サイの御教え
1997年 正義の年
無相のブラフマンが神の化身として世に出現するとき、それは使命を遂行するためです。方法はさまざまであっても、どの時代であれ、人間を再びダルマの道に立ち戻らせることが神の化身の唯一の目的です。
わたしはただ、ダルマを復興し、人のこころの歪みを矯正し、人類を太古のダルマに立ち戻らせることが32歳以降のわたしの仕事であると言っているのです。疑いと無益な議論はやめなさい。いま語ったわたしの任務を、どのようにわたしがやってのけるのか、果してできるだろうかなどと疑うのはよしなさい。ブリンダヴァンの牧童たちは遊び仲間の男の子が、ゴヴァルダギリの小丘を高く持ちあげることができるかどうか、疑いました。必要なのは信仰、大いなる信仰です。
もちろん、この真実に固く立脚するためには、規則的な霊性修行を長期間にわたって実行しなくてはなりません。あなたはややもすると、自分自身を肉体と考え、地に映る影の原因である身体も、じつは影にすぎないということを忘れがちです。霊性修行の第一歩は、個人の行為においても社会的行動においても、ダルマ(太古の経典に定められた人の守るべき本分)に固く立脚することです。プラクリティ(原質、世の中)に関して遵守されるダルマは、たましいにかかわりあいをもつダルマに自動的に通ずるのです。ですから、あなたは、いついかなる場合においても、ダルマを固く守らなければなりません。
霊性修行に、年齢が若すぎるということはありません。規則正しく食物と飲み物を身体にあたえるように、内なるアートマン体の欲求にたいしても、規則正しいジャパム(神の御名をくりかえし唱えること)と瞑想とを供給し徳を養わねばならないのです。良き交わり、正しい行為、正しい想念は内なる人格の成長と健康のために必要です。身体は至高神の宮殿、至高神のおわす宇宙です。あなたは規則正しくコーヒーやお茶を飲みます。そのように、たましいの健康と活気のため、定められた時間に瞑想とジャパムをきちんと行いなさい。
偉大な真理を、これ見よがしに宣言してはいけません。その真理が価値あるものであり、あなたが真理にもとづいて生きていることを、行いにおいて示しなさい。少なくともこのことをつねに念頭におき、決して他の人を傷つけるような言動があってはなりません。自分が登ることを嫌がっている高みに、他の人に登りなさいと要求してはいけません。この二つの原則を忠実に守って生活するならば、あなたが神像の前にひれ伏し、あるいは神殿に参詣し、あるいは儀式どおりの礼拝を行わずとも、神の慈愛はゆたかにあなたに注がれます。
実際、カルマ(行為)は行為の結果に執着をもたずになされるとき、神へ捧げる行為となります。修行僧は自分がどのような奉仕をしたのか、忘れてしまうのがよいのです。報酬を期待して行為をしてはなりません。それが無私の行為の理想です。それをすることが自分の本分であるとのこころからなされる行為こそ、最善です。それによってなんらかの得を得ようなどの感情が、露ほどもあってはなりません。修行僧は、怒り、不安、嫉妬、貪欲のこころを持ってはなりません。
あなたに喜びをあたえることは、他の人にも喜びをあたえることであるとの真理を実践することです。自分が他人にしてもらって嬉しいことを他の人にしてあげなさい。自分がされて辛いことは人にしてはいけません。このようにおたがい同志の思いやりの関係が育てられれば、やがてあなたは他の人が喜んでいるとき、自分も歓喜にふるえ、他の人が悲しんでいるとき自分も身震いするこころの持ち主となります。
他の人は、あなた自身の一部分です。あなたは、他の人のことを心配する必要はありません。自分自身のことだけ心配しなさい。それで十分です。あなた自身が整えば、他の人も整います。なぜならあなたは、他の人を自分から分離したものとは考えないからです。他の人の批判、あらさがし、それはすべてエゴイズムから出ることです。あなた自身の欠点をさがしなさい。あなたが他人に見る欠点は、あなた自身の性格のクセが反映しているのです。些細なことにくよくよせず、こころを至高の神に結びつけなさい。そのときあなたは良い人々と交わりを持つようになり、あなたの力も変わります。
花の蜜を吸うハチとなりなさい。人の血を吸い、病気をまき散らす蚊ではなく。まず、すべての人を至高神の子供と見、あなた自身の兄弟姉妹とみなしなさい。こころをつちかい、常に人類の平和と繁栄を念頭におきなさい。人を愛しなさい。そうすれば他人から愛されます。愛を促進し、すべての人を愛のこころで見るとき、あなたは人に憎まれることはありません。それは、わたしが教えるひとつの教訓です。それはわたしの真義です。「わたし」に到達したいなら、「愛」をつちかいなさい。憎悪、嫉妬、怒り、皮肉、虚偽を捨てなさい。わたしはあなた方に学者になること、あるいはジャパ(神の御名をくりかえし唱えること)とディアーナ(瞑想)に熟練した隠遁者や苦行者になってもらうことを要求しているのではありません。あなたのハートに霊的愛が満ちあふれているかどうか、それをわたしは調べるのです。
(「黄金の宇宙卵」より)
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