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神は 宇宙のすべてのなかで眩く光り輝き (テルグー語の詩) 遠い昔より、バーラタ(インド)は友愛と調和の純粋な価値を明示してきました。バーラタは、まさに霊性、美徳、慈善、正義の生誕地です。この国は、平安と繁栄の地です。バーラタの人々は、これらの価値を地球に確立するために、 バーラタに吹く風は、真理に満ちています。私たちの足元から立ちあがる埃にさえも、ダルマが溢れています。バーラタ人の人生は、忍耐と呼ぶべきものです。この国を流れるガンジス河は愛で満ち溢れています。真理、正義、平安、愛、非暴力の源泉であるバーラタが、なぜ、このように嘆かわしい状況へと転落してしまったのでしょうか? バーラタ人が、古より偉大な理想を示してきたにもかかわらず、なぜこうなってしまったのでしょうか? バーラタという神聖な国において 忍耐はまことの美 (テルグー語の詩) この国では、不屈の精神は最も偉大な美徳であり、平安は身を守る盾です。バーラタという国に生まれた私たちが、自らの文化的価値の遺産を維持することができないとは、なんという悲しむべきことでしょうか。若き少年少女たちは、生計を立てるために学ぶべきではなく、この国が古より掲げてきた理想を示し広めるという、ただ一つの目的のために学ぶべきなのです。現代の少年少女たちは、バーラタの伝統と文化を体験し味わうためにではなく、短期的な利益のために学んでいます。 女性が仕事のために家を出てしまうならば 誰が家庭を守るのだろうか? (テルグー語の詩) 今日の女性たちは、教育を受けているがゆえに、仕事をもつにあたって男性と張り合います。仕事に出ることが悪いわけではまったくありません。しかし、仕事をもつ前に、家庭で必要とされていることを果
たさなければなりません。妻と夫が会社に出かけてしまったら、誰が家庭で子どもたちの面
倒を見るというのでしょうか? 母親が、子どもたちを適切に導くために家庭にいなければ、彼らは道に迷ってしまうでしょう。仕事のために両親が家を留守にしてしまえば、金銭への欲望は満たすことができるかもしれませんが、家庭で子どもたちを 女性は、自らの責任を理解し、それにふさわしい行動を取らなければなりません。この点において、女性によって掲げられた多くの理想があります。昔の多くの女性たちは、自らの美徳を育み理想的な人生を送った、とラジェスワリ パテル(註:「メッセンジャーズ
オブ サティア サイ」というサティア サイ女子大学同窓会の会長)は語りました。サーヴィトリーは、その行為において手本とすべき女性です。その当時の女性たちは、家庭での義務を決して放棄しないばかりか、常に、最も理想的なやり方で子どもたちを育てました。彼女たちは、戒めの言葉によってのみならず、実践によって子どもたちを教えました。しかしながら、今日では、そのように理想的な母親を目にすることはなかなかできません。母親たちは、子どもを理想的な市民へと形成していくことよりも、収入を得ることに関心があるのです。子どもを理想的な方法で育てることさえできたならば、母親たちは国家を大いに助けることができるでしょう。自分の子どもが、誰にも チャンドラマティーは、極めて優れた性格をもつ女性でした。彼女は、常に夫のハリスチャンドラ王に従いました。困難にあったときには、彼女はこう語りかけて夫に勇気を与えました。「おお、王様。あなたは大いなる知性をもち、高い教育を受けたお方です。決して、弱さに付け入る隙を与え、定められた道から外れることがあってはなりません。私たちは真理の海を泳いでいるのです。岸辺にたどりつくまで、決意を投げ捨ててはなりません」。このようにして、当時の女性たちは、真理の道に従うようにと、夫を勇気づけたものでした。バーラタの女性たちは、常に我々の神聖な文化を支えてきたのです。シーターは、極めて辛い状況にあってさえ、決して涙を流しませんでした。彼女は悪鬼たちに取り囲まれましたが、決して彼らを恐れませんでした。彼女は、常に夫のラーマ神を憶念し、そのようにして理想を示したのです。同じことがダヤマンティーにも当てはまります。彼女は美徳ある女性でした。彼女は、夫が王国を取り戻すことができるように、固い決意をもって彼を助けました。