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「ハートの中におられる神様を絶え間なく憶念し、 人類同胞愛という一体性の花を捧げます」 






2023年3月の御言葉


あらゆる霊性修行の目的は、心を滅することです。いつの日か、21回目の打撃のように、一つの善行が心を滅することに成功するでしょう。過去に行われた善行のすべてが、この勝利に貢献したのです。ささやかな一つひとつの行為すべてが大切です。無駄になる善行などありません。



[プレ-マヴァーヒニー  P.67より]


3月の感想





2023年2月の御言葉


真の自己とは、裁かず、評価せず、比較せず、非難せず、分離せず、いかなる保証をも求めず、自分自身すら求めない自己のことです。 それは自らを完全に放棄した自己です。 しかもなお、不思議かつ神秘的なことに、それは、決してこれまでそうあり続けてきた以上に完全ではなく、それ以上に真実であることも、それ以上にそれ自身であることもないのです。 これが真の自己(真我)です。



[プレ-マダ-ラ  P.32より]


2月の感想





2023年1月の御言葉


一番良いのは、各人が割り当てられた義務を果たすことです。それは最高のダルマです。



[サイの理想 P.270より]


1月の感想

割り当てられた義務とは、仕事や家庭内でのやるべき事は勿論、目の前の事象に対しての気持ちの持ち方を指しているのではとの思いで御言葉を解釈しました。
つまり、嫌な目にあっても怒りを抑える事や、周りに同調して特定の人を非難しないなど実に当たり前の事です。
割り当てられた義務とは日常に起こる差些細な事に対して如何にスワミを思って対処出来るかだと思いました。
ただ、些細な事だからこそ自分を律して守り抜くのは根気がいり難しいことです。
また仕事などの義務も如何に誠実に行えるかが問われていると思いました。




2022年12月の御言葉


「《エゴ》こそがあらゆる困難を引き起こす根源。
エゴを立ち去らせてしまえば私たちの全ての困難は消えゆく。」



[プレーマダーラ P.10より]


12月の感想





2022年11月の御言葉


「あらゆるとろこでサイの存在を感じるようでなくてはなりません。サイの理想の生き方を理解し身に着けた時に、初めて、サイの恩寵が皆様の上に注がれるのです。」


[プレーマダーラ P.21より]


11月の感想





2022年10月の御言葉


「劇の中の役者として、すべての仕事をしなさい。役者を自分自身と同一視することや、自分の個性や役柄に執着することがあってはなりません。すべは単なる芝居にすぎず、神があなたに役割を与えているのだということを心に留めておきなさい。自分の役を上手に演じなさい。そのとき、すべての義務が終了します。神が芝居を作り、それを楽しんでいるのです。」


[サイの理想 P.262より]


10月の感想





2022年9月の御言葉


「思いと言葉と行動を一致させなさい。」


[参照文献多数]

9月の感想





2022年8月の御言葉


昨今、人々は神聖な聖典の字句を読んでいても、信仰をもっていません。
ある学生が師に要求しました。
「先生!私はもう二十年間も『バガヴァッドギーター』を読んできました。私は七百の詩節をすべて暗記しています。ですが、その努力から何一つ良い結果を得ることはありませんでした。成果を手に入れることのできるマントラを伝授してください」
師は大声で叫びました。
「出ていけ、この愚か者よ!おまえはずっと、神ご自身の教えであるギーターを読んできた。おまえは神の言葉を信用しておらんくせに意味不明なマントラは信用するというのか?真心を込めてギーターの教えに従っていれば、なぜマントラなど必要であろう?神に信用を置かぬ者にマントラが何の役に立つのか?」


[1995年夏季講習 シュリーマド・バーガヴァタム P.180より]

8月の感想





2022年7月の御言葉


人類同胞への信愛には神への信愛が含まれます。神への信愛は人類同胞への信愛です。信愛が無ければ、根無し草のようなものです。乾燥しすぐにしぼんでしまいます。この信愛とは、内面からの促しによってものを言わせたり、行為や行動をさせたりするときに「私」「私」「私」と言わせている内面の神を信じることです。信愛という栄養によって愛と勇気、満足、そして喜びが増大します。子供たちはこの内なる「私」に容易に気づくことができます。


[サティアサイが語る子育て P.22より]

