がいました。人生を神のご意志にささげた人々もいました。そして、それ以上に特筆すべきことは、神ご自身が、人間への愛ゆえに、人間の過ちを正すために地上に降り立ったという事実です。今、私たちは皆、時の始まり以来、たいへん意味のある出現の一つの、直接の目撃者なのです。 

 昔、偉大なムガール帝国の皇帝であったアクバルは、自らの次官、ビルバルにこう尋ねました。「ビルバル、ヒンドゥー教の神はなぜ、自らの抱える三億三千万(当時のインドの人口)の神々と女神たちにもできる使命を果たすために、御自ら降臨されたのか?」ビルバルはその答えを得るのに少し時間をくださいと頼みました。アクバルはそれを了解しました。

 ある日、皇帝と全軍隊と大臣たちが、ある川のほとりでキャンプをしていた時のことです。頭の切れるビルバルは、その時を正しい答えを示す機会に充てることにしました。ビルバルは、引っぱると船の中心の底が抜けるように仕掛けたロープをつないだ、特別なボートをしつらえました。ビルバルはまた、皇帝の息子、サリムによく似た蝋人形を用意して、サリム本人に見えるようにきれいな服を着せました。そして、ビルバルは少数の人々に指示を出しました。
 
 それからビルバルは、皇帝と家来たちを川辺の散策に招きました。川のほとりを歩いていたアクバル皇帝は、立派な服を身につけた自分の息子がボートに乗っているのを見つけ、誇らしく思いました。すると突然、ボートの底が抜けて、息子は川に落ちてしまいました。即座にアクバルは息子を助けるため川に飛び込みました。
 
 川に落ちたのは息子ではなく、息子に似せた蝋人形であったことがわかり、川から上がったアクバルは、たちの悪いいたずらをしたビルバルに対して激しく怒りました。ビルバルはアクバルに尋ねました。「陛下、あなたは我々のうちのだれかに指示することがおできになったのに、なぜご自身で川に飛び込まれたのですか?」まだショック状態にあったアクバルは答えました。「我が子がおぼれているのを見るに耐えなかったからだ。私は息子を助けたい一心で川に飛び込んだのだ」。すると、ビルバルは言いました。「陛下、あなたには一人のご子息がおいでになり、そのご子息がおぼれるのを見るに耐えられませんでした。それゆえ、あなたはご子息を助けるために自ら川に飛び込まれました。すべての人は神の子です。神は自分の愛する子どもたちが、善と悪、正と不正を取り違えておぼれているのをごらんになりました。たいそう愛情深い親にとって、我が子が正道からはずれるのを見るのは耐えられないことです。ですから神は、子どもたちを助けることを、何百万もの部下のだれかに委ねることをせずに、御自ら地上に降臨なさったのです」。

 母は子どもを愛するがゆえに、子どもを育てます。グルは愛ゆえに弟子を導きます。しかしながら、人間に対する神の愛の表現の究極の証は、神が自ら地上に降り立ち、人間の衣を身にまとい、群集の間を動き回り、人間を道徳と人格においてより高い段階へ引き上げるということです。単なるこの世での高さよりも高い大志があります。それは少々身をかがめ、人間を少し高く持ち上げることです。これこそバガヴァンがなさっていることに他なりません。バガヴァンは私たちのレベルまで降りてきてくださり、最も霊妙な真理を、最もシンプルな直喩法で説明してくださいます。それゆえ、私たちはバガヴァンを尊敬せずにはいられないのです。実際、バガヴァンは屈辱を忍んで目的を達成されます。降臨してから70年以上にわたってバガヴァンがなさってきた奉仕を知ったなら、私たちはバガヴァンを深く敬愛せずにはいられません。虐げられている人々を道徳的な生活へと向かうことができるよう支えること、そして、彼らに善良な生活に必要な生計を得る努力と、新しい生活の仕方を習得させること― こうしたことを私たちの前に示してくださるバガヴァンを、私たちは崇めずにはいられないのです。こういったわけで、「もし一つのハートの痛みを防ぐことができたなら、もし一つの瞳が涙を流すのを防ぐことができたなら、もし打ちのめされている人に一オンスの親切を伝えることができたなら、自分の人生は無駄ではなかったということになる」と言われているのです。

 それは夏のことでした。バガヴァンは青年たちと共にコダイカナルのサイ シュルティ〔スワミのお住まい〕で時を過ごしていらっしゃいました。それはすがすがしい朝でした。明るい太陽の光がリビングルームの窓を通してわずかにこぼれる、高原避暑地の美しい環境の中で、私たちを高めてくださる主なる神との次のセッションのために、すべてが整えられていました。バガヴァンは降りて来られ、青年たちと話をなさっていました。バガヴァンは話の合間に青年たちに葡萄を配ってくださり、また話をお続けになりました。
 
