サイババの御言葉:二人の母

日付:1968年5月13日・場所:ダルマクシェートラ
ダルマクシェートラ竣工時の青年キャンプの御講話より

二人の母


あなた方はこの国の持つ偉大な宝です。この国の未来はあなた方にかかっています。ここは神聖なヴェーダが初めて唱えられた国であり、ヴェーダの戒律がその神性を顕した国であり、敬虔な人々が、万物への愛に満ちて、満足して、質素に、幾世代にも渡って暮らしてきた国です。あなた方がこの栄誉ある遺産をまったく知らずに育っているのはとても残念なことです。

  

ヴェーダが人に教えている真理は、

「ソーハム、すなわち、あれは私である、宇宙に遍在する本質と私の内にある本質は同じものである」

というものです。この壮大な観念を瞑想することで、

「あれと私には区別がない、両方は一つ、ソー〔あれ、神〕とアハム〔私〕は分けられない、あるのはオームのみ」

ということが徐々にわかってきます。

ヴェーダはさらに3つの基本的な教義を教えています。

(1)因果応報(カルマパラ)。すべての行為には必ず結果が伴います。すべての原因には結果が伴います。もし結果を眼中に入れて行為をするなら、結果に苦しまなければならなくなります。執着は束縛となります。無執着は解脱へと導きます。エゴ、つまり自我意識(アハンカーラ)は、「あなたは肉体である」、「あなたは感覚器官の集まりである」と言ってあなたに執着を持たせます。エゴがあなたを有害な欲望へと引っ張っていかないよう、絶えず警戒していなさい。

今、あなた方は自由であり、二本の足で歩いて好きな所へ行くことができます。結婚すると、四本足になり、子供を持つごとに足は二本づつ増えていきます。そうして、あなたはムカデになり、這いずりはじめます。執着は、あなたに重荷を負わせ、あなたを束縛します。

心(マインド、思考の束)はあらゆる欲望の源です。ですから、ダイヤモンドではなく、「ダイ マインド」(心の滅却、die mind)を手に入れるように努めなさい。五感の対象物へのあらゆる欲望を死滅させるか、あるいは、すべての欲望を神に集中させなさい。すべての欲望を神に全託しなさい。すべての本能と、衝動と、執着を、神に全託しなさい。「バガヴァッドギーター」の中で、クリシュナ神は、

「あなたが一切のことを私に全託すれば、あなたの生活と幸福は私の責任となります」

と確約しました。

信仰をもって始めよ、そうするときだけ知識は成長する

あとの2つの教義は、

(2)再生(プナルジャンマ)。因果応報(カルマパラ)によって再び生まれ変わってくること。そして、

(3)人間を堕落から救うために神がアヴァターとして降臨するということ、です。

信心を持って始めなければいけません。そうするときだけ知識は育つことができます。書物を信用し、それから書物を学び始めなさい。そうするときにだけ、書物から知識を得ることができます。水に入らなければ泳ぎ方を学ぶことはできません。謙虚さと信心を持って取り組んだときにだけ、あなたが必要とする確証を得ることができるでしょう。

いつも明るく快活でいなさい。人生という道には良いときもあれば悪いときもあります。快いことも不快なことも、すべての浮き沈みを、辛抱強く、同じ心で受け止めなさい。あなたのハートという空で、暗く分厚い欲望と疑いという雲が、理智(ブッディ)という太陽の輝きを覆い隠しています。それらは単なる雲でしかなく、流れ過ぎていくものです。強い人格を身につけなさい。理性が風を起こし、その風が雲を吹き飛ばすでしょう。神を瞑想して、雲が流れ過ぎていきますようにと祈りなさい。神はあなたを助けに来るでしょう。