7月の感想

千葉センターの記念祭の折に、

「スワミの体験談を語ることが神を讃えることである」

と、教わりました。帰依して18年目にて初めて「神を讃える」ことをどのように実践すれば良いかを理解できて目からうろこが落ちた思いでした。

7月の御言葉に

「神への信愛とは人類同胞への信愛」という言葉がありますが、過去において同様な御言葉を読んでいても自分の中には理解として定着していませんでした。

今回、初めて「神へ信愛を捧げる、或いは神を愛する」ことをどのように実践すればよいか理解できた気がします。

今まではスワミの御教えを一から十まで実践する努力をすることが神を愛することと思っていましたが、今では人類同胞へ信愛を保つことを最重要視しています。

同じ毎日のお祈りにおいても心のおき方一つで異なる効果が出てきているように思います。




2022年6月の御言葉


悪い行為は決して善をもたらさない
良い行為は決して悪を生みださない
ニームの種は、マンゴーの実を結ぶことはなく、マンゴーの種がニームの実を結ぶこともない


6月の感想

私はこの御言葉が大好きで、いつも胸に置いています。
御言葉のお話しがあったときには、私にはこれしかないと思いました。
シンプルで美しい言葉の羅列、万人に分かりやすく、人は平等なのだとわかるのです。
自分のしたことは、良いことも悪いことも自分に返ってくる。
だから、人を責めることはできないのです。

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泣いても笑っても怒っても、全ては自分の責任

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真に府に落ちれば、自立に向かって動き出すと思うのです。

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全ては自分の責任、自分から出たこと、と戒めて、気持ちを良いほうに向けるよう試行錯誤しています。
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自分のした良いことも悪いこともすべて自分にかえってくる。
極力良いことのみをと思いますが、私の場合は思いに特に注意をはらいました。悪いことの重さを思い、これからも日々を過ごしたいと思います。
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日常の問題が気になり、瞑想に集中出来なかった日に、過去に蒔いた悪い種子の収穫時期を迎えただけなのだということに気づいた。過去の行いの結果、托鉢に行っても人々から石を投げられ日々血まみれになりながらもアングリマーラが、静かに、避けることもせずに耐えたように、平安な気持ちで耐えようと思った。




2022年5月の御言葉


「私」は肉体ではありません。あなたは、身体のことを、「私の」という言葉を付けて呼びます。それは私の身体であるとか、私の心、私の目、私の顔であると言います。それでは、その「私」とは誰でしょう? あなたが、私の顔と言うとき、あなたは、顔とは別の何者かではないのですか? これは私のハンカチです。これは私の花です。花は私から離れています。ハンカチは、私とは別物です。それでは、「私」とは誰でしょう? 私たちは、このようにして探求しなければなりません。これが識別です。私たちは、このようなやり方で、真剣に識別をしなくてはなりません。そうすれば、あなたは、「私」というものの真の姿を見るでしょう。


[真実の探求 P.74より]

5月の感想

途中経過の感想です。毎日の15分黙想は、全然出来てません。朝の光明瞑想など、何かのついでにしてます。感想は、ナガティブな感情に支配されそうなときに、「私は誰か?」の言葉を思い出すと効果がありそうです。祭壇の前ですると、もっと効果があるような気がしてます。さいらむです。

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15分と時間を区切らずに、気がついた時に「who am I 」と自らに聞いていました。
最初の1週間くらいで聞いてから数秒ー10数秒位騒がしい心が止まって思考が停止するようになりました。
また思考が始まる前にナーマスマナラを実施すると集中して出来るようになりました。
年単位で継続して習慣化したいと思います。

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ほぼ毎朝15分「Who am I?」を続けてみました。心はよく動き、その都度連れ戻して「Who am I?」と問うていました。この15分につきましては、特に何かが変わった感じはしません。
生活しているときに、ときどき「Who am I?」を思い出して、問いかけるようになりました。問いかけても、答えは出ませんが、これからも継続していきたいと思います。

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最初は毎日15分していたのですが、途中でこれで良いのだろうかと行き詰まってしまいました。
そんな時に送ってくださった(誘導の仕方)がとてもありがたかったです。
途中経過ですが、15分間と日常生活の中でも(私)に注意をはらうようになりました。
ずっと続けていきたいと思います。

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全ては非現実になってしまい空虚のような空っぽになってしまいました。

言葉に出来ないまま日にちが過ぎてしまい遅くなりました。




2022年4月の御言葉


愛はいかに培えばよいでしょうか。まず、つねに他人の欠点は取るにたらぬことと考えなさい。つぎに、自分の欠点はどのように些細であろうとも大きく考え、悲しみ、悔い改めなさい。なにごとをなすときも、ひとりでしようと仲間としようと、つねに神が遍在であることを忘れてはなりません。絶えず神の全能を自覚していなさい。

[静寂 P.70より]



