十字架

       

 この十字架は、ババが最も吉兆な日であるマハーシヴァラートリー〔シヴァ神の大祭〕に物質化なさったものです。ババはそれ以前に、ババの口から生み出されたリンガムを自らの手で絹のハンカチの上に受け止めて公衆にお見せになるという、毎年恒例の行事を中止する決定をお下しになっており、今ではそのマハーシヴァラートリーの聖なる祝祭の一般公開は終わっていますが、リンガムは毎年ババの口から創造され続けていました。というのは、それは重要な象徴であり、それによって私たちはアヴァター(神の化身)を知ることができるからです。マハーシヴァラートリーの夜にご自分の体内から生み出される長円形をした卵型のリンガムについて、ババは次のようにおっしゃっています。

 「リンガムの神聖な目的とその中に潜在する力を知ることや、リンガムの顕現の意義を理解することは、皆さんにとって不可能です。神が皆さんのただ中にいるという事実を証明するため、私自ら私のこの性向について述べることが必要になってきました。さもなければ、憎しみ、貪欲、妬み、残虐さ、暴力、不敬の雰囲気が、善良さ、謙虚さ、敬虔さを飲み込んでしまうことでしょう。リンガムは、始まりも終わりもない、無限の象徴であり〔中略〕、遍在、全知、全能である神の象徴なのです。一切はそれから始まり、一切はそれに含まれています」

 また、私たちはアヴァターに備わっている16の印によって、アヴァターをアヴァターであると見分けることができます。その16の印とは、現在、過去、未来のそれぞれに存在する「創造」、「維持」、「破壊」、「化身たちの知識」、「特別な恩寵とその恩寵を授ける力」であり、これらは合計すると15の印となり、16番目の印はパラマートマ、すなわち各人のハートに宿る神であることです。アヴァターという神の化身に備わったこれら16の印の他に、ババにはもう一つの印があります。それは、ババがすべての中で最も重要であると述べているもの、すなわち、神の愛、普遍的で非個人的でありながら個人的な愛です。

 私は何度もリンガムを見たことがあります。あるシヴァラートリーの夜、私はババのすぐ傍(そば)に座っていました。その瞬間が来たとき、私はババの口から出てくる黄金の閃光(せんこう)を見ました。そして、ババの手に握られた絹のハンカチに受け止められたリンガムを見たのです。それは金色のリンガムでした。その大きさの物体が、どうやってシュリ ババの喉から出てきたのかは説明できません。また、別のシヴァラートリーのときのリンガムは半透明で、リンガムの中心に炎がゆらめいているのがはっきりと目に見えました。

 1973年のマハーシヴァラートリーの前夜、私たちは早朝に小旅行に出かける準備をしておくよう言われました。行き先を告げられたのは、車に荷物が積み込まれ、準備が整ったときでした。スワミは、リンガムが顕現する瞬間をほんの一握りの人々と過ごす決意をなさっていたのです。
 行き先はマイソール州から数時間のバンディプル森林にあるバンディプル動物保護区で、私たちは昼下がりにその森林のレストハウス〔宿泊施設〕に到着しました。翌朝、私たちは車に戻り、森林の人たちに案内されて、森に棲む野生の象の一群に遭遇することを期待しながら、様々な曲がりくねった道を進みました。木々の中を進み、広々とした場所に出たとき、私たちの心は、数年前にスワミと数人の帰依者たちが休暇の小旅行でその動物保護区を訪れた際に起こった、ババと野生の象の群れとのドラマチックで魅惑的な出会いを思い起こしました。しかし、今回、象たちは人目につかない場所に留まって、一頭も姿を見せませんでした。けれども、丘陵を通り抜けて行くそのドライブには、別のもっと重要な目的がありました。スワミは、リンガムの顕現という神聖な事象を私たちに見せるために、夕暮れ時の適切な集合場所を見つけるおつもりだったのです。世に知られておらず、世の人々の想像を絶する十字架が出現したのは、この素晴らしい最も神秘的な機会だったのです。

