サイババの御言葉

日付:1997年1月19日・場所:サティヤ サイ大学講堂
スポーツ文化祭表彰式の御講話より

犠牲の人生を送る覚悟をせよ


月は夜を照らす
太陽は昼を照らす
ダルマは三界を照らす
善い息子は、一族の光


夜の間に光を射すのは月です。昼の間は太陽が光を与え、道を示します。三界への光はダルマから生じます。善い息子は、家族の灯火であるのみならず、すべてのジャーティ〔共同体/あらゆるカーストの人々〕にとっての光です。教育は、道徳と人に潜在する霊性のつぼみを開く手段です。教育は何が正しくて何が間違っているかを人に明かします。学生である善い息子には、五つのものが不可欠です。

第一にヴィッディヤー(正しい教養)です。ヴィッディヤーとは暗闇を追い払うものを意味します。

第二にヴィグニャーナ(識別力)です。これは、永遠のものとつかの間のもの、本物と偽者を識別する力を指しています。

第三にクラマシクシャナ(規律)です。規律は本から得るものではありません。

第四にデーシャービマーナム(自分の国と国民への愛)です。

第五にサットシーラム(善い人格)です。

これらの特性を持っている人だけが徳のある人と見なされることができます。

学生諸君は、この五つの特性は自分の五つの生気(パンチャ プラーナ)であると認識すべきです。これら五つの特性を持っている徳のある息子だけが、自分の家族と自分の国に輝きを添えることができます。

真の学識は人格と道徳と霊性である

現代の社会的シナリオと教育システムには多くの欠陥があります。現代の教育は世の中の知識を与えることに関係しており、倫理や霊性〔神性〕のための余地がありません。現代の教育は学生に能力や才能を身に付けさせていません。教育システムに、全体的で根本的な変革をもたらすことが必要不可欠です。必要なのは全体の改革です。そうして初めて、教育の価値がはっきりと目に見えるようになるでしょう。

これに関連して、学生の態度にも変化が必要です。学生の教育プロセスへのアプローチの仕方にも変化があるべきです。そうして初めて、学生は本当の教育を確保することができます。最初からずっと、教育は書物の知識を得るだけに留まっています。今、必要なのは、実際的知識です。どの学生も、「善い人格」と「道徳的価値」を得て、「霊的な心の傾向」を伸ばすべきです。この三つが本当の学識を構成するのです。この三つは古代より高く尊重されてきました。不幸なことに、近代の始めから、道徳がその場から消えてしまいました。正義と霊性が薄れてしまいました。教師も教育機関も、この不可欠な要素に関心を示していません。

インドの文化は卓越しています。ヴェーダ、ウパニシャッド、プラーナ、そして、大叙事詩は、まぎれもなく最高の英知の海です。太陽は毎日、莫大な量の海水を蒸発させて、雨という形にして大地に戻し、人間たちが作物を育てていけるようにしています。太陽が蒸発させた水の量がいくら多くとも、海の深さは減じません。また、川の水が海に流れ込んできても、海の高さが上がるようなことは少しもありません。バーラタ〔インド〕文化の大きさは海のごときであり、上がることも下がることもありません。昔から、インドの聖仙たちはバーラタ文化を吸収し、人々の間にそれを広め、人々の生活を高めてきました。現在のバーラタ人は、自分たちの文化の伝承を理解しようとしません。その一方で、外国の多くの人たちが、さまざまな方法でこの莫大な知識の宝庫の中にある宝を探り、そこから恩恵を得ています。ロシア人とドイツ人は、自国の利益のためにリグヴェーダとアタルヴァナヴェーダ〔アタルヴァヴェーダ〕を大いに活用しました。アタルヴァナ ヴェーダは、戦争の技術と武器に関する価値ある知識の源泉です。今のインドには、アタルヴァナヴェーダのことを気にしている人は一人もいないように見えます。

サンスクリット語の偉大さを認識しなさい

バーラタ文化はすべてサンスクリット語〔梵語〕を基盤としています。すべてのバーラタの学生は、サンスクリット語がインドのすべての言語の母であると認識すべきです。サンスクリット語の知識がなければ、バーラタ文化の基本を理解することはできません。サンスクリット語の価値を認識したロシア、ドイツ、日本、マレーシア、その他の国々は、サンスクリット語の学習を教育のカリキュラムの中に取り入れています。太古からの諸外国とバーラタとの親密な関係は、今のほとんどのバーラタ人に理解されていません。

