バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ ババの不滅の教え

       

M.ナンジュンダイアフ教授

 バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ ババは、カリの時代のアヴァター(神の化身)です。その主と同じ時代に生きている私たちは、皆、この特権を授けてくださった主の深い恩恵を受けています。ましてや、サイの甘い愛と恩寵の陽光の中、サイのサンニディ(近くにいること)で、サイと共に生きてきた私たちは、どれほど幸運であることでしょう! サイと共に生きることは純粋な喜びです。サイの美しい御姿を目にし、サイと共にバジャンを歌い、サイの神聖な純粋さ、無邪気さ、英知、慈悲、思いやり、類まれなユーモア感覚を経験して得た喜びを、どう言葉で表現すれば良いでしょう! 私たちはサイと共に食事をし、サイと共に旅行しました。サイに手紙を書いたり、サイからの手紙を受け取ったりもしました。何度生まれ変わってきたとしても、人間の力でこの感謝のご恩に報いることは不可能です。

 私は、スワミが個人的に与えてくださった、いくつかの重要な御教えをお話ししたいと思います。これらの重要性は、どれほど誇張しても足りるものではありません。あるスワミとの会話の中で、私がスワミの口から出るすべての言葉は「マントラのよう」ですね、と申し上げたところ、スワミは次のように訂正されました。
「マントラのよう、ではなく、マントラそのものです」

 いくつかの洞察をお伝えするために、私は長い間サイのサンニディに留まる特権があったときの出来事を、4つの部分に分けました。第1部は、さまざまな機会に私がした質問に対するスワミの回答です。第2部は、学生に対する母の愛、気遣い、関心を示すスワミのお手紙からの抜粋です。第3部は、スワミが私の自宅を訪問された時、書き与えてくださった貴重なメッセージです。この中で、スワミはすべての聖典のエッセンスを、力強く、はっきりと簡潔に要約なさっています。第4部は、サーダカ(霊性修行者)としての私に与えられた、スワミの手紙からの御教えです。

第1部

 ある日、私は一日中スワミとご一緒するチャンスがありました。それはスワミにとって大変忙しい日のようでしたが、スワミは、一見さほど重要でないように思われる人々の細々としたことにまで、個人的によく面倒を見ていらっしゃいました。私はその光景に感動して、スワミに尋ねました。
 「スワミ、どのようにしてあなたを理解すればよいのですか?」
 即座に答えが返ってきました。
 「私を理解しようとしてはなりません。私を体験し、味わいなさい」
 何と素晴らしい御教えでしょうか! スワミは、私が自分の心(マインド)の餌食になることを望まれなかったのです。私の心は、無限大であるスワミを理解するには小さすぎたのです。
 スワミの行動の多くは、互いに矛盾しているように見えるかもしれません。もし私たちが論理的に考え、理解しようとすれば、結局はスワミを誤解し、スワミとその恩寵を失ってしまうかもしれません。スワミが神であることを知っていて、スワミを愛し、スワミの行動を楽しむなら、それで十分なのです。

 また別の機会に、ある帰依者の嘆願にお応えになるまで数秒かかったのを見て、私はスワミがその帰依者を思い出すのに手間取っていらっしゃるのではないかと思い、思いきって無邪気にこう尋ねてみました。
 「スワミ、あなたはいつもすべてのことをご存知なのですか? それとも、何であれ、いつであれ、あなたが知りたい時に答がわかるようになるのですか? 」
 スワミはきっぱりとお答えになりました。
 「私はいつもすべてのことを知っています。私は多くの場合、演技をしています。私がすることに影響されてはなりません」
 
 別の日、私はスワミのお住まいの前に立って、考えていました。
 「スワミ、私は長い間、あなたと一緒におります。私はどれほどお役に立ってきたのでしょうか? 」 その瞬間、スワミは私の考えに反応して、外へ出ておいでになり、こうおっしゃいました。
 「ください、ください、ください! あなたの心(マインド)を無条件で私にください。あなたの心は柔和なので、私が処置を施すべきではないなどと言ってはなりません。私は好きなようにあなたの心を処置しますが、手本として世界に示すために、それを美しい宝石にするのです。私のためでも、あなたのためでもありません。世界のためにそうするのです」