あなた自身への揺るぎない信心、健康で長生きし、両親と国の助けになれるあなたの能力への揺るぎない信心を持ちなさい。これが自信(アートマヴィシュワーサ、真我を信じること)です。これが人生という樹の根です。人生という樹に実る果実の甘さは、人格の甘美さです。職を得るためだけでなく、善良で幸せな人生を送るために学問を進めなさい。つまり、皆さんは今のうちから神への信仰を育て、高潔な仲間を持ち、修行を積み、奉仕の理想を胸に抱いていなければなりません。五感を制御しなさい。悪いものを見ること、悪いことを聞くこと、悪い光景、悪い言葉、悪いニュースを楽しむことを避けなさい。悪い思考は悪い人格を生み、あなたを引きずり下ろして獣にさせてしまいます。今、私たちが人生の模範として敬愛している人々も、以前は皆さんのような少年や若者でした。彼らは、青年期に、道徳的な素質、思いやりや奉仕の精神を育むことを怠りませんでした。皆さんもそれを怠ってはなりません。

学生は人々の信用を得るべし

  

ヴィッディヤールティ(学生)とは、熱心に学ぶ人、ヴィッディヤー(学識、高次の知識)を得ることを熱望する人、という意味です。しかし、今、ヴィッディヤールティ(学生)はヴィシャヤールティ(五感の快楽や五感の対象物を得ることに熱心な人)になってしまいました! 学生が学業以外のことに耽っているので、ヴィッディヤー(学識、高次の知識)は零(ゼロ)になっていまいました。すべての学生が悪いわけではありません。しかし、その中の数人が間違った道に引きずり込まれているならば、学生全体が非難を受けざるを得ません。

今日、学生たちは人々の信用と信頼を得ていません。昔は、女性や老人や病人が連れも介助人もなく列車で移動しなければならない場合、座席に一人でも学生がいるのを見ると、安心して喜んだものでした。彼らはこう言いました。

「ああ、私たちといっしょに旅する学生さんがいる。あの学生さんがよく面倒をみてくれるだろう。どこで降りたらいいかも教えてくれるだろう。必要なことを手配してくれるだろう」

しかし、現代では学生がいると歓迎されません! 何と落ちぶれてしまったことでしょう! 何と悲しく嘆かわしいことでしょう! 親と教師とこの国のいわゆる指導者たちの悪い指導、学校や大学の悪い仲間、悪い本を読むこと、映画を見たがること――これらすべてに、この偉大な国の、純粋なハートを持つ汚れのない若者たちを駄目にした責任があります。学生たちは本来、親や教師や指導者たちへの敬意を持っています。けれども、こういった人々が善い手本を示さず、教師が身をかがめて学生から煙草をもらっているようなとき、敬意を持ち続けることなどできますか?

流行を追いかけることを慎みなさい

他人の欠点を気にしてはなりません。自分の欠点を見つけて、それを正すよう努めなさい。なぜなら、あなたが病気で苦しんでいるなら、あなたが薬を飲むしかないからです。もしあなたに誤りがないのであれば、他人が何を言おうと決して悩んではなりません。けれども、まず自分の振る舞いを調べて、非難に値しないかどうか確かめなさい。まっすぐに成長しなさい。曲がって成長してはなりません。くだらないものを読むこと、悪い映画を見ることはやめなさい。それらは人格をゆがめ、暴力と邪悪なものを称賛します。あなたが持っているお金は、そうしたものに使う代わりに、心身によい食べ物のために使いなさい。よい習慣を身につけなさい。バジャン〔神への讃歌〕、アーサナ(ヨーガの座法)の実践、瞑想、静寂――これらはあなたに平安と歓喜、明晰な頭脳と集中力を与えます。これらは気まぐれな心を調教します。

流行を追いかけるのはやめなさい。あなたの好みに合ったものを用意するために両親がどれほど多くを犠牲にしなければならないかを、あなたは知りません。あなたが最新の服や器機を持てるようにと、両親はしばしばお金を借ります。そして、あとで金貸しから責めたてられます。欲を抑えて、足るを知りなさい。満足ほどの財産はありません。