4月の感想

今現在、多大な苦しみ、悲しみの中におられる方々のことを考えますと、自分に起こる事など大したことではないと思っておりましたが、テストを受けているように大きな事が出てきました。ついつい心の片隅で相手を非難する思いが出てきてしまいました。
ですが、そのおかげでスワミに向き合う時間が前よりも増えました。
神の遍在、共におられることのありがたみを感じました。
まだまだ、常に心を神様に向けているということは難しいですが、そうなれるように努力したいと思います。

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他人の欠点に目を向けたくなったとき、それは自分の反映であり、自分を整えることが大切なのだと思いました。自分の欠点、悪い行いは自分に返ってきますので、罪は怖いです。



2022年3月の御言葉


平安をもたらすには、愛と忍耐さえあれば十分です。しかし、単なる外側の見せ掛けのみに意識を集中してはなりません。愛と忍耐という美徳があなたの想いと言葉と行動を満たすようにしなさい。それは、世界平和を確立する道でもあるのです。

[至高の平安 P54より]



3月の感想


今回の戦争では悲しみ、日々の生活では怒りやイライラ、に支配されそうになってしまいます。
いかにして負の感情の支配から逃れるかは自分本位から相手のの立場からの視点が重要でした。
改めて2月の御言葉の重要性を感じる事になりました。
何度も「理解される事よりも理解する事を」の言葉が思い起こされる日々でした。
忍耐は相手に対してよりも気持ちが乱されそうになると負の感情に対し繰り返し「理解する事を」と自分に言い聞かせる事でした。
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日々過ごしている中であまり忍耐を必要する場面が少ないように思っておりましたが、このみ言葉を頂いてまだまだ忍耐が足りていないことに気づきました。
愛の心で目で、物事を見るようにしなければと反省しました。

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加齢とともに能力の低下が起こり、それに抗う気持ちが寛容さを失わせている現状においてこの御言葉はとても響いております。精進したいと思います。

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愛と忍耐と言っても・・・何でこうなの?と思うことが沢山ありました。そういうときに、一見悪い状況に見えても実は自分にとって最も良い状況なのだ、と思うように心がけました。思い起こせば、自分もかつてはそのようなことをしていたな、などと思い出すこともあり、カルマ解消のチャンスということで忍耐することもありました。

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今回の戦争では悲しみ、日々の生活では怒りやイライラ、に支配されそうになってしまいます。いかにして負の感情の支配から逃れるかは自分本位から相手のの立場からの視点が重要でした。改めて2月の御言葉の重要性を感じる事になりました。

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何度も「理解される事よりも理解する事を」の言葉が思い起こされる日々でした。忍耐は相手に対してよりも気持ちが乱されそうになると負の感情に対し繰り返し「理解する事を」と自分に言い聞かせる事でした。




2022年2月の御言葉


社会は人々が集まってできています。社会においての、自発性と純粋な意図によって動機付けられた人間同士の協力が、セヴァ〔無私の奉仕〕の証(あかし)です。セヴァには根本的な特徴が2つあります。それは、相手を思いやる気持ちと、進んで犠牲を払うことです。

[1981年11月19日   セヴァダル大会における御講話より]


昨年より、認知症初期の母と1年の半分程を過ごすようにしました。
母の必要を満たし、母が心穏やかにすごせるように手助けをしようとの思いは重々ありますが、相手がどういう状態で、どう思っているかに想いを巡らせず、時に思いやりのないことを言ったりしてしまいます。
「相手の立場に立って考える」とはよく言われますし、そうしようとは思いますが、常にそうあるのは難しいなと思い、この度はこれに取り組むことにしました。
もちろん、この御言葉に対する思いでも良いですし、相手を思いやることから、進んで犠牲を払うという行動に移すまでにある色々な障害や、どうそれを乗り越えるかということや、それらに関するスワミの御言葉を紹介して下さっても良いです。
でも今回はその中で、何かをする時に「相手の立場に立って考える」ということはやってみてください。
そしてその、うまく行ったり行かなかったりの経験をメール等で分かち合い、より良く実践出来るようになりたいと思います。

