・ババの御教え・


『モンキー マインド』

(フィリス クリスタル女史の著書より)

 多くの方々がすでにご存じのとおり9月23〜24日の生誕祭にはゲストとして、『節制のプログラムの小冊子の著者であるフィリス クリスタル女史をババ様より承認を得てお招きしています今回のババの御教えコーナーはフィリス クリスタル女史の著書であるモンキー マインドの手なづけ方」(”Taming our Monkey Mind”)の中から、≪『節制』のプログラム≫と無私の奉仕に関する文章を引用させていただきました

第六章 ババの『節制』のプログラム

 ババは私たちがモンキー マインドに捕らわれなくなるのを助けるため非常に単純明快にそのあらましを示してくださいましたババは私たちがすぐにすべての欲望や執着を放棄することを期待してはおられませんそうすることはあまりに急激なステップであるということをご存じだからですですからババは私たちが、『節制と呼ばれるプログラムを使うことを勧めておられますこのプログラムによって欲望を少しずつ削って行きそうすることによってババが必要以上の荷物と呼んでおられるものを手放して行くのですババは、「欲望は荷物に似ています。≪荷物を減らし快適さを高めることにより旅は楽しいものになる鉄道の標語にあるとおりです短期間の列車の旅のためにすら荷物を軽くしなければならないのであればはるかに長い人生の旅をするときには荷物を軽くすることの重要性はどれほど差し追ったものとなるでしょうと言われます

 ババは私たちの人生のなかのいつも欲望にコントロールされている四つの領域について繰り返し話をされますすなわち私たちがお金と食べ物と時間とエネルギーをどのように扱っているかということですババは非常に貧しい人を除いた多くの人々の生活のなかでこの四つの領域において驚くほどの無駄がありそれは最小限に削られなければならないことを指摘しておられますババは誰でも生存するためにある程度の金銭と食物を必要とするのは事実だが予算の制限を受け入れることのできるほど自制心のある人はほとんどいないと言っておられます予算という言葉は多くの人にとって歓迎されざるものとなり厳しい自己否定を意味するものだと受け取られていますこの態度はしばしば子供のころに理解できる明確な理由もなくあまりにも厳しい予算が押しつけられていた結果として表れます

 節制のプログラムは一人ひとりがひいては一つひとつの家庭がより幸せでより満たされた人生を送ることができるようにとデザインされたものですこのプログラムは人生とその贈り物を無駄にすることなく喜んでこのプログラムに従おうとする人々がより多くのお金と食物と時間とエネルギーを自由に使うことを可能にするものですしたがって彼らの人生はよりストレスの少ないものになり結果的により健康的でより幸福なものになるのです私たちは人生のこの四つの贈り物のうちのいくつかがもしくは全部が不必要なまたは不健康な方法で無駄にされてはいないかを意識しなければなりませんそしてそれらのものを自分自身や家族の人々の役に立つようにより賢明な使い方を始めなければなりませんそれに伴ってエゴや肉体によって生ずる欲望から徐々に離れるようになるという恩恵が加えられますエゴや肉体によって生ずる欲望こそが私たちのモンキー マインドを非常に活発な状態に保つのです

 ババはたびたび次のように言って来られました。「私はあなたの欲するものを与えますそれは私があなたに与えるためにやって来たものをあなたが欲するようになることを願っているからです。」私たちは自分は解脱を望んでいるというかもしれませんしかしその状態に到達するには私たちは自分のエゴやその欲望に対する執着を手放す必要があるのです

