人は母の胎内よりこの世に生まれ、富を得る
この世を去るとき、この世に得たもの何ひとつ
持って行けはしない
たとえ百万長者であろうとも
米と塩を食べねばならず
輝く黄金を食べはしない
決して持っていくことのできない富
人はその行方を知り得ない
それは泥棒の手に渡るかもしれない
王様の手に、政府の手に渡るかもしれない
真実を探求するなら
永遠なるものはアートマだけだと気付くだろう
これ以上、私に何が言えようか
神聖なる愛の化身である皆さん!
古代、神聖なこの国、バーラタでは母親を神として崇め、敬っていました。ヴェーダは宣言しています。「母を神として敬うべきである。父を神として敬うべきである。師を神として敬うべきである」 しかし、何のための神でしょう? 彼らはこの世の物質的な生活のためだけの神です。人間の身体を持って生まれてきたのなら、母を神として、父を神として、師を神として敬わなければなりません。しかし、霊的な生活において最も大切な真理とは、神は全てであるということです。これが「神は母であり、父であり、兄弟姉妹であり、親類縁者であり、友である」と言われている所以です。神は富です。神は教育です。神は全てです。他ならぬこの肉体を与えてくれた両親は家に住んでいます。師は人里離れたアシュラムに住んでいます。しかし神はハートの中に住んでいます。人間にはハートの中に住む権利はなく、神だけがその権利をもっています。母は神であり、父は神であり、師は神であることを知りなさい。しかし彼らにはハートの中に住む権利はありません。彼らを尊敬し、それを表現し、喜びを与えなければなりません。しかし、あなた方はハートの中におわす永遠の神だけを礼拝しなければなりません。
神は母よりも身近にある
神は父よりも親しい
その様な神を捨てることは罪である
これが真理の一部であるサイの言葉
古(いにしえ)のしきたりでは、戦での勝利や、苦行の達成を望むなら、息子はまず母にひれ伏し、それから森に入って苦行を行っていました。アルジュナは戦の時に母の前にひれ伏し、勝利への祝福を請いました。母は言いました。「勝利はあなたのものとなるでしょう」
同じくドゥリョーダナ(訳注:『マハーバーラタ』でパーンダヴァ兄弟と戦ったカウラヴァ兄弟の一人)は、母ガンダーリの所へ行ってひれ伏し、戦の勝利を祈りました。彼女は正しい行い、すなわち正義がある所に必ず勝利はあるでしょう、と祝福しました。彼は師の所に行き、ひれ伏しました。師は言いました、「クリシュナのいるところにダルマ(正義)があり、ダルマがあるところに勝利はあるでしょう」 と。それは神と正義があるところに勝利がある、という祝福でした。
母の祝福を受けるだけでは充分ではありません。神の恩寵も得なければなりません。母の祝福の力と共に、神の恩寵も必要なのです。母の祝福は陰極で、神の意志(サンカルパ)は陽極です。このプラスとマイナスが一緒になったとき、電線に電流が流れるのです。
息子たちは皆、母のハートを満たそうという強い願いを養うべきです。母を満足させることができないなら、息子はこの世で何事も克服することはできません。息子は、母を満足させる思いやりと行為を養わなくてはなりません。そしてまた神の恩寵も得るべきです。神の恩寵を得ることができないならいくら母があなたを祝福したとしても、勝利を得ることはできません。
この様に甘く優しい母のハートは満たされるべきであり、息子はそれを達成するために努力するべきです。母を喜ばせることは、母国をも喜ばせることになります。母親と母国、それは人生の基盤です。母国においても、善良な性質を育むべきです。
人は今日、悪魔的な性質をもち
神への愛を抱いてはいない
そして罪への恐れもない
これが世界へ不安をもたらし
この世のあらゆる平和を破壊しようとしている
今日、神への愛はどこにも見られません。罪への愛、そして神への畏れが日に日に強まっているのが見られます。罪への恐れがありません。善い行い、正しい行いをするための一歩を踏み出してはいません。人は正しい行いをすることに熱心ではありません。しかし、正しい行いをした時のような報酬は要求します。人は罪深い行いを省(かえり)みません。しかし、罪の報いを受けることは欲しません。
まいた種は刈り取らなければなりません。種によって木の種類が決まり、木によって果実の種類が決まります。罪深い行いをすることを恐れ、正しい行いをすることに熱心であるべきです。
母の愛と祝福を得た人の人生は喜びに満たされるのです。母もまた、子供たちの良い感性を育むべきです。母親の多くが、子供たちが霊的な道に入ることを恐れています。数々の過去生で善行をしたために、霊的な道に入ることができるのです。喜ばなくてはなりません。心配など全くするべきではありません。親たちの多くは、子供達が学業を終えた後、権威ある高い地位に就くことを望んでいます。偉大になることを望んでいます。スワミの愛は少し違います。彼は子供たちに偉大(グレート)ではなく善良(グッド)になることを望んでいます。善良さと偉大さの違いは何でしょうか? 善良な人々は人間の中にさえ神を見ます。偉大な人々は神の中にさえ人間を見てしまいます。
ラーヴァナは偉大な人でした。偉大な苦行者であり、大変人気がありました。彼はラーマを普通の人間だと思っていましたが、そうではありませんでした。ラーマは全てのものの中に神が存在していることを示しました。それが善良さです。神は全ての人のハートの中に住んでいます。全世界は神に包まれています。これが偉大さと善良さの違いです。あなた方は高い教育を受けて、立派な職業に就くかも知れませんが、それだけでは充分ではありません。あなた方は名声を得るかも知れません。しかし偉大な人ではなく、善良な人であるという称号を得るべきです。偉大な人と呼ばれて何の得があるのですか? そこには利己主義しかありません。善良な人は常に無私無欲です。スワミは少年たち皆に善良な人間になるようにと言います。両親を尊敬しなさい。喜びを与えなさい。感謝の意を表しなさい。このことをスワミは説いているのです。
息子たちの多くは、少し大きくなると考え過ぎるようになり、利己的になります。彼らは私は仕事を得たとか、私は高い教育を受けた、などと考えます。教育や仕事、お金は何の役に立つのでしょうか? それらは永遠のものではありません。母はそこにはいません。父はそこにはいません。富はつまらないものです。家はつまらないものです。去っていくものです。気を付けなさい。常に聴き、常に気を付けていなさい。そこには束縛という悲しみがあります。
ハートは他の何にでもなく、神のみに向けるべきです。なぜなら神はハートに住みたもうからです。母は家に住んでいます。父は家に住んでいます。師はアシュラムに住んでいます。しかし神は、ハートの中に住むのです。神だけがハートの中に住む権利を有します。ハートに神を抱きなさい。世俗においては母の世話をしなさい。母を尊敬し、それを示しなさい。2つのタイプの教育があります。ひとつはこの世の幸福のためであり、もうひとつはその他の世界のためです。ハートにラーマを抱いていなさい。そしてハンド(手)にカーム(仕事)を持っていなさい。肉体を以て奉仕に勤(いそ)しみなさい。神をハートに据(す)えなさい。そうすれば、この世においていかなることも成し遂げられます。母の愛の甘美さを味わい、それを喜びなさい。母に愛を捧げ、人生を楽しみなさい。
(イシュワランマの日の御講話より抜粋)
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