インドネシアはマハーバーラタを大切にしている

皆さんは、インドネシアが自国の航空会社にガルーダ航空〔「ガルダ」というサンスクリット語をインドネシア語で表した名〕という名前を付けているということを、本や他の情報源で知っていることでしょう。ガルダというのは、インド神話におけるヴィシュヌ神の乗り物である神鳥です。インドネシアの銀行は、富を象徴するヒンドゥー教の神、クベーラにちなんで名付けられています。バーラタ文化は、海外諸国でこれほど顕著に行き続けているのに対して、バーラタ国内ではあまり評価されていません。

インドネシアの初代大統領はスカルノ博士です。スカルノ大統領の父親はマハーバーラタの優れた研究者でした。彼は、カルナ〔マハーバーラタの登場人物。パーンダヴァ兄弟の母クンティーがパーンドゥ王と結婚する前に太陽神との間にもうけた子で、カウラヴァ兄弟への恩義からカウラヴァ側に就いた武芸の達人〕の戦士としての特性、それから、人に何かを懇願されたらどんな物でも決して断らなかったという、度量の大きな喜捨の人としての立派な特性を素晴らしいと思い、自分はイスラム教徒であったにもかかわらず、息子にスカルノ〔「善良なカルナ」の意。「カルノ」は「カルナ」をジャワ語の男性形で表した語〕という名前を付けました。このように、外国人はバーラタ文化の偉大なものを大切にしています。ところが、バーラタ人はというと、自分たちの文化の栄光に気づかずに、欧米の習慣を模倣しています。

カルナのこの上ない犠牲の精神を覚えておくとよいでしょう。カルナは邪悪な心を持つ者の仲間になったために汚名を負いましたが、カルナほどの犠牲の精神を持っている人は誰もいません。

マハーバーラタの大戦争は、カルナが倒れた17日目に終焉を迎えました。パーンダヴァ軍はカルナを倒した大勝利を祝っていました。カウラヴァ軍は、自分たちの最高の戦士だったカルナを失ったことで、すっかり絶望的になっていました。パーンダヴァ軍は最も手強い対戦相手を倒したことに喜んでいました。けれども、クリシュナは離れた所に座っり、悲しみに沈んでいるように見えました。アルジュナがクリシュナのもとへ行き、勝利を喜ぶべき日にどうして悲しんでいるのか理由を尋ねました。クリシュナはアルジュナに、バーラタは今日、最も英雄と呼ぶにふさわしい戦士を失ってしまった、と言いました。バーラタに栄光と名声をもたらした英雄が倒れてしまった、と。

「私は非常に悲しい。この国は、あれほどの英雄を失うのだから。」

その言葉を聞いて、アルジュナは驚いてクリシュナを見ました。アルジュナは言いました。

「クリシュナ! パーンダヴァ軍の勝利を確実にするために、あなたは御者の役に就くことをお選びになりました。そのおかげで、パーンダヴァ軍は勝利を得ました。その勝利を喜ぶ代わりに、なぜあなたは我らの敵が倒れたことを悲しんでいるのですか?」

戦士と喜捨の人としてのカルナの偉大さ

クリシュナは答えました。

「カルナは、まさに犠牲の権化だ。犠牲とカルナは同意語だ。カルナほどの犠牲の精神を持っている者は世界中を探しても見つけることはできない。幸せな時も悲しい時も、勝った時も負けた時も、カルナは犠牲というものを忘れることはできなかった。おまえには犠牲の精神があるか? いいや、ない。」

それからクリシュナはアルジュナに、付いて来るようにと言いました。

暗闇が戦場を包んでいました。クリシュナはアルジュナと共に歩いていきました。クリシュナは甘美な声で「カルナ! カルナ!」と叫びました。カルナは末期(まつご)にあえいでいました。カルナは声を上げました。

「私を呼ぶのは誰だ? 私はここにいる。」

その声を頼りに、クリシュナはカルナに近づいていきました。カルナのもとにたどり着く前に、クリシュナは貧しいブラフミン〔婆羅門〕の姿に変じました。カルナは彼に尋ねました。

「あなたは、どなた様ですか?」

カルナは息も絶え絶えでした。そんな時でさえ、声には何の躊躇もひるみもなく、カルナは見知らぬ男にそう問いかけたのでした。ブラフミンに変じたクリシュナはこう答えました。