このようにして、当時の女性たちは、その優れた性格と理想的な母としての役割によって、自らの名声を得たのです。今日の女性は、当時の女性を模範としなければなりません。 人が美徳を通じて得る幸福は、富の所有から引き出される幸福をはるかに 女性は、美徳という富を育み、夫の名誉を守るべきです。男性と女性の双方が共に人格者となるべきです。良い人格をもてなければ、あなたが学ぶすべては不毛なものとなるでしょう。 その教養と知性にもかかわらず 愚かな人間は自らの真の自己を知ろうとしない (テルグー語の詩) 現代の教育は、生計を立てるためにのみ、あなたを助けるものです。この教育は生活のためであり、人生のためになされるものではありません。実際、この教育が、社会における現在の道徳性の衰退の原因なのです。昔は、人々は真理と正義を最優先のものとしていました。彼らは、神の愛を自らの人生そのものであると見なしていました。バーラタの女性たちは、真理のために自らの命を犠牲としました。 バーラタというこの国は 気高い女性を多々生み出してきた (テルグー語の詩) 古より、バーラタというこの神聖な国は、他の国々に教えをもたらすという高尚な役割を担っていました。バーラタは、カルマ・ブーミ(行為の国)、ティヤーガ・ブーミ(犠牲の国)、ヨーガ・ブーミ(霊性の国)、と称えられてきました。皆さんは、自らの義務を果 たさなければなりません。行為の道に従わなければ、人生において進歩することはできません。 愛の化身の皆さん! あなたがたは、なぜ、時間がまさに神であるという真理を忘れてしまったのですか? 皆さんは、日曜日を、リラックスして楽しむことができると思いつつ待ちわびます。実際のところ、日曜日に何の仕事もしないことによって時間を無駄にしていることを悲しむべきなのです。皆さんは、自分の時間を適切な方法で活用すべきです。仕事が何もないときは、社会奉仕を引き受けなさい。仲間を助けなさい。母国のために、いかなる犠牲をも払う覚悟でいなさい。『バガヴァッド ギーター』は、こう伝えています。「あなたは、行為をする権利をもつが、その結果 への権利はもたない」あなたがたの行為を清めなさい。人々は、プンニャ・カルマ(価値ある行為)とパーパ・カルマ(罪ある行為)について語ります。思いが純粋なとき、行為は聖別 され、仕事は礼拝となります。あなたが時間を適切に用いたときにのみ、人生は意味あるものとなります。カーヤ(身体)は、カルマ(行為)をなすために与えられました。すべてのカルマは、カラナ(原因)とカーラ(時間)に結びついています。カーラ(時間)、カルマ(行為)、カラナ(原因)、カールタヴィヤ(義務)の原理を理解し、それに応じて行動することこそが、人間の主要な義務なのです。これが、バーラタの文化の主な教えです。古より、その教えこそがバーラタを守ってきたのです。 文化とは何でしょうか? あなたは、文化とは生活の方法であると考えています。しかし、そうではないのです。インドの文化は、あなたの生活を理想的なものへと変容させます。今日、インド文化の偉大さを教えることに関心をもつ人々はほとんどいなくなりました。たとえ、教えようとする人がいたとしても、それに耳を傾けようとする人は多くありません。たとえ、その教えを聞いたとしても、それを実践しようとする人はいません。実践を望む人々がいたとしても、彼らは、適切なサポートや励ましを得ることができません。 愛の化身の皆さん! 愛の化身の皆さん! アブラハム リンカーンは、どのような状況にあっても自尊心をもって生きました。彼の母は、息子にこう話しました。「人々は、あなたのことを嘲り馬鹿にするかもしれません。そうであっても、決して心を乱してはなりません。常に、自尊心をもって生きるのですよ」。リンカーンは、母の教えに忠実に従いました。家に明りがないとき、彼は街灯の下で勉強をしました。やがて、彼はアメリカの大統領になりました。そのような高い地位を得ることができたのは、ただひたすら、彼に自信と自尊心があったからこそなのです。 母親の教えは、子どもの将来を築くにあたって、極めて重要な役割を果 たします。母親は、子どもから悪い資質を追い払い、真理、正義、平安、愛、非暴力のような人間的価値を彼らに植えつけなければなりません。