時間をきわめて貴重なものとして扱いなさい。実に、時間は神からの最も貴重な贈り物です。時間は矢のように流れていきます。過ぎ去った時はすべて永遠に戻りません。病人に、そして、苦しむ人に、奉仕しようと努めなさい。そうした人たちに効果的に素早く奉仕する術を学びなさい。いつも笑顔で動き回りなさい。せせら笑いや、浮かれた馬鹿笑いはいけません。あなたの笑いによって誰かが気分を害するようではいけません。誰もが幸せを感じるべきです。誰もが喜びが伝わってくるのを感じるべきです。

平静が真のサマーディの状態

食べ物、娯楽、おしゃべり、その他すべてにおいて、自制と節度を持ちなさい。自由がすぎても、制限や統制がすぎてもいけません。

両親を敬いなさい。あなたにその体を贈ってくれたのは両親です。両親は、あなたの最も近くにいる、目に見える神です。自分の血液であなたに栄養を与え、自分のお腹を痛め、あなたに心からの愛を注いでくれた母親に感謝しなさい。両親を敬い、両親に奉仕することは、まさに神を敬い、神に奉仕することです。シュリ ラーマにとって、父の命令は神の命令と同じ力を持ちました。ラーマは朝の7時に王の冠を被ることになっていました。ラーマは王冠と人々の尊敬を受けるために王座へ向かって歩いていました。6時55分に、ラーマは、これから歩いて森へ入って14年間追放の身となるよう命じられました! ラーマは、王座へ向かって歩いていたときと同じく、喜びに満ちて歩いて去っていきました。事態がどうあれ、ラーマは等しく平静を保っていました。ラーマの得た報酬は、父の命令に従うという喜びでした。そうした平静こそが、真のサマーディ〔三昧〕の状態です。サマーディ〔三昧〕とは、均一な意識、苦痛と喜びのどちらにも乱れない反応です。

あなた方は一瞬ごとに老いています。いつまでも若いままではいられません。今、学校や大学で育んでいる友情や人間関係は、一時的なものです。卒業すれば、別れ別れになって、それぞれ自分の道を歩みます。そのとき、互いへの執着心は断ち切られ、新しい執着心がとって代わって場を占めるようになります。ですから、善い仲間を選びなさい。そして、誰にも過度の執着を抱いてはいけません。皆に友好的でいなさい。けれども、友情が過度に大きくなるのを許してはなりません。

不純な思考は崩壊への道

敬虔な人たち、神を畏敬(いけい)する人たちと交わるよう努めなさい。塵は、空気と交われば空高く舞い上がります。水と交われば地中に沈みます。あなたの未来は今の仲間に形作られます。ですから、よく気をつけていなさい。私はいつも若者たちのことが好きであり、若者たちに私の恩寵を注ぎたいと願っています。

すべての女子を自分の姉や妹と見なしなさい。もし、よこしまな思い、不純な思いで女子を見るなら、崩壊への道を滑り落ちるでしょう。もし誰かがあなたの姉や妹を不純な目で見たら、あなたはどれほど傷つき苦しむことでしょう! このことを覚えていて、同じことをして他の人を傷つけないようにしなさい。あなたが会うすべての人に、兄弟愛と姉妹愛の態度をとるよう努めなさい。女子学生をあざけったり、けなしたりして喜んではいけません。彼女たちを敬い、彼女たちの自尊心を心に留めなさい。これは私の恩寵を勝ち取る方法です。

あなたには二人の母親がいることを覚えておきなさい。それは母国(デーシャマータ)と、産みの母(デーハマータ、肉体を与えてくれた母)です。もしあなたに立派な人格が備わっていなければ、母国は嘆き悲しみます。もしあなたに愛と感謝が欠けていれば、産みの母は嘆き悲しみます。あなたのおかげでどちらの母も幸せを感じるとき、私は喜び、あなたに恩寵を降り注ぎます。そのとき、あなたの人生はまさに祝福されたものとなります。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.8 C29

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