・ババの御教え・
真理は神である。
真理は富と繁栄のみなもとである。
そして、世界の美徳を支えているものもまた真理に他ならない。
真理のあるところ、富と繁栄の女神ラクシュミが住んでいます。真理は不変であり永遠です。真理は人間が生きていく上で、欠かせない重要なものです。もし、悲惨で苦しみに満ちたこの世に、善があるとすれば、それは真理のゆえなのです。
上代においては、国王は真理に基づいて王国を統治していました。彼らは、真理を守るためには、すべてのものを、自己の生命さえ犠牲にする覚悟ができていました。ハリスチャンドラは、このことを示す最高の実例です。彼は、真理のために、妻も息子もそして王国全体も犠牲にしました。彼は、火葬場の管理人という、身分の低い人のする仕事をしようと申し出ることさえしました。真理を欠いているがために、世界には平和と安全がありません。真理は常に国家を守るのです。
今日、私たちはこの真理を遵守していません。人は有徳の道を捨て、真理でないものに関わっています。嘘と不正な行ないに没頭して、自分の人生を破滅に追い込んでいるのです。人は、今日、真理を尊重する気持ちを失ってしまいました。愛は忘れられた価値となってしまいました。人々は、この現代の状況下においては、正義など何の関係もないものと考えているのです。今日、人が行なうすべてのこと、すべての計画や企ては、自己中心的なものです。霊性修行でさえ、社会で認められることを目的として行なわれており、それは純粋なものというより、自己顕示のためのものなのです。人間の活動すべてが、執着と憎しみに基づいています。利己主義と嫉妬が現代の人間を支配しているのです。人間としての価値はその力を失い、それゆえ平安と安全はどこにもありません。
真実と正しい行ない
人が基礎をおろそかにして、その上の建築物ばかりに目を向けているときに、平安があるはずはありません。人生とは楽しんで、食べて、飲み、眠ることだけを意味するという錯覚によって、人々は動かされているのです。この考えのもとに、人は富を獲得して、財産を殖やします。彼は、自分がこの世に生まれてきた目的を理解しようと試みはまったくしません。たとえ彼が正しい行ないを追求しようと試みても、貪欲、名誉欲、色欲、その他の誘惑のためにうまくいきません。真理は、人の人格を築き上げる基礎です。真理が尊重されないときには、基礎が弱い建築物のように、人生という大邸宅も崩壊してしまいます。人はこのことを理解せずに、感覚的な楽しみに満ちた人生を追い求めています。そして、彼自身の全存在を支えている生命力そのものである真理を顧みないのです。
これは、マーヤーによって引き起こされた錯覚のせいなのです。マーヤーとは、人間がどんなに用心しようとも人間を覆ってしまう奇妙な現象です。それは人間が行くところ、どこにでも追いかけてくる影のようなものです。影の大きさは、光の方向によって大きく変わります。人が光の方向に移動し、光の下まで来ると、影は消えてしまいます。すなわちマーヤーは消え、真理のみが残るのです。
人生という旅のルール
人生の旅路を首尾良く進めていくことは、車を安全に運転することに例えられます。安全運転には、スイッチ、ハンドル、ギア、ブレーキの操作法の正しい理解が必要です。同様に、私たちは、ヴェーダの格言に従う必要があります。「真実を話し、正しい行ないをなせ。」という格言がありますが、これは、人が良心に忠実であることを助けてくれるものです。正しい行ないを実践し、真実を話す者は、必ず、そのうちに神聖な人間になっていきます。彼らは、川が海に流れ込むように、神に融合するのです。
真実と正しい行ないは、人間存在の根幹をなすものです。人は、真実に忠実であることが難しいなどと考えてはいけません。実は、真実を話すことの方がずっとやさしいことなのです。一方、嘘をついて取りつくろうためには、大変頭を使わなければならないのです。
1994年3月10日のご講話より (C) 1996 Sathya Sai Organization Japan