サイの御教え


  

1997年 正義の年

一一真のダルマ

 ある特定の霊的な教えが広く受け入れられる場合その教えには必ずあらゆる人が日常生活の中で実践し体験することのできる規律が含まれています各人にとっての最高のダルマとは自分自身のダルマに勇敢に従うことです

   

 この問題に関しては宗教と道徳の間で対立があります神は人間の考える道徳的規律について、「困難で危険に満ちたものであると語っていますどの行為が正当でどの行為が正当でないのか どの行為が道徳に適っておりどの行為がそうでないのか 人々は未だにそれを結論づけようと奮闘していますしかしクリシュナは価値ある行為について次のように触れています

    

あなたの思いを私にとどめよ私に身を捧げ私を崇め私に全託せよそうすればあなたは私に到達するであろうこのことが真実であることを私ははっきりと言おうなぜならあなたはわたしにとって愛しい者であるからこれは我が教えであり我が恩寵であるこれは私に至る道である一切のダルマを私のうちに放棄せよ私に従いなさい悲しむことはない私はあなたをあらゆる行為の結果から解放しよう

    

 この2つの詩節の意味と重要性に注目してごらんなさい この世に生まれ来てはしばし留まりそして再び去って行くという輪廻から救われ解放されるには全託しさえすれば充分ではないでしょうか あらゆるものの内に神を見どんなときにも神を認め常に神の存在に気づいているという至福に浸ること深い帰依と愛により生じる神との絆の中に溶け込むこと重要なことでも些細なことでも神に捧げられたあらゆる行為、(願望意思態度活動成果結果といった始めから終わりまでの捧げられたすべてのこと神を崇め無執着の気持ちで自己への執着行為への執着のすべてを放棄すること神はそれをあなたに求めています

    

 もちろんこのように全託することは難しいことですしかしたとえ僅かでもそうしようと努力するならそのための勇気を最後まで神自らが授けることでしょう神は友としてその人と共に歩み助けます神は導き手としてその人を導きます神はその人を悪と誘惑から守ります神は杖となってその人を支えますクリシュナは次のように語っています。「この行為の道にほんの僅かでも従うならば恐れに脅かされることはない」。ダルマに従うこと自体が喜びの源泉ですこの道は障害に悩まされることがほとんどといってありませんこれがクリシュナの教えです

  

あなたは私のもとに来るあなたは私に近づいて来る」、言い換えればあなたは私の神秘を理解し私の内に入り私の性質を獲得するということですこの言葉には神性を獲得すること神の内に存在すること神と一つになることが示されていますあらゆる存在の内に神を認識したなら知識という道具によっていつもすべてに内在する神を体験するのなら神のみを見聞き味わい匂ぎ神のみに触れるならその時人はまぎれもなく神の身体の一部となり神の内にあって神と共に生きているのです自分自身の向上という義務に取りかかればまさにその第一歩を踏み出す時新たな力が得られるでしょうあなたは初めて知るより純粋な喜びに震えることでしょう完全な至福を味わいかつてない神聖さに身を新たにすることでしょう

  

 このダルマは特別な人のために定められ提示されたのではありませんこのダルマは皆の手の届くところにありますなぜなら神を切望しておりこの移り変わりの背後にある基盤となる何かを発見するための識別力を有しているからです極悪非道の罪人でさえ激しい自責の念にかられて神に従うことによりすぐにも心を洗い純粋になることができるのです

  

 したがって神の指令とは各々が自分のために定められた特別なダルマを追求することです自分が身に付けている文化の霊的基盤に基づいて自分の人生を設計すべきです物質を対象としたビジョンを捨て神の声に耳を傾けるべきなのです

  

(ギータ バヒニより)

   


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