 突然、バガヴァンは重大さを暗示させるような厳しい口調になり、後世の人々に残すべき短い言葉を口になさいました。バガヴァンはおっしゃいました。 「あなたたちには葡萄を与えました。人類には私自身を与えます」。何という画期的な宣言でしょう! 何という真実でしょう。この言葉の背景には、長年にわたってバガヴァンから流れ出ている、とてつもない量の愛を見ることができます。そして前景には、まだ更に多くの愛が流れてくるのです。「ゲームは人生における若さ、音楽は人生の原動力、しかし、愛こそは人生そのもの」。
 
 子どもは地理学者にこう言うかもしれません。「地球は丸いと言うけれど、この深い谷を見てください。あそこに見える大きな山を見てください。それでもまだ地球は丸いと言うのですか?」地理学者の見解は包括的なものです。地理学者はフィートやヤードは用いません。地理学者は子どもの想像よりもはるかに大きく世界を見ています。子どもが成長して物事をよく理解できるようになると、地理学者はもっと知覚的な言葉で説明します。そして、子どもはその概念を正しく理解するのです。同じように、神は私たちのためにすばらしいやり方で接してくださいます。私たちには、とても楽には進めないような広大な砂漠、巨大な岩、起伏の激しい場所、暗い穴があります。それでも旅の終着点になんとかたどり着くと、神はこうおっしゃるのです。「後ろを振り返ってごらんなさい。私はあなたを連れてこの道のりを来たのです」。私たちはこう言うことができるでしょう。「神様、あなたが私たちの前を歩いてくださり、道をまっすぐにしてくださいました」。今、神のハートはまるで傷口の開いた傷のようです。神は、私たちとの距離と偏見に痛みを感じていらっしゃいます。神は、私たちが神に近づいていないことをご存知です。ここに、私たちの無関心に対する神の気持ちを簡潔に表した、大変心を打つ手紙があります。それは次のように綴られています。
 
 愛しい友へ!
 
 元気にしていますか? 私が実際、どれほどあなたのことを気にかけているかということをあなたに伝えるために、私はこうしてあなたに短い手紙を送らずにはいられませんでした。
 
 昨日、あなたがあなたの友人たちに話しかけているのを見ました。あなたが私とも話をしたくなるようにと願いつつ、私は一日中待っていました。私は、あなたが一日を終えるための夕焼けと、憩うための涼しいそよ風を与え、待ちました。遂に、あなたは来ませんでした。それは私を傷つけました。それでも私は、あなたを愛しています。なぜなら私は、あなたの友だちだから。
 夕べ、あなたの寝顔を見て、あなたの額に触れたいという思いに駆られました。だから私は、あなたの顔の上に月の光を振り撒きました。そして再び、私は待ちました。駆け寄りたい、と思いながら。そうすればいっしょに話ができたから。私はあなたへの贈り物をとてもたくさんもっています。あなたは目覚め、仕事へと急ぎました。私の涙は雨となって降りました。ただあなたが私に、耳を傾けさえしてくれたら。

 あなたを愛しています。青い空を使って、静かなる緑の草を使って、私はそれをあなたに伝えます。木の葉を使って、木を使って、色とりどりの花の色を使って、私はそれをあなたにささやきます。渓流を使って私はそれをあなたに叫び、鳥に愛の歌を授けて歌わせます。

 私は暖かな日の光であなたを包み、自然の芳香で空気を満たします。あなたへの私の愛は、海より深く、あなたの心にある一番大きな望みよりも大きいのです。もうこれ以上あなたを困らせることはしません。それはあなたが決めることです。私はあなたを選びました。そして、私は待ちます。なぜなら私は、あなたを愛しているから! 私にお尋ねなさい。私と話をしなさい。私にはあなたと分かち合いたいことがとてもたくさんあるのです。

あなたの友 
神より

 神が決してだれにも要求しないということは、なんと正しいことでしょう。神は私たちに愛されています。そして、神は神の愛が常に私たちに開かれていることを明らかにしています。私は圧倒的な神の愛の受け手となる機会が与えられたことを、たいへん有り難く思います。神の愛を思い出させてくれる言葉こそが、締めくくりにふさわしいものであると思います。
 
 紺碧の高い空
湖と小川の色はさらに深く
岩や木、そして森林が横たわる
これらは神が創られし物
陸にも海にも 驚嘆尽きぬ神の愛が見える
けれども 驚嘆の最たるものは
あなたと私への神の愛

 
ジェイ サイ ラム
 
1996年7月15日 
シュリ D.ラヴィ キラン 

「Study of Sathya Sai」より
翻訳:サティヤ サイ出版協会




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