サイババの御言葉

日付:1994年1月21日・場所:シュリ サティヤ サイ大学の講堂
第二回心臓血管疾患国際シンポジウムのババの御講話@より

食物と心臓と心


神我なる真我の化身である皆さん! 食事、仕事、睡眠における節度の原則を守ることは不可欠です。仏陀は弟子たちに同じ節度の原則を説きました。「常に中道たれ、決して極端に走ってはならない」と、仏陀は宣言しました。実際、節度は幸福への王道です。

現代人は、生活のあらゆる面において節度の原則を無視し、自分の健康と幸せを危険にさらしています。人が食べる物は、適切で、純粋で、健康に良いものでなければなりません。しかし今日では、人は自分が手にしたものを、何でも、どこで手に入れたものでも食べてしまい、健康を損なっています。健康を守るということにおいて、食べ物は大きな役割を担っています。摂取する食品に脂肪が多く含まれていないことを確認するよう気をつけるべきです。というのも、大量に摂取された脂肪は、体の健康だけでなく、心の健康にも有害だからです。肉とアルコール飲料は人間の健康に大きな負担をかけ、多くの病気を引き起こします。

心臓手術の効果

この国際シンポジウムは「心臓とその病気」をテーマにしています。また、さまざまな病気の予防的側面や、心臓病の処置と治療についての議題も話し合います。心臓外科手術の有効性とそれに関連する効果について、質問が出されます。

心臓は人間の体のしくみにおいて特別な器官です。他の臓器とは異なり、心臓は絶え間なく脈動しています。心臓手術は非常に複雑な手術です。手術は心拍を止めることなく行う必要があるからです。それと同時に肺の機能も維持する必要があります。

心臓の手術中に心臓と肺を動かし続けるために、1956年に天才的な医師たちが人工心肺装置を発明しました。装置それ自体が心臓と肺の機能を負い、血液の浄化を確実にし、血液の循環を維持します。この人工心肺の機能の詳細は医師たちによく知られています。心臓と装置を繋ぐために取り付けられているチューブは、空気を通さないものでなければならず、注意深く固定されていなければなりません。というのも、チューブの取り付けにわずかでも不備があれば、気泡が発生して患者の生命を危険にさらしかねないからです。電気の供給が安定していることは操作の成功にとって最も重要です。なぜなら、電気の供給に障害が発生すると操作が停止してしまうからです。ですから、手術中に停電状態に陥らないことを確実なものとするために、発電機に頼る必要があります。

予防は治療にまさる

心臓手術は永久的な治癒を保証するかどうか、という問いがなされています。心臓手術は、患者に日常の活動を続けさせ、通常の生活を送ることができるようにさせるという点では、有用です。しかし、外科手術は心臓疾患を治療する唯一の方法であると結論づけるのは間違っています。いくつかの病気は薬でも治すことができます。私の見解では、すべての個人には、まず食事や他の習慣を規制することで心臓病の犠牲者になるのを防ぐ責任があります。予防は治療にまさります。もし食習慣が正しく管理され、規制されているなら、心臓病の余地はわずかなものとなるでしょう。

調査によると、ベジタリアンでない人とアルコールの常飲者は、ベジタリアンよりも心臓病になりやすいことが明らかになっています。ベジタリアンの食事をバランスの取れた健康的なものにするためには、食事にニンジンなどの野菜からとれるビタミンCとビタミンEが豊富に含まれている必要があります。これらのビタミンの存在は心臓疾患を大幅に予防します。

人体を健康に保つには、あらゆる努力をする必要があります。健康は富です。不健康な人は富を楽しめません。健康がより重要なのは、健康は人に肉体の強さと精神の強さを与えるからです。

鳥や獣は、人間がかかりやすい心臓や消化器の病気に苦しむことはありません。その原因をたどると、味覚の奴隷となってあらゆる種類の揚げ物や調理した食品を摂取する人間と違って、動物が摂取するものは自然のままの食品であるということに行きつきます。現代人は多くの加工食品とさまざまなアルコール飲料を摂取していますが、これらは健康にとって有害です。鳥や獣が自然な生活を送っているのに対して、人工的なライフスタイルを送っている現代人は、健康という大きな代価を払っています。

食事の節度を守っていれば、ほとんどの病気から救われることができます。神の全創造物において、識別力を与えられているのは人間だけです。人間を他の動物から際立たせているのは識別力です。食習慣に関して、人は分別と識別力を使うべきです。

どのようにして精神的な変容をもたらせばよいか?

