・ババの御教え・
Seva * セヴァ
あなた方はこれから、徹底した社会奉仕に携わるようになるので、ひとつ言っておかなければならないことがあります。それは、このような活動によって、あなた方の頭と心の扉を開いて、神の光を迎え入れなければならないということです。今のあなた方の頭と心は、感情の突風と、想念の波によって動かされています。落ちつきも、不動の忠誠心もありません。あなた方は、人を惑わす欲望と、幻にすぎない快楽によってあちこちに動かされています。ですから、皆さんは、神を避け所として、あらゆるものとあらゆることのなかに神を見いださなければなりません。
神の意思なしには、何ものも存在し得ず、何ごとも起こり得ないということを知りなさい。利己主義と嫉妬によって、人間はこの真理が見えなくなってしまっています。帰依とは、自分の本質が神であると認識することであると定義されます。エゴは、この事実を認識することを妨げます。あなた方に与えられた時間を活かして、その認識を獲得し、歓喜に満ちた人生を送りなさい。時間は、状況のいかんにかかわらず、矢のように過ぎてしまいます。時間には、友も敵も、親類も縁者も、寵児も競争相手もいません。人間が名前と形から成る相対世界に縛られているかぎりは、時間の輪に縛られます。しかし、もし、善い行いをすることによって時間を神聖なものにするならば、その人は相対的な世界を超越することができます。
すべての善い行いのなかで、最高のものは奉仕です。必要としている人々に対する、思慮深い愛のこもった奉仕です。肉体は神の神殿です。神は肉体の中に住んでいます。神殿を作っている理知と心と感覚は神のものであり、自分のものだと思って、我々の気まぐれの言うなりに取り扱ってはなりません。それらのものは神の道具であり、神によって、神のために使われるべきものです。
実際、人間は、何の権利があって神の神殿を冒涜するのでしょう? 人間の義務は、神殿の神聖さを維持することにあります。理知と心と感覚は、神殿に付属している家具であります。理知と心と感覚をそのようなものであるとして敬い、注意深く用いなければなりません。その中に住んでいる神は、主人であり、創り主であり、内なるうながし手であります。あなた方は、神を、純枠でけがれのない、思いと言葉と行いを以て礼拝しなければなりません。
我々は、どのようにして汚点を回避することができるでしょう? 心がふざけ回るのを照覧者として眺め、そのけがらわしい欲望を満足させるために肉体が心に協力することを許さないことによってそれができるのです。心だけでは盗みを働くことができません。心が盗みを犯したがっていても、肉体がそれに従うのを許してはなりません。心が肉体を呼び求めるときに、このようにして退けられれば、心は、悪い傾向を手放します。子供が走れば、母親は捕まえようとします。ですから、子供は母親に捕まえられまいとして、転んで怪我をしてしまいます。一方、母親が背を向ければ、子供も母親の横に戻って来ます。このようなやり方を身につけなさい。あなた方は心の主人となって、それを神への道に添って歩かせることができるようになります。
(プラシャンティニラヤムにおける1985年5月13日スワミの御講話より) (C) 1995 Sathya Sai Organization Japan