「人間は人の姿でこの世に生まれて来る以前に、動物として多くの生を経て来ました。残忍さ、怒り、貪欲、僧悪のような動物的性質という重荷は未だ人間の中に存在しています。人間という一つのものの中に多くの獣性が存在しているのです。ジャッカル、野牛、虎、象一一皆、人間の内にいます。人間は自分の性質からそれらの特質を捨て去らなければなりません。自分の理解を越えた事柄について無益な論争にふけるとき、人間は羊のように振る舞っているといえます。ある理想から別の理想ヘ、ある計画から別の計画へと、何に対しても完全に没頭するということなく跳びまわるなら、その人は猿の性質を示しているといえます」
サティア サイ スピークス第10巻P.134
「情欲(カーマ)、怒り(クローダ)、貪欲(ローバ)、執着(モーハ)、高慢(マーダ)、憎しみ(マーツァリャ)という6つの悪魔はあなたを追いかけ、間違った道へと向かわせ、あなたを卑屈にし、愚かにし、悲しませます。それらに対し、断固として戦いなさい。これはあなたが生涯にわたって戦い抜かねばならない戦争なのです。7年戦争でもなければ、30年戦争でもありません。もし100年生きるなら、それは100年戦争となるでしょう。戦闘に休息はありません。これは内なる戦いであり、絶えず警戒することによってのみ、その恩恵を得ることができるのです」
サティア サイ スピークス第7巻P.156
「あなたの内側では6つの怒りの炎が燃え盛っていますが、あなたには、効力ある4つの消火器もまた備わっているのです。それは正義、真理、平安、愛(ダルマ、サティア、シャンティ、プレマ)です。その4つは全て、6つの炎に打ち勝つ手助けとなり得ます。身体という馬車に具わる4つの車輪、すなわちダルマ、サティア、シャンティ、プレマを解脱という目的地へと向かう道に沿って動かすことが人間の義務なのです。積荷が少ないとき(不安や欲望や恐れが少ないとき)にのみ、馬車は容易に動きます。信仰が車輪の空気であり、バランスがとれているかどうかも定期的に調べてみなければなりません。人は自分が身体の持ち主にすぎず、自分が身体ではないということに気づかなければなりません。心、知性、感覚は思うように操るべきものであり、四方八方に向かわせるものではありません」
サティア サイ スピークス第4巻P.393
「もちろんこれらの性質はコブラのシューシューという発声音と同様、時に妨害者を近づけないようにするために役立ちます。怒りと憎しみは、霊性修行者を襲う邪悪を取り除いていくために使うことができるのです。あなたを甘やかすものに怒り、あなたを野蛮にする性癖を憎みなさい」
1965年5月1日の御講話より
「今、国に蔓延している2種類の伝染病一利己主義、他人の悪口を言う習慣一に対して、私はあなた方に警告しなければなりません。調査、検討の後に真我を認識する過程は、他者に奉仕することによって更に推進されます。あなたが今回ここでの人生で有する僅な時間、その時間を、他人の悪口を言ったり称賛したりして過ごすよりもあるいは他者の欠点やすばらしい点を懸念して過ごすよりも、もっとずっと有益に過ごす方法があるということにあなたは気づくことでしよう。自分の欠点に対して、より真剣な注意を払い、自分自身のすばらしさをより大切に育んでいきなさい」
サティア サイ スピークス第4巻P.346
「富を誇張し、見せびらかすなら、それは同様のものを持ちあわせていない他人の嫉妬を誘い、憎しみと暴力という結末に終わります。所有者に生じた慢心は、その人の霊的進歩への致命傷となるのです。ある集団の人々全員が慢心に捉えられてしまったなら、霊的価値は全てに亙(わた)って衰える方向に向います。公正な人生を送ることよりも、物質的なものを大量に製造する可能性の方が尊重されていますが、その結果は孤独であり、不満であり、失望、恐れ、不安、無力感、怒り、憎しみなのです」
サティア サイ スピークス第2巻P.131
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