愛の化身である皆さん!
話す言葉の力によって、あなた方は、一つの国でも財産でも手に入れることができます。あらゆる人間関係や友人同士のつながりを親密にするのも話し言葉の力です。私たちは、話し言葉によって制限を受け、他の人の奴隷になることもあります。また、話し言葉の力によって死すらも、もたらされることがあります。話し言葉は人間の生命であり、言葉のセンスは人生のバックボーンであります。話し言葉は偉大な力を持っています。
「おお、舌よ、君は素晴らしく優しい。
おお、舌よ、君は実に愛すべき存在だ。君は真実を受け入れ易い言葉で語る。
おお、舌よ、他人の悪口にふけったり、人々をあざけたりしてはならない。
神のすばらしい言葉を語り、他の人々を幸せにしなさい。真実を耳に入りやすい言葉で語りなさい」
不幸なことに優しい言葉、神聖で高貴な話し言葉は、日に日にすたれており、現代の社会は完全な混乱と不安に陥っています。世の中全体が混乱し切っています。現代社会は、あらゆる限度を越えた様相を呈しており、規律も道徳も存在せず、社会全体が火の塊になってしまいました。
現代のあらゆる不安を取り除き、永遠の真実に立脚するためには、新しい社会秩序や新しい社会は必要ではありません。新しい宗教や新しい手順が必要でもありません。たった一つ必要なものがあります。清らかな心を持った人々を欠かすことはできません。清らかな心を持った人々が居れば、一国全体が神聖なものとなり、繁栄が約束されます。その国には純粋さと品格が存在するので、これらの高貴な魂の持ち主たちは栄えることができるのです。心の純粋さと品格が輝きを発するためには道徳心が必要です。霊性の存在しない所では道徳はすたれてしまいます。霊性という土台の上に道徳の壁を築き、道徳という壁の上に純粋さという屋根を葺かなければなりません。それが人生の手順です。壁を築くだけでは充分ではありません。土台を作るだけでも不十分です。屋根まで茸いて初めて人生は完全なものとなるのです。
言い方を変えれば、自信が土台で、満足が壁、特性が屋根で、自己実現こそが人生であるのです。
そのような人生を体験するためには、土台である霊性を頑丈に築かなければなりません。 昔から、このような心の清い人々のために、我が国は安全に守られ繁栄し、人々は幸せに笑顔を輝かせて生きていたのです。ところが、現代においては、誰も心の清らかさに注意を払いません。誰も人間としての品格を考えずただ金だけが必要だと考えられているのです。必要なのが金銭だけであるとすれば、なぜ、お金を持った人々が平安と幸福に満ちていないのでしょう? 快適な生活と快楽のみによっては平安はもたらされません。我々は、神聖な感情を表現することによって、初めて平安を味わうことができるのです。
今日の人間たちは、「愛してる」「私は愛してる」と言います。しかし、彼らは愛の意味を理解していません。誰にでもよいのですから尋ねてごらんなさい。皆が皆「私はあなたを愛しています」「愛しています」と答えるでしょう。この「愛」とは一体何でしょう?
朝、布団から起きだした時から、夜、布団に入るまでのことを考えてみましょう。私たちは自分の両親すらも愛していません。私たちは、個人個人を愛して初めて全能の神を愛することができるのです。万人に内在する神性は一つです。すべての存在の中に内在している神は一つです。神は万人、万物の中に存在しています。誰をも憎んではなりません。
ウパニシャッドは「目覚めて立ち上がりなさい。目標に到達するまで歩みを止めてはなりません」と教えます。よくよく注意しなさい。あなた方が、誰に敬意を表したとしても、それは神に届くのです。同様に、あなた方がどんな人を批判、非難したとしてもそれも神に届きます。
神とは誰でしょう?
神は寺院や巡礼先の聖地に、我々と別に存在しているのではありません。人間の身体こそが寺院であり、その中に住んでいるのが神なのです。
『神は遠く離れた国に住んでいるのではなく、神は肉体の中に住んでいます。私たちは、このような肉体を無視しています。我々は身体を清潔に保ち、飾りつけを施さなければなりません。神は遠い外国におわすのではなく、その人自身の肉体の中にいるのです』
目次に戻ります(C) 1994 Sathya Sai Organization Japan