「長いこと、私はあなたが慈悲深いお方だという評判を耳にしていました。あなたはダーナ カルナ(大いなる喜捨の人カルナ)という名声を得ておられます。今日、あなたの窮状を知らずに、私はあなたに進物を求めにやって来ました。私はあなたに喜捨をしていただかねばなりません。」

「もちろんです、何でも望みの物を差し上げましょう」とカルナは答えました。

「息子の結婚式を挙げなければならないのです。それゆえ、わずかな金(きん)をいただきたい」とクリシュナは言いました。

「ああ、何ということだ! どうか、わが妻のもとに行ってください。妻があなたに必要なだけの金を差し上げます」とカルナは言いました。

すると、ブラフミンは笑い出しました。ブラフミンは言いました。

「わずかばかりの金のために、私は、はるばるハスティナープラの都まで行かねばならないのですか? そういうことであれば、あなたは私が求めたものを喜捨する立場にはおられない。私はおいとまします。」

するとカルナは口を開け、自分の歯の金の詰め物を示して言いました。

「これらを差し上げます。これらをお持ちになってかまいません。」

嫌悪の口調を装って、クリシュナは言いました。

「何を言っているのですか? あなたは私に、あなたの歯を砕いて金を取り出せというのですか? そんな酷いことがどうしてできますか? 私はブラフミンです。」

カルナはクリシュナに自分のハートを捧げた

それを聞くや、カルナはそばにあった石を拾って自分の歯を強打し、それらの歯をブラフミンに差し出しました。ブラフミンを装ったクリシュナは、さらにカルナを試そうと思いました。

「何ですか? あなたは私にぽたぽたと血の滴が落ちる歯を進物として喜捨するおつもりですか? そのようなものは受け取れません。私はおいとまします」

とクリシュナは言いました。カルナは懇願しました。

「スワミ、どうかしばらくお待ちください。」

動くことすらできないにもかかわらず、カルナは自らの矢を引き抜いて大空に向けて放ちました。すると、たちどころに雲から雨が降ってきました。カルナは降雨で歯を洗い清め、それらを両手で差し出しました。すると、クリシュナは自らの真の姿を現しました。カルナは尋ねました。

「あなたは、どなた様ですか?」

クリシュナは言いました。

「私はクリシュナだ。私はそなたの犠牲の精神を称賛する。どのような状況においても、そなたは決して犠牲の精神を手放さなかった。何でも望みのものを言いなさい。」

クリシュナの麗しい姿を見つめながら、カルナは合掌して言いました。

「クリシュナよ! アーパド バーンダヴァ(困難を和らげる親しきお方)よ! ローカラクシャカ(世界の守護者)よ! おお、主よ、全宇宙を手の中に持つお方よ、いったい何をあなたに求められましょう? 今、私は幸運なことに、自分が逝く瞬間にあなたの神聖な御姿を見て目を閉じようとしています。これは最大の祝福です。これは十分すぎるほどの恵みです。今際の際(いまわのきわ)に主の御姿を見ることが、人間存在の究極の目的〔人は来世で死に際に見たものとなる〕です。あなたは私のもとに来て姿を見せてくださいました。それで十分です。私はあなたに敬礼を捧げます。」

アルジュナはそのすべてを見ていました。クリシュナはアルジュナの方を向いて言いました。

「おまえには、この種の犠牲を払う覚悟があるか?」

アルジュナは黙って頭を垂れました。主は、人の内にある犠牲という特質の偉大さを称賛しました。あらゆる種類の犠牲の中で、神のために払われた犠牲が最も偉大です。

「おお、主よ! 私はあなたに、あなたが私に授けてくださったハートを捧げます。それ以外、何をあなたの蓮華の御足に捧げることができましょう? 私はあなたの御前に平伏します。どうか私の捧げものをお受け取りください。」

これが、クリシュナに向けたカルナの祈りでした。

神への信心を命を支える呼吸のように堅固に保ちなさい

人は執着とエゴのせいで自分の本性を忘れています。人は神への固い信心を持つべきです。信心はあなたの命を支える呼吸のようであるべきです。呼吸はいつでも中断することなく、吸ったり吐いたりを繰り返しています。呼吸は、あなたがどんな仕事をしていても、あなたの心がどんな状態にあっても、続いています。

