ラブ ストーリー

       

 オーム シュリ サイ ラム。

 最愛なるバガヴァン、あなたはひらめきの源泉であり、私に一切のアイデアを授け、それらを言葉にしてくださいます。今日、私は謙虚に愛を込めて、この身をあなたの蓮華の御足に捧げます。ここで、これからあなたが私を通して話してくださるよう、このスピーチのすべてをあなたに委ねます。バガヴァン、どうかこの捧げものをお受け取りになり、私を通してお話しください。 尊敬する先輩諸氏と愛する兄弟姉妹の皆様に、サイ ラムとご挨拶を捧げます。

 大勢の兄弟たちが、この演壇からスピーチをしてきました。兄弟たちの取り上げた話題は、義務、帰依、献身、純粋性、忍耐、不屈の努力、全託、犠牲、その他いろいろありました。皆、どこからこれらの知識を得たのでしょう? それほど大きな確信を抱いて兄弟たちにスピーチをさせたものは、いったい何だったのでしょう? それは、彼らが自らの師として神性を持っているという事実に他なりません。私たちは皆、今日、傍にお座りになっているこの神聖な主から、何らかの御教えを学んでいるのです。

 私自身も数多くの御教えを学んできました。そして、あらゆる御教えの中で最も美しい御教えをこれからお話ししたいと思います。それは愛の御教えです。神がどれほどゆっくりと時間をかけて着実に教えてくださったか、どれほど私が神を愛しており、また神がどれほど私を愛しておられるかに気づかせてくださったか、それをお話ししたいと思います。神が私に、神を愛するように教えてくださったとは言いません。というのは、神は誰にも愛することを教える必要がないからです。天地創造のとき、神はあらゆる創造物の中に愛を注ぎ込みました。神を愛することは万物にとって自然であり、必然的なことです。ただ無知とエゴ(自我)が作り上げた壁のせいで、私たちの内なる愛は、神に流れ戻っていくことができないのです。バガヴァンはどうなさるでしょうか? 愛が再び神に向かって流れていくように、懸命にその壁をノミで彫り、金槌で叩いて粉々に打ち壊すということをなさいます。愚かな私たちはどうするでしょうか? 神が与えてくださった愛を自分たちだけに向けるため、再び壁を作り上げようとするのです。

 すべてのラブ ストーリーには、二人が顔を合わせ、互いに見つめ合い、何かとても美しいものが二人の間を通り抜けていく序章があります。私が初めて最愛のバガヴァンに引き合わされた思い出の小道へと、皆さんをお連れしましょう。

 私はまだ9歳か10歳の子どもでした。とても腕白で、じっとしていられず、落ち着いて一カ所に座っていることが出来ませんでした。そんなある日、父が私を傍に呼んで尋ねました。
 「子どもよ、おまえは神を見たいと思うかね?」
 私は当惑してしまいました。もちろん神を見たかったのですが、神を見るには何か代価を払わなければならないと考えたからです。父が私に瞑想をさせるのではないかと心配になりました。瞑想は私にとって苦手なことの一つでした。何もせずに一カ所にじっと座っていなければならないからです。私は落ち着きがなかったので、それは不可能なことでした。私はまだほんの9歳の子どもだったのです。その反面、神を見たくないと言って神を冒涜し、父を怒らせたくありませんでした。そのため、恐る恐る口ごもりながらこう答えました。
 「はい・・・お父さん、僕は神を見てみたいです」
 すると驚くべきことが起こりました。瞑想をさせられることもなければ、どんなサーダナ(霊性修行)も必要ありませんでした。父は、ただ読んでいた本を閉じたのです。その表紙には、頭の周りに王冠か光輪を形作ったような黒い巻き毛の美しい人の写真がありました。あの美しい魅惑的な微笑み、限りなく深遠な黒い瞳、頬には小さなホクロがあり、緩やかな長いオレンジ色のローブが写っていました。父は私にこう言いました。
 「息子よ、このお方が神だ。このお方が私たちを導くために地上に降臨された神だ。このお方が神なのだ」
 この三つの言葉によって、私の内に大きな変化が起こり始めました。思うに、それが私の人生の転機だったのです。

 この出来事の後、起こったある変化についてお話ししたいと思います。その当時、私は寝室にこっそりと忍び足で入る習癖がありました。寝室には冷蔵庫が置いてあり、その隣には祭壇がありました。私は冷蔵庫を開けて、盗んだとは言いたくないのですが、お菓子をいくつか取り出し、また忍び足で部屋を出てそれを食べるのです。うたた寝をしている母に気づかれないようずっと用心していたので、母は目を覚ましませんでした。しかし、今や新たな問題が増えてしまいました。この出来事の後、祭壇に飾られていたバガヴァンの写真を見てしまったのです。さらに悪いことに、写真の下には、「もしあなたが私を見つめるなら、私もあなたを見つめます」 と書かれていたのです。実際、その写真は部屋の四隅すべてから見えていて、私の子どもじみた想像では、バガヴァンが真っ直ぐに私を見つめていらっしゃるように思われたのです。

