日本人向けレクチャー
私の仏教体験とスワミの御教え
私は長野県長野市『信州信濃の善光寺さん』のお膝下で生まれ育った浄土真宗の一信者です。素人のささやかな仏教体験をお話ししたいと思います。
私が初めて故郷を離れたのは大学に入るために上京した時です。そして東京での最初の1年弱を、ある日蓮宗の修行道場に寄宿しました。日中は大学ですが、朝夕は修行僧たちと同じ生活を体験したわけです。お太鼓を打ってお題目を唱えること、掃除、読経、写経等すべて初めての経験でした。
完全菜食の精進料理も今では驚きませんが、当時はびっくりしたものです。しかしそこまでの生活を通して、無意識のうちに仏教というものを少し理解できるようになったと思っております。
事情があってそこを去る際、住職が私に「御修行によって仏縁ができた」と申され、私の仏縁を具体的に神仏に関係ある仕事をするようになると説明されました。
当時の私はその言葉を深く考えず、聞き流し忘れていました。しかしその後仕事の中で仏寺に関係する機会が増え、スワミのお仕事をさせていただきながら仏教のお話をする機会を与えられるようになってきた事を思うと、私の仏縁がこの様な形で表われてきたのだと、その不思議なありがたさに頭が下がります。人間は自分一人で生きているのではない、他者との関係の中で生かされているという事を悟り、「お陰様で」と感謝するのが、この縁の意味だと思います。
私の祖母は無学の明治の女性でしたが、大変信心深い人で、私をよくお寺参りに連れていってくれました。そこで祖母から「悪いことをして人を悲しませてはいけない。嘘をついて人を苦しませてはいけない」と云い聞かされました。
大きくなって七仏通誡偈および法句経の「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」の最初の偈「悪いことをしてはいけない」が祖母の口ぐせであったことを知り、これこそが仏教の基本的教えであると自覚しました。
スワミもそのお言葉の中で「善いことをしなさい。しかしそれが難しいときは少なくとも悪いことをしてはいけない」と教えていらっしゃいます。また、この法句経はパーリ語で『ダンマ パタ』といい、仏陀が初期に日常生活の規範としてお説きになったものであり、日本語訳も多数あります。
ここで友松圓諦先生が訳されたものからその部分を御紹介します。「ありとある悪を作さず、ありとある善きことは身をもって行い、おのれのこころをきよめんこそ、諸仏の御教えなり」
今、私たちは仏陀のお生まれになったインドの地でインド花祭りをお祝いしています。今日でこそインドと日本の間は約10時間余の距離ですが、日本に仏教が伝来してから永い間、日本人にとってインドは、はるかに遠い国でした。
そのような時に、はるばるインドから中国を経て来日され、日本に帰化されて日本で亡くなられたインド僧がおられました。西暦736年に来日され、東大寺大仏開眼供養の導師を勤められ、その後57才で亡くなるまで日本仏教の興隆に努力された方です。
そのインド僧とはバラモン僧正と呼ばれる菩提僊那と申される方です。インド名はバーラドワージャ様と申されるのもスワミの前世と考え合せ不思議な御縁を感ぜずにはおれません。奈良市の西方、富雄にある霊山寺に墓、供養塔があります。近くに行かれた折には是非お参りしていただきたいと思います。それと共に今またサイババ様の御教えを日本にお伝えくださったブラザー ラムチュガニ、ブラザー 比良、ブラザー チャブラニはじめ多くのインドの諸先輩方に厚く御礼申し上げると共に、心より感謝の真心を捧げたいと思います。
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