 砂地の乾いた河床に架けられた橋を渡ったとき、ババはそこがその場所であることをお示しになりました。ババは、夕暮れ時に全員でここへ戻ってこようとおっしゃり、私たちはそのようにしました。
 車は道の脇に停車し、私たちは川沿いの低い砂地に向かって土手を這うように降り始めました。私はババの脇にいました。低木の茂みを通り過ぎたとき、スワミは二本の小枝を折って取り、それらを交差させて私にお尋ねになりました。
 「これは何ですか、ヒスロップ?」
 「そうですね、スワミ、それは十字架です」と私は答えました。
 すると、ババは手の指と指をつけて閉じ、その二本の小枝の上にかぶせて親指と人差し指の間からややゆっくりと三回息を吹きかけられました。それから、ババは手を開いて、それが十字架に磔(はりつけ)になったキリストの姿であることを明かし、それを私にくださいました。

「これは、芸術家たちが想像したり、歴史家たちが語ったりしたキリストではなく、実際にキリストが肉体を去ったときの姿を示しています。腹はへこみ、あばら骨はすべて透けて見えていました。キリストは8日間、何も食べていなかったのです」とババはおっしゃいました。

 私はその十字架を熟視しましたが、言葉が見つかりませんでした。それから、ババはお続けになりました。
 「その十字架は、実際にキリストが磔にされた十字架から取った木材で出来ています。二千年前の木を見つけるのに、少々手間取りました! その姿はキリストが肉体を去った後のものです。それは死に顔です」
 私はちょっと奇妙なことに気づいたので、ババに尋ねました。
 「スワミ、この十字架の一番上にある穴は何ですか?」
 ババは、十字架は杭(くい)に掛けられてぶら下がっていたのだとお答えになりました。

 私たちは河床に向かって降り続けました。ババは私たちを長方形に座らせて、ご自身は上座に着かれました。スワミの肉体には、既にリンガムの生みの苦しみが始まっているのが見てとれたので、私たちはすぐにバジャン(神への信愛と賛美の聖歌)を歌い始めました。バジャンは、ババの喉からリンガムが生み出され、絹のハンカチの中に受け止められるまで続きました。皆がそのリンガムを賛嘆し終えると、ババはリンガムを脇にお置きになりました。それから、ババは膝(ひざ)の前に砂の小山をお作りになり、指でその輪郭を描きました。次の瞬間、ババは砂の中に手を突っ込んで、アムリタがいっぱい入った銀製の瓶を取り出しました。それから、ババは手を動かして小さな銀杯を物質化なさいました。全員がババの御手から神々の甘露であるアムリタを分けていただきました。そのアムリタの味のなんと繊細で美味しかったことでしょう! それは独特のものでした。アムリタに匹敵するような味は他にありません。

 それから二、三週間の内に、私たちはメキシコの自宅に戻り、やがてその十字架にまつわる一連の驚くべき出来事を目撃することになりました。その十字架はとても小さかったので、キリストの肖像の細部は目に見えませんでした。友人のウォルターが私たちの家にやって来て、十字架のカラー写真を何枚か撮りました。キリストの肖像の長さは1インチ〔2.54cm〕しかなかったので、ウォルターは細部を明らかにするために写真を少し引き伸ばすことになっていました。ウォルターがプリントの見本を郵送してきたとき、妻と私はあっと驚きました。私はウォルターに、その写真を世界中の人々が見れば、美術的にセンセーションを巻き起こすだろうと書き送りました。私の見るところ、それは、これまでシュリ サティヤ サイが帰依者たちを喜ばせるために物質化した中で、最も驚嘆すべき物です。



















