サンパト博士IN東京


 私は、日本に来る前にスワミにお会いしまして、日本の帰依者の方々にどのようなメッセージをお伝えしましょうかとお伺いしました。これまで日本からプッタパルティのほうに多くの日本人がスワミの祝福を得るためにやって来るときに、スワミがその方々をお迎えされる時その有り様を目の当たりにし、スワミご自身が、日本人の帰依の心に関してお話してこられるのをお聞きするにつれて、スワミご自身は日本人が霊性の道、神に関することに対する姿勢の素晴らしさを愛でておられるということが良く分かります。スワミはインド以外の国において、世界中で日本こそは文化的変容が既に始まっている所であって、文化的変容が霊的な変容の基盤になると言われています。文化的変容は人間的価値観に基づいて行なわれるわけですが、スワミは五つの人間的価値観が非常に大切なものだと考えておられます。スワミは人類を高めるための五つの人間的価値観をお話しになりますが、それはサティア・真実。真実を生活の上で守ること。ダルマ・正しい行ない。正しい行ないをいつも行なう。それからシャンティ・平安、心の平安とは何かということをいつも追求すること。プレマ・愛。これは私のあらゆる態度の中に愛を培っていく。最後にアヒムサ・非暴力。これは受け身的な非暴力では無く、能動的な非暴力ということ。そういう意味合いでこの五つの人間的価値観が大切だと言っておられます。スワミはいま言った五つのうち最初の四つ、つまり、真実と正義、平安、愛、この四つは永遠の法と言われ、サナザナ ダルマといわる人間として永遠の守るべき、人として守るべき道、それを支える四つの柱だと言っておられます。

 スワミが、今回、私が日本に来るときに、日本の帰依者の方々に伝えるようにと言われたメッセージの話に戻りますが、次のように言われたわけです。

 スワミは『日本の帰依者の方々の中の、私に対する帰依心が高まっていることを知っている。そして、帰依の波が日本の全国に広がっていくことを私は望んでおり、また、世界中の人々の先頭をきって人々の見本となって、世界のリーダーになることを望んでいる。それがおこるためには、日本の帰依者の方々は、あちこちを見ずに、私に対して完全な帰依心、信仰を持たなければならない。そして私こそが、至高の神そのもの、すべての力の根源である』と言われたのです。帰依者の方々が神に対して本当に全託した場合に、神と一つであることを心から感じることができて、それによって偉大な至福を体験できると言われます。そしてこの神と一つであると本当に心から感じることがサット(存在)・チット(意識)・アーナンダ(至福)と呼ばれる状態でありまして、それが神と一つであるときに生まれる至福、永遠の歓喜とそれを味わう状態といわれます。

 私はここで、サティア サイご自身がお話しになった神聖な言葉に対して、私の思うことのいくつかをここで述べたいと思います。

 スワミは「人間でもなければ天使でもない。私は教師である。私は真実と善と美の化身である』とおっしやいます。今年は世界中のあらゆる場所においてサティア サイ オーガニゼーションの様々な機関で、人々が心から真実に生きること、真実の意味、真実の実践を追求しています。ババは真実の化身であるとおっしやる場合には、どういうことを意味しているのでしょうか。スワミは次の言葉で説明しておられます。

 『私は最高神であり、そして、私はあなたであり、あなたは私である。私は常にあなたと共にあり、あなたの中にあり、あなたのまわりにいる。永遠にあなたと共にいる。私はあなたの太陽の光でもあるし、影でもある。私はすべてのものに生命を与える聖なる力であり、すべてを知っているこの私の力を体験しなさい。私があなたの心のなかに住んでいるということに気がつきなさい。あなたが生きる所、働く所、あらゆる場所で調和をもって生きなさい。そして至る所に私がいるということに気がつきなさい。私は人類一人ひとりのすべての人を助けます。というのは、彼ら一人ひとりが、それぞれの方法で私の使命を助けてくれるからです。私はすべての人を内から促すものであり、また、私は皆さんの見本となり、皆さんに霊感を与えるものです。私の人生そのものがメッセージです。私は皆さんに、私の栄光をよく知って欲しいのです。ですから時析、栄光の一端をお見せします。私は本当にたくさん皆さんに愛を与えます。ですから、皆さんは少しでも、それを取って、自分の感じること、考えることに混ぜなさい。そうすると自分の想い、感情が本当に甘いものになります。私のすべての力は手の中にあります。私の肉体はすべての肉体と同じように移ろい行く儚いものですが、力そのものは永遠であり、決して薄くなったりしません。私がこうやって人間の肉体をとって生まれてきたのは、一つの仕事、目的のためであり、その目的というのは、地球に真実と正義の復興をするためであり、一人ひとりを、その道に導くため、生きるための行動の規範を示すためです。私がこの使命を達成し終えたたときに、この肉体は水の泡のように消えていきます』。

 様々な聖者たちが素晴らしい教えを残していますが、こういう教えは、すべて人間の知性に訴えるのみで、人間の行動を変えるまでには到ってはいなかった。宗教的な哲学的な素晴らしい教えを私たちの生きた実践できる科学に変えるには、知性に訴えるのみばかりではなく、心そのものに働きかけなければならないとおっしゃっています。

