ブッダプールニマ御講話

1998年5月10日 ホワイトフィールドにて

    

神聖なる愛の化身である皆さん!

    

信仰をもたず、信じることができないがゆえに

滅びゆく者たちは大勢います

しかし、信じるがゆえに滅びゆく者は一人もいません

    

神聖なる愛の化身である皆さん!

    

 古来多くの賢者聖者求道者たちが神に到達しようとして苦行に時を費やしてきましたブラフマの知識と英知すなわち真の自己に関する知識を熱望する求道者たちは大勢います彼らは様々な場所へ行き多くの偉人たちを見全世界を歩き回りました書物から得た知識は神の知識英知ではありませんたとえ宇宙のあらゆるものを知っていたとしてもそれは真の英知ではありません

    

 真の英知とは何でしょう 英知の人とは個人と集団が一つであることを知っている人のことですしかし今日人は自分自身の人間性を知ることができないでいますそのような人が神性を知ることができるでしょうか 人間性を知ることのできない人がどうして神性を知ることができるでしょう 時間は過ぎて行きますしかし人は自分自身を知ることができないでいます書物から自己に関する知識やブラフマの知識を得ることはできません賢者が私たちにそれを贈ることはできません教師がそれが何かということを真に正しく私たちに教えることはできませんなぜでしょう なぜなら私たちはアートマの原理という真の自己に関する知識を外の世界に見出すことはできないからです書物からこのことを学べるというようなことは根拠のないことですこれは自分自身のハートから顕れ出るべきものですこの英知は自分の内にあるというのに外に求めるのは全くの無知であるといえます

       

 この真理を熟考してブッダは正しい道に向かおうと人生の26年間を過ごしました彼はあらゆる聖典を学びました多くの賢者に出会い彼らの教えを聞きましたしかしついに彼はそのようなことによって真理を知ることはできないのだと気づきました英知は常に内にあります自分のハートの内に存在する英知に気づいていないのです外界に存在する人々がどうして教えることができるでしょう ゆえにブッダは自分自身の内に存在する至福と英知を体験するため大変な苦行に取り掛かったのです彼の目は内へと向けられました彼は外へ目を向けることを完全に止めました徐々に真の自己の知識が内より顕れ始めました「仏(ブッダ)に帰依し奉る僧(サンガ)に帰依し奉る法(ダルマ)に帰依し奉る」彼は自らの知性(ブッディ)を通して自らの内に存在する真の自己の知識を知ることができたのです彼は知性から顕れ出た英知を社会にもたらしました彼は社会(サンガ)に出て社会の中でこの英知を実践(ダルマ)しようとしました英知を得ようと熱望しても英知は書物の研究を通じて得られるものではありませんそのようなことは時間の浪費となるでしょう内なるものを育んで初めて真の自己の知識が顕れ出るのですあらゆる力が人間の内にありますこの至福と英知を体験するため彼は多くの書物を学びました彼は書物の研究によって知識を得たいと望みました彼は英知を得た権威ある人々を崇めることによって知識を得たいと考えましたそれから家長になれば英知を得ることができると考えましたそしてついにはすべてを放棄し苦行を始めたのですしかしブッダはあらゆる苦行を行ったにもかかわらず英知を獲得することができませんでした

      

 人が体験しなければならない至福とは書物の中にあるのではありません苦行の中にあるのでもありません家長となることにも世捨て人となることにもありませんこの至福は苦行や瞑想やジャパ(神の御名を繰り返し唱えること)によって得られるものではありませんこれらの行いは求道者にとって良い時間の使い方であると言えます人間のハートに内在する力を外に見出すことはできません人間の内には未知の力が多く存在しています人間の身体は大きな発電機ですハートは大きな磁石です人間の思考能力は大きな電流ですその力のすべてが人間に内在しているのですブッダが最後に決心したこととは何でしょう 彼は5つの行動器官と5つの感覚器官を適切に使って初めて英知を得ることができるという信念を培いましたまず最初に彼は善いものを見ることから始めました何を見ようともその光景は私たちの心に刻み込まれますしたがってあなた方は悪い光景を見るべきではありません悪い光景が心に刻み込まれてしまいますどんなに努力しようともその悪い光景を心から消し去ることはできません人は神聖な真実のもののみを見るべきです私たちは平静さを与えてくれるものを見るようにしなければなりません

    

 創造は私たちが見るものに左右されるのですゆえに私たちは善いものを見ていくようにしなければなりません悪い光景を目にしてしまえばそれは私たちの心に刻み込まれてしまうため消し去ることができなくなってしまうのです善いものを見るようにするためには善い仲間をもたなければなりません善い仲間をもてば善い行動をとることができます私たちは悪い仲間の中に入り(よこしま)な人々の仲間に加わって自らの人生を台無しにしています悪い仲間から逃げ去りなさい善い人々の仲間に加わりなさいいつも正しい行いをしなさい何が永遠で何が一時的なものであるのかを良く考えなさい私たちはまず善い仲間(サットサング)を求めなければなりません善い仲間とは何でしょう善い仲間とは何でしょう それはただ善い人々の仲間に入ることを言うのではありません「サット」とは永遠を意味しますそれはどのような状況下にあろうとも変化しませんそれこそが神ですゆえに神は『サット-チット-アーナンダ』と呼ばれます私たちは『真理−純粋意識−至福』である神の仲間に加わらなければなりませんそのような善いものを見て善い印象を心に刻んでいかなければなりません

善い仲間と共にあれば善い思いを抱きます善い思いを抱くなら人生において善いことを聞くでしょう善いことを聞くなら善い行いをします内なる感覚や観念を純粋にし調和をはかるためにはこの3つが不可欠ですそれが人間性人間らしさと言われるものです『人間とは何か』を正しく探求するのが人間です人間についての正しい探求とは何でしょうか 神聖な思い(意)神聖な言葉(口)神聖な行為(身)これら3つすべてに調和があれば内なる感覚は純粋になります本当の神性はこの内なる器官が清浄になることにより顕れ出るのです私たちは善い思いと感情善い言葉善い行為が一つとなるようにしていかなければなりませんこの3つすべてが一致することにより自分自身の神性に気づくことができるのですブッダはこの真理を悟り至福を体験することができました

     

 ブッダが生まれて9日目に彼の母は亡くなりました彼は継母ゴータミに育てられました継母は大きな愛をもって彼の世話をしましたゆえにブッダはゴータマと呼ばれるのです人生における成就を果たすように彼を育て養ったのはゴータミであったがゆえにブッダはゴータマという名を与えられたのですブッダはあらゆるものを自分の内より顕わしました自分の外の書物の研究や自分の外の賢者の仲間たちは英知を与えてくれはしないと彼は判断を下しました今日世界では多くの人々が真の自己の知識を説いていますしかしそれを実践し至福を体験した人を一人も見つけ出すことができませんそのように教えを説くことが一体何になるというのでしょう すべての聖典を研究することが何の役に立つというのでしょう すべての聖典を研究することが一体何の役に立つというのでしょう 実践することのできない研究は全くの無駄ですあなた方は自分の良心に従うべきですそれが真の道ですそれが真の教師です (ブッダ プールニマの御講話より抜粋) 

    


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