 数週間後、ウォルター夫妻は引き伸ばした十字架のカラー写真を持って再びやってきました。フランス窓から海が見渡せる居間のテーブルの上に、当の十字架と共に拡大された写真の数々が広げられていました。時間は午後の五時ごろでした。写真の引き伸ばしによって露わになった細部はあまりに非凡なものだったので、そこにいた全員が、このキリストの驚くべき姿とシュリ バガヴァンの神秘と不思議に集中していました。この日の午後、メキシコの海岸は晴れやかで穏やかでした。ところが、突然、何の前触れもなく耳をつんざく雷鳴が響き、窓のほうに目を向けると、一瞬前には快晴の空しかなかった所に暗雲がたれこめ、稲光が走りました。暴風が激しい力で窓や扉を開閉しながら家を通過したため、ガラスのコップが粉々に砕け散る危険がありました。カーテンはあらゆる方角へはためきました。私たちはこの事態の変化にびっくり仰天しましたが、すかさず妻が言いました。
 「午後五時は、キリストが十字架で息を引き取った時間です。今、ここで起こっていることは聖書に書かれていますよ」
 妻が後で聖書を持ってきて、私たちは該当する詩節が見つかるまでページをめくり続けました。そこには、キリストが自分の命を手放したとき、稲光と雷を伴うひどい嵐が起こり、神殿の垂れ幕〔カーテン〕が裂けたと書かれていました。(*訳注)私たちは、今しがた目撃した不思議な出来事は、自分たちの想像力を遥かに超えたものであるという結論に達しました。私たちの目の前で起こったことは、十字架にまつわる出来事の再現に他ならなかったのです。
 翌日のサンディエゴの新聞は、エンセナーダ付近のメキシコの沿岸で、何の前触れもなく起こった突発的で奇妙な嵐を解説する短い記事を掲載しました。私たち夫婦と友人夫妻は、二千年ほど前キリストの十字架での受難のときに起こった出来事の再現は、ババによって物質化された小さな十字架とキリストの肖像に何らかの関連がある偉大な力を示している、と結論付けました。

 一年ほど後、私はEruch.B.ファニブンダ医師の著書、“Vision of the Divine”のために、医師にその出来事の詳細を書き送り、医師はそのメモをババに見せました。メモを読んだ後、ババは、その出来事はそこに書かれている通りに起こり、それに帰する意義も正しいものである、とおっしゃったそうです。

 その十字架に関する物語はこれで完結したと思われるかもしれませんが、後日談があります。1975年、私はババにアメリカ訪問を約束していただくという願いを抱いて、その手筈についてババにご相談するため、前触れなくインドを訪れました。スワミには私が訪問することを知らせておらず、私が到着したときはご旅行中で不在でした。その日、スワミは、数人の年長の帰依者たちとの昼食の最中に、こうおっしゃったそうです。
 「ヒスロップが、今しがたバンガロールに着いて、私を待っています」 その食事の席に着いていた帰依者の一人(後日私にこのことを教えてくれた人)が言いました。
 「スワミは彼に十字架をお作りになったのでしたね」
 ババはお答えになりました。
 「ええ、私はヒスロップのために十字架を作りました。私がその木材を探しに行ったとき、十字架の粒子はすべて風化してしまっていて、元素を戻さなくてはなりませんでした。私はその元素に手を差し伸べて、小さな十字架を作るのに十分なだけの材料を復元したのです。スワミが自然に干渉することはめったにありません。しかし、時折、帰依者のために、それが為されるのです」

John S.ヒスロップ医師 著『MY BABA AND I』より

翻訳:サティヤ サイ出版協会


※イエス・キリストの昇天については、『新約聖書』に下記の記述がある。
 「時はもう昼の十二時ごろであったが、太陽は光を失い、全地は暗くなって、三時に及んだ。そして聖所の幕がまん中から裂けた。そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、私の霊を御手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた」(ルカ伝23:44−46)「イエスはもう一度大声で叫んで、息をひきとられた。すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った」(マタイ伝27:50−52)
 当時のユダヤ暦では、昼間を6等分した時間や日没から日の出までを12等分した時間などが用いられており、季節により日照時間の差から1時間の長さも長短があった。そのため、イエスの昇天時刻が現在の何時に当たるかは定かではないが、そのとき何らかの天変地異が起こったとのことである。
(参考文献:『新約聖書』日本聖書協会発行1954年改訳版、『図説・歴史のなかの聖書』)




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