全世界の進歩は人間の進歩と結びついています。科学、経済、社会の領域の開発は、精神的な変化がなければあまり役に立ちません。私たちはどうすれば精神的な変容を実現することができるのでしょうか? 激しい感情を抑えることです。精神的な緊張は健康に大きな害を及ぼします。ですから、人はストレスや緊張を引き起こす激しい感情を抑えるこつを身につけるべきです。食べ物を食べている最中は、心を穏やかで平安に保つことも不可欠です。食事中は、動揺や興奮を引き起こしたり心の平安を乱したりするようなトピックについて議論すべきではありません。精神的な緊張は病気の原因になります。また、食べ物を食べながらテレビやビデオなどを見るのは避けるべきです。なぜなら、それらは精神障害の原因となる可能性があるからです。

今、私たちが呼吸する空気、飲む水、私たちの耳に入ってくる音、私たちが摂取する食べ物など、すべてに汚染があります。この全面的な汚染のために、人間の健康は侵されています。これとは別に、人間の心も汚染されており、それが人を病気にかかりやすくさせています。

人は穏やかで清らかな生活を送るために真剣な努力をすべきです。困難や騒動は過ぎ行く雲のように一時のものである、という事実に気づくべきです。この事実に気づくなら、動揺が生じる余地はなくなります。この事実に気づいた人は、怒りや残酷さといった激しい感情に心を揺さぶられることがなくなります。激しい感情に身を任すことは、一時的な満足感を生むだけで、深刻な感情の乱れを引き起こします。ですから、ものを食べている最中に人としてふさわしくない激しい感情に屈しないようにすることは必須です。3つのPの順守、つまり、Purity(清らかさ)、Patience(忍耐)、Perseverance(粘り強さ)を守ることは、永遠の幸せと、病気とは無縁の健康を保証します。

心臓病の3つの根本原因

人の健康を損なうものは激しい感情だけではありません。よこしまな方法で手に入れたお金で生活することも何らかの不健康を引き起こします。不当な手段で稼いだ収入で生きることは、多くの未知の病気が根付く原因となります。こう言われています。

食べ物のとおりに、心はなる
心のとおりに、思考はなる
思考のとおりに、行いはなる
行いのとおりに、健康状態はなる


現代人は心配の餌食となっています。心配の原因は何でしょう? 満足感の欠如が心配の原因です。お金持ちは財産を蓄えているにもかかわらず満足していません。心配することが急ぐ原因であり、この2つが一緒になると不健康を招きます。したがって、「心配すること」、「急ぐこと」、「カレー」(脂肪分の多い食べ物のこと)が、心臓病のそもそもの原因なのです。

心臓血管の病気の原因は脂肪の大量摂取です。医者は脂肪分を多く含む食品をとらないよう助言します。脂肪分を多く含む食品は体重増加の原因となり、その結果、心臓病にかかりやすくなります。毒素の存在もまた同様の損害を与えます。ですから、健康を守るためには、正しい種類の食事をほどほどに食べ、アルコール飲料は飲まないようにすることです。50歳を過ぎたら食べる量を少しずつ減らすようにしなさい。

人々の中には、カロリーを気にせずに見境なく食べる人がいます。たとえば、人々は油で揚げた高カロリーのパパド(インドの薄い丸せんべい)を食べ、高カロリー食品であるギー〔精製バター〕も摂取しています。パパド1枚は100?150カロリーあります。スプーン1杯のギーは100カロリーあります。たとえ食事の量を減らしても、カロリーの摂取量が減るとはかぎりません。

患者に喫煙やアルコール依存に対して助言する医師がいますが、その医師自身が喫煙し、お酒を飲んでいます! 説いていることと行っていることのギャップは、患者の心に医者から言われた医学的なアドバイスの価値に対する疑念を生じさせます。言動一致を守っていない医者は患者に誤解をさせます。

医師が示すべき3つの資質

愛の化身である皆さん! 皆さんは真面目に努力した結果、MD(医師)、FRCS(王立外科医師会会員資格)、MRCP(MRI胆管膵管検査資格)などの高い学位を取得しました。しかし、これらの学位を自分のものだと考えるのは間違いです。実際、これらの学位は、あなたの研究、技術、記憶力、知識に与えられたものです。これらの学位は、あなたが実際にその知識を用いた日に、本当にあなたのものになるのです。

残念なことに、現代では、あらゆる活動と職業が、商業的な見方とお金を稼ぐことへの欲望によって汚染されています。医者という神聖な職業でさえ、商売へと堕落しています。医師は患者の治療において、犠牲と愛と思いやりという3つの性質を示すべきです。しかし、一部の医師はこれらの美徳をまったく持っていません! 彼らはお金のために神聖な知識を悪用しています。お金は重要ですが、裁量しなければいけません。裕福な人には正規の料金を請求することができますが、貧しい人を相手にするときには、親切になって配慮をすべきです。貧しい人には無料で治療を施すようにしなさい。億万長者と貧者を同じように扱うべきではありません! 「ヴァイディヨー ナーラヤノー ハリヒ」(医者は神に等しい)と言われています。主が愛と思いやりを持っているように、医師も主の神聖な美徳である愛と思いやりを持つべきです。これらの美徳を欠いている医者は医者ではありません!