 このように毎日1時間以上ご講話をなさることに対して、150cm、50kgのお身体では非常にお疲れになると思ったので、「肉体的に疲れませんか」とお尋ねしたところ、その答えというのは、本当に皆さんに対するスワミからのメッセージなんですけれども『私は仕事をしているときは、決して疲れない。毎日講話をすることは私の義務である。講話を聞くことによって、世俗的なことで非常に苦しんでいる人々が、そういう世俗的なことから本当に霊的なものに心を向けて、徐々にでもいいから私とともに霊性の道を力強く歩いて持って生まれた本当の神性というものに到達するために、精進する者のためである。』とおっしやっいました。「私はこのように仕事を続け、その義務を果たすことによって私は至福に包まれる。その至福で皆さんをつつみたいのだ。』

 バガヴァン ババ御自身が神の化身として地上に降臨した使命について次のようにおっしやっています。

 「私は何らかの宗教を広めるために来たのではないし、何らかの教義を教えるために来たのでもない。それからまた何らかの教義を守るために、信者たちを集めるためにやって来たのではない。そうではなくて、私が来たのは普遍的な真理、愛の美しさ、また愛の栄光について何より私の愛に対する義務について話すためにやって来た。』とおっしやっいます。スワミのおっしやっることは愛の積極的な力についてお話しされるわけでありますけれども、私はこの場の皆さんにスワミのお言葉の意味を深く考えることを望んでいます。私はこの話を次の言葉で終えたいと思います。ある時、スワミが一人ひとりの帰依者に対して言われた言葉で本当に素晴らしいものです。今から言うことは本当にスワミが日本の人々に伝えたかったことであると感じています。『目を覚ましなさい、私の子供たち。そして光を見なさい。目の前に来たこの機会を捕らえなさい。そして過去の様々な苦しみから離れてしまいなさい。主人(マスター)に従いなさい。そして神と一つになる喜びを味わいなさい。神とひとつになって送る人生とは、それ自体が永遠のものであります。私は真理です。皆さん心を開いてこの真理を受け入れなさい。そうすればあなたは本当に喜びと平安を体験するでしょう。そして全人類と自分がひとつであるということを知るでしょう。人生においてやって来たり、去っていったりするものは幻覚(マーヤー)であります。つまり心が作りだしたものに過ぎません。私たちはそれが一時的なものであり、過ぎ去ってしまうものと知っているにもかかわらずそれに執着してしまいます。それによって人生の真実が見えなくなります。』

 神の化身は、私たちに完全なる自由意思というものを与えられました。私たちが本当に真実、神を実現するための道を歩むかどうかということは私達自身の意思に任せておられます。ここでババがよくおっしやっることを一つ言いたいと思います。「もし私について興味を持っている人がいたらそこへ行って私の栄光について語り、その人を抱きなさい。もしその人が私に関して疑いを持っていたり、心が定まらないときは、時間が来るまでその人を放っておきなさい。』皆さんすでにご存じであり、またそう思っていらっしやると思いますが、スワミは私たちを導くため、私たちを導いてくださる教師として、この地上に生まれてこられたのです。本当に私たちがスワミと同時代、この世に生きていられることは本当に幸運なことでスワミは私たちに真実を教えてくださいます。霊的に進歩するための基盤を様々伝えてくださいます。私たちはその機会を捕らえようと思えば捕らえることができるのですから決して機会を逃してはいけません。バガヴァン ババは私たちに様々具体的に分かりやすく教えてくださいます。そのエッセンスを凝縮した次の言葉を守りなさい。それは「常に人を助け、決して誰も傷つけてはなりません〜HELP EVER,HURT NEVER〜」ということです。それから何か特別な大事なことを行う場合に、どこか静かなところに座りこれから行なうことが本当に正しいことなのか、自分自身に深く問いなさい。また、自分の行動する行動のやり方が本当に立派な人間らしい行動か、動物のような行動か、自分自身に問いかけてから行動しなさい。そうして、それから後のことは神の責任ではなくてあなた人間として責任を取りなさいということです。それから意識的に集中ということを訓練しなければなりません。例えば、本を読んだり人の話を聞いたりバジャンに参加したり、そういう時に、いつも心を集中する訓練をして、心をあちこちに彷徨わせてはなりません。このようにいつも集中するということを心掛けてまいりますと、より深い、より大切な黙想という状態にあなたは入っていくでしょう。黙想することによって自分の周りでいろんなことが起こりますが、その起こることの意義が分かるようになります。黙想ができるようになるとしばらくすると人間にとって一番大事な瞑想ができるようになります。瞑想というものは霊性修行でありまして、神の言葉を実際に実践できるようにするそういう働きのものであります。あなたの行うすべての行動は、純枠さと忍耐と根気その三つによって特徴付けられるわけであります。皆さんの行なう行動の根本に純枠さがあるべきであり、それが達成されなくても忍耐を持って最後に望んでいることをなし遂げるまで根気強く続けるその3つの純粋さ、忍耐、根気が大切であります。

 最近スワミが強調していらっしやる私たちが持つべき特徴、特質があります。それは、自分が他の人に対して何か良いことをしたときそれを決して自慢してはなりません。私自身が神の作り給うたものであり、また相手の方も神の作り給うた方であり、そしてその良いことをするという機会を与えてくださったのもまた神でありますからどうか謙虚でいてください。誰かがあなたに対して悪いことを言ったり、傷つけたりしたときその人に対して自分が悪意を持ったとすればその人の持っているすべての悪があなたのところにやって来ます。もし誰かがあなたに悪いことをしたとすればそれはその人の運命でありますから、その人の運命を自分に引き受けて苦しむ必要はないわけであります。最近の御講話の最後の締めくくりに必ずといっていいほどスワミがおっしやることは、心を広く持ちなさい、心を純枠にしなさいというこの2つのことをおっしゃいます。

平成8年9月26日 ご講話より


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