サイババの御言葉:人間と神の行為

日付:1963年10月18日 場所:シュリ サティヤ サイ病院
 シュリ サティヤ サイ病院七周年記念式典にて
ダシャラー祭連続講話@より

人間と神の行為


多くの人は、プージャー(供養礼拝)をはじめとする礼拝の行為はすべて「神のもの」であり、お金を稼いだり使ったりといった行為はすべて「自分のもの」だと考えています。しかし、それは間違いです。すべての行為は「神のもの」です。人間の行為(マーナヴァカルマ)と神の行為(マーダヴァカルマ)にそのような違いはありません。すべての行為は、あなたを神へと向かわせるか、神から離れさせるかします。たとえば、あなたは、「自分は病気になった」とか「自分は健康だ」などと言います。それは、実際のあなたはアートマ(真我)であり、あなたがそれを五つの鞘で覆っているにもかかわらず、あなたは自分を体〔一番外側の鞘〕であると感じているからです。これは、五感から引き出す歓喜だけが人の得られる歓喜のすべてであると教える、現在普及している教育の性格の結果です。今の教育は、人間の内にある至福(アーナンダ)の永遠なる源泉を人に明示していないのです。

心の平安を得る技術を身に付けるトレーニングなどありません。現代の文明社会の混乱の中で平静の状態を保つ秘訣を教えてもらった人などいません。誰もが、人を恐れと不安と失望へと引きずり降ろす流れの中で浮かんでいるよう誘導されています。現代の生活は、家の主人が美味しくない食事療法を強いられている一方で、他の家族は美味しいごちそうを楽しんでいる状況に似ています。五感は際限なく楽しみ、アートマは無視されているのです。

現代の教育は賢人を生まない

現代の教育は、「学識のある愚か者」を生み出しているだけで、穏やかに勇敢に人生と向き合うことのできる賢人を生みません。現代の教育の産物は、自分に情報を詰め込む方法、周辺機器とその機器を使って同胞を滅ぼす方法、五感の気まぐれを満足させる方法は知っていますが、死という難局、避けることのできない難局に対面することにはお手上げ状態です。

この会合の総代であるIASのハヌマンタ・ラーオは、過去14年間この場所を訪れたことはなかったけれども、ここは、この病院を含め、多くのすばらしい発展を遂げたと述べました。

あなた方のなかには、こう尋ねる者もいるかもしれません。

「そもそも、なぜここに病院が存在する必要があるのか! なぜババは神の意志を行使して病気を治すことをしないのか?」

といった質問です。一つには、この病院は私の唯一の病院ではないということです。ハヌマンタ・ラーオはマドラスに病院を一軒持っており、そこでは障害のある子供たちに治療を行って、役に立つ、自尊心をもった人間になるための訓練がなされています。その病院も私の病院です。実際、すべての場所のすべての病院は私のものです。私はそのすべてを訪れます。なぜなら、心から救いを呼び求める者は、どんな言語で呼ぼうとも、どの地方で呼ぼうとも、病院で呼ぼうとも、家で呼ぼうとも、皆、私のものだからです。私をプラシャーンティ・ニラヤム(ババのアシュラム)の周囲数キロの範囲に限定してはなりません。完全なる平安(プラシャーンティ)を切望する人が住み、祈る所ならどこであれ、そこにプラシャーンティ・ニラヤムは存在するのです。

恩寵への信心がまだ強くない

あなた方はもう一つの点も覚えておくべきです。この病院は、信仰心を強めるため、神性を実証するため、疑いを取り払うために奉仕しています。こうしたことも必要なのです。さらに、歌われる歌に合わせて調子を取らなければなりません。医療に飢えている人は大勢おり、彼らは薬を与えられ、注射を打たれさえすれば満足します。その人たちの恩寵への信心はまだ強くありません。ですから、そのような人たちのために病院が必要なのです。

恩寵(アヌグラハ)を獲得しなさい。それこそが決定的な利益(りやく)です。病院は閉鎖することもあり得ます。恩寵を獲得するために用いられた霊性修行が、心の安らぎと、乱れることのない平穏の中で送るシンプルな生活という結果をもたらした場合には。

死の王〔死神〕は、自らの住まいに人々を引きずっていくときには、人を捕らえる投げ縄を持っていきません。投げ縄はそれに捕らえられる者自身によって編まれ、その者は自分の首にその縄を巻く用意をして最期がやって来るのを待っているのです。それは行為の応報の投げ縄(カルマパーシャ)であり、誰もが最終的に自分を引っ張っていってもらうためにそれを作って自分の首に巻くのです。

本当の自分に気づきなさい。そうすれば、自分は体であるという感覚を失うでしょう。それはあなたを無病にしてくれます。そして、あなたは完全な安らぎを得るでしょう。自分は体ではないということを理解するなら、それはいとも簡単です。というのは、あなたは生まれてこの方、毎日少なくとも6時間はその真理を実践しているからです! もしその真理があなたに教えることができないなら、他の何にそれができるでしょう。

毎日、寝ているとき、あなたはどこにいますか? そのとき、あなたは誰ですか? そのとき、あなたの五感は動いていません。あなたの知性は停止しています。あなたの心(マインド)は独自の世界を作り上げ、しばらくその中で遊んだ後に動かなくなります。それが眠りであり、その状態はサマーディ(超意識状態)への旅の中で最も目的地に近いのです。

あなた方の誰もがバガヴァンになることができる

真我の本性(アートマ タットワ)のうちに生きなさい。それは平安(シャーンティ)を確実にしてくれるでしょう。執着(ラーガ)と憎悪(ドウェーシャ)という毒を自分の内に持ったまま、どうやってあなたは自分は健康だなどと断言できますか? 真我の本性を経験すれば、あなたはバガヴァン(神性)になります。だからこそ、私はあなた方に「帰依者の皆さん」(バクトゥラーラー)とは呼びかけないのです! あなた方はバクタ(帰依者、信愛者)ではありません。それ以上です。あなた方はバガヴァンになる義務があります。自分の個別の魂(ジーヴァ)を普遍なるアートマの海に融合させることによって、あなた方の誰もがバガヴァンになることができるのです。

死は、地面で餌を食べている鶏に急降下してくる隼(はやぶさ)のようにやって来ます。死にゆく人は「自分を迎え入れてください」と私に祈ります。その人の旅立ちに涙する人たちは「この人を生かしてください」と私に祈ります。私はどちら側の状況も、過去も現在も未来も、罪も罰も、功徳も果報も知っています。ですから、たとえ恩寵によって軽減されるにしても、私は公正なことを遂行します。私は誰かがこの世に到着しても、誰かがこの世から旅立っても、いかようにも動じません。私の本質は永久の至福(ニッティヤーナンダ)です。あなた方は私の指示に従い、私が言うことを実践することによって、その至福を分かち合うことができます。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.3 C27

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