それと同じように、どんな状況でも、どんな時でも、神へのあなたの信心は決してあなたから離れていくべきではありません。神への信心は、あなたの願いが叶えられたか叶えられなかったかによって変わるべきではありません。命を支える呼吸のように、喜びの時も悲しみの時も、失った時も得た時も、苦しい時も楽しい時も、あなたの信心はずっと堅固であるべきです。何が起こっても、それは自分によって良いことだと受け止めなさい。それらを耐え忍ぶ精神力を持ちなさい。あなたの神我への信心を持っていれば、野性動物でさえ、あなたになつくことでしょう。

人に体が与えられているのは人に奉仕をするためだということを、すべての人が認識すべきです。あなたの体を社会の幸福を促進するために使わなければいけません。もしあなたの知識を人に善いことをするために使わないなら、ずっと教科書を勉強していても何になるでしょう? 人に喜びを与えるために活用されない心、人への奉仕に使われない体は、まったくの役立たずです。神を愛する方法は、すべての人を愛し、すべての人に奉仕することです。学生諸君は、この理想を心に刻むべきです。

人は、善良で徳のある人になるために努力すべきです。善い思考と感情に満ち、善い行いをする時にのみ、人の生涯は意味のあるものとなります。これらの善い特性は、あなたをより善い人間にさせてくれます。それが、「善い息子は一族を照らす」(スプットロー クラディーパカハ)という諺の意味するものです。あなた方は皆、善い息子として国に奉仕し、国を守ることを誓うべきです。

悪い仲間を避け、犠牲の精神を持ちなさい

学生諸君! 世俗の勉強は、世俗の生活の中であなたを助けてくれるでしょうが、あなたの霊的進歩を促してはくれません。霊性がなければ、世俗での業績の一切は無価値です。

武勇と優れた腕前の一切を持ちながら、カルナはなぜ最終的に敗北したのでしょう? それは、邪悪な心を持つドゥルヨーダナといっしょにいたからです。もしドゥルヨーダナと共同戦線を張っていなかったら、カルナは天空の輝ける星となっていたでしょう。カルナが生来持っていた善い性質のすべてが灰と化したのは、悪い付き合いのせいです。あなたの仲間はあなたの人格を左右します。ですから、まず、敬虔な仲間に親しみなさい。それがなければ、それ以外のすべてが無駄になります。今、バーラタのどこを向いても、無秩序と暴力と恐れが見えます。その理由は何でしょう? 人々が神我への信心を失ってしまったからです。人々は世俗の物事への執着を育てています。人々は、本当の至福は神から得られるということを忘れています。

学生諸君! 広い心を持ちなさい。一体性を育てなさい。バーラタは、立派な戦士と学者と統治者たちを欠いていなかったにもかかわらず、一体性の欠如により、英国のような小さな国の配下となってしまったのです。今、国は二つの悪い性質に苦しめられています。それは、一体性の欠如と、飽くなき欲望です。教育は、職を確保するためではなく、知恵と徳を得るために追い求められるべきです。

カルナのような犠牲の精神を持ちなさい。誓った言葉を守りなさい。自分の行いのすべてを神に捧げなさい。

諸君は、私たちの教育機関の卒業生として、理想の学生として、世間の人たちへの手本として、突出すべきです。真実(真理)より偉大な特質はないことに気づきなさい。真実は神です。ダルマは神の装飾品です。この二つを人間の最高の属性として固守しなさい。

学生諸君! あなた方のハートはみずみずしく、汚れていません。今のこの年齢から、清らかな思考を育まなければいけません。あなた方の清らかなハートに愛の種を撒きなさい。あなたはその愛の木から、堪忍寛容、思いやり、親切心という果実を得ることができます。いつも笑顔でいなさい。死を含め、人生におけるあらゆる状況に笑顔で立ち向かいなさい。

先ほど、何人かの学生によるスピーチがありました。学生たちは、とても上手に、甘美に、楽しく話をしました。彼らのスピーチは、もしそれが口先からではなくハートから出た言葉であれば、非常に大きな効果を生むでしょう。思いと言葉と行いが完全に一致しているべきです。

私は、あなた方が皆、神を黙想し、善い思いを抱き、同胞への奉仕に従事することによって、人生を有意義に過ごすことを望みます。あなた方全員を祝福します。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.30 C2

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