2月の感想
 私にとっては認知症の母との関係が主で、母が何度も同じことを聞いてきたり言ったりするときや、トンチンカンな受け答えをするときに、ある程度までは優しく答えられるのですが、段々ぞんざいに答えるようになってしまいます。
母にすれば、単にさっき聞いたことの答えや、聞いたこと言ったこと自体を覚えていないからそうしているだけだし、聞いたことを理解して答えた言葉が、私が言ったこととはズレていただけで、意図して変なことを言っているわけではないのに、なぜそのままに対応できないのだろうと考えたとき、母の現状をそのままには受け入れられずに、以前のようであってほしいという気持ちが「相手の立場に立つ」ことを妨げているのだと気付きました。
それは、認知症の症状を改善できるであろう方法を今の状況では十分に行えないことへの満たされない思いや、そもそも肉体のレベルでしか母を見ていないことが原因だと思いました。
身近な人ほど姿形への執着が強いのでなかなか難しいのですが、母のこの姿は魂がまとった一時的な衣に過ぎず、それは私と愛を分かち合うため、私が気付いていない私の色々な面を気づかせてくれるためにあるのだと思って接するように心がけました。
それでも優しく答えられないと思うときは一呼吸おくようにしたり、何度も何度も機会は与えられるので、少しずつ思いやりのないことを言わなくてもすむようになっています。
でもなぜ、相手を傷付けたいわけでもないのに、相手が嫌がるだろうと分かっていることをしてしまうのかは、より深く考えてみたいと思います。
 そしてまた、そもそも相手の思っていること感じていることを分かることができるのだろうかという疑問がわきました。
色々なことに母がトンチンカンな受け答えをしたりするのでそう思うのと、どう感じているのかと思って聞いても “大丈夫” とか、こちらを安心させるようなことしか言ってくれないからそう思うのですが、これは認知症の研究をしていた医師が自分が認知症になり体験を綴った本を読んで、その不安や情けなさや混乱を知ることができました。
また、記憶力や論理的な思考力が衰えていっても感情は残っているので、プライドを傷つけるようなことは言ってはいけないとのことでした。
確かに母も “色んなことをすぐに忘れる” “何もできなくなった” と嘆いています。
また、誰かにされたことの不満を言うときに、何がいやなのかを知ることもできます。
完全には理解できなくても、相手に思いを巡らし、嫌がりそうなことはせず、喜びそうなこと、しなければいけないことを、相手が受け入れやすいように言ったりしたりすることが大切だと思いました。
それがどうだったかは、喜んだり戸惑ったりの表現から知ることができますし、スワミが気付かせてくださいます。
「最善を尽くして、結果は神に委ねる」だと思いました。

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職場やセンターで、セヴァ(人の中におわす神への奉仕)をするときに、同僚や家庭(家族)を犠牲にしていたことに気づきました。周りの方々に皺寄せがいかないように、周りにも気を配りながら、セヴァに取り組むように心がけました。








2022年1月の御言葉


われわれを導き守る神の存在を確信せよ。感謝と共に神を思い起こせ。自分を浄化するために神に祈れ。全てを愛し全てに仕えよ。よい仲間とつきあえ。寺を訪ね、有徳な者を訪ねよ。

(Sathya Sai Speaks, Vol. IV, P3)

1月の感想

普段ほとんどないのですが、今月の前半に心がざわざわする出来事がありました。日頃神様に何かにつけ感謝しておりましたが、今回はどうしても出来事に感謝ができませんでした。 ですが、今月のみ言葉を何度も目にしてすべては自分にとって良いことであるということ、また自分のエゴに気がつき感謝することができました。 ありがとうございました。


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今月の御言葉を私なりに次のように解釈して、実践に繋げます。参考になれば幸いです。

「自分の心を乱すような出来事が起こったとき、憤慨したり落ち込んだりせずに、
これは神の導きであり、自分にとって最も良いことが起きているのだと信じ、神に感謝し、全てを愛し全てに仕えなさい。
私(神)を仲間として常に思うならば、必ず私はあなたを守り、この出来事を無事に乗り越えさせます。神に出来ないことなどありません。
あなたの身体は寺院です。私はそこに住んでいます。扉を叩きなさい。私はあなたを待っています。ーババー」

最後にーババーと書きましたが、私の想像した御言葉ですので、肉体のスワミが話されたことではありませんので、ご注意ください。

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1月2日の初夢に 太陽が出てきて中に天照大御神がおられました。

翌日の夢は自分のベッドに大型犬サイズのホワイトタイガー(西方守護の白虎かどうかまで覚えていません)が自分の足元で一緒に寝ていました。

少し怖かったのですが、良く懐いている感じでした。

年男なので縁起が良いと思いました。

日常生活においては、自分の進展は実感できていないのですが、記念すべき100周年記念の5年計画の始まりとして考えると、スワミからの奨励の様な気がします。

1月の終わりの夢で中学校時代に極めて仲が悪かった同級生が自分の家族として同居しているというものがありました。まだ道半ばですが自分の中で何かの浄化があったように思います。

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神様を感謝の念と共に想起することを目標に過ごしてみました。
まだ感謝はしていませんが、嫌な気持ちは無くなったと思います。
色々とスワミのみ言葉を呼んだり聞いたりしていたからか、神様は必要不可欠という気持ちになってきたからだと思います。

嫌な気持ちが無くなったので、やってみてよかったなぁ、と思います。ありがとうございます