・ババの御教え・
神の誕生日を祝うということ
「・・・・求道者は、数多くの、内的外的な障害物に直面しなければなりません。しかし、その一つ一つの挑戦によって、その人に眠っている信仰が引き出されるのです。暗闇がなければ、光をありがたく思う心もありません。空腹の辛さがなければ、誰も食べ物を求めることはありません。死の可能性があるからこそ、母親は病気の子どもを細心の注意を以て看病するのです。ある聖者が、彼の信者たちに、「神に何も要求してはなりません。神が御心のままにあなた方のお世話をなさるのにお任せしなさい」と言う助言を与えたのは、そういう理由があるのです。ジャユタ(インドの古典ラーマヤナにでてくる鳥)は、ラーマが彼の所にやって来て死ぬ間際の儀式を行うようにと願ったでしょうか?サバリ(同じくラーマヤナに出てくる貧しいが、心の清らかで純粋な婦人。愛を代表する)は、ラーマに懇願したでしょうか?資格・・すなわち神聖さ、純粋さ、信仰心、別け隔てのない愛を身につけなさい。そうすれば、神があなたに近づいて、慰め、励まし、救ってくださいます!心の純粋と、感覚のコントロールという二つの信任状を持っていれば、あなた方は恩寵を受ける権利があります。人々は、至福を外の世界で手に入れることができると想像して、内なる世界からさまよい出し、不幸に沈んでいます。彼らは至福を、家庭、すなわち妻や子どもに見つけようとします。そして、彼らの生活水準を保とうとして、悪事を働きます。根本欠陥は、肉体こそ存在のすべてだと、彼らが信じているところにあります。肉体のなかに住んでいる存在を認め、敬い、それに対して反応しなければならないのですが、彼らは、その内なる存在を無視しています。
アヴァターとは、「仕事と行動と規律」という装いを身にまとった神の力であります。一般的には、神が化身するプロセスは、高次元から低次元へと「次元を下げる」ことだと説明されています。しかし、そうではありません!ゆりかごの中の赤ちやんが、泣いたりむずがったりして、かまってもらおうとすれば、母親は身をかがめて赤ちゃんを抱き上げます。彼女が身をかがめるのを、「次元をさげる」ことだと表現すべきではありません。あなた方が必要な信任状を手に入れれば、神の化身がやって来てあなた方を救います。ところが、あなた方が悪徳を重ねて、ますます低い所へと落ちてゆくのであれば、どうして救われることができるでしょうか?心のなかに愛と至福を備えなさい。至福は純粋なものを見、純粋なものを聞き、純粋な言葉を使い、純粋な行動をすることによってもたらされます。
あなた方が、この祝福を自分のすみかとする日こそが、あなた方にとっての私の誕生日であります。もう一つ話しておかなければならないことがあります。何万という人々が、遠く離れた場所から、多大な費用と旅中の大変な困難にもかかわらずプッタパルティにやって来るので、スワミの誕生日がここで祝われております。スワミの誕生日だからここにこなければならないという誤った印象を持ってはなりません。私には、自分の誕生日を祝いたいという願望などまったくありません。そのような瑣末な考えは、決して、私の心に浮かぶことすらないのです。私のただ一つの望みは、あなた方とともに喜びを分かち合うことであり、あなた方が至福に満ちた生活を送るようにと励ますことであります。私の誕生日とは、あなた方が至福を手に入れるときのことです。私の使命は「ローカ サマスター スキノー バヴァントウ/Loka samastha sukino bhavanthu」すなわち「全世界が幸せで栄えますように」という祈りを実現することです。人類が一つであることに気づきなさい。愛と奉仕によって、地上のあらゆる人々の喜びと満足を促進しなさい。また、あなた方の心を、その願いで満たしなさい。そうすればあなた方の心は、まことにサイの神殿になります。私はあなた方とともにあります。
今朝方から、多くの人々が私に「ハッピー バースディー」(幸せなお誕生日でありますように!)と言って挨拶します。誰も私が幸せであるようにと祈る必要はないのです。なぜなら、私はいついかなるときも、どんな場所にいても幸せだからです。至福に満ちている人間に、幸せな誕生日を祈る必要はないのです。そして、あなた方も至福を重ねるために、毎年誕生日がめぐってくるのを待っているのではなく、どんなときにも幸せでいなければなりません。
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