サイの御教え
自分の目の前で犯された不正義や不法に対して、(地位や力を持ち)反対することができたにもかかわらず、反対しなかった人々については、たとえその人自身善人であっても、実質的に犯罪に加担しているものとクリシュナは見なしました。悪や不正や暴力のあるとき、無関心に見逃すのであれば、その人も共犯と見なされなければなりません。最後は犯罪者と同様に罰を受けます。なぜなら、その人たちが無抵抗でいたがゆえに、悪人に勇気を与えてしまったからです。
善人が悪人と関わり、悪人に反対しないとき、双方で悪人の行為の結果を分け合うことになります。神は、不正や悪事が犯されたときに反対しなかった者も、逆らわないままでいた者をも滅ぼします。神は、その者たちに学問があろうと無知であろうと、賢かろうと愚かであろうとおかまいなしです。もしその者たちに学問があり、賢いのであればどうして真埋と正義を守ろうとしないのでしょう? どうして沈黙しているのでしょう? これは同じ罪に汚されていることを意味しています。悪への抵抗を怠ることは罪と言えます。不正義や不法行為に反対し、社会の中の不正行為を抑えようとするときにのみ、私たちはダルマの復興という使命を果たそうとしていると主張することができるのです。
(1986年10月11日の御講話より)
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