 ババはまた、「一部の人々が私から離れて行く最大の原因は彼らが私への愛を失ったからではありませんそれは彼らの願望が満たされなかったからです彼らはもし私についていれば自分の世俗的な望みや欲が満たされないかもしれないという恐れに捕らわれているのですだから彼らは離れてしまうのですとも言われますしかしこの恐れは他の大部分の恐れ同様真実に基づいたものではありません自分たちはある特定のものが欲しいと主張したり他のものを受け取ることを拒否したりすることによってババが私たちに与えようとするものごとにしばしば制限を設けるのは私たち自身ですしかし私たちが理解していないことは多くの場合自分の欲しいと思うものが必ずしも有益でもなければときには快適でないことすらあるということです同様に私たちが欲しくないと考えるものが有益であったりやり甲斐のあることだったりすることが判って驚くことがあります何が必要で何が不必要であるかという私たちの個人的見解は非常に近視眼的なものです私たちが欲望の対象をあくまで追い求めようとしたり自分が歓迎しないことを避ける努力をするとき学習のために私たちが最も必要としている体験そのものが私たちに教えるために私たちの方にやって来ようとするのを自分で妨げている可能性が強いのです

 私たちの真実の自己は内在の神ですがババは人間の姿をとってその内在の神を表していますですから私たちが何を必要としているかということに関してババのより賢明な判断にお任せして私たちのエゴが欲しがるものを追い求めることをやめる方がはるかに容易でしかも間違いなく安全ですというのも過去の体験から判るのですが私たちの選択は最初に我々がそれを心に抱いたときには非常に魅力に富んだものに見えるにもかかわらず長い目で見れば失望するものであるのが普通だからです

第8章 無私の奉仕──モンキー マインドの解毒剤

 節制のプログラムを通じて無駄を省くことに加え四つの領域においてこのようにして節約できたものを私たちよりも恵まれていない人々を助けるために使うようにとババは助言しておられます助けを必要としている人々を探すことは決して難しいことではありません特に今の時代においてはそうですこのようにしてババが大事にしておられる≪『節制のプログラム無私の奉仕の二つのプロジェクトを結び付けることができますババはそれは白己関心の結果として与えるものではなく文字通りの無私の奉仕でなければならないという条件をつけておられます自己関心は奉仕をけがし奉仕する人自身を解脱に向けて高めるのではなく奉仕を汚した報いがその本人に返って来ます

 多くの人々は飢えた人ホームレス不幸な人病人虐待された人等々を援助することによってもっと世の中の役に立ちたいと言いますしかし彼らの善意はしばしばそこで終わってしまいます罪悪感や他人の批判から免れようとして無数の言い訳が用意されます例えば家族を養っていて一円玉に至るまで細かく予算に組み込まれているので他人の援助ができないと言いますあるいは白分白身と家族が必要とするものを整えるのにあまりにも忙しく働いていて疲れてしまうので毎日の日課として要求されるもの以上のことをする余分の時間もエネルギーもないというのです実にこれは全世界を通じて共通した状況ですところが、『節制のプログラムを実践すると大部分の人が白分たちが余分にお金を持つようになるばかりでなくより栄養のある物を食べ余分な時間を持てるようになることに本人が驚くのですそして何よりも素晴らしいことにエネルギーの無駄が省かれるので自分の節約したものを困っている人々と分かち合う元気が残っているのですその上人類に対する何らかの奉仕に携わるようになれば人々は決まってそのような行為によって最も恩恵を受けるのは自分たち自身であってそれを受ける人々よりもはるかに大きな恩恵を受けていると述べています例えそれが金銭であれ食物時間エネルギーあるいは知識や洞察であれ私たちが持っているものを他の人々と分かち合うことは想像の及ばない見返りをもたらします

 そのような無私の奉仕からはさらに予期していなかったボーナスが生じます私たちが他に与えることに忙しく係わっているときはモンキー マインドの方向は完全に逆転しています自分たちが望むものを何でも求め掴み取ることではなく他の人々の苦悩を軽減することに集中することによりモンキー マインドはハヌマーンのように内在の神の魂に向けられるのですなぜなら私たちは他に奉仕することにより実は万物に内在する神に奉仕しているからですその次元では万物は一つです

 あなたは誰ですかと尋ねられればいつもハヌマーンはすぐに私はラーマ神の召し使いですと答えましたですから無私の奉仕に携わることによって私たちもまた欲で一杯の肉体の中に住んでいる魂の方を向き万物に内在するラーマやキリストやババや仏陀やあるいは私たちが万物に内在する神の魂を指すその他の名前に奉仕することができるのですこの神の魂私たち自身と私たちが助けようとするすべての存在…人間であれ動物であれ…に内在しています

