サイババの御言葉

日付:1969年11月20日・場所:プラシャーンティ・ニラヤム
サティヤ・サイ・オーガニゼーション全インド大会、開会式 連続講話1

三つの王座


この、インド全国から集まったサティヤ・サイ・オーガニゼーションの役員の大会は、皆のハートを喜びで満たしています。これは素晴らしい機会です。皆さんの心の中で、このオーガニゼーションが作られた高い目標を再発見し、再建するために、そして、信仰心を強めるために、このチャンスを利用しなさい。信仰心は、新時代を築くこの冒険にもっと効果的に関与するよう、あなたを鼓舞するでしょう。霊性の分野における組織的な努力は、長い間インドで軽視されてきました。それは利己的な野望と派閥争いという、知らない間に侵蝕(しんしょく)してくる潰瘍(かいよう)による分裂の危険をはらんでいます。まず個人が浄化され、強化されない限り、組織は崩壊してバラバラになってしまうでしょう。それゆえ、光と愛の国へと向かう巡礼の旅は、最初からずっと一人旅だったのです。しかし、霊的進歩のまさに基盤となるものは、「私」(I)というものを否定して、喜んで「私たち」(We)を受け入れることです。これは、「神」の中に「私」(I)が溶け込むということです。犠牲、奉仕、他者の喜びを分かち合うこと、他者が悲しみに暮れているときに慈悲をかけること――これらは、ゴールに到達するという困難な仕事に向けて、個人を浄化して準備を整えさせる美徳です。個人という限定された意識を、神の栄光という無限の領域にまで広めなさい――これは、時の回廊に鳴り響いてきた神命です。

もちろん、各ユニット〔インド各州のサイの組織〕は、この独立(スワーラージヤ)した組織の手足、自らを制するための組織の手足ですが、もっと奉仕をする者としてふさわしくなれるよう、自分自身を制しなければなりません。この求道者の仲間の一団は、感覚の束縛から逃れ、自分たちが接触してきた遍在の神の存在を常に感じながら生きていくために、お互いに助け合わなければなりません。各ユニットは、個人と共同体にとって、永続する至福(アーナンダ)の源です。それは荒野の中のランプです。そのランプは、信愛という油と奉仕という芯を用いて、英知(グニャーナ)の炎によって愛の光を発します。本人が真っ直ぐで、誠実で、他の人のことも誠実さと率直さの化身、神の化身として尊敬するとき、初めてその炎は清らかになり、煙が出なくなります。

聖賢たちが定めた指針に沿って生きよ

現代では、人々が顔を合わせると、お互いの間に妬みや自惚れや誤解という幕が張られ、それが相手の欠点を誇張して、共感と兄弟愛の道の障害にさせているのです。人々は基盤となる一体性、欠くことのできない友愛、根本的な同一性を見逃しています。理解と寛容、思いやりと愛――これはサナータナ・ダルマ〔古(いにしえ)よりの永遠の法〕を作って存続させた、この国の聖賢たちのメッセージです。世界を救う組織の各ユニットの役員として、あなたは自ら体験しながら、このメッセージを復活させ、このメッセージに再び活気を与え、人々を導いていかなくてはなりません。聖賢たちの指針に沿って生きるなら、あなたは三人の人物、すなわち、あなたと第三者と私〔ババ〕を幸せにすることでしょう!