多くの人々が、日常生活におけるこれらの価値の重要性を長々と語りますが、それらを実践に移している人が、はたしてどれほどいるでしょうか? ほとんどいません。人々は、真実を口にせず、正しい行いもしないのです。私たちの先祖は、どのようなことがあっても、真実と正義の道から決して逸れませんでした。真実に立脚することよりも偉大なダルマは存在しません(サティアナスティー パロ ダルマ)。ヴェーダは、「真実を語り、正義を実践せよ(サッティアム ヴァーダ、ダルマム チャラ)」と教えます。あなたの思いと言葉と行動は、それぞれに調和を保っているべきです。人類が学ぶべきものは人間についてである、と言われます。今日では、人が何を思っているかなどは、誰にも判りません。なぜなら、人の思いと言葉と行動がまったく別のものとなっているからです。そのような非倫理的な態度によって、人は人生を浪費しています。舌は、真実を語るために与えられたのです。 おお舌よ 味覚を知りし者よ! 汝は神聖そのもの (サンスクリット語の詩) 神聖な言葉を発するためにある舌は、今や他者を批判するために使われています。そのような人の運命は、言い表すことさえできません。私たちの先祖は、母国への愛がきわめて強かったため、この神聖な国、バーラタに幾度でも生まれ出ることを望みました。しかし、今日の人々は、デーシャビマーナ(母国への愛)のみならず、ダルマビマーナ(正義への愛)ももっていません。そのかわりに、彼らはデーハビマーナ(身体への愛)を強めています。身体は水泡のようなものです。あなたは、どれほど長い間、自分の身体を守ることができるのでしょうか? 身体は、遅かれ早かれ朽ち果 てるのです。それゆえ、アートマビマーナ(真我への愛)を育みなさい。それのみが、世界中を守ることができます。同じアートマがあなたの中にも、すべての他者の中にも存在しているのだ、という信念を育みなさい。そのように強い信念をもつとき、国全体が繁栄するでしょう。真我への愛をもつ者こそが、真の人間なのです。その愛をもたなければ、人の人生は浪費されます。 愛の化身の皆さん! 母、イーシュワランマがこのような嘆願をしに来るときはいつも、私は怒ったふりをして、こう言いながら彼女をたしなめました「なぜ、いつもあなたは、私に人を引き合わせようとここにやって来るのですか? 私は、彼らの話を聞くつもりはありません」。しかし、彼女は諦めようとせず、嘆願を続けたものでした。「スワミ、どうか彼らに慈悲をかけてあげてください。あの人たちは、今すぐあなたの助けを必要としているのです。どうぞ一度話しかけてあげてください」。私は、彼女は、なんと慈悲深く、親切な心をもっていることか! と考え、幸せに思いました。 フリ(そこにあるもの) + ダヤ(慈悲) = フリダヤ(心)なのです。慈悲に満ちているものが、フリダヤです。しかし、今日、人間はそのように慈悲に満ちた心をもっていません。人は荒々しい言葉を発し、それゆえに評判を落とします。皆さんは、優しく甘く話すべきです。荒々しく話すことで他者の感情を傷つけてはなりません。 愛の化身の皆さん! 人々は、解脱を得ることを切望します。解脱とは何でしょうか? 常に助け、決して傷つけない、これこそが解脱です。執着(モーハ)を取り去ること、それが真実の解脱(モクシャ)です。他者の欠点を探すことをやめなさい。あなたが誰かを非難して指差すとき、三本の指は自分を指差していることに気づきなさい。「真実はまことの首飾り」、「慈善はまことの腕飾り」という言葉があります。あなたの手は、慈善のために働かないのであれば、役に立ちません。あなたは、神聖な行いをすることで、身体の諸機能を聖別しなければなりません。あなたの目は、神聖なものだけを見なければなりません。 あなたは、自分の目にどれほど膨大な力が潜んでいるかを知っているでしょうか? 目の中には、何千万もの光線が存在しています。 愛の化身の皆さん! 愛の化身の皆さん! 愛の化身の皆さん! (バガヴァンは、「ハリ バジャナ ビナー スッカ シャーンティ ナヒー…」のバジャンをもって、御講話を終えられました)
(了) 翻訳、監修:サティア サイ出版協会 |
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