 問題はそれが目に入ってしまうことだったので、私は決して写真を見つめないようにしました。もし私がバガヴァンを見てしまったら、バガヴァンも私をご覧になるはずです。私はバガヴァンに自分を見て欲しくなかったのです。なぜでしょう? 小さなハートの内なる何かが、自分が間違ったことをしていると語りかけていたからです。ですから、私は神に間違ったことをしている自分を見て欲しくなかったのです。こうして、スワミは見事に最初の御教え、「パーパ ビーッティ、罪への恐れ」を与えてくださいました。もちろん、当時それはむしろ、「ダイヴァ ビーッティ、神への恐れ」だったのですが、私にはその二つは同じ意味を持っていたのです。

 荒々しい十代の間も、スワミは常に私が極端に走らないよう導き、決して限界を超えることをお許しになりませんでした。日々が過ぎ、日々が数ヶ月に、数ヶ月が数年に変わり、そして夜明けが訪れました。私が神から最も素晴らしい御教えを学ぶ日がやってきたのです。それは、私が「パーパ ビーッティ」(罪への恐れ)を卒業し、次の段階である「ダイヴァ プリーッティ」(神への愛)へと進んだ日でした。

 その日、10年生〔日本では高校1年生〕の成績が発表されました。私はあまり良い成績を期待していなかったので、学校へ行って自分が80点の成績を収めたのを見た時は信じられませんでした。道で出会った面識のある人たち全員に、「僕が80点を取ったんだよ、信じられるかい? 」と言いながら、急いで家に帰りました。他人とこの喜びを分かち合うよりも、自分の愛する家族とこの素晴らしいニュースを分かち合う方が、ずっと喜びが大きいことを知っていたからです。しかし、帰ってみると家には誰もおらず、がっかりしました。両親はどこかへ外出していたのです。両親の帰りを待っている間にそれは起こりました。あの写真に目が止まったのです。

 「もし、あなたが私を見つめるなら、私もあなたを見つめます」そのとき、もし私がスワミに話しかければ、スワミは必ず私の話を聞いてくださるのではないかと思いました。そして、私はその写真の前に立って(どのくらいの時間かはわかりませんが)スワミに話しかけ始めました。
 「バガヴァン、僕は80点を取りました! 聞こえますか、80点ですよ! 僕がこれを達成したのは、ひとえにあなたの恩寵のおかげです」
 それは素晴らしい御教えでした。神はこうして、私に本当の祈りの意味を教えてくださったのです。「最高の祈りとは、まるで神が目の前に座って、あなたの話を熱心に聞いているかのように神に語りかけることです」と、その後すぐ何かの本で読みました。神と喜びを分かち合えば、その喜びは何千倍、何万倍にも増えることを私は学んだのです。もし悲しみを神と分かち合えば、悲しみは、必然的に何千、何万分の一に軽減されるのです。

 ずっと私を悩ませ続けている一つの疑問がありました。
 「バガヴァン、私があなたに話しかけ、そこから満足を引き出しているのは良いことです。でも、あなたは本当に私の話を聞いてくださっているのですか?何か証拠を見せてくださいませんか? あなたが間違いなく私の話を聞いてくださっているという印を見せてもらえませんか? 」 その返事は、それから約2年後にやってきました。私は12年生を終了し、大学の入学試験を受けるために、ここプラシャーンティ ニラヤムにやって来ました。何が起きるのかも知らないまま、私はこの素晴らしい大学の学生となったのです。
 
 今でも覚えています。あれはサイの学生になって4日目のことでした。(私はサイの学生になったことを誇りに思っていました)朝食にイドリー〔米粉で作った白い蒸しパン〕が配られました。私は友人に言いました。
 「ねえ君、どう思う? たった4個のイドリーしか配ってもらえないんだよ! 僕は家で少なくとも10個は食べていた! たった4個のイドリーで足りると思うかい? 」
 それはほんの冗談で、ふと口をついて出た言葉でした。私は朝食を取りましたが、実際、それは贅沢な食事でした。それから、私はダルシャンを受けに行って座りました。