 またある時、私は尋ねました。
 「スワミ、どこでどのような良いことが起ころうと、それはあなたの優しさのおかげであり、何か良くないことが起こるのは、あなたの宇宙の法則の作用によるものです。私は正しいでしょうか、スワミ? 」
 スワミは次のようにお答えになりました。
 「いいえ、あなたは間違っています。私には自分自身の内閣があります。私は様々な大臣に、それぞれの仕事を任せています。大臣たちの仕事に口出しはしません。もし私が『スワミ、どうか雨を降らせてください』という祈りの手紙を受け取ったとしたら、私はその手紙を雨の神であるヴァルナに転送します。ヴァルナがそれを適切に扱うでしょう。しかし、私には自分に直属する三つの部門があります。それは、愛、無私の奉仕、霊性修行、という三部門です。誰であれ、私を愛する者を私も愛しています。それ以外に、その人の性質や資格を調べたりはしません。誰であれ、私は何の見返りも求めずに奉仕する者の世話をします。誰であれ、いつであれ、霊性修行の道を行く者は私の保護下にあります。私はその人の世話をします。他の部門は私の大臣たちがそれぞれ面倒を見ています」
 なんと驚くべき啓示でしょうか!

 また別の日に、私がスワミと一緒に車で移動していた時のことです。私はスワミに関するいくつかの誤報を読んで傷つき、スワミに尋ねました。
 「スワミ、私の祈りは、人々があなたを中傷したり、あなたに関して偽りを書いたりするのをお許しになってはいけない、ということです」
 素晴らしく無執着な主であられるスワミは、こうおっしゃいました。
 「あなたの祈りは間違っています。そんな風に祈ることはできません。あなたが私を礼拝する自由を持っているのと同様に、他の人々にも私を非難する自由があります。私は賞賛と非難のどちらからも影響を受けません。私は自分の仕事をし、自分の考えに従って生きています。私は常に完璧です。私は愛です。私はただ愛によってのみ動かされます。私は人々を傷つけたり、害を与えたりすることはありません。誰も私を傷つけたり、害を与えたりすることはできません。あなたは他人の自由を取り上げるよう私に祈ることはできないのです」
 そこで、私は自分の祈りを少し修正して言いました。
 「スワミ、あなたに関するそのような非難が私に届かないように(自分が影響されないように)祈っても良いでしょうか? 」 スワミは「よろしい。あなたはそれを祈っても良いでしょう」とおっしゃいました。

 私がスワミにお尋ねした別の質問は、
 「悪人は、いかにして悪の悪循環から救われるのか? 」ということです。
 スワミはおっしゃいました。
 「私は、自分自身を私に全託する人々を救うために降臨しました。人々が『私はあなたのものです。それゆえ、あなたは私を救ってくださらなければなりません』と一度でも心の底から祈るなら、私はその人を受け入れ、行為と結果、生死の輪廻、という悪循環からその人を救い出します。実際、私の愛を理解していない人々は、なぜ私が悪事を働く人々を保護するのか不思議に思っています。もし私が罪びとを受け入れず、罪びとを変容させないなら、いったい誰がそれを行うというのですか? 」

第2部

 次は、スワミから私に宛てられた手紙の抜粋です。ここでは、学生と学生を見た人々が彼らに抱くイメージに関して、スワミがどれほど注意を払い、関心を抱いていらっしゃるかが示されています。1982年、学生たちが「バジャ・ゴーヴィンダム」というドラマ(演劇)を大勢の観衆の前で披露しなければならなかった時、スワミはわざわざ次のような細かい指示を書いてくださいました。

