私は何処にも行きません

       

ダイアナ バスキン


 肉体を去られた時、スワミは私の心の中に、ぽっかりとあいた深い穴のような空間を残していかれました。あの忘れ難い日から、私はずっと続いていた空虚な心の痛みを、スワミの愛で満たしてくださいと祈ってきました。

私たちの人生の中核であるスワミ

 1969年に初めてインドを訪れた時、スワミはダルマに根ざした堅固な土台を築くことを通して、霊的生活の原理を教えるという仕事を引き受け、私のグル〔霊性の師〕になってくださいました。その後、スワミは私を育て、受け入れ、無条件の愛を与えるという仕事を引き継ぎ、私の母親になってくださいました。最後に1979年、スワミは私を夫のロバートに引き合わせ、結婚式を執り行うという父親の役目を演じてくださり、私たちの結婚生活を通じて、力強い支えの御手を伸ばし、親切に優しく導いてくださいました。
 スワミは私たちの人生における中核でした。過去40年間、私たちの生活は、ただスワミのみに集中していました。また、肉体のスワミの御前に行けるインド旅行への期待は、私たちの栄養源でした。夫と私は、グルと母親と父親のすべてを一度に失い、打ちのめされ、胸が張り裂けました。

 けれども、スワミは意気地なしになれとはお教えになりませんでした。悲しみのただ中でさえ、スワミの御教えはそばに駆けつけ、すべての物事には限界があることを静かに思い出させると同時に、私に強さを与え、力づけてくれました。
 友人の夫が亡くなった時、スワミはその友人に、夫の死を悲しんでも良いが短期間だけである、とおっしゃり、その後、その友人は悲しみを手放さなければなりませんでした。さもなければ、彼女は目的ある有意義な人生を送ることはできなかったでしょう。

スワミの最後の言葉

 スワミとその御教えに敬意を表すため、それらを実践し、自分の感情の主人となり、肯定的で建設的な思いに焦点を合わせる必要があると、知性では理解していました。これはある程度の助けにはなったものの、十分ではありませんでした。私は、人生に喜びを与えてくれるスワミとのハートとハートの直接の絆を、もう一度、確立することを切望しました。

 スワミは、私が直面する問題を見越しておられたばかりでなく、無限の慈悲心から、肉体を去られる少し前に、私が気づかないうちに、その問題の解決法を与えてくださっていたのです。

 ある朝、バジャンが終わってお住居へ戻られる途中、スワミの車が私の目の前で止まり、運転手が窓を下ろしました。スワミは、私に前に進み出るよう身振りで合図をされました。スワミのお声は消え入るように小さかったので、私は車の中に身を乗り出し、スワミの唇を読んで言葉を理解しなければなりませんでした。短い会話の最後に、スワミはいつになく変わった、脈絡のないことをおっしゃったので、私はその言葉をもう一度繰り返してくださるようお願いしなければなりませんでした。それが、スワミが私に話しかけてくださった最後の言葉になりました。

 翌年の間中、私はずっとスワミの言葉を熟考し、その意味を問い続けていましたが、あの時、なぜスワミがそう言われたのかもわからなければ、その言葉が暗示していそうな、隠された意味を見つけることもできませんでした。

 スワミが逝去されて二、三週間が過ぎた頃、天からの落雷のような深い悲しみと嘆きの中で、それはひらめきました! 私は、スワミがより深い不二一元の視点からおっしゃった意味を理解したばかりか、思い出すだけで、それは大切なハートとハートの絆を取り戻し、私の心を愛で満たす力があったのです。スワミが優しく囁いてくださった、その真実と、愛と、英知に満ちた力強いお言葉はこうでした。 

「私は何処にも行きません」
出典:Sanathana Sarathi 2011年11月号




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