サイババの御言葉

日付:1984年5月12日・場所:ボンベイ(ムンバイ)
ダルマクシェートラ16周年記念祭の御講話より

愛というメッセージを広めなさい


個人と社会と国家は、互いに分離できない形でつながっている一つの有機体を形成しています。国家の平和と幸福は、社会の平和と進歩にかかっています。そして、社会の平和と進歩は、個人の平和と善い振る舞いにかかっています。個々人がお互いを尊重し合う心と寛容の精神を育み、お互いに対する平等心を培わない限り、共同体に平和と調和は生まれません。物質面での進歩だけでは、人々の間に平和と調和と幸福をもたらすことはできません。アメリカは物質的な進歩の度合いが高い国の一例ですが、そこでは、人々はお互いへの愛をほとんど持っておらず、幸福も心の平和も持っていません。

科学技術の目ざましい進歩に、それ相応の識別力と英知が伴っていないのです。人間は、感覚器官を通じて外界を探索し、自然界や物質世界の中に隠れている力を発見しますが、感覚器官が働くのは感覚器官に内在している神性のおかげである、いうことに気づかなければなりません。その神の力がなければ、目は見ることができず、耳は聞くことができず、心は思考することができません。

無私の愛こそが神に到る唯一の方法

私たちの国の古代人たちは、科学に無知ではありませんでした。そして、科学を追求する中で、創造世界についてのすべてを知ることで満足するにとどまらず、創造世界の原因である創造主を理解することに熱心でした。古代人たちは、変わることのない実在、すなわち、絶えず変化し続ける現象界の背後に存在するものを、知ろうとしました。その霊的な探求は、神という、生きとし生けるものすべての中に存在し、全世界のすべてのものの中に満ちているものを悟ることへと通じました。

サイ オーガニゼーションの会員は、すべての人は一なる神の子供である、ということを固く信じて自分たちの仕事を進めていかなければなりません。そして、自分たちの奉仕活動を、神への無私の奉納という精神で、進めていかなければなりません。清らかな無私の愛を実践することこそが、神へと到る唯一の方法です。会員たちは、自分たちの体を神が住んでいる神殿であると考えて、自分のハートと心を清らかにすべきです。

今日、私たちは国内のさまざまな場所で、無秩序、暴力、憎悪を目にします。状態は日増しに悪化しているように見えます。こうした状況におけるサイの帰依者の義務は、明確です。サイの帰依者は、愛の特質を養い、それを自分のあらゆる行いの基盤としなければいけません。サイの帰依者は、村人たちを悪い習慣から引き離し、村人たちが村人の間にはびこっている不和を生じさせる力の餌食にならないよう、助言しなければなりません。地方向上の分野に、党利党略を重んじる政治のための場所はありません。

サイのワーカーは、村人たちの身になって、愛と思いやりをもって村人たちに奉仕すべきです。これは、サイのワーカーが従事すべき霊性修行です。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.17 C11

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