サイババの御言葉:母の栄誉を称えよ

日付:1983年9月
キングダム・オブ・マザー・サイ〔サイ大学女子同窓会〕主催
「社会改革における女性の役割」シンポジウム開会式の御講話より

母の栄誉を称えよ


母親の膝の上はすべての人にとっての学校です。母親の膝はすべての人とって最初の寺院です。母親はすべての人にとって1番の富です。母親に関するこれらの真理を知ることはすべての人の義務です。母親以上に位の高い神はいません。人間にとって、父親は宝物であり、母親は神です。それほど尊い富の価値を評価することなく、人々は財産や地位を得ようとして様々な活動に従事しています。父親と母親は、言葉とその言葉の意味のように、分かつことのできないものです。人は誰もが両親を神の化身として大切にしなければいけません。

母親と父親は、体は別々かもしれませんが、霊的には1つです。男女の区別も、肉体の上だけのことです。男の人にも女の人にも同一の神霊〔内なる神、アートマ〕が宿っています。実際、どの人も2つの構成要素に分けられます。1つは体です。もう1つはアートマです。飢え、乾き、睡眠、仕事といったものは、体から引き出される性質です。真実、堪忍寛容、思いやり、愛といった性質は、アートマから生じます。人は自分を体だと思っていますが、もし真理を調べてみれば、人は体ではないということがわかるでしょう。肉体はすべての生物に共通のものです。どの肉体も同じ五元素でできています。肉体は衰えと死をまぬがれません。食べること、睡眠、生殖は、どの生き物にも共通のものです。人間に宿っている神霊は不滅です。その霊は神です。人間は、世俗のものを手に入れるためには懸命にあらゆる努力をします。しかし、自分の神性を顕現させるのに必要な犠牲は払いません。

基本的性質を育む上で女性の役割は極めて重要

今日の世界には、無秩序、暴力、対立が見られます。世界は多くの病に侵されている病人のようです。その病気を治すものは何でしょう? 人は、利己心、貪欲、その他の悪い性質を取り除いて、自分の内にある動物的な性質を乗り越えなければいけません。

人は純粋さを獲得するために「慈善」(無私の精神)を培わなければいけません。人は「ハートの清らかさ」によって「一体性」を獲得し、一体性によって「神性」へと到ります。人生という館は、これら4つの土台の上に建てられるべきものです。この4つの基本的性質を育む上で、女性の役割は極めて重要です。献身的な母親だけが、国家の大きな未来のために力を尽くす子供たちを国に提供できます。真実〔真理、サティヤ〕、犠牲、平安は、女性に顕著な性質です。

女性たちは清らかさと社会の幸福を懸念しています。アルジュナは、クルクシェートラの戦いで息子のアビマンニュ〔アルジュナとスバドラーの子〕が死んだとき、「この戦いは無駄だった。王国を引き継ぐ者が誰もいなくなってしまったのだから」と嘆きました。一方、スバドラーは、「息子が親よりも先に逝くのはカリユガ〔末世、最悪の時代〕の前兆です」と嘆き悲しみました。ラーマの時代には息子を失くして悲しんだ母親などいなかったということを、スバドラーは思い出しました。父〔アルジュナ〕の愛は世俗的な欲望と結び付いていましたが、母〔スバドラー〕の愛は霊的な関心事と結び付いていました。

今日必要とされているのは、このような心の大きな母親です。善良な妻よりも善良な母のほうがより必要です。善良な妻は夫にとって価値があるだけですが、善良な母親は国の財産です。古代より、インドの聖典は、マイトレーイー、シーター、サーヴィトリーといった立派な女性の鑑を称えてきました。彼女たちの生涯は、今日でもインスピレーションの泉であり続けています。彼女たちを忘れるわけにはいきません。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.16 C24

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