・ババの御教え・
10月24日はダセラ祭です。インドの偉大な叙事詩『ラーマーヤナ』の中で、ラーマ王子は10の頭を持つ悪鬼ラヴァナを滅ぼします。(ダセラとは10の頭という意味で、私たちのエゴによって生じる10の悪い資質、すなわち、激情、プライド、怒り、貪欲、理性の喪失、欲望、憎しみ、嫉妬、利己主義、不正直を象徴しています。)ダセラ祭は、このラーマ王子の勝利(善の勝利)を祝うお祭りであり、また、大切な仕事を始めるのに最も良い日Vijay Dashmi Dayでもあります。1988年のダセラ祭で、ババは次のような講話をなさいました。
小さな例え話をしましょう。ある男の子が、もう一人の男の子に、父親は誰かと尋ねました。尋ねられた少年は、父親の名前を告げました。質問した子供は、どうしてそんなことが判るのか、赤ちゃんのときに自分の父親が誰かを知る力があったのか、と再び尋ねました。少年は、自分の父親がだれそれであると言った根拠は、自分の母親の言葉であると言いました。母親以外には、誰もそのようなことを言う権利を持ちません。それと同じことで、アートマ(真我)やブラフマン(神)に関して、どのようなことを語るにしても、その根拠となるものは、さまざまなヴェーダ聖典です。私たちは、世間的な論議をする際に、神に関する基本的な真理には注意を払わなくなっています。あなた方が理解できるかどうかは別として、全てのヴェーダ聖典の真髄は、ウパニシャッドの中にあります。全ウパニシャッドの真髄は『バガヴァッド ギータ』です。そして、神の御名こそが『バガヴァッド ギータ』の真髄に他なりません。神の御名は、世界中のあらゆる病気に対する万能薬です。この御名よりも甘美なものは存在しません。そしてこの御名は、罪人にも聖人にも、学生にも教師にも、男にも女にも、一切の差別なく手に入ります。愛と帰依心を通じて神の御名を唱えることは、最も易しく、かつ最も神聖な道であります。
今の世の中には、どんな種類の帰依があるでしょう? 皆さんは、瞑想とは何だと思いますか? 人のいないところに座って、目や口を閉じることですか? あなた方は、数珠の動きが帰依を表わすものだと思いますか? 私たちはさまざまな聖典を熱心に読んで、知恵と知識が身についたと信じています。サンニャサ(脱俗)とは何でしょう? 今述べたような肉体的行為に携わり、そのような儀式を信ずることによっては神に到達することはできません。単にオレンジの(僧の)衣を身にまとうだけでは、帰依心を体得することはできません。ただ口でマントラ(真言)を唱えるだけでは、罪を滅ぼすことはできません。『バガヴァッド ギータ』を手に持って声を限りに読み続けても、徳を積むことはできません。そこには何か一貫したものがなければならないのです。もし、あなたが話すことと、あなたの行ないとに何らかの一貫性があるとすれば、それこそが正しいサーダナ(霊性修行)です。万物の主である神が、生きとし生けるものの心に住んでおられることを知り、常にそれを感じることこそが聖なる道であります。私たちは、誰をも批判してはなりません。たとえどんな人を批判したとしても、それは神を批判することになるのです。
愛の化身である皆さん!神の御名を唱えることは最高の霊的修行であると見なさなければなりません。皆さん方は、神の御名の光があれば、いかなるところでも人生の旅を進めることができます。現在のカリの時代において、神に到達するための最も易しい方法は、この神の御名を唱えることであります。神の御名よりも神聖なものは存在しません。神は、あなた方の問題を取り除いたり、解脱を与えたりするために地上に降臨するのではありません。神が降臨するのは、あなた方が愛を育てることができるようにするためであるという真理を知りなさい。あなた方がお互いに愛し合うことができるのであれば、一切の憎しみや妬みなどは存在する余地がありません。今の時代は、父親と子供が愛し合っておりません。兄弟同士がお互いに愛し合っておりません。これは何という人生でしょう。自分の両親や兄弟姉妹を愛することができないのであれば、どうして世界を愛することができるでしょう。世界を愛することができなければ、どうして世界を司どる神を愛することなどできましょう。心に愛を育てるように励みなさい。
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