霊性部
ガネーシャ チャトゥルティ御講話
今回は、1999年9月13日のガネーシャ チャトゥルティ(ガネーシャ神誕生祭)におけるババ様の御講話の一部をお届けします。
皆さんは、贅沢さを求めてはなりません。何であれ、自分のところにやって来るものを、忍耐をもって受け入れなさい。なぜなら、人生で起こることはすべて、あなたにとって良いことだからです。人生において、困難や苦悩に直面したからといって、決してがっかりしてはなりません。アートマ(真我)の力を固く信じなさい。アートマの力に気付いている人は、苦しむことがありません。あらゆる苦しみに対する万能薬は、神の御名を唱えることです。あなたが神であるという、揺るぎない確信をもちなさい。神が主人であって、あなたは神の奴隷であるという、誤った考えを抱いてはなりません。あなたに主人はいません。あなたが主人なのです。心の主人となって、優れた人になりなさい。決して神の御名を忘れてはなりません。決して神の愛から離れてはなりません。決して、真実を離れたり、ダルマ(正しい行い)を忘れたりしてはなりません。揺るぎない集中力をもって、神を黙想しなさい。この世では、それ以外のことは何一つ問題ではないのです。
多くの人々が、富を蓄えることによって、人生において何か偉大なことを成し遂げたかのような錯覚をしています。しかし彼らは、この世を去るときは、何も持たずに行かなければならないのだということに気付いていません。この錯覚によって我を忘れてはなりません。このような錯覚によって、皆さんの人生を無駄にしてはなりません。皆さんは、神と迷妄の違いを理解しなければなりません。多様性の中にある一体性の原理が神であり、一体性の中に多様性を見ることが迷妄です。国は多いが、地球は同じ。星は多いが空は同じ。飾りは多いが黄金は同じ。牛は多いが、ミルクは同じ。皆さんは、このようにして多様性の中の一体性を思い描くべきです。
ガナパティ、ヴィナーヤカ、ヴィグネシュワラ(すべてガネーシャの別名)という名前の意味を理解するよう努めなさい。皆さん自身がガナパティなのです。
私たちの身体そのものが神の寺院です。『肉体は寺院であり、そこに住んでおられるのは神である』という格言の通りです。肉体の中にある、ジーヴァナ ジョーティ(生命の光)は、パラム ジョーティ(至高の光)そのものです。この光は変わることなく、消えることもありません。肉体は、いつの日か滅びてしまう運命にあります。肉体は死ぬかもしれませんが、心は死にません。私たちは、そのような心をコントロールしなければなりません。それが真の霊性修行です。皆さんが心を神に捧げてしまえば、何の問題も起こりません。
心は非常に気まぐれです。それは、ただの一分たりとも、じっとしていることがありません。ですから、それを絶えず何らかの仕事に携わらせておく必要があります。そうして初めて、皆さんはそれをコントロールすることができるようになるのです。
皆さんは、心にどのような仕事を与えるべきでしょうか? 心を、あなたの鼻先の門番にすることです。そこから入って行くものと出て来るものを見張らせておきなさい。『ソー』という音と共に息が吸い込まれ、『ハム』という音と共に息が吐き出されます。『ソー』は、善なるもの(神)を象徴しています。そして『ハム』は、悪なるもの(エゴ)を象徴しています。すると心は、神を受け入れ、エゴを手放さなければならないことを理解します。
心は狂った猿に似ています。絶えず忙しくさせておかない限り、気まぐれさや根拠のない想像によって動き回ります。猿をいつも忙しくさせておく唯一の方法は、地面に立てた棒を繰り返し昇ったり降りたりさせることです。同様に、心にもまた、ソーハム マントラを絶えず黙想させておかなければなりません。
ガナパティとは誰でしょう? 彼は、ガナ(神の軍隊)、すなわち五感と五元素と5つの鞘、の主人です。
人間の身体は、食物鞘、生気鞘、心気鞘、理知鞘、歓喜鞘という5つの鞘から成っています。人間は、心気鞘までしか進歩することができません。理知鞘や歓喜鞘まで進むことは、人間にはできません。ガナパティは5つの鞘すべての主人ですから、至福の状態に到達するためには、ガナパティの助けを求めなければなりません。
象は頭の良いことで知られています。ガナパティは、非常に頭が良いので、象の頭をした姿で描写されています。ガナパティはまた、ヴィナーヤカ ― 主人(ナーヤカ)をもたない者の意 ― としても知られています。彼は、シッディ(修行等で得た霊的能力)とブッディ(知性)を司る者です。ですから、シッディやブッディを得たいと願うときは、ヴィナーヤカに祈らなければなりません。ヴィナーヤカの恩寵をいただくためには、理性を正しく活用しなければなりません。悪い仲間との交際を避けて、良い仲間を求めなさい。そうして初めて、皆さんの人生は救われます。私はいつも学生たちに、悪い仲間に加わることによって奴隷になってしまうのだということを注意します。皆さんは、奴隷ではなく、主人にならなければなりません。
知性の使い方を誤った人には、真実が虚偽に見え、虚偽が真実に見えるものです。悪い仲間の影響によって、心が汚れます。ですから、若いときから、『悪い仲間を避けて、良い仲間に加わりなさい。日夜正しい行いにいそしみなさい。永遠のものと一時的なものとを探求しなさい』という教えを守らなければなりません。私たちは、不要な人間関係を育てるべきではありません。皆さんと他の人々との交わりは、「こんにちは。お元気ですか?」などといった、基本的な礼儀的付き合いのみに留めておくべきです。
愛の化身である皆さん! 皆さんは、今日がヴィナーヤカの誕生日だという、誤った印象をもっています。ヴィナーヤカには、誕生も死もなく、初めも終わりもありません。彼は永遠の照覧者です。この人生は一時的なものです。皆さんはそれを霊性で満たさなければなりません。
お祭は、ただおいしい御馳走を作ってそれを食べるためだけのものではありません。それは、私たちに神を思い出させるためにあるのです。お祭の日に、皆さんは、家々を緑の木の葉で飾り付けます。また、古い着物を捨てて新しい着物を身に付けます。同じように、皆さんは、自分の古い悪い癖を捨てて、新しく神聖な考えを身に付けなければなりません。皆さんは、神聖な特質と共に、新しい人生へと足を踏み出さなければならないのです。決して神の言いつけに逆らってはなりません。
決して神の存在を疑ってはなりません。神はすべての場所に存在しています。唯一無二の神が多くの名前をもっています。決して神を忘れてはなりません。絶えず神を黙想しなさい。そうすることが人生の最大の目標です。
今日、このヴィナーヤカ チャトゥルティの日に、皆さんが捧げなければならないものとは何でしょう? 人々は今日、様々な果物や料理を神に捧げるために、多くのお金を使います。これらの捧げ物は、ただの儀式として捧げられるだけです。最終的には、人々が自分たちでそれを全部食べてしまいます! そのような捧げ物をしても何の恩恵ももたらされません。葉と、花と、果物と、水─ 神に捧げるべきものとは、以上の4つの品です。
ここでは、『葉』とは肉体のことです。私たちの肉体は、いつ、どのような瞬間にしおれてしまうか分かりません。ですから、決して肉体に対する執着を育ててはなりません。その代わり、それを神に捧げなさい。『花』とは、心のことです。心は、決して色あせることのない花です。私たちの思考は、『果物』に例えることができます。そして、『水』は喜びの涙を象徴しています。これらのすべてを神に捧げなければなりません。これこそが神の期待する捧げ物です。今日お話ししたことを、皆さんが実践に移して、自分の人生を神聖なものにされることを望みます。
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