 奉仕は家庭の中から始まるという古い格言は私たちが採用すべき素晴らしいモットーですある人がいわゆる他人に対しては奉仕の天使となって人々の変わらぬ感謝と称賛を受けているのにその一方で自分の家族を無視しその要求には応えず家族が助けを求める声は無視されるか短気怒り苛立ちの混じった反応を人気者の天使から受けるというようなことは珍しいことではありませんしかしババは私たちが人生の大部分を共に過ごす人々こそ私たちが学ぶ必要のあることを教えてくれることのできる人であると言われます私たちはこの事実を認め学習の余地を設けさえすれば良いのですですから私たちと密接なつながりを持っている人々は私たちにとって最大の教師となり得るのですもし彼らの助力によって家族関係のなかで私たちが忍耐寛容不動心自制心を身につけることができれば人生は、私たちが最も必要としている霊的教育を提供する点から言えば修行僧や隠遁者の人生と同じくらい有益なものになります

 奉仕はそれが家族に対するものであれその他の人々に対するものであれ正しい目的のために行われるべきであり何らかの思惑があって行うようではいけませんそのようなことをすれば奉仕の効果が削られてしまうからです奉仕がエゴの影響を受けないためにはその奉仕が人々の苦しみの原因となっている痛み飢え拒否されたという感情喪失感などに対する深い同情から生まれたものでなければなりませんそのようなときにはじめて奉仕はそれを受ける人と施す人の両方にとって有益なものとなるのですですから自分が重要であるとか価値のある人間だと感じたいために特定の奉仕をすることに決めたりもしくは奉仕を受けた人から認められたり感謝される等々の報酬を求めたり何らかの個人的利益や霊的利益のために奉仕をしようと考えないようによく気をつけなければなりません奉仕は例えば退屈を紛らわしたり毎日の日課や日常の責任を免れるというような利己的な動機とは無関係でなければなりません

 忘れてはならないもう一つの最も大切な点は成功や失敗といった奉仕の結果にこだわってはならないということですババは、「成功で得意になったり失敗で意気消沈してはなりませんと言われます

 モンキー マインドにとって最良の解毒剤はハヌマーンの示した模範を見習うことですそれは本当の自分すなわち神の召し使いになることです神をどのような名前で呼んでも良いのですババは、「ハヌマーンを奉仕の見本としなさい彼は神への献身的奉仕の最高の見本として傑出しているからです彼は武術に長け学識もあり高い徳を備えていましたが慢心のひとかけらもありませんでしたと力説されますババはまた奉仕こそはカリユガ私たちの住む四つのユガ時代区分のうち最も暗いユガの時代の影響と戦うための唯一の手段であり霊性向上のために設けられたそれ以外の手段はどれも無私の奉仕には劣るとも言っておられますさらにババは、「神の御名を唱えることや瞑想やヤグナと呼ばれる儀式や聖典を読むこと聖地巡礼などは無私の奉仕に匹敵するものではありませんと説明を加え、「愛に満ちた奉仕という形の活動は神に至る様々な道のすべての目的を成就します奉仕は瞑想バジャンヨーガなどのようなそれ以外の道よりも高尚な霊的向上の手段ですと言われます

 ですから私たちはハヌマーンのように私たちが奉仕しようとしている人に内在している神に自分が奉仕していることを思いまた自分自身に内在する神にも奉仕しているのだということを心に留めて奉仕の必要や機会に気がついたときはいつでもそれを受け入れるのに一瞬たりとも無駄にすべきではありません


私たちは習慣的に、「私」とか「私のもの」と考え、

「私たち」とか「私たちのもの」とは考えません。

私たちのエゴに力があるという

誤った信念のもとに、私たちは悩みます。

しかし私たちが、「私」を見ることをやめて

「あなた」を見ることを思い出しさえすれば、

一生続いた習慣に別れを告げて、

内なる光を輝かすことができるのです。


目次に戻ります  

(C) 1995 Sathya Sai Organization Japan