 「ドラマに出演する子どもたちは、できる限り小道具を調達することが望ましいでしょう。学僧役が使う皿や、椰子の葉の本、ステッキ、シェルワニ(詰め襟の長上着)、コート、ドーティ(男性用の腰巻)などです。それから、必要なときに使えるように白いスクリーン(幕)も用意しておきなさい。金持ちの男が使うターバンは私が手配しました。1階のベランダに7?8本のステッキがあります。ビメーシュワラが知っています。ラーダークリシュナは、ステッキはベランダの折り畳み式ベッドの下に保管してあると言っています。それらをすべて集めて、ヒロックに渡しなさい。おそらくバスは12日か13日には到着するでしょう。13日、14日、15日にドラマの練習ができます。15日には私もドラマを見ましょう。学生たちにはきれいに散髪しておくように伝えなさい。何千人もの人々が彼らを見るのです。このような点に関しても、彼らはスワミの学生として良い手本を示さなければなりません。学生たちに注意するよう伝え、ドラマの役割に応じた衣装をすべて荷造りするよう伝えなさい」

 ドラマが上演された後で書かれた次の手紙には、アヴァターが人間として、学生たちの成功や喜びをどのように楽しんでいらっしゃるかが表れています。

 「昨日のドラマは実に素晴らしいものでした。ボンベイでのドラマよりずっと良かったです。学生たちは上手に演じました。州知事は出演者たちに贈り物を配りました。残りの詳細は、学生たちがあなたに報告するでしょう」

 次の手紙は、より良い教師のためのガイドライン(指針)を与え、スワミの教師たちに対する期待を明らかにしています。

 「良い学生と良い教師は、私たちの大学を天国より素晴らしい場所にすることができます。『サティヤ サイの教育機関の他に天国があるだろうか 』というニュースが、どの家庭にも届かなければなりません。あの少数の教師たちも、誤った考え方を変えるべきです。彼らが人生を神聖なものにし、学生たちを勇気づけてくれると良いのですが。あの教師たちは、人生はより多くの給料を稼ぐためにあると考え、自分の人生や他人の人生まで台無しにしています。それは、教育のエッセンス(真髄)を理解していない人々の行く末です。学生の利益と向上のために努力する人だけが、本物の教師です。そうでなければ、その人は役立たずです。

 教育は売り物ではありません。教育とは、知識を分かち、伝えることです。人は実践し、体験し、他の人もまた体験できるよう手助けしなければなりません。これはただ機械的に暗記したり、単に聞いたりするだけで得られるものではありません。皆さんは知識を身につけ、他人もそうできるように助けなければなりません。人は、無知やアシャーンティ(平安のない状態)という病気を根こそぎにして、それらの病気が再発しないよう注意しなければなりません。学生は黄金のようなものです。学生を励まし、勇気づけることのできる教師を有することが絶対に不可欠です。教師にそれができなければ、教師も学生も共に幸福ではありません。ただ書物からの引用を学生たちに機械的に反復させるだけの人たちが、何の役に立つでしょう? 学生は、父親にとっては念願の息子ですが、教師にとっては愛の息子です。この真理を知り、それに従って行動する者だけが教師です。そうではありませんか? 」

第3部
「メッセージ」

 親愛なるナジュンダイアフへ、

 私の祝福を受け取りなさい。ヴェーダーンタ哲学を広める最善の方法は、それを生きることであり、他に王道はありません。
 神に生きなさい。すべては正しいのです。他の人々も神に生きるようにさせなさい。すべては必ず良くなります。この真理を信じなさい。あなたは救われるでしょう。
 最も高等な人間だけでなく、最も下等な虫もまた、同じ神聖な性質を宿しています。虫は神性がマーヤー(迷妄)によってより多く覆い隠された下等な姿なのです。マーヤーに隠されている部分が最も少ないのが、最も高等な姿〔人間〕です。万物の背後には同一の神性が存在し、そこから道徳の原理が生じています。 あなたの神性を明言しなさい。完全な無意識状態に没入すれば、突然、小さな水泡がはじけ、それは自らが大海全体であることを悟ります。あなたは全体であり、無限であり、すべてなのです。あなたは神性そのものです。聖なるものの中の聖なるものです。世界はもはや世界ではありません。あなたはすべてのすべて、言葉で表現できない最高の力であり、誰にも、どんな心にも、それを描写することはできません。あなたは純粋な「私」("I am")であり、それがあなたです。天国はあなたの内にあります。感覚の対象物の中に幸福を探してはなりません。その幸福は、あなたの内にあることを悟りなさい。
祝福をこめて
シュリ サティヤ サイ ババ
1974年4月24日


