・ババの御教え・
人に奉仕することは神に奉仕することである
数多くの聖地を巡礼したり、数珠を繰ったり、様々な経典を学ぶことによって、生と死の輪廻の海を渡ることはできません。セヴァ、すなわち奉仕を行うことによってのみ、それが可能となるのです。神聖なる学生諸君! すべての人々が霊的な道を歩むことを望んでいるのですが、おかしなことに、指導者たちばかりでなく、一般の人々も、新しいだけで意味のない方法を採用しています。それは大きな驚きと嘲笑をもたらしています。人々は権力のある地位を獲得することにとても熱心です。彼らは自分たちの責任を果たす必要性を全く考慮していません。自分の義務と責任を理解する人の場合は、自動的に地位と権力が与えられるのです。自分の義務を理解しない者は、いつになっても地位は得られません。自分が調和のとれた人間になるには、奉仕を欠かすことはできません。この奉仕という理念には、人間のエゴを取り去るという素晴らしい特徴があります。奉仕は愛と優しさを促進します。それは人を様々な世俗的執着より引き離して、神への道につかせます。この奉仕の観念は、神性の真義をも明らかにします。人類のすべてに行き渡る歓喜と至福をもたらすこともできます。実際、奉仕は霊性の道の第一歩なのです。今日、この神聖な奉仕が正しく実践されていないために、この国の人々は他人に頼るようになっています。喜んで奉仕をする意思のある人の場合は、国家が彼の支配下になります。しかし、奉仕の意思なくして、ただ指導だけしたいと思う人の場合は、決して一国を支配することはできません。奉仕の精神を理解している者が指導者になると、その指導者は、奉仕を通じてそのリーダーシップを保持し、人々を導くのです。まず奉仕を理解して人々の召使となる人でなければ、指導者にはなれません。同様に、悪の破壊ができない者は創造者にはなり得ません。
人間は社会の中で生まれます。人間は社会の中で生きます。人間は社会に奉仕することによって豊かになります。このような状況において、人が社会から遠ざかってしまえば、彼はすべてのものから遠ざかることになります。赤ん坊は母の乳を求めて泣きます。したがって、子どもは母に仕え、母を尊敬し、母に従わなければいけません。子どもは母親を崇めなければいけません。子どもはそれによって繁栄できるのです。このように、一人ひとりの人間に母親がいて、その母親が重要であるのと同じように、我々は国家を、すべての国民の母親であると見なさなければなりません。国家は神聖なる母親であり、私たちはこの聖なる母親に仕えなければいけません。奉仕を通して、我々は人生の目的を果たせるようにすべきです。私たちのこの神聖な国において、奉仕の理念は、代々賢者とグルたちによって伝えられてきました。彼らは私たちに、奉仕によって人生を満たしなさいと命じました。すべての僧院では、道徳と倫理が教えられました。良いことを教え、偉大な理念について説くことが彼らの毎日の日課でした。神聖な理念を心に抱いて、有意義な人生を送る方法が人々に伝えられました。
我々は、奉仕とは、召し使いが通常行うような卑しい仕事であると考えてしまうように思われます。このように、奉仕を卑しいものと連想することは正しくありません。奉仕について考えるとき、我々は、神様ご自身も、様々な方法で世界にたくさんの奉仕をしていることを認識しなければなりません。我々は、神様が、ダルマ(正義)を再建するため、言い換えれば、正義を元通りの高い位置に戻すために、人間として生まれ、したがって世界に奉仕するという、アヴァターの概念をよく知っています。遍在の神は、クリシュナの姿をとって、アルジュナに馭者として仕えました。それだけではなく、馭者としての一日の仕事が終わると、クリシュナは疲れた馬たちを川へ引いて行って、馬の身体を洗いました。このようにクリシュナは、清掃人としての仕事さえもする心の準備があったのです。そのとき聖者ヴィヤサは、神のなさることを見て、馬たちが体験した神のみ手によって洗われる幸運は、多くの偉大な人間にさえ与えられていないと感じました。
ラジャスヤの儀式が執り行われているときに、クリシュナはダルマラジャの所に行って、何か仕事を割り当てて欲しいと言いました。ダルマラジャはクリシュナの方を向くと、クリシュナにふさわしい仕事はありませんが、クリシュナご自身がどの仕事が自分に適しているかを教えてくだされば、その仕事を割り当てることをお約束しましょうと言いました。クリシュナは、ダルマラジャに近寄って、ダルマラジャの背中を優しくたたき、自分には特別な資格があり、その資格に見合った仕事がしたいと述べました。ダルマラジャは、クリシュナの言っていることが理解できませんでした。そこで、ダルマラジャはクリシュナに、あなたにふさわしい仕事をお探しできるように、その特別な資格をお教えくださいと言いました。クリシュナは、自分は人々が食事の際に使った木の葉の皿を集める仕事に適していると言いました。人々が木の葉の皿で食べた後、皿が汚れているので、それを取り除かないと、人々に一種の不快感を与えるからです。ゆえにクリシュナは、人々に喜びと快さを与えるために、この仕事をしたのです。誰かが苦しめられたり傷付けられたりした場合、我々は何らかの奉仕をしてそれらの人々を助けようと努力しなければなりません。様々な仕事をしたり、周囲を清潔に保ったりすることだけが奉仕ではありません。奉仕は、あなたの言葉によってもできるのです。あなたは善い言葉によって人のハートに安らぎを与え、善い行いによって人の心を和らげることができます。したがって、善い言葉を使い、善い行いをすることよって、人々を慰めることができますが、これは立派な奉仕なのです。
─バ バ
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