医師は、思いやりと配慮をもって話をすることで、患者の心をつかむべきです。愛と配慮をもって患者に話をするとき、病気は半分治ります。ひとたびあなたが愛を持って笑顔で話しはじめると、具合の悪い人、病気の人は、あなたの処置に好意的に反応します。反対に、あなたが厳しい表情をすれば、患者は気を落とします。医師は、弱っている人にカルシウムを投与するように、勇気と励ましを注射すべきです。医師が愛と思いやりという立派な美徳を備えていることは必要不可欠です。思いやりはお金よりも大切です。

健康的な生活を送るためのスワミの手本

どうすれば健康な生活を送れるのでしょう? ここで、私自身の健康について皆さんにお話ししましょう。私は68歳です。信じようと信じまいと、私の体重は14歳の時からずっと108ポンド〔約49キロ〕ちょうどです。109ポンドに増えたこともなければ107ポンドに減ったこともありません。この種のバランスと節度を持てば、皆さんも健康な生活を送ることができます。私はほんの少しも余計に食べません。億万長者に食事に招かれても、貧しい人に食事に招かれても、私は節度の原則を守っています。私は68歳ですが、体は完全な状態です! 私には痛いところはどこもありませんし、私の心臓は岩のように頑丈です。私のように働いて私のように奮闘している人は誰もいません! 私の健康の秘訣は規制正しい食習慣です。これが、人はいかにして食物と頭と神の一体性と調和を達成しなければならないかということです。

一部の医師の犠牲の精神

医者の第一の資質は犠牲の精神です。私たちは、具合の悪い人や病人に助けを与える方法と手段を探るために、このシンポジウムを開催しています。インドには、全インド医学協会のヴェーヌゴーパール医師、バン医師、サンパト医師のような犠牲の生活を送っている医師たちがいます。こうした医師たちは、奉仕という大義に取り組んでおり、交通費さえ請求せずに私たちの病院にやって来ます。彼らの犠牲は、この高等医学研究所の神聖さに貢献しています。私たちの病院には、喜びが伝染し、元気がみなぎる雰囲気があります。誰もが笑顔です。患者、患者の身内、看護師、医師、みんなです! 彼らは皆、満開の花のようです。この病院は他のほとんどの病院とは違います。

病院に不可欠な特徴は清潔さです。清潔なトイレは、その病院の清潔さの指標です。私たちの病院は鏡のようにぴかぴかです。なぜなら、奉仕と犠牲の精神で一所懸命に働く熱心な専任のボランティアのチームによって、常に清潔に保たれているからです。一人の奉仕ではなく、多くの人の奉仕が、私たちの病院の急速な発展に貢献しているのです! 一輪の花で花輪を作ることはできません。患者、医師、労働者――すべての人が調和と団結の精神で働いています。この一体性が純粋性に貢献し、ハートの純粋性が神性を確保します。この病院は、純粋性と一体性と神性の存在のダイレクトな証明です。こうした純粋性と一体性と神性が他の病院にも広まることは私たちの願いです! 一体性は、道徳、科学、霊性――あらゆる活動の分野で必要不可欠です。一体性がなければ純粋性は姿を消します。純粋さと一体性がなければ神性は存在しなくなります。医師たちが無料診療を毎週2日提供しようと決意するなら、人類はもっと健康になるでしょう。

ハートの清らかさがあれば、驚くほどよく働くことができる

一部の医師は、私たちがどうやって無料の診療、無料の手術、無料の食事を患者に提供できているのか疑問に思っています。率直に言って、このことに関して驚きの余地があってはなりません。ハートの清らかさがあれば、驚くほどよく働くことができます。清らかなハートで始めた仕事はきっと成功します。あなたの仕事に愛と犠牲が詰まっていれば、お金は流れてきます。高潔な努力を支援するために、人々は気前よく資金を提供してくるでしょう。バーラタ〔インドの正式名称/神を愛する人々の国の意〕の地は、プニャ ブーミ(神聖さの地)、ティヤーガ ブーミ(犠牲の地)、ヨーガ ブーミ(霊性の行の地)、カルマ ブーミ(正しい行いの地)であり続けています。実際には、インドにお金の不足はありません。

医師は何よりもまず霊性を信じるべきです。霊性への信心こそが、人類の変容をもたらすことができます。霊性とは、祭日を祝うことではありません。儀式をすることでもありません。真の霊性は、あらゆる動物性を根絶するための真摯な努力を呼び求めます。今、人類は、悪の中に善を見ようとすることをせず、善の中に悪を見ようとするほど堕落したレベルにまで成り下がっています。

各分野の優秀な医師たちがここでのシンポジウムに参加しにやって来ました。皆さんの優れた才能と技術を生かすために、真摯な努力をすべきです。皆さんの国と気候は異なるかもしれません。しかし、あなた方は全員、1つの共通のものを持っています。それは高潔な気持ちです。その高潔な気持ちは神から人間への贈り物であり、神の恩寵によって生じるものです。患者を自分の親族縁者として扱いなさい。誠意をもって患者に施した援助は、やがて報われるでしょう。皆さんが有益な議論をし、人類が心臓疾患から解放される助けとなる方法と手段が打ち出されることが、私の願いであり、祝福です。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.27 C3

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