 バガヴァンは帰依者たち全員の周りを回り、いつものダルシャンを終えられました。そして、トライー ブリンダーヴァン〔ホワイトフィールドのスワミのお住まい〕の敷地内に戻ってこられ、私たちは敷地内の芝生の上に座っていました。バガヴァンはかなり遠くの方から私を見つめられました。何か悪戯っぽい表情を浮かべていらっしゃったことを思い出します。バガヴァンは真っ直ぐ私のところへおいでになり、私に話しかけてくださいました。実のところ、私はただバガヴァンの唇が動くのを見ていただけで、一言も聞きとることができませんでした。耳が悪戯をして、海の波音しか聞こえなかったのです。さらに悪いことに、心も耳と一緒に悪戯をして「何てことだ! 神がおまえに話しかけているぞ! 信じられない! 神がお前に話しかけているぞ! 」とのみ繰り返すのでした。そうです、これまでずっと私が話しかけてきた神が、今日は私に話しかけてくださっているのです。しかし、私にはバガヴァンが何をおっしゃっているのかわかりませんでした。何も聞き取れなかったのです。周りにいた友人たちが助け船を出して、バガヴァンに言いました。
 「イドリーです」
 そして、次の質問がきました。
 「何個のイドリーですか?」
 その時、前よりも聞き取ることができました。私は答えました。
 「バガヴァン、4個です」
 それから、青天の霹靂がやってきました。バガヴァンは真っ直ぐ私を見つめられました。実際、バガヴァンは私を見破っていらっしゃったのです。ゆっくりとその唇に悪戯っぽい笑みが浮かびました。

 「ダス イドリース カーィエー ガ ―― 10個もイドリーを食べたいのですか? 」そう言って、まるで何事もなかったかのように、バガヴァンはその場を立ち去って行かれました。

 私はそこに座り、地球がどれほど速く自転しているのかを初めて知りました。口が利けないほど驚きました。バガヴァンは私の疑問のすべてに答えてくださったのです。
 「そうです、私の愛しい子よ、私はいつも、あなたが私に語りかける言葉を聞いていました。それどころか、あなたが話しかけない時でさえ、私はあなたの言葉に耳を傾けていました。私に話す言葉や祈りを一言も聞き逃すことのないように、私は一心に耳を傾けていたのです。私はいつもあなたの祈りを叶える準備ができていました。私はあなたと共に、あなたの中に、あなたの周りに、あなたの下に、あなたの上にいたのです。私はあなたの、たった一人の終生の友なのです」

 そうです、親愛なる兄弟姉妹の皆さん! 神はここで私たちに囲まれてお座りになっています。ご自身の所有するあらゆる宝を与えようと待ち望んでおられる神がここにいらっしゃいます。昨日、「私はあなた方に与えるすべての宝を持っています。なぜ、皆さんはそれを求めないのですか? 」とバガヴァンがおっしゃったのを私たちは聞かなかったでしょうか? 熱意を込めて、バガヴァンは私たちにそれのみを求めるよう強く促されました。神はそれを私たちに与える準備ができているのです。ところが、私たちは神に何を求めているでしょう? 神はあらゆるものの中で最も貴いものを私たちに与える準備ができているのに、私たちはただ、つまらない無価値なものを求めているのです。

 キリストは「汝の敵を愛せよ」とおっしゃいました。もちろん、自分の敵を愛するのは難しいことです。しかし、あなたをとても愛している人を愛することは、難しいことでしょうか? ここに神がいらっしゃいます。神は愛の化身そのものです。私たちは、ただスワミを愛するだけで良いのです。過去の帰依者たちのように、無形の神を瞑想する必要はありません。私たちには有形の神がおられます。そして、それはとても美しい御姿です。このお体の御姿を愛することから始めましょう。そうすれば、愛は拡がっていきます。黄昏の赤く染まった空に、スワミのローブを見る日が来ることでしょう。斑点のある満月に、ホクロのあるスワミの聖なる御顔を仰ぎ見る日がくるでしょう。雲が勢いよく太陽を覆うとき、風にたなびくスワミの美しい黒髪を思い出すことでしょう。私たちが、あらゆる存在の中にスワミを見る日がやってくることでしょう。これは愛が広がっていく方法であり、愛を理解し、
 「ラブ オール サーブ オール(すべてを愛し、すべてに奉仕しなさい)、人への奉仕は神への奉仕」というサイの御教えの意義を理解する方法なのです。

 そうです、親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私たちは、たった一つのことを実践しなければならないだけです。私たちは神を愛さなくてはなりません。自分を愛してくれる人を愛することは最も易しいことです。それは何も難しいことではありません。

 バガヴァン、私は一つの祈りを持ってこのスピーチを終えたいと思います。

 私は来ました、バガヴァン、あなたの戸口までやって来ました
 そして、私はあなたに大声で呼びかけています。バガヴァン! サイ!
 私は声を限りに呼びかけています 
 でも、私の声はあなたに届いていないのでしょうか?
 あなたが戸口で飼っているシェパード犬の吠え声の激しさゆえに
 私の声はまったく届いていないのではありませんか?

 バガヴァン、来てください!
 バルコニーに立って、私を見てください!
 階段を下りてきて、扉を開けてください!
 このシェパードを、私に近づけないでください
 私は死ぬほどこの犬が怖いのです!
 わが神よ、来てください、そして、私をあなたへと導いてください
 私をあなたへと導いてください

ジェイ サイ ラム

1996年8月1日

シュリ・サティヤジット・サリアン





(C) 2010 Sathya Sai Organization Japan