奉献は、宣伝や虚飾を嫌います。奉献は、魂と魂の主との結婚です。奉献は、独居で重視される宝です。聖賢は、深い森の奥地の隠遁所の至福に満ちた孤独の中で、どのようにして奉献を維持し、奉献を黙想するかを知っていました。聖賢の唯一の友は魂であり、唯一の相談相手は神でした。聖賢たちは、内なる敵、卑俗な外界の誘惑と戦いました。聖賢たちは、疑念と、気がそれるのを鎮(しず)めました。シャンカラーチャールヤといった人々は、完全な平穏というゴールに到達するとやって来て、どのように祈り、どのように神々を喜ばせ、どのように無限なる者に帰融すべきかを教えました。

世界はギムナジウムとして設計されている

聖賢たちは、人間の胸の中にある最も貴重な宝石は愛である、すべてのものを自分自身と見なす愛である、ということを手本によって教えました。今、愛は五元素から騙し取った胸の箱の中に錠をかけてしっかりとしまい込まれ、愛の光はエゴ〔自我〕やエゴに迎合するものの上だけに投じられています。実際は、愛は全人類の遺産であり、万人が分かち合うべきものです。この世界は、体操の場(ギムナジウム)、運動場、苦行の森(タポーヴァナ)として設計されています。そこは、健康と力を回復すること、知性の清澄さと純粋さを手に入ることに日々を費やす場所です。ところが、世界は今や、幽鬼の場(ジンナジウム)、殺害場、鈍性の森(タモーヴァナ)となり、人間を野獣より劣った存在にまで貶(おとし)めています。怒りと憎しみと虚飾が、愛と真心と純真さに取って変わってしまいました。

信愛は、誇示するために得るものではありません。信愛というものは、内に秘めておく利益(りやく)であり、神とのみ意思疎通するものでなければなりません。妬みの火花が心(マインド)を包むと、やがてそれは大火事になり、あらゆる善のチャンスを焼滅させてしまいます。油断なく見張っていなさい。妬みはもっぱら高慢の結果であり、高慢はあなたが自分の役割を知らないために生じるものです。自分は多くの成果を上げたのに、人は自分に払うべき敬意を払っていないと、あなたは考えています。人々はあなたのことよりも、あなたほど成果を上げていない誰かのことをもっと尊敬しています。しかし、考えてもみなさい。誰があなたにチャンスを与え、知性を与え、成功を授けたのでしょうか? 神です。神がいなければ、あなたは無力です。神が選び、神が促し、神が実行したのです。それは〔神によって〕行われたのです。謙虚でありなさい。皆と仲良くしなさい。皆、等しく身を捧げており、誠実です。

私の恩寵を求めるこの求道者たちの団体を、ライバル意識や派閥争いの病毒(ウイルス)に感染させてはなりません。誰がどのカーストに属しているかを調べて、依故贔屓(えこひいき)や偏見を育ててはなりません。会長職や事務長職の華やかさではなく、私の恩寵という贈り物を勝ち取るよう努力しなさい。自分の義務と責任に注意を払いなさい。これは、あなたが果たす特権を与えられたことのある、一般的な重責ではありません。私にはあなたを徹底的に見抜く力があります。偉そうに頭をのけぞらせ、他の人々をなじってはなりません。身をかがめなさい、そうすれば自分の重責を持ち上げて、肩で担ぐことができます。枝がしな垂れるように、身をかがめなさい。しな垂れる枝は、果実がたわわに実っているから重いのです! 立派に遂行された一つひとつの義務は、神の銀行に預けたあなたの預金です! その預金を増やしなさい。預金は小切手を使って引き出すことができます。あなたは自分の権利として、支払いを要求できるのです。

あなたはヴェーダとシャーストラとプラーナへの深い信心を持たなくてはなりません。それらは太古の英知であり、時代という試練に耐え抜いてきた英知の宝庫です。それらは、謙虚さと尊敬と寛容を教えています。それらの聖句の精神をたっぷりと吸収しなさい。そうすればあなたは、怠惰と貪欲、色欲と暴飲暴食、妬みと高慢という病から解放されるでしょう。感情の王国の君主として、愛を王座に就かせなさい! 思考の王国の君主として、理性を王座に就かせなさい! 行為の王国の君主として、無執着を王座に就かせなさい! これが今日、サティヤ・サイ・オーガニゼーションの各ユニットに私が課する任務です。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.9 C32

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