第4部

 次の手紙は、サーダカ(霊性修行者)に対するスワミの愛と関心を表しています。

 「三つの属性に縛られている人間にとって、サイ サンニディ(サイの近くにいること)は、神性という宝よりも素晴らしい宝です。不幸なことに、人々はそれを知らないため、人間の生の価値に気づかないまま世俗の生活に耽っています。あなたはとても幸運です。今生の肉体は、数々の過去世において手に入れた功徳の報酬なのです。世俗の楽しみは一時的なものです。火は、どれほど燃料を注いでも消えません。燃料を注げば注ぐほど、火はますます大きくなりますが、消えることはありません。世俗の欲望とはそのようなものです。何度生まれ変わりを経験しても、古く、腐敗した欲望は、マーヤーの魔力のもとでは新しく見えます。あなたの肉体を義務的な仕事を果たすために使い、あなたのハートにババの愛の芳しい甘露を楽しませなさい。あなたが背負っている家族の責務を果たし、心は神に捧げなさい。あなたの道は間違っていないし、曲がってもいません。私たちは自分自身の心の目撃者です。他人にいったい何がわかるでしょう? 自分自身の心さえ理解できない人々が、どうやって超越的な原理を理解できるでしょう?

 世界は、人が掛けている眼鏡の色に染まって見えます。あなたのヴィジョン(視覚)に欠陥がないよう確実にしなければなりません。しかし、他人の物の見方に苦しめられる必要はありません。この世界は十人十色です。あなたのハートは完全に純粋です。それは、ほどけないほど堅くサイのハートに結びついています。カリの時代には、これより良い道を見つけることはできません。あなたはサイの豊かな愛と恩寵を授かっています…。私の祝福を奥さんと子どもたちに伝えてください。ダサラー祭が近づいています。至福と大きな喜びが与えられるでしょう。それを受け取り、あなたのハートを神に捧げなさい。
ババより」


 以上の抜粋からもわかるように、スワミはすべての人を熱心な求道者、サーダカにしたいと願っておられます。スワミはハートの中の帰依の姿勢を浄化し、強め、奮い立たせ、励まし、鼓舞なさるのです。

 サイに対する私の敬意は十分ではありません。短時間であれ、もし母なるサイが私にしてくださったことを思い出していなければ、私はきっと自分の義務を果たせなかったことでしょう。スワミは恩寵を降り注ぎ、その愛の中に私を浸してくださいました。かつて、スワミは2個のダイヤモンドが並んだ指輪を物質化なさり、そのダイヤの配列を私の妻に見せるように、そしてダイヤの一つはサイであり、もう一つは私であると教えるように、とおっしゃいました。それが、サイと私の間にある関係なのです。次女の耳にピアスの穴を開けることを承諾してくださり、教育を受けさせる手ほどきをしてくださったスワミの愛に圧倒された時、感謝のあまり私の目からは涙があふれました。そのときスワミは、自分は帰依者に仕えるために来たのであり、自分にはそれに勝る仕事はないのだ、とおっしゃいました!

 スワミは私に、どのようにスワミを愛し、どのようにスワミに仕え、どのようにスワミを喜ばせれば良いのかを教えてくださいました。大学の教員として、また試験の管理員として、私が自分の力を発揮して、一筋の心で奉仕する無数の機会を与えてくださいました。私に対するスワミのメッセージは、霊性を実践して、私自身を生と死の輪廻から救い出すことだったのです。

出典:『サナータナ サラティ』2011年11月 特集号 



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