サイの御教え


  

1997年正義の年

──ダルマの復興

  

 自分の目の前で犯された不正義や不法に対して、(地位や力を持ち反対することができたにもかかわらず反対しなかった人々についてはたとえその人自身善人であっても実質的に犯罪に加担しているものとクリシュナは見なしました悪や不正や暴力のあるとき無関心に見逃すのであればその人も共犯と見なされなければなりません最後は犯罪者と同様に罰を受けますなぜならその人たちが無抵抗でいたがゆえに悪人に勇気を与えてしまったからです

 善人が悪人と関わり悪人に反対しないとき双方で悪人の行為の結果を分け合うことになります神は不正や悪事が犯されたときに反対しなかった者も逆らわないままでいた者をも滅ぼします神はその者たちに学問があろうと無知であろうと賢かろうと愚かであろうとおかまいなしですもしその者たちに学問があり賢いのであればどうして真埋と正義を守ろうとしないのでしょう どうして沈黙しているのでしょう これは同じ罪に汚されていることを意味しています悪への抵抗を怠ることは罪と言えます不正義や不法行為に反対し社会の中の不正行為を抑えようとするときにのみ私たちはダルマの復興という使命を果たそうとしていると主張することができるのです

(